2015年9月26日土曜日

人びとの真実~ハンフォード核施設と風下住民の物語

人びとの真実
ケイト・ブラウン Kate Brown

ハンフォード核施設は近隣住民に安全だといわれていた
いま彼らは自分たちの物語を語るために専門家たちと戦っている

トム・ベイリーは、マンハッタン計画のプルトニウムを生産するために1943年に設立されたハンフォード巨大施設の風下にまともにあたるワシントン州メサの乾燥地農場で育った。ベイリーは、ハンフォード施設から、ワシントン州東部の乾いた平原をわたる気流、地下水系に運ばれ、コロンビア川を流れ下る核分裂生成物の毒を浴びていると信じる人びと、「風下住民」の非公式な広報係をしばしば引き受けた。ベイリーは、ハンフォードに関する数十本の記事、ほとんどすべての本に登場する。彼と話してみると、その理由がたやすくわかる。彼は、彩り豊かな表現の才覚で風味づけした冗舌に恵まれている。彼はまた、西部界隈の農民なら、さもありなんといった風貌、衣装、ゆったりした話しかたを身につけており、絵になる。ストーリーを探求するには、歴史家たちでも長期間にわたる調査が必要なので、わたしはベイリーとお近づきになることにした。歳月を重ねるうちに、わたしたちは友だちになった。
彼にはじめて会ったとき、日本に輸出する準備をしていた畑で、アルファルファを刈り取り、行ったり来たりして運搬する収穫機のキャビンにわたしたちはよじ登った。彼は、CNNの元リポーター、コニー・チャンがそのシートに座ったことがあるといった。わたしはそのことばを、国営テレビ局なみのシャッター・チャンスを提供しているのだというメッセージとして受け取った。運転しながら、彼は問わず語りをつづけた。
「子どもだったころの1950年代、ぼくはバック・ロジャーズ(SFアドヴェンチャーの主人公)が大好きだったのだが、ある日、窓の外を見ると、わが家の前庭で宇宙服の男たちがシャベルで土をすくって金属の小箱に詰めていたのだ。ぼくはワクワクしたが、母はパニックになっていた。母は駈け出して、なにか不都合でも、と科学者たちに聞いた。『大丈夫ですよ、お母さん』」と、ベイリーは手で口をふさぎ、攻撃マスクの裏から聞こえる声をまねて、『すべて順調です』といった。科学者たちは彼の父が撃ち落としたガンのくちばしと足を譲ってほしいと頼んでから、立ち去った。
ベイリーはある日、「ぼくや友だちは今でも元気だが、一緒に学校に通った優等生ぶりっ子たちが病気だったり死んだりしている理由がようやくわかったよ」と打ち明けた。
「なぜなの、トム?」
「なぜなら、その子たちの母親が自家産の野菜を食べなさい、牛乳を飲みなさいといって、彼らは言われるとおりに食べた! ぼくと友だちはこっそり店に行って、トゥインキー(スポンジケーキ)やコークを買っていた」
ベイリーはある日、金網フェンスの向こう側に放置された低層セメントブロック建屋にわたしを連れていってくれた。それは昔のパスコ屠殺場だった。「褐色の作業着をきた連中が、通し番号銘板の付いたベージュ色の車を引っ張ってきたんだ。彼らはカタワの仔羊や仔牛を探していた」と、彼はいった。彼はわたしに体を傾け寄せて、わたしが聴いているか確かめた。「ぼくらの家畜の20パーセントが奇形だった。連邦官たちがやってきて、マネジャーになにかいい、ステンレス鋼製容器を持って出てきた。連中は――例の墓荒しのように――臓器を集めていたんだ」。
真実ではないからではなく、伝説の預言者、カッサンドラのように、社会が真実に抵抗するので、ほとんどの人が信じない真実がいくつかある。
ベイリーが1980年代に州議会の議員選挙に立候補したとき、それがなにかに気づくきっかけになったという。彼は高齢の有権者に的を絞って選挙運動をした(理由は「年寄りは投票に行くから」)。いくつかの地域では、90歳代になっても、農作業をしていた。彼の選挙運動本部長は彼と同じ地域の人だった。ベイリーは彼にこう訊ねた――「なぜ年寄りがいないんだ?」。
「みな、癌で死んでしまった」
「それはまた、どうしてだ?」
「わからない」
ベイリーは年配の農民たちに、殺虫剤を使っているか、質問した。「うん、使っていたが、それも共産主義者でレズビアンの忌々しいレイチェル・カーソンがしゃしゃりでてくるまでだ」と、彼らは答えた。
ベイリーは、「わかるだろ、みながみなDDTを使っていたので、DDTが違いの原因ではなかった」とわたしにいった。
ベイリーは、一定の傾向に気づいたという。年寄りがまだ生きている人里は渓谷にあり、山腹の集落には年寄りがいなかった。わたしがポカンとした顔を見せると、彼は、風が土地の標高線に沿って流れ、谷筋の端を通って、吹きあがる様子を鉛筆書きしてくれた。
トム・ベイリー「ぼくや友だちはまだまだ元気だ」。写真:ケイト・ブラウン提供
チェルノブイリ惨事後の歳月のあいだに、米国の資金を給付された科学者たちが、兵器生産に由来する放射性同位元素で汚染された環境のために、1000億ドル規模の改善計画が必要であると結論づけた。このような場所の住民たちは、1940年代中ごろから世界の他の場所では類を見ないほど長期にわたり、低線量の電離放射線に被爆してきた。ワシントン州のリッチランドは、プルトニウム工場の運転員のために再建されたモデル都市だった。科学者たちは、慢性疾患や病児に関する地元住民の証言は科学的な裏付けに乏しいと主張した。農村部の住民は概して、他の居住民集団に比べて健康面で劣っているというのである。国際社会の専門家たちは、米国、ウクライナ、ロシアの放射能地帯の近くに住む人びとがすこぶる元気に暮らしていると論じたてた。病気であるとすれば、「放射線恐怖症」のせい、あるいは飲み過ぎ、喫煙、貧弱な食事のせいである。
この観点でいえば、チェルノブイリのゾーンで見つかる奇形のツバメ、それにフクシマ核反応炉3基のメルトダウンの1年後に見つかった突然変異の蝶に関する最近の報告は、懸念材料として特に有益である。蝶や鳥は、喫煙したり飲酒したりしないし、放射線恐怖でクヨクヨしない。わたしはこれまで7年間、世界初のプルトニウム工場――ワシントン州東部のハンフォード工場およびロシアのウラル南部のマヤーク核技術施設――の放射能汚染の痕跡が残る土地でかなり長期にわたって過ごしてきた。中東からバルト海沿岸にかけての国ぐにが新世代の核電力反応炉の受け入れ準備を急いでいるいま、トム・ベイリーのような地方農民の証言を葬るために、科学者たちが「事実」を言い立てるありさま、そして農民たちが逆襲して、専門家に疑いの目を向ける様子を見直す値打ちがある。
ベイリーがいうには、彼は常日頃から覆面車両の政府職員に疑念を抱いていたわけではなかった。彼は、自分はかつて自由を愛し、嫌なら出て行け主義のアメリカ流愛国者だったといった。ベトナム戦争期に軍人登録を申請したが、出生時異常を理由に却下された。それでも彼は、ヒッピーや平和運動を拒絶し、強い国防力の価値を知る、同類の考えの人たちが住む地域社会のプルトニウム工場と隣合わせに住んでいることを誇りに思っていた。しかし、チェルノブイリ惨事のあと、機密を解除された文書によって、ハンフォード施設の日常的な放射性廃棄物の投棄量がチェルノブイリ爆発による放出量の数倍に達することが判明した。このニュースは、しだいにベイリーの政治的確信を蝕んでいった。
ベイリーは1990年代はじめ、5,000人の申立人とともに、米国政府の請負でハンフォード施設を運営する企業5社を相手に提訴した。「風下住民」は、連邦政府資金によるハンフォード甲状腺疾患研究(HTDS)が決定的な証拠を提示するのではないかと願い、その結果をヤキモキしながら待った。しかし、訴訟事件は、たいがいの人が慢性的に病気であると思える地域で暮らしている申立人らにとって、明白であると思えたものの、曖昧模糊としていると判明した。
業者側の弁護士らは20世紀最後の歳月をかけて、環境汚染による被害を証明するのに必要な証拠を規定する法廷規則の高度に抑制的な枠組みを案出した。科学者たちは、米国の司令による日本人被爆者の研究を引き合いに出して、審理対象分野を少種類の癌と甲状腺疾患に限定した。しかしながら、風下住民らは、眼を欠いて生まれた羊を自分たちの子どもの出生時欠損に関連づけた。甲状腺研究は遺伝作用を対象にしていなかったし、ロシアの科学者たちが医療文献で「慢性放射線症候群」として論じていた、その他多くの健康問題も同様だった。
連邦地方裁判所のアラン・マクドナルド判事は勉強によって主導権を握り、風下住民訴訟の申立人適格者数を厳しく制限した。彼は、申立人が適格者と認定されるためには、全人口で発症する癌症例数の2倍の発症の原因になるほど高線量の放射線に被曝したことを証明しなければならないと裁定した。
その後、討論が白熱するなか、「専門家」の科学が農民と「一般人」が振りかざす現地の知識にしばしば対抗した。科学者たちはワシントン州東部の険悪な対決の場で、いかなる人も施設のために被害をこうむるのが不可能であることを示す図表やグラフを引っ張りだした。住民たちは「概して」、許容線量以下に収まっているというのである。地元民らは、科学者たちの言い分は無意味であり、地域社会のなかで大半の人たちが健康問題を抱えている地点を特定できると言い返した。科学者たちは、イオン、ラド、同位体を論じた。彼らは、愛する人の免疫障害や腫瘍について話したいと考える人びとと衝突した。ドライで苛立っているシアトル在住の専門家たちを見て、多くの人たちは、風下住民たちが自分たちの問題の元凶であると信じている尊大なハンフォードの科学者たちを思い起こした。
専門家と地元民のどちらか一方の知識が正しく、他方が間違っているという問題ではなかった。両者の知識のどちらも限られており、異なる利害を反映していた。時間を遡って摂取したり周辺大気中に存在したりした放射性同位体の記録を追跡するのは、不可能に近かったので、両者の形の知識は結局のところ状況的なものだった。しかし、法廷や議会公聴会では、専門家が操る科学は「客観的」で「公平無私」であると思われる一方、病気になったわが子や隣人たちを数えあげる女たちは「主観的」で「裏付けに乏しい」というレッテルを貼られた。
高等学校教育を受けただけのベイリーは、どのようにして巨万の予算を付与されたハンフォードの研究員軍団と同じ結論に辿り着いたのだろう?
ベイリーは訴訟が長引くにつれ、彼の社会資本を賭けて、プルトニウム工場が、彼の両親、叔母、叔父、姉妹の癌、そしておそらく彼自身の出生時異常と生殖不能の原因になったことを証明しようと努めた。彼はある夜、夕食をとりながら、子どものころハンフォード出資の病院に長期入院し、謎の麻痺のために人工肺に入れられていたとわたしに語った。彼は、奇妙な青い光、兵士らが警備する病棟のドア、そして叫び声に気づいたことを憶えていた。彼が看護師に、どんな病気なのと訊ねると、彼女は唇に指を立て、「なにも言わずに、おやすみなさい。あの人たちは、ハンフォードから来た男たちにすぎないのよ」といった。
わたしはベイリーの話をどのように判断すればよいのか、わかることはなかった。彼が話していると、わたしはラジオのミッドナイト・トーク番組スタジオに入室し、退出を許されないときの身震いする感覚をしばしば味わった。彼は時には野暮、通常は不穏当な調子で、憶測から噂へ、さらに陰謀へ移りながら、ととりとめなくしゃべりつづけた。彼の話は付いていくのが難しく、信じるのはさらにもっと難しかった。二人のジャーナリストが同じようなことをいい、そのうちの一人は彼をホラ吹きと決めつけた。ベイリーは、アメリカ史上で最も引用回数が多く、信頼するに足りない語り部なのかもしれない。
彼には、自分が信頼できるように思われていないことがわかっている。「ぼくはガキで、連中はぼくたちにミルクセーキをくれ、ぼくたちの胴囲を測ったんだ。内陸のパスコに海軍基地があった。友だちの父親は列車補給処を運営しているが、友だちがいうには、ほんとうはFBI捜査官であり、ぼくを除いて、誰ひとりとして、これがすべて変だと思っていないようなのだ」。
信頼するに足りない語り部は、聞いている値打ちがある場合が多い。真実ではないからではなく、伝説の預言者、カッサンドラのように、社会が真実に抵抗するので、ほとんどの人が信じない真実がいくつかある。だから、わたしは信頼できない語り部を探しだし、事実を照合する。
ベイリーがわたしに語ったことのほとんどすべて、図星だった。
ハンフォード工場:空気と水の流れが土地一帯に堆積した核分裂生成物の特異な模様をなぞっている。写真:エネルギー省提供
科学者たちは1960年代はじめ、地元農場から試料を収集し、野生の獲物と家畜の「生物検定」データを取得した。彼らは飲用水を検査し、パスコとメサ、それに遠く離れたワナッチーの屠殺場からウシの甲状腺を集めた。ハンフォードの研究員らはまた1946年から、プルトニウム労働者と近隣農場の作業員の臓器を摘出した。原子力委員会資金を給付された調査員らは世界中の子どもたちの人骨を秘密裏に集め、放射性降下物を測定した。リッチランド病院は、警備病棟を確かに備え、病室のセメント床に線を引き、放射線レベルが高くて、近寄ることのできない患者の体から病院スタッフを防護していた。ツィンキーと貧弱な食事がほんとうにベイリーを助けたのかもしれない。ハンフォードの研究によれば、食料品店で購入した食品を摂食した人びとは、放射性副産物カウント数値が低かった。もうひとつ別の研究は、貧弱な給餌の豚が摂取した放射性同位体が、健全な給餌の豚のそれより少ないことを示していた。
丘の上に暮らす農民の被曝線量が下界のそれより大きいというベイリーの推測もまた、放射性ヨウ素のプルームが「渓谷に入ると、斜面を上方に」向かうというハンフォード研究員らの描写と一致していた。ベイリーは何年にもわたって、施設の事故について、わたしにほのめかした。彼は、地形、土質、消化系統を通る放射性粒子の経路について、わたしにささやかな講義をしてくれた。彼は問わず語りの締めくくりに、「だが、ぼくになにがわかる? ぼくはただの鈍百姓さ」といっていた。
彼の要点は、やはりまたそこにあった。オンボロのシボレーでカントリー・ロードを走り回る、高等学校教育を受けただけのベイリーは、どのようにして巨万の予算を付与されたハンフォードの研究員軍団と同じ結論に辿り着いたのだろう?
科学は複雑な過程を単純化して理解する。放射能移動経路研究は、単一種の同位体が単一の経路から体内に入るといった簡素化した観点から、モデル、人口の平均値と集合値にもとづいていた。だが、現実の放射性流出物は、一般化された統計的集合体として環境に拡散するのではない。現実世界では、気流、河川渦流、地下水が特異な様式に従い、土地一帯に不均等な形で核分裂生成物を堆積させるので、放射性流出物は無作為な地点に集まる。体はこれらのホット・スポットで、平均値レベルにではなく、激甚に核分裂生成物まみれになる。
シアトルからときたまにやってくる科学者たちは、ホット・スポットを大雑把に把握するだけであり、これは驚くほどのことではない。ホット・スポットの位置と強度を特定するためには、75,000平方マイルの被曝領域を一寸刻みに踏破し、植物、根系、土壌、地下水、垂直方向に2,000フィートの高さまでの立方体空気の三次元測定を実施しなければならない。彼らは、土地、子どもたちが隅々まで知っている様態、農民が土壌の肥沃度を知る方法、排水系、畑地の傾斜とねじれ、風と天候の気まぐれな変化を知っていなければならない。
科学者たちが徹底的な疫学研究を実施するためには、現地に住んでいる人びとだけでなく、だれが転出したか、あるいは死んだかといった親密な形で全住民を知るようにならなければならないだろう。だれが流産したか、だれがどんな病気になったか、どの夫婦が生殖問題を抱えているか、どの子がなぜか具合悪いのか、知っている必要があるだろう。要するに、拡大家族、または緊密に織りあわされた地域共同体の人びとに関する類いの知識が必要になるのだ。ハンフォードとシアトルの科学者たちは、日中に核の保留地に隔離され、多くの場合、よそからリッチランドの研究本部に移され、尊大に思われ、社会的に孤立して、その種の知識を持ち合わせなかった。
地域社会が、プルトニウム工場を後押しする人びとと、自分たちは毒をもられたと疑う人びとに分断されると、ベイリーは集中攻撃の的になった
だが、ベイリーは持ちあわせていた。彼は切り抜きと文書のフォルダーを持ち歩き、郷土史、地形、地質、気候に関する彼の百姓知識と、ゴシップ、噂、家の言い伝え、コーヒーショップの世間話とないまぜにして、それを活用した。彼は、妻が離縁する寸前になるまで、彼を呼び出した報道記者の全員に話しこんだ。百姓仲間の多くは、農産物が放射能印レッテルを貼られ、無価値になる前に、ベイリーが口を閉ざすように願った。地域社会が、プルトニウム工場を後押しする人びとと、自分たちは毒をもられたと疑う人びとに分断されると、ベイリーは集中攻撃の的になった。友人たちや家族も含め、多くの人たちが彼に話しかけなくなった。彼は突如、町の銀行の融資枠期限延長にまつわるトラブルにみまわれ、農場を失った。
その一方、風下住民訴訟は法廷で棚上げにされていた。マクドナルド判事は再び審理の先延ばしを決定し、報道陣に「政府の限られた資金は(核の)浄化に集中して使われるべきであり、訴訟に流用されてはなりません」と語った。審理もおこなわれないまま、10年たち、さらに5年たった。被告側には、訴訟を引き延ばす好都合な理由があった。連邦政府が、提訴されている元の請負5社の訴訟経費を肩代わりする約束をしていたので、被告企業側の弁護士たちには、示談を図ったり、早急に訴訟解決をめざしたりする動機付けがなかった。シカゴの法律事務所、カークランド&エリスは弁護料として2800万ドルをせしめ、その全額が納税者負担だった。他方の風下住民には、時間も分厚い財布もなかった。申立人の多くは老いたり病んだりしていた。申立人らは医療費に四苦八苦し、弁護士たちは積み上がる弁護料の心配をしていた。連邦政府は2000年になって不公正を是正するために、放射能関連の健康問題を抱えるハンフォードの元従業員に1人あたり最大15万ドルを支払うことに同意した。風下住民らは自分たちの主張が否定される一方で、プルトニウム生産のリスクを甘受し、機密を守った労働者が大金の支払いを受けるのを見て、憤慨した。なりゆき全体が不正に感じられた。
風下住民は敗北を認めるのではなく、並外れた快挙をなしとげた。彼らは調査の重荷をわが身に引き受けたのである。何人かの活動家たちは、風下住民の健康に対する有意な影響を認めなかった当初の甲状腺研究を疾病対策センター(CDC)が見直すだろうと確信した。CDCは、甲状腺調査研究員らが結論を誇張して記述し、住民の線量を過小評価していたのであり、実のところ、調査対象住民の甲状腺疾患症例数が予測値の3倍に達していたと結論づけた。このように矛盾する評価だったが、被告企業側の弁護士たちが当初線量再現研究の第1回会合に陣取り、「法廷防衛」用研究の枠組みを設計していたことが、風下住民の手で判明するにおよび、その意味がわかった。風下住民はまた、マクドナルド判事がハンフォードから川に直に達する果樹園を所有していることを知った。判事は、ハンフォードが危険であると陪審団に知れると、彼の所有農地の資産価値が下がることを認め。最終的に事件担当を自分で罷免しなければならなくなった。
1954年当時のハンフォード除染室。写真:エネルギー省提供
風下住民は新しい種類の民衆疫学研究に乗り出した。彼らは、医師たち、科学者たち、社会的公正活動家たちと協力し、健康調査報告を改訂して、食料品店と教会で、友人、近隣住民、家族に配った。彼らは、放射性同位体を体内に摂取した可能性のある人たちを訪ね歩いた。調査項目は、局所的な放射線被曝に寄与している可能性のある――家族の健康、食事、景観、風模様といった――具体的な要因を質問するものだった。風下住民は完成した調査800件の結果を分析し、対照区集団と疾患率を比較した。彼らは被曝住民が、甲状腺疾患、その他の病気にかかる可能性が6倍ないし10倍に上昇することを突き止めた。地域社会に根ざした研究は元の政府資金による研究の報告と食い違っていたが、その結果は、ハンフォードの科学者たちが長年にわたり実施していた動物実験や、ロシアの科学者たちがウラル南部のマヤーク・プルトニウム工場によって被曝した住民を対象に実施していた検査と一致していた。おそらく結果に劣らず重要なことに、風下住民の疫学は自分たちの健康と景観に関する人びとの知識の妥当性を実証した。それは、君たちは間違っている、なにも知らないと言われてきた10年を振り返って、気分のよいものだった。
ベイリーは2009年に、わたしを彼の高等学校の同窓会に連れていってくれた。1986年クラスの会合は、ハイウエイを降りた町というより一商店街、コネル中心部のマイケルズ・カフェで開かれた。この町には、ホテル、州刑務所、食品加工工場、一列に並べられたトレーラハウス(移動住宅)があった。地元民がハンフォードの危険な排出物を知ってから、25年たっていた。それでも、ベイリーはカフェに入るとき、甲状腺や健康問題に触れないほうがいいといった。「連中はそんなこと、話したくないんだ」。彼は不安そうな顔つきだったが、おそらくクラスの同窓会に詮索好きな歴史学者を同伴して、どやされると思ったのだろう。
ベイリーが旧友たちに挨拶して回っているあいだ、わたしはテーブルに席をとって、世間話をする用意をした。わたしには会話に加わる切掛けがつかめなかった。パットが車椅子で到着した。彼女は、自分は多発性硬化症を患っており、妹もそうだとわたしに打ち明けた。彼女は施設から川向かいのリンゴールドでモモ摘みをしていたといった。彼女は自分の病気がハンフォードのせいだと考えていた。リンダが割りこんで、自分の母親が甲状腺に問題を抱えているといった。父親はいつもスリムで活発だが、とても若いときに心臓に問題があった。クリスタル(甲状腺と肺に癌。喫煙歴なし)は、自分自身の健康問題を理由に、例の風下住民の取り組みみたいなもので面倒を背負うようなことはしなかったが、彼女の娘が癌になり、不妊と診断されたとき、それで腹が立ったといった。グエン(甲状腺疾患)は具合よくなさそうだった。歩行器から椅子に移るとき、夫に体を持ち上げてもらわなければならなかった。クラスメートたちは全員、1950年代初頭のころ、ハンフォードのもろ風下に灌漑と農地造成で開かれた土地で育っていた。彼らは、1960年代ごろ、麦をブッシェルごと、ジャガイモをポンドごと、事細かに記録するために、全員が科学者にもらった緑本を話題にしていた。なにからなにまで狂ったような詳細さに、彼らは笑った。
ベイリーがわたしたちに加わり、グエンに顔を向けた。「君のお母さんが水のせいで調子がよくないといっていたのを憶えてるだろ? するとお父さんはこういった。『この女、なにを馬鹿な! 1,200フィートの掘り抜き井戸だぜ』、憶えてるだろ?」と彼は聞いた。「ハンフォードの廃水タンクが漏れた帯水層の水を飲んでいるなんて、あの当時、だれも知らなかった。ぼくら、あの帯水層の水を飲んでいたんだ」。彼は苛ついてきた様子でテーブルナプキンを引き寄せ、カントリー・ロードを線描した。ホームズ家の農場に☓印。「彼女は骨癌になった。女の子たち二人は甲状腺に問題がある」。彼は45度に線の向きを変えて、ペンを走らせた。「彼女は奇形の赤ん坊を浴槽で溺らせてから、自殺したんだ」。ベイリーはさらに2か所の農場の印をつけた。「彼女は白血病になって、こっちの家では、頭のない赤ん坊が生まれた」。ベイリーはグエンの農場でペンを止めた。グエンの母親は40歳代のころに白血病で亡くなっていた。父親も癌で死んでいた。グエンは生涯不治の甲状腺疾患にかかっていた(そして、同窓会の何年か後に死亡した)。「これを、ぼくらは『死のマイル』と言っていたんだ」と、ベイリーはいった。
ひとりの男性がわたしたちのテーブルに寄ってきた。その人は何杯か飲んでいた。目は赤くなり、呂律(ろれつ)が回っていなかった。彼は、ベイリーの言うことはナンセンスばかりだといった。彼は風下の農場で育ち、元気だった。「ここらあたり、87歳の老いぼれがいっぱいいるぜ」。ベイリーはうなずき、まばたきして、不自然に黙りこんだ。他のクラスメートたちは自分の膝を見つめていた。わたしはびっくりした。ベイリーが言い争いで尻込みするなんて、かつてなかったことだった。彼は後ほど、あの割り込んできた男は深刻な健康問題で苦しんでいるとわたしに告げた。「ぼくは言い返せなかった。気の毒に思っていたんだ」と、彼はいった。
ベイリーは地域社会のなかで悪口の的になっていた。口を閉ざすことを頑固に拒む、彼の姿勢が、いくつかの真実が肉眼で見えるはずだが、見過ごされており、沈黙が間違いのないこととされてしまっていると語っていた。2009年ごろ、彼を問い詰めようとする人は、同窓会の酔いどれ男しか残っていなかった。彼が何十年も語ってきた、例の馬鹿げた話は、もはやそれほど馬鹿げたものに聞こえていなくなっていた。
ベイリーやその他の風下住民が話しはじめるまで、ハンフォードの健康に対する影響に関する本物の論争はなかった。それどころか、計算済みであることが多い混乱と不確実性のうちに、事実を洗い流す科学論争が挙行される始末だった。風下住民が雑音を立てはじめるまで、病人はいないことになっていたので、論争はなかった。病気のハンフォード労働者、病気の農民、病気の近隣社会住民は何年も孤立して苦しみ、同じ運命の人たちが何千人もいるということがまったくわかっていなかった。
風下住民たちはチェルノブイリ後の何年間か、話し合い、会合を開き、運動し、日本、ウクライナ、ウラル南部を訪問するうちに、彼らと同類の数多い人びとについて学ぶようになった。風下住民が自己申告した身体の病気を地図に落とすと、アメリカ西部の奥の院に何十年も隠されていた不可視の汚染地理が浮かび上がってくるのに役立った。彼らはみずからの体を証拠として使い、核保留地それ自体が浄化に1000億ドルを超える巨額の資金が必要なほど危険であると考えられている一方で、保留地の隣で生活している人びとは安全であるという主張の馬鹿げた矛盾を突いた。風下住民は、領域を「清浄」と「汚染」に区分けするために雇われた専門家たちや研究室検査にもとづく区分けデータに不満を募らせ、知識を獲得するためにオルターナティブな(体制側とは別の)方法を案出した。
そして、それが、少なくともある程度まで、功を奏した。さまざまな区分(甲状腺癌、甲状腺疾患、甲状腺機能亢進症、「その他」)の訴訟スケジュールが、いま法廷で進行中である。2013年の審理は予定が立てられている。申立人側は2005年、先例となる甲状腺癌の訴訟6件のうち、2件で勝利し、他の4件は控訴審に差し戻された。風下住民はその勝訴にもとづき、法廷外の示談交渉における一定の発言力を勝ち取った。しかしながら、たいがいの支払金額は、いまだに異論の声が高い線量見積もりに連結しており、決着金額は極めて少額(2,500150,000ドル)である。これでは、医療費と訴訟経費を賄えるどころの話ではない。
では、これが勝利なのだろうか? 被告側と申立人側、両方の弁護団がどちらも勝ったと主張している。カークランド&エリスの弁護団長、ケヴィン・ヴァン=ワートは、申立人の当初本人数、5,000人を半分に削減でき、その分、裁判所に持ちこまれるべきでなかったはずのお金に絡む訴訟を食い止めることができ、納税者は助かったという。風下住民側の弁護士、リチャード・ピアソンは、最終的にエネルギー省が賠償金支払いで解決する必要性を認めたので、依頼人たちは勝利したのだと信じている。当局者たちはもはや、ハンフォードの汚染物質と風下住民の甲状腺疾患には、なんの関係もないと主張できなくなった。
その一方、トム・ベイリーは、自分の所有農場を失い、甥の畑地でトラックを運転し、最低限の賃金を稼いでいる。彼にとって、今のところ、このささやかな勝利で満足と言わなければならないだろう。
******
本稿は、“Plutopia: Nuclear Families inAtomic Cities and the Great Soviet and American Plutonium Disasters”[『プルトピア~アトミック都市の核家族とソヴィエト・アメリカ・プルトニウム大惨事』] (ケイト・ブラウン著。Copyright © 2013 by Kate Brown, オックスフォード大学出版米国、20134月刊)からの抄録。著者の許可を得て再録。All rights reserved.
Plutopia: Nuclear Families, Atomic Cities, and the Great Soviet and American Plutonium Disasters

3 December 2012
【クレジット】

Aeon, “A people’s truth,” by Kate Brown
本稿は、公益・教育目的の日本語訳

【関連サイト】

Hanford Site, U.S. Department of Energy

ハンフォード・サイト(ウィキペディア)


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