2015年11月7日土曜日

デニス・リッチス【評論】2015年パグウォッシュ会議長崎大会~彼らに核廃絶は可能なのか?

2045年に核のない世界?
この質問の答はイエスであると読者の皆さんに確信していただこうとする200本以上の記事と評論。1945716日のトリニティ核爆弾実験の100周年記念日の前に、すべての爆弾と反応炉を解体しよう。その時期は早ければ早いほどよいが、人間は100周年が好きなので、カレンダーのこの日付に印を付けておいてほしい。

2015114

パグウォッシュ2015年:
君の人間性を忘れてはならないが、いまは核のない世界を忘れようじゃないか

凡例:(原注)[訳注]。ただし[数字]はリンク付き脚注番号。

「平和を祈るものは、一本の針をも、隠し持っていてはならぬ。
武器を持っていては、もう平和を祈る資格はない」
――永井隆「平和の塔」 [1]

君の人間性を忘れてはならないが、いまは核のない世界を忘れようじゃないか。これは公式な路線でないかもしれないが、2015111日、長崎に集ったパグウォッシュ会議世界大会のお持ち帰りメッセージだった。新たな地域紛争と難民危機のさなかにあって、「相互信頼と自信」が地に堕ちた昨今、外交辞令と忍耐が重視された。経済・軍事力の不均衡の結果、遅々とした漸進的な軍縮のみを伴う核による抑止だけが、進むべき安全な道というわけだ。 
長崎平和公園、乙女の像
パグウォッシュ会議は、かくも高い理想を信奉しているからには、常に核兵器の即時廃絶を要求してきたと人は思うかもしれないが、それほど過激な要求を掲げたことはない。科学と世界情勢に関するパグウォッシュ会議のウェブサイトは組織の設立について、次のように記述している――

冷戦の暗闇が最も深かった日々、パグウォッシュの創始者らは核兵器の危険性を理解した。彼らは危険な政策を変革するための尽力において、国境を超えた新しい種類の「トラック2」対話のパイオニアになった [2]
[訳注:参加者が個人の資格で発言する対話]

この会議は、アルバート・アインシュタインとバートランド・ラッセルが他に9名の卓越した科学者たちの署名を得て、1955年に発表した名高い宣言の2年後に創設された[3]。その宣言が核兵器の廃絶を強調しておらず、むしろ戦争の廃絶を前面に出していることは注目に値する。宣言は、「軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう」と述べている。これに求められる脚注は、「あらゆる軍備の削減に見合った付随条項」というべきものだろう。宣言は、核兵器がこの世界に存在しているかぎり、戦争で使われるのは避けられないので、より急を要する課題は、諸国が「国家主権の不快な制限」を受け容れ、「国家間の紛争にまつわるすべての問題の平和な手段による解決」を図ることであると想定しているようである。だから、パグウォッシュ会議が核軍備の存在に我慢ならない戦闘的な組織であると期待すべきではない。パグウォッシュ会議とその共同創始者は、その任務を「国際政治における核兵器の役割を縮小し、長期的には、そのような兵器を削減する」(強調は筆者)ことと認識することで、1995年のノーベル平和賞を授かった [4]



歳月を重ねるうちに、他にも「長期的な」削減目標に我慢できない組織がいくつか現れたので、それらと比較すれば、パグウォッシュ会議は自己満足しているように思えるようになった。2015111日のパグウォッシュ会議長崎大会の公開討論では、たいがいの発言者は、意見が分かれている聴衆を前にしていると意識しており、実情報告に固執し、個人的な結論を表明することを控える態度を選んでいた。政府当局者らはプラグマティズム[実用主義]と忍耐を説いていた。

聴衆が提示されている見解に異議を唱えたり、発言者と対話したりする機会はなかった。質疑応答の時間は余りにも短く、前方の列に陣取ったパグウォッシュの会員たちだけが質問のチャンスを与えられ、質問の大半は、歯切れが悪く、要領を得ない論評だった。質問者の一部は、その質問によって、フクシマのような最近のできごとを追っておらず、核時代の基本的な科学と歴史のいくつかを知らないありさまを晒していながら、話したいように話すだけのために、ナイーブな質問を手間暇かけて繰り出していた。

一方、後方の列の一般聴衆と報道関係者は、拝聴して、学ぶだけとされていた。こちらの一般市民はみずから出向いて参加しながら、質問や発言が望まれていないというのに、発言者たちが、一般人は痛ましいほど問題に無知であり、教育の必要があると連発する発言を聞かされるのは皮肉なことだった。これほど小さな会議の場ですら、一般人は影響をあたえることができないというのに、教育されるべきだというのは、どうしたことだろう?

この構図は、パグウォッシュ会議の組織の深刻な問題と覚しきものを露呈していた。米国とソ連がまるで爆竹を鳴らすように水素爆弾で遊んでいた1957年当時に遡れば、両国の科学者たちが遠隔の地で一堂に会し、私的な会議を執り行い、願わくは、帰国してからそれぞれの国の指導部に影響をおよぼす切迫した必要がおそらくあったのだろうが、これはもはや必要でなくなっているようだ。このような賢者会議方式は、科学者たちが当時よりさらに権力から脇に追いやられている現状では時代遅れになっている。最新型iPhoneの公開となれば、マスメディアが報道発表会に群がるだろうが、メディアを結集し、「重要な発表」のメモを取らせることのできたラッセルやアインシュタインに匹敵するような人物は、今日となれば、もはやいない。

目下、必要とされているものは、批判的な声の代弁者たち、市民グループ、上品な外交辞令の陳腐な枠組みの壁を突き破って――出席しているお偉方に背くリスクを賭けて――真に問題を論争することのできる異論者たちに繋がった本物の参加型イベントなのだ。指導者たちが、他者を教育するのと同時に、自己を教育する努力を真剣に尽くそうとせず、エリートのバブルから出ようとせず、他者に耳を傾け、服従することによって、先導する厳しい仕事を引き受けようとしないかぎり、これらの問題は解決不可能である。

長崎市、爆心地の母子像

2015111日の大会の午前のプログラムに続く午後の部では、議論がおこなわれた。街頭で反核運動を追ったり、オルタナティヴ・メディア、ブログ、ツイッター、フェースブック・グループといった参加自由型の場で運動にかかわったりした人なら、議論の堅苦しく制約の強い限界は、ショックに感じるだろう。あらゆる議論が、国連、それに核不拡散、戦略兵器制限、核実験禁止といった条約の締結諸国が敷いた路線の現実で制限されているのである。これらの条約の来歴を知る有識者たちは、締約日、条約番号、署名国、条件、除外条項を即座に暗唱することができ、その結果、聴衆はまったくの混乱と萎縮の状態に陥ったまま捨て置かれる効果が生じる。この主題で有識者になった人は、その世界にはまりこみ、もはや高尚な見解や原則について考えることができなくなる。可能性は、条約の歴史が形成したものに制限されている。それ故、この過程は、核軍縮の歩みが非常に遅くても、速やかな変革を見たいと思っている反核運動の活動家たちを武装解除するためには非常に効果的である。

核不拡散条約全体の原則として、核兵器の開発を見合わせることに合意した、すべての国が、核エネルギーを開発する自由を保証されているので、反核運動の活動家は端から蚊帳の外に置かれている。この考えかたは最初の核の大惨事の以前から定着しており、IAEAは永遠に全能の存在であり、プルトニウムを民間の廃棄物から軍事用に使える製品に転換しようとする、いかなる企てにも気づくことができると常に考えられている。

したがって、世界軍縮の枠組みの全体がチェルノブイリとフクシマの遺産を問題にすることもなく、今後の破局的惨事も懸念の埒外に放置している。条約には、安全策が講じられていないウラニウム鉱山の尾鉱溜め、劣化ウラニウム兵器、それに70年間も未解決のままに放置されてきた核廃棄物の処理問題について、どのような言及も記されていない。生態系、社会の人間の健全さへの影響は、関心の埒外になっている。

使用済み核燃料施設は、将来、攻め込んでくかもしれない侵略軍を幇助したいと願っているかのように、各国が愚かにも建造する放射能兵器と考えることができる。敵国に必要なものは、核施設に向けて発射する従来型のミサイルだけなので、このような施設は核兵器を保有する必要性を省いてくれる。あるいは、核施設はある種の抑止力であると考えられているということかもしれない。国土が核の荒野に成り果てた国を略奪したり、占領したりしたいと、だれが思うのだろうか? 残念なことに、軍縮条約はこの危険になんの注意も払わない。

最初に壇上にあがった人たちのひとりは、外務大臣政務官、黄川田仁志であり、核攻撃を受けた唯一の国であり、核兵器のない世界をめざして、深く関与する…云々と、いつもの政府の決まり文句を繰り返した。

日本政府が真剣であり、核保有諸国の行動を変えたいと誠に願っているなら、絆を断ち、制裁を導入し、変革したいと願う行動を改めるために可能な限りの手段を採用するだろう。ここで、日本の偽善があらわになる。日本は核のない世界に向けて、ぜんぜん「深く関与」なんてしていない。日本は核のない世界を願っているかもしれないが、その優先順位は高くない。もし日本が真摯であれば、米国の核の傘から離脱し、米国が核兵器保有を主張するかぎり、国土に米軍基地を置かせるようなことはしないだろう。対人関係の場合、これを自己の信念を貫く勇気と呼ぶ。あるいは、これは簡単な戦略の行使そのものであり、わがままな夫をあしらうために、愛情や協力を手控えるなど、主婦が繰りだす手練手管のようなものだろう。だが、政府となれば、対人関係でごく当たり前である戦略に頼るのは厄介なようである。

日本のように、核の傘の下で生き残る国家は、世界軍縮会議の「イタチ国家」[5]と呼ばれ、真の非核国家のあいだで、核保有諸国の路線変更を迫るための戦略として、疎遠にしたり、除外したり、制裁したりする力を見くびられている。たぶんイタチ諸国がこの戦略を採用すべき時は到来しているのだろうが、現状では分割されたり、支配されたりしており、あるいはまた他の考慮すべき事情で同盟関係に余儀なく縛られている。

(大会の参加者たちは「シリア」や「ウクライナ」について明言するのをためらっていたが)「緊張が高まり」、「信頼が地に堕ちた」この時期、米国とロシアの両代表が隣り合って座り、ほんの数週間前に国連の場で全開にして相互に露わにしていた怒りの苦情を外交的にほのめかすだけでありながら、自国の主張に固執しているのを見るのは興味深かった[6]。だが、米国とロシアの代表たちは少なくともこの討論会に登場し、61年間にわたり両超大国に平和的解決を模索し、軍縮の達成を求めるように呼びかけてきた団体に応えようとした。発言者の名簿で、北朝鮮、パキスタン、イスラエル、フランスの代表者の不在は目立ったし、ドイツにしても、出席して最近の脱核エネルギーや東西間の前線における外交を論じるものが誰もいなかった。

(米国)国務省軍備管理・検証・遵守局のアニタ・フリート首席国務次官補代理は、軍備の削減を継続しており、1990年代の進歩を上回っていると主張した。彼女は、軍備の高価な高品質化が機能拡大に繋がっていないと述べた。彼女はオバマ大統領がノーベル平和賞のせいで冷笑されていると知りながら、核兵器のない世界に向けた大統領の関与が後退したわけではないと話した。彼女はロシアが削減交渉の開始に向けた呼びかけに応じていないと非難する一方だった。

フリート次官補代理は、ロシアがこのような措置を採ろうとしない理由はまったく明白であると述べた。NATOが東方に拡大し、東ヨーロッパ、それにロシア国内においてすら、海外「民主化推進」プロパガンダが打ち出され[7]、最近の10年間、主権国家(アフガニスタン、イラク、リビア)に対する戦争とドローン攻撃(イエメン、パキスタン)、アメリカの――戦略的な対等性の打破を狙った最先端兵器プロジェクトなど――従来型兵器に対する莫大な支出[8]について、ロシアが不快に思っていることがわかっていないなら、彼女はむしろ不適格な役人であると言わなければならないだろう。彼女が不適格者なのか、あるいは意図して、このアメリカの潔白さという偽りのイメージを押し立てようとしたのか、知るのは難しい。ウラジミール・プーチンは最近の記者会見でこれらの論点について明言しているので、ロシアの見解は国家秘密とはとても言えない [9]

ロシア外務省軍縮・軍備管理局のミハイル・ウリャーノフ局長は、このような苦情をほのめかしたが、明言はしなかった。彼がなにを言おうとしていたのか、聴衆には正確に把握できなかったかもしれず、いずれにしても、良質の口論が盛り上がったほうが、ものごとが面白くなるので、これは恥ずかしいことだった。この時、昼下がりになっており、だれもが眠気に誘われていた。筆者としては、われわれが今、えも言われぬ「状況」について、この「信頼が地に堕ちた」嘆かわしい状態に陥っているのは、これが理由なのではなかろうかと思うしかなかった。このような集いの発言者たちが、あのような受動攻撃的で曖昧な物言いをしなかったとすれば、たぶん、まさしくあの場で、本当に話し合い、違いを明確にできただろう。片割れが怒ってベッドにいけば、まずいことになると、カップルならわかっている。

ウリャーノフ氏は、従来型軍備の不均衡を抜きにして、核軍備の縮小を語れないという重要な論点を強調した。彼は、紛争は結局のところ財政的利害と財政危機によって動かされていると付け加えて、論点を拡大することもできた。ロシアは、ウクライナとシリアの紛争に、エネルギー資源をめぐる争い、そしてこれらの国と周辺地域を西側の経済圏に取り込もうとする動きが関わっていることをよく知っている。

ウリャーノフ氏もまた、米国側の代表と同じように、ナンセンスなことを知恵の精華として言いくるめようとした。彼は、抑止力の急速な喪失が不安定極まる状況を招くので、軍縮は徐々に推進されるべきだとわれわれは認めなければならないと主張した。その証拠に、第二次世界大戦で従来型兵器による抑止力が崩壊し、その戦争でソ連は2700万人の人命を失ったと彼は述べた。彼は、ロシアはその状況が再現するリスクを認めることができないといった。しかし、彼は、スターリンがナチス侵攻時に軍の有能な指導者たちを粛清したという事実など、重要な細部を省いていた。当時のソ連は、有効な従来型抑止力を保持していなかった。また、第一次世界大戦後のドイツに課せられた過酷な条件が恨みを買い、ナチズムの登場と軍国化を招いていた。ヨーロッパのすべての国々が、ドイツを思いとどまらせていたはずの従来型武力を構築せず、創設しようともしなかった。「抑止力崩壊」論は論拠が非常に弱かった。核軍備がなくても、さまざま夥しい数の形で戦争を避けることができるのであり、事実として、諸国は核軍備を保持することによって、永続的な平和の基礎の構築に極めて無頓着になってしまうのである。

さらに言えば、仮に第二次世界大戦後の核による抑止力が功を奏していたとすれば、それは自国民の人命を数える利己的な見方であるに過ぎない。冷戦期の紛争で荒らされた第三世界諸国は違った見解を抱いているかもしれない。米ソ両国の領土の内外における、ウラニウム採掘、および核兵器の製造と実験による機会費用、生態系と人命の犠牲もまた計算しなければならない。核武装化は核保有諸国を被害妄想的な安全保障国家に変質させ、政治的・社会的組織構造に対する悪影響は「テロに対する戦争」に受け継がれた。結局、核による抑止に忙しく努めながら、核兵器の偶発的な爆発によって、あらゆる悪影響を解き放つリスクに常に追いかけられているのである。核抑止力の論理はとてももたないが、ロシアが抑止力は必要だとあくまでも主張したいのなら、論理的にいって、すべての国にも当てはまることになる――したがって、弱小国の場合、なお一層、抑止力が必要になる。

国連の軍縮担当事務次長、キム・ウォンス氏(韓国)が次に登壇し、最近(20155月)の核不拡散条約会議の失敗に「深く失望」したと述べた[10]。本稿の筆者は、彼が失敗の理由について、いくつか具体的に語らなかったので、「深く失望」させられた。名前を挙げたり、不合意の内容を具体的に述べたりするのをためらって、肩をすくめてみせるのは、世界の指導者たちが物憂げに「たまたまそうなった」というときの常套的な仕草である。

長崎大学の梅林宏道教授は、北東アジア非核地帯の創設に向けて働きかける彼のグループの提案について論じた。この計画には致命的な欠陥があると思えた。北朝鮮がこの計画を考慮するようになると彼らが本気で信じるようになった理由を理解するのは難しい。この計画は、北朝鮮、韓国、日本の三国間相互信頼関係の構築と併せて、この地域における紛争のさい、中国、ロシア、米国が決して核兵器使用に頼らないと約束(紳士協定)しなければ、成り立たない。この計画の欠陥のひとつは、米国の領土が北東アジアの近くにないのに、米国を「近隣国」と呼んでいることである。さらに重要なことに、日本が米国の核の傘の下にとどまり、米軍基地の存在を許しているかぎり、北朝鮮がこの計画を考慮することはありえない。米国が核兵器の不使用を約束するとしても、核兵器を搭載した潜水艦が域内の海を哨戒しているだろうし、潜水艦を当該の海域から撤収しても、米国は別の手段で遠方から北朝鮮を叩くことができる。

さらにまた、北朝鮮は中国および韓国とまったく同じ理由で、日本を信頼していない。この地域で20世紀初めに起こったできごとについて、共通認識がなく、この事実は、むしろ非核兵器地帯の創設に必要な信頼醸成の阻害要因になる。北東アジア非核地帯を創設するためには、核のない世界を必要とするようであり、それ故、第一段階として、韓国と日本のそれぞれが一方的にアメリカとの同盟を破棄するということになるだろう。この措置が、北朝鮮が信じることのできる唯一の変化である。だが、そうなったとしても、日本が六ケ所村に備蓄しているプルトニウムという、ちょっとした問題が残る。正確に言って、プルトニウム保有の意図はなんだろう?

最後の発言者は、駐日カザフスタン共和国大使館のアキルベク・カマルディノフ特命全権大使であり、この人は、ソ連が崩壊したさい、領内に保有していた核兵器を放棄するという祖国の大胆な決定によって、パグウォッシュ会議の栄誉を授けられている。カザフスタンは最近、2045年までに核兵器のない世界を実現する運動を先導したいと発表した。彼らは筆者のアイデアを盗んだが、それはOKだ。彼らは核兵器に付随することがらの半分を取りあげたに過ぎない。彼らは高所から核兵器を語るが、70年間にわたるウラニウム採掘によって全国各地に拡散した汚染について、ほとんど語らない。カザフスタンは屈指のウラニウム産出国であり、日本の安倍晋三首相は最近、同国を訪問して、今後の核エネルギー開発に関する協定を締結した [11]

定説となっている現実の二側面が問われることがないままであれば、核軍縮の進展は不可能である。第一に、核エネルギーは核兵器のない世界と相容れない。第二に、単一の超大国が軍事基地の地球規模のネットワークを維持し、従来型軍事力と併せて、他の諸国を圧倒しているかぎり、自国の核抑止力を手放したいと思う国はほとんどない [12]。筆者は、本年のパグウォッシュ会議大会の決議声明がこれら2点の阻害要因についてほとんど言及しないだろうという印象を受けた。

このように抜本的で「非現実的」な変革を要求するのは非現実的かもしれないが、歴史は変えようのない現実が非常に急速に霧散しうることを示している。10年間の終わりにソ連が崩壊すると1980年に予測した人はいなかった。核エネルギーとアメリカ帝国がまもなく現実と衝突するのは完全に予測可能である。それらの明白なコストと危険性が追いつこうとしている。

【脚注】

[1] この引用句は、長崎原爆資料館で展示されている。For information about Takashi Nagai see: Shohei Okada, "Film tells story of Nagasaki scientist who cared for A-bomb survivors," Asahi Shimbun, February 15, 2014, http://ajw.asahi.com/article/behind_news/social_affairs/AJ201402150015.











[12] Chalmers Johnson, "America's Empire of Bases," TomDispatch.com, January 15, 2004, http://www.tomdispatch.com/blog/1181/tomgram%3A_chalmers_johnson_on_garrisoning_the_planet.TUP速報246号【トムディスパッチ・コム】チャルマーズ・ジョンソン「地球を覆う米軍基地戦略2004128日、http://www.tup-bulletin.org/?p=270

【クレジット】

原文投稿者:デニス・リッチス Dennis Riches at Wednesday, November 04, 2015
Pugwash 2015: Remember your humanity, but forget about a nuclear free world for now
Labels: Cold WarWeapons

出処ブログ――
このブログはドン・キホーテなのか?

ピカソの有名な素描(1955年)から合成

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【付録】

61 回パグウォッシュ会議世界大会
2015 11 15 日、長崎
「長崎宣言」(仮訳)
エンバーゴ:11月5日午後0時30分

「長崎を最後の被爆地に」―。原爆が広島と長崎を壊滅してから 70 年の歳月が流れました。それでも私たちは今なお、数千発の核兵器がもたらす切迫した危険に直面しています。被爆者の平均年齢は 80 歳を超えました。今日に至っても被爆者は、自身の人生に多大な苦難をもたらした核攻撃の影響に苦しんでいます。パグウォッシュ評議会は核兵器の廃絶を希求する被爆者の声に耳を澄まします。そして世界の政治指導者に対し、被爆者の叫びを受け止めるよう強く訴えます。

核兵器の脅威は今も増大しています。核軍縮は行き詰まっています。紛争が多発しています。核兵器転用可能な核物質の量が世界各地で増大しています。核兵器が法的に禁止され、廃絶されるまで、そして核兵器転用可能な核物質が安全な形で処分される日が来るまで、意図的ないしは偶発的な核兵器使用のリスクは常に存在し続けます。

すべての核兵器保有国は、核兵器システムの近代化計画を中止しなくてはなりません。核兵器保有国の近代化計画に割り当てられた数十億ドルもの財源は、核リスクの最小化、核の偶発的発射やサイバー攻撃の防止、軍縮の促進にこそ使われるべきです。そして最も重要なのは、核兵器保有国が核兵器の削減にとどまらず、核兵器の廃絶を確約しなくてはならないということです。包括的核実験禁止条約(CTBT)の迅速な発効も不可欠です。拡大核抑止(「核の傘」)に依存する非核保有国もまた、核軍縮を支持し、例えば非核兵器地帯への参加や創設によって、自身の安全保障政策を変革しなくてはなりません。

核拡散防止条約(NPT)の再検討(レビュー)プロセスやジュネーブ軍縮会議(CD)といった、軍縮・不拡散をめぐる既存の国際的な協議枠組みは大切ですが、その限界も明らかです。国々と市民社会、国際組織が連携して核兵器の法的禁止を目指す全世界的なイニシアティブが、核の脅威除去のために重要な役割を果たしうるでしょう。

2011 年に発生した東京電力福島第1原発事故は、原子力安全の重要性、また原子力技術に付随するリスクを封じ込めることの重要性を、私たちに思い起こさせました。現代科学技術が多くの分野で急速に進展しています。そのことが究極的には人間性にまで影響を与えるという点に十分な注意を払わなければ、新たな危険が鎌首をもたげるかもしれません。恐らく今日、科学者の社会的責任はかつてないほど重大なものになっています。

「対立を超えた対話」。これはパグウォッシュ運動の基本理念です。核兵器使用の引き金を引くかもしれない地域的緊張は外交的な措置によって解消されるべきです。すべての当事者はあらゆるコストを払って軍事衝突を回避しなくてはなりません。戦争が実際になくならなければ、現代また次世代の大量破壊兵器によって、人類はその生存が脅かされ続けることになります。私たちは、ラッセル-アインシュタイン宣言の本質に立ち返りたいと思います。核兵器を廃絶し、究極的に戦争そのものをこの地球上からなくさなくてはなりません。

強固な道徳心と倫理観がなければ、人類は生き延びることはできません。広島、長崎の被爆者、世界中で行われた核実験で被ばくしたヒバクシャの経験を次の世代へと伝承していくことは、決定的に重要です。核兵器およびその他の大量破壊兵器が存在する限り、壊滅的な結末は避けられません。ラッセル-アインシュタイン宣言を思い起こし、長崎市民と被爆者の声を分かち合いながら、きのこ雲の下で起こった惨劇が深く刻み込まれたこの地から、パグウォッシュ評議会は今一度、人類の一員として、人類に向かって訴えます。「あなたがたの人間性を心にとどめ、その他のことを忘れよ」と。

1504 文字)
(訳;パグウォッシュ 2015 組織委員会)

出処:
https://pugwashconferences.files.wordpress.com/2015/11/e995b7e5b48ee5aea3e8a880e69c80e7b582e7a8bfe381aee5928ce8a8b3_151103efbc89_final_5.pdf

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