2014年12月24日水曜日

R・ジェイコブズ「放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から」 @JapanFocus

アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナルVol. 12, Issue 31, No. 1, 201484.
放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から
ロバート・ジェイコブズ Robert Jacobs
凡例:(原注)、[訳注]、原文イタリック
放射線は人を不可視にする。わたしたちは、放射線が人の健康に有害であり、病気を、あるいは高線量の場合、死さえも招きかねないことを知っている。だが、放射線はそれ以上のことをする。放射線に被曝した人、あるいは放射線に被曝したと疑われる人でさえ、放射線に関連した病気になっていなくても、自分の人生が永久に変わってしまった――ある種の二級市民とみなされる――ことを思い知らされるかもしれない。その人たちは、彼らの家族、彼らの地域社会、彼らの町、彼らの食生活との関係が、あるいは彼らの伝統的な知識体系さえもが断ち切られたと悟ることになるかもしれない。彼らは、戻りたい、ものごとが正常になってほしいと願いながら、しばしば彼らの人生に残されたものを使いつくす。彼らは、自分が棄民になってしまった、彼らの政府は、また彼らの社会さえも彼らの福利にもはや労をとってくれないと徐々に理解する。
筆者は、核技術の社会的・文化的側面を研究する歴史家として、放射線に影響を受けた世界中の社会の研究に何年も費やしてきた。そうした社会の人びとは、核実験、核兵器生産、原発事故、原発の稼働や[廃棄物の]貯蔵、あるいは筆者の暮らす地域社会、ヒロシマが標的になったように、核爆弾の直撃による放射線被曝を体験している。筆者は、最近の5年間、オーストラリアはパースのマードック大学、ミック・ブロデリック博士とともにグローバル被ばく者プロジェクトで活動してきた。わたしたちの研究は、広範な文化、地理、人びとの違いを越えた放射線被曝体験の緊密な共通性を明らかにした。この研究の開始時から今日までのほぼなかばで福島第1原子力発電所の災害が勃発した。危機が勃発して以来、(数多くある)最も悲惨な状況のひとつは、人びと、それもしばしば政治的な権力と影響力を有する人たちが、核惨事に被災した人びとの未来は不透明であると語るのを聞かされることである。福島第1原発メルトダウン現場の近くに住んでいた人びとの未来は予測可能であることは、歴史に深く刻まれた前例が示唆していると筆者は願うし、また実際にそうなのである。


ブラヴォー実験のあと、健康への影響を示す子ども
5福竜丸乗組員の頭蓋の放射線火傷

ここで、放射線の影響を受けた人びとの共通性について、いくつか概要を述べてみよう。以下に記すことのほとんどは、たとえ健康への影響に苦しんでいなくても、放射線被曝を疑われる人たちにも当てはまることである。その多くはすでに、フクシマ惨事の影響を受けた人びとの経験の一部になっている。もちろん集団ごとに違いと特異性が数多くあるが、やはり顕著な共通性が見受けられるのである。
疾病と死亡率――疾病、さらには死亡さえも、高レベル放射線被曝の場合に予期されるようになった結果である。放射線に被曝したあと、人びとが多く異なった形で病気になると理解することが大事である。高レベルのガンマ放射線に被曝した人たちは、急性の放射線病になりかねず、何日かあと、何週間かあと、または何か月かあとに死亡しかねない。ヒロシマとナガサキでは、何万人もの人びとが核攻撃を生き延びたあと、急性放射線病で亡くなっている。日本のマグロ漁船、第5福竜丸の無線長、久保山愛吉は、マーシャル諸島近くの操業海域から100キロ以上離れたビキニ環礁で実施されたブラヴォー核兵器実験による高レベルのガンマ放射線に被曝してから6か月半後に死亡した(他の乗組員全員が放射線病を患った)。核兵器は非常に短い時間内に突発的に膨大な線量のガンマ放射線を放出し、体が高レベル放射線で被曝すると、かなり速やかに病気と死を招きかねない。核爆発による高レベル放射性フォールアウトもまた、第5福竜丸の乗組員の場合がそうであったように、爆発地点から遠く離れた場所でもガンマ放射線被曝を引き起こしかねない。
核兵器の爆発地点に近くなかったり、チェルノブイリやフクシマの核惨事のような災害現場に近かったりすれば、病気は体内に入ったアルファ放射線照射粒子の結果である場合が多い。これは、核爆発に伴うフォールアウトに運ばれて降下する。これまでの民生用原子力発電所の2大事故、チェルノブイリとフクシマの場合、このような粒子が爆発によるプルームとして広大な地域に降下し、地表に沈着した(フクシマでは、プルームが原発から100キロを超えて降り注ぎ、チェルノブイリの場合、プルームが主として北方の国境を超えてベラルーシに降下したが、はるか遠くの英国やスウェーデンの各地まで汚染した)。アルファ放射体粒子はガンマ放射線のように皮膚を貫通しないが、呼吸や嚥下によって、あるいは皮膚の傷を経由して体内に入る(アルファ、ベータ、ガンマ放射線の基本知識は、を参照のこと[日本語は、とりあえず放射線影響研究所「放射線にする基礎知識」)。
これらの粒子は大量の放射線を放出するわけではないが、体内に留まると、1日に24時間、少数の細胞を放射線被曝させつづけ、しばしばそれが生涯におよぶ。その結果、数年後、あるいは10年後か20年後、癌や免疫障害になりかねないことになる。フクシマの三重爆発に伴うプルームが広大な地域にわたってアルファ放射体を堆積させたので、このことは、汚染地域で暮らす人たち、とりわけ、体が速やかに成長しているので、成人よりも放射線被曝の重大な影響をこうむる子どもたちに深刻な危険を投げかける。
核産業の御用人衆が「福島原発事故で死亡者は出ていない」などというのは、たいがいの人が徐々に病気になり、時間がかかることをよく知っているはずなので、不誠実である。現時点はこのような病気の潜伏期にあたっており、この点は周知のことのはずだが、核産業や政府の広報係によって抑えこまれているのだ。最近の調査によって、福島県で311災害のあと、津波の死亡者より多くの人たちが、ストレス、適正な医療の不足や自殺で亡くなっていることが示されている1


福島第1原発爆発のプルームによる地表ガンマ線量とセシウム137堆積
平和の折り鶴で構成されたビキニ環礁地方政府庁舎の壁画(写真:筆者)

家、地域社会、アイデンティティの喪失――放射能汚染をこうむった地域は、そこに住む人びとに放棄されなければならない場合が多い。放射線レベルが高い場合、住みつづけるのは健康に有害でありうる。この場合、人びとはふるさとを失い、それも永久になる場合が多い。
放棄しなければならない地域社会にとって、築き上げられ、地域共同体の福利を維持してきた絆が断ち切られてしまう。友だちは別れ、大家族はしばしば離れ離れになり、学校は閉鎖される。生涯を同じ場所で暮らしてきた人たちが、老若問わず、新たな生活を築かなければならない。顔見知りの商店主、頼りになる隣人、地域社会の単純な親密さといった、人びとを支えてきた共同体構造が破壊される。父か祖父が植えた木のリンゴをもう食べられないとすれば、なにが失われたのだろうか? ニューメキシコ州ギャラップ出身の元ウラニウム鉱夫、トニー・フッドは、ナヴァホ共同体がウラニウム汚染のために故地を捨てなければならないと熟考したときの喪失感を、「わたしたちのへその緒はここに埋められ、子どもたちのへその緒はここに埋められている。それは自動誘導装置のようなものだ」と表現した2
共同社会の喪失に伴い、多くの人たちは暮らしを失う。世代を重ねた農民、漁民、牧畜民の場合、これはなおさらのことである。農耕しか知らない農民が慣れ親しんだ土地から引き離されるとすれば、漁民が自然のリズムと魚の癖を理解している海域で漁労できないとすれば、初めからやり直すのは不可能だ。そのような人たちは、サービス業に就職したり、国の助成金に頼ったりすることを余儀なくされる場合が多く、さらに自己意識と安寧が蝕まれることになる。汚染のために自分の土地から追われた人たちは、一般的に仮設住宅に入居させられることになる。フクシマの場合、10万人の人びとが仮設住宅に取り残され、他にも数十万人が政府に住居を提供されることもなく地域を逃げ出しているありさまである3。公的に認定された被災者に提供された公共住宅は、ほとんどすべてのケースで、一時的なものでなく、恒久的なものになっていることが判明している。
ビキニ環礁(左)とフクシマ(右)からの避難民用「仮設住宅」

カザフスタン、ポリゴン(核実験場)に近い汚染地の栽培試験圃場(写真:筆者)

何十年も一緒に暮らしてきた多世代家族は、多くの場合、一緒に生活することが不可能とわかることになる。そのために高齢者の世話や幼児の養育ができなくなり、家族意識、知恵、支えの継続性が蝕まれることになる。土地からの離別はまた、伝統食の喪失を伴う。家族の食べ物をもたらしてくれていた土地や海を活かせなくなった人たちは、混乱と不健康の旅路をたどりはじめることになる。カザフスタンは旧ソ連核実験場[セミパラチンスク]の周辺の小村落のような一部の地域では、人びとが危険なほどに汚染されたふるさとにただ住みつづけている。彼らの被曝に責任のある国家(ソ連)はもはや存在しておらず、ロシアとカザフスタンの両政府とも、彼らを避難させたり、あるいは障害者たちに医療を提供したりする責任を感じていない。多くの人たちは、自分の畑を作物を栽培したり、汚染された自分の土地で家畜を育てたりして糧を得ながら、とても伝統的な暮らしを守っている。半減期の長い放射性核種の多くがこのようなエコシステムを単に循環し、住民たちは世代を超えて汚染され、また再汚染される4
日本政府は福島県で、20キロ圏内を強制避難区域に宣言し、さらに20キロから30キロの圏内に避難「勧奨」区域を指定した。これらの区域は、放射線レベルを直に反映していない。強制避難区域の一部では、ガンマ線量レベルが避難勧奨区域の一部より低い。50キロから80キロも離れ、プルームが降り注いだ地域の一部で、さらにレベルが高い場合もある。強制避難区域の区分けは、政府の直接責任を限定する施策を反映している。今日でさえ、子どもたちが屋外で遊んだり長時間を過ごしたりするのが許されない地域に住んでいる5


屋内の砂場で遊ぶフクシマの幼稚園児たち(写真:Toru Hanai

伝統的な知恵の喪失――一部の遠隔地では、何世紀も前から伝わってきた土地に対する古い理解に頼って生きている。オーストラリアのマラリンガでは、英国が1956年から1983年にかけて核実験を実施した地域は、生きるのが非常に困難な場所である。これらの地域の伝統社会は、水が見つかる場所、特定の動物を狩る時期、さまざまな場所に移動する時期など、そのように過酷な環境で生存するための基本知識を歌に乗せて伝えている。だが、幾千年かけて集められた知識を核の惨事に適用できるのだろうか?
英国が部族集団全体を故地から何百キロも離れた地域に移住させると、局地的な知識の連鎖が断ち切られた。避難民が、土地と動物のリズムを知らない地域で伝統的な暮らしを維持するのは不可能だった。自分の土地からのこの追放によって、ますます政府援助に依存するようになり、何千年間もの独立独歩の道は寸断された。アボリジニの人たちに対するオーストラリア政府の野蛮な支配と政策によって、自立が劇的な影響を受けた一方で、実験場の近くに住む人びとは1950年代にまだその土地で生きていた。強制移住は、部族共同体、家族と個人の福利をさらに蝕んだ。
差別――放射線に被曝したかもしれない人びとは新しい居住地で差別を経験し、社会の除け者になるかもしれない。これの生々しい最初の実例は、配偶者になりそうな相手が奇形児の出産を恐れるので、結婚相手を見つけるのが非常に難しかったり、雇用主が慢性病を疑い、仕事を見つけにくかったりすると思い知ったヒロシマ・ナガサキ被爆者に見られた。さらにまた被爆者の子どもたちは、しばしばいじめの対象になった。家族が放射線に被曝している事実を隠すことが著しく一般的になった6
2歳の時にヒロシマの核攻撃による放射能で被曝し、12歳で亡くなった禎子の物語を親しく知る人は多い。佐々木禎子は、1000羽の折り鶴を折ると願いが叶うという日本の伝統に従って、折り鶴を折った。禎子の物語はよく知られるようになり、世界中の子どもたちがこの話について学ぶと、折り鶴を折って、その多くがヒロシマに送られてくる。禎子は非常に多くの被爆者の純真さのシンボルになったが、彼女の父親は、家族が差別をこうむらないように、この事実を隠そうとし、禎子の苦しみがとても有名になったことで気が動転してしまった。
東京電力の原発における三重メルトダウンのあと、福島県から避難した家族の子どもたちは、新しい学校でいじめの被害者になった。福島ナンバーの車は、他県で駐車中に傷つけられた。これは、毒物に被曝した人びとから連想する汚染に対する自然な恐怖の結果であることが多い。マーシャル諸島において、1954年の米国によるブラヴォー実験による放射性フォールアウトに覆われて、居住不能になったロンゲラップ、その他の環礁から避難してきた人びとは、ふるさとに帰島する展望もなく、他の環礁で難民として生きなければならなかった。マーシャル諸島の居住可能な土地はわずかにしかなく、従来から他人に属する環礁に移住を強いられた身では、質の良い畑地や好漁場、手頃な船溜まりを使うことができなかった。彼らは新たな受け入れ先の善意頼みで生活し、よそ者視されることに耐えなければならなかった。
医学の被験者になる――放射線に被曝した人たちの多くは、医学研究の被験者になり、自分が受けている医学検査の情報も往々にして与えられず、検査実施者による治療も施されないことが多い。ヒロシマ・ナガサキの核攻撃による被爆者は、第二次世界大戦後の日本の米軍占領期に原爆傷害調査委員会(ABCC)の医学被験者になった。この調査は日米共同管理の放射線影響研究所のもとで今日まで続けられている。研究の初期のころ、日本人被爆者は医学検査の被験者になるか否かの選択権がなかった。米軍のジープが自宅の前に現れ、都合の良し悪しにかかわらず、検査を受けに行かなければならなかった。検査結果に関する情報が伝えられなかっただけでなく、米国政府は治療も提供しなかった7。同じ事態が放射能の影響を受けた地域社会の多くで起こった。
ブラヴォーの放射線に被曝した幼いロンゲラップ島民を検査する米国人医師
避難途上で放射線検査を受けるフクシマの子ども(写真: Christoph Bangert
ABCCで撮影された、放射線病を患う幼いヒロシマ被爆者

1966年のこと、米軍核戦略爆撃機が空中で爆発し、残骸がスペインはパロマレスの小さな村落に堕ちた。4発の水爆が爆撃機から落ち、1発は海に、3発は小村に堕ちた。1発も爆発しなかったが、2発は破裂して、集落の一部をプルトニウムと他の放射性核種で汚染した。今日にいたるまでの毎年、パロマレスの住民の一部は医学検査を受けにマドリッドに連れていかれ、彼らの健康への被曝の影響を追跡記録されている。彼らは、検査結果をなにひとつ教えられず、病気にかかっても、被曝と関連していると伝えられることもない。彼らは被験者であり、自分の体に現れる放射線の作用の収集と評価の参画者ではない。このような研究は疑う余地なく、放射線被曝による健康への影響に関する科学の知見のためにデータを提供する(そのデータそのものには、後述の理由により問題がある)だろうが、情報収集の対象である人たちにとって、研究対象になりながら、情報を伝えられないのなら、人としての統合感覚と健康維持の当事者意識が損なわれてしまう。米国、英国、フランスの核実験によって放射線に被曝した、太平洋の島々の住民たちの多くは、検査され、結果を見せられないまま、送り返され、医療管理も望めなかったという経験をしている。その多くは自分の体から自分の経費負担でデータを掠め取られる感覚を報告している。
不安――放射線に被曝した人たちは、なにも心配することはないと諭されることが多い。彼らの不安は馬鹿にされる。放射線は非常に抽象的で、理解が困難である。放射線は感知できない――味もなければ、匂いもなく、眼にも見えない――し、そのうえ、被曝したのか、どれほど被曝したのか、自分と自分の愛する人たちが健康に影響されて苦しむのか、不安を感じるばかりである。医学の権威者や政府当局に不安を否定されても、気懸かりが募るだけである。何年かたってから、同じ地域社会の人たちが、甲状腺癌や他の病気など、健康問題を抱えることになれば、自分自身の安心感が陰鬱な影を投げかけられ、その後の一生、覆われてしまう。
熱を出したり、胃痛や鼻血、ありふれた体の不調があったりすれば、この不安が頭をもたげ――これがそうだ、とうとうやられたと思ってしまう。このような恐れが、両親、子どもたち、その他の愛する人たちに拡がる。子どもが発熱すれば、自分の子どもが死んでしまうと恐怖に駆られる。禎子は、2歳のときにヒロシマで放射線に被曝してから9年間、健康だったが、ある日に突然、首が膨れはじめ、ほどなくして白血病と診断された。これは、放射線に被曝し、あるいは単に放射線被曝が疑われる子どもをもつ親たちが日常的に経験する悪夢の世界である。ちょっとした病気になるごとに、身を裂きかねない。
放射能恐怖症と被災者バッシング――だれかが、危険なレベルの放射能、とりわけ体内に入ったアルファ放射体粒子に被曝したか否か、わからない場合が多いので、なんらかの放射線事故の現場の近くにいた大勢の人びとが自分の健康と愛する人たちの健康を心配することになる。この集団のなかに、被曝した人もいれば、被曝していない人もいる。不確実性がトラウマの一部になる。最近ではフクシマの人びとに見受けるように、このような人びとのすべてが、必要以上に放射能を怖がっていると厄介者扱いされ、あなたの健康問題は、あなたがクヨクヨしている結果に過ぎないとしばしば諭される。それが本当である場合もあるかもしれないが、見当違いである。
核惨事を体験した人たちにとって、家や地域社会から引き離され、絆と支えあいを失った人たちにとって、インフルエンザに感染したり、胃が痛くなったりするごとに、破滅の前兆なのではと覚束ない思いをする人たちにとって、わが子が公園で遊んでいると、見つけるのが難しいアルファ放射体粒子で汚染されるか否か、確信がもてない人たちにとって、不安は当然の反応である。急性的な健康問題の原因になるか否かにかかわらず、自分が左右できない外側の力が彼らの人生を狂わせたのである。彼らは不透明な人生を生きなければならず、しばしば差別を経験する。無論のこと、彼らはこの状況が生みだす不安に苦しむことになる。彼らをこのことで非難するのは、被災者を責めているのであり、さらなる新たな形のトラウマづくりになる9

カザフスタン、セメイ[旧称セミパラチンスク]の「死よりも強い」記念碑(写真:筆者)

終わりに――放射線は人びとを不可視にする。放射線は人びとを二級市民に落とし、その彼らは、彼らの近くの核施設を管理する連中によって、人びとを放射線に被曝させる業務を遂行している軍や核産業によって、また多くの場合、彼らが避難民になったときの新しい隣人たちによって、尊厳をもって扱われることをもはや期待できなくなる。放射線に被曝した人たちは、強制退去させられたり、住むのが危険なほど汚染されたりして、しばしば家を失い、時には一生戻れない。彼らは、彼らの暮らし、彼らの食、彼らの地域社会、彼らの伝統を失う。彼らは、土地に結びつけ、福利を保証する知識基盤を失いかねない。
放射線は健康問題と死の原因になりうるし、そうでなくても、重荷となりうる不安と不透明性の原因になりうる。放射線に被曝した人たちは、被曝に付随するあらゆる問題のゆえに非難される。核惨事のあと、わたしたちは被害を死者数の形で数えるが、亡くなる人たちは、本当の意味で事故の犠牲になる人びとのほんの一部にすぎない。数えきれないほど多くの人びとが、彼らの地域社会、彼らの家族、彼らの福利の破壊に苦しむのだ。核災害がもたらす惨状の全体像は知りようもない。
放射線に被曝した人たち、あるいは放射線被災地に住みながら、被曝の有無が不確かな人たちの人生は、決して同じでありえないだろう。フクシマ三重メルトダウンの2か月後に公表されたインタビュー記事で、チェルノブイリの「リクビダートル」[事故処理作業員]、ナタリア・マンズロヴァが語るように――「その人たちの人生は二つに、フクシマの前と後に分かれるでしょう。自分の、そして子どもたちの健康を絶えず心配することになるでしょう。政府はおそらくそんなに大量の放射線はなかった、人体に害を及ぼしたはずはない、というでしょう。そしておそらく人々が失ったものすべてを補償などはしてくれないでしょう。彼らが失ったものは計算不可能です」10
(本稿は、SimplyInfoサイト掲載の初出記事の拡大版である。オリジナル版を閲覧するには、こをクリック
【筆者】
ロバート・ジェイコブズRobert Jacobsは、広島市立大学・広島平和研究所の准教授、アジア太平洋ジャーナルの協賛会員。“The Dragon's Tail: Americans Face the Atomic Age”(2010年)著者、“Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb”(2010年)[『核の未来の穴を埋める~爆弾に対応するアートと大衆文化』]編者、“Images of Rupture in Civilization Between East and West: The Iconography of Auschwitz and Hiroshima in Eastern European Arts and Media”(2012年)[『東西間文明断絶のイメージ~東欧の芸術とメディアにおけるアウシュヴィッツとヒロシマの図像学』]共同編集者。“The Dragon’s Tail”の日本語訳書は、『ドラゴン・テール――核の安全神話とアメリカの大衆文化』(凱風社)。彼は、Global Hibakusha Project[グローバル被ばく者プロジェクト]の主宰研究者。
【関連APJ記事】
【推奨されるクレジット表記】
Robert Jacobs, "The Radiation That Makes People Invisible: A Global Hibakusha Perspective", The Asia-Pacific Journal, Vol. 12, Issue 31, No. 1, August 4, 2014#原子力発電_原爆の子/ロバート・ジェイコブズ「放射線は人を不可視化する~グローバル被ばく者の視座から」(井上利男・訳)
【脚注】
1 “Fukushima stress deaths top 311 toll,” Japan Times (February 20, 2014) (accessed July 31, 2014).
2 Dan Frosh, “Amid toxic waste, a Navajo village could lose its land,” New York Times (February 19, 2014) (accessed July 31, 2014).
3 “Fukushima 3 Years On,” SimplyInfo (March 11, 2014) (accessed July 31, 2014).
4 Gusev, et al., “The Semipalatinsk nuclear test site: A first analysis of solid cancer incidence (selected sites) due to test site radiation,” Radiation and Environmental Biophysics (1998) 37: 209-214.
5 Toru Hani and Elaine Lies, “The children of Japan’s Fukushima battle an invisible enemy,” Reuters (March 10, 2014) (accessed July 31, 2014).
6 Robert Jacobs, “Social fallout: Marginalization after the Fukushima nuclear meltdown,” The Asia-Pacific Journal, Issue 28, Number 4 (July 11, 2011) (accessed July 31, 2014).
7 ABCC配属の医師の多くは「テーブルの下で[内密に]」医療を施していたが、無施療が組織の方針だった。
8 これらの研究の多くについて、データの妥当性に活動家や学者が異議を唱えているが、それには理由がある。たとえば、多くの人たちが広島と長崎の放射線影響研究所による生涯調査を考察して、この調査は即発放射線の作用で亡くなった人びとの大多数が死亡したあとで開始されたので、その人たちは統計に含まれていないとか、調査データにアルファ放射体粒子による健康への影響が考慮されていないとか、研究が事実というより希望的観測とみなしうる線量再現操作に頼っているといった事実を言い立てている。
9 Robert Jacobs, “Fukushima Victimization 2.0,” Dianuke (March 11, 2012) (accessed July 31, 2014).
10 Dana Kennedy, “Chernobyl cleanup survivor’s message for Japan: “Run away as quickly as possible,” Desdemona Despair (March 23, 2011) (accessed July 31, 2014, originally published by AOL News) [日刊ベリタ:チェルノブイリ汚染除去処理従事者から日本へのメッセージ「できるだけ早く逃げなさい」]。
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