2012年7月15日日曜日

『救援』第519号 「郡山市からのメッセージ~変革のときを生きる」


1207_『救援』原稿
2012630
福島県郡山市からのメッセージ~変革のときを生きる
安全宣伝と国策
あの三月十一日から一年三ヶ月以上の月日が流れた。三月ごろ、原発事故後一年の節目を境に「復興」の掛け声とともに「事故前の日常を取り戻す」という動きが加速している。たとえば全村避難していた川内村では村長の帰還宣言に続いて村役場、小中学校、保育所などが再開され、広野町など、その他の原発に隣接する自治体がそれに続いている。福島県の人口密集地帯である中通り地方でも、四月の新学期をめどに校庭使用時間制限が解除された。夏の到来とともに学校の屋外プールの水泳授業も許可された。
ちなみにツイッターでは、山形弁を売り物にするアメリカ人タレントが「福島市の子どもたちが屋外プールで泳げるようになった。いまでは放射線値は安全なまでに下がった。教委が発表。グッド・ニュース」と英語で発信している。そのツイートに筆者が一言レスすると、「あなたは北朝鮮に亡命したらいい」と信じられないような暴言が返ってきた。
だが、放射線量が健康に安全なまでに減衰したわけではない。たとえば、筆者の居住する郡山市内の県営住宅団地の大型遊具を備えた広場で、先日、放射線値を計測してみると毎時0・八六マイクロシーベルトを記録した。この値は法規に定める一般人の年間被曝許容量一ミリシーベルトの約七・五倍に相当し、部外者の立ち入りが禁止される放射線管理区域の基準を軽く超えている。作業員の放射線防護服・マスクの着用、被曝量の記録が義務づけられる場所が立ち入り自由であり、年端のいかない子どもたちが嬉々として遊んでいる。
郡山市では、教育委員会が新学期からの校庭など使用制限時間解除を発表する裏で、小中学校内における数多くのホットスポットの存在を把握していたことが市民グループの情報開示請求によって判明し、東京新聞などで大きく報道された。
先ほど福島市議会は「大飯原発再稼動に反対する」決議案を十九対十七の無記名投票で否決した。福島県は「脱原発」を宣言しているが、佐藤雄平県知事は昨年に続いて東京電力株主総会を欠席し、株主としての発言権を行使しなかった。
原発事故被災県における安全宣伝・復興キャンペーンの推進とあわせて、こうした動きは原発再稼動を急ぐ民主党内閣の国策に連動しているはずだ。野田首相は「国民生活を守るため」と強弁して、大飯原発三、四号機の再稼動を宣言したが、権力者が守りたいのは「国民生活」ではなく、原発村の利権と総資本の利益である。「動かせない原発は、そのまま不良債権になる」と、金子勝慶大教授は喝破する。
われら九九パーセント
六月十一日、暑い日だった。「原発事故の責任をただす!福島原発告訴団」と大書されたバナーを先頭に、福島市内信夫山の坂道を二百余名の市民たちがびっしり並んだ報道カメラに向かって登ってくる。この日、一三二四名の福島県民が東京電力、政府機関、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーら三三名を名指して原発事故と被害拡大の咎(とが)で福島地方検察庁に刑事告訴・告発したのである。目下、仙台高裁で審理中の「ふくしま集団疎開裁判」などとあわせて、被災地住民の脅かされたいのちを守り、奪われた人権を回復する闘いは拡大する。
大飯原発再稼動の最終決定を間近に控えた六月十七日、福井市中央公園を埋め尽くした福井県民と全国から駆けつけた人びとを前に、「原発いらない福島の女たち」、そして男たちが切々と思いをアピールする。原発再稼動は事故被災地の人びとのこころの傷に塩を塗る行為なのだ。
六月二九日の国会議事堂前、ここでも次々とマイクを握る福島の女たちの声が東京の空に響く。そして首相官邸前、六本木通りを埋め尽くす二〇万人(抗議行動主催者発表)の人・人・人…「再稼動反対!」の声が大空に満ちる。
社会の深部で九九パーセントの思いが胎動し、歴史を動かそうとしている…だが、主流メディアを追うだけでは、退屈で空疎な日々が続いていくだけかもしれない。変革のとき、それはニュースを自分で創るべき時代なのだ。
(筆者:井上利男 ふくしま集団疎開裁判の会)


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