子どもたちを内部被ばくから守るために
岐阜環境医学研究所 松井英介
はじめに
先日、東電福島第一原発事故直後福島市に滞在していた若い女性に聞いた話では、事故後、金属の味を感じることがあったし、はっきりした臭いではないが、鼻に違和感を覚えることがあったという。
伊達市のひとの話では、稲が実る季節になっても、例年と違って、今年はスズメが一羽も来なかったという。ヒトの五感には個人差もあろうが、他の動物に比べて一般にヒトは鈍感なのだろうか。自然環境中に放出された、あるいは体内に取り込まれた「低線量」放射性物質を、私たちは一般に感知できない。
「低線量」放射線内部被曝と健康障害のメカニズム
内部被曝を知るにはどうすればよいか?“専門家”に訊くと、ホールボディーカウンター(WBC)で調べるとよいとの答が返ってくる。しかしWBCは、私たちの身体の中から出てくるガンマ線(透過性の強い電磁波)しか検出しないので、壊変の過程でベータ線(高速で飛ぶ電子、組織内での飛程は約10mm)とガンマ線の両方を出すセシウム137は検出できるが、ベータ線しか出さないストロンチウム90やアルファ線(ヘリウムの原子核、組織内での飛程は約40ミクロンm)しか出さないプルトニウム239は体内にあっても検出できない。尿や便、髪の毛や爪、抜けた乳歯などを調べることによってそれらによる内部被曝を評価できる。また、動物や魚の臓器・組織を調べることによって各核種の体内臓器組織内分布を推定することができる。
原子力安全・保安院が出した東電福島第一原発1、2および3号機から放出された事故後3月16日までの各核種放出量試算値データの一部を紹介する(表1)。
セシウム137(物理的半減期30.0年)1.5×1016 Bqと、ストロンチウム90(物理的半減期29.1年)1.4×1014 Bqを比較すると、セシウム137に比べてストロンチウム90の放出量は約100分の1だ。しかし、ストロンチウム90の健康リスクは、セシウム137の300倍もあるので、決して無視できる値ではない。
また、プルトニウム239(物理的半減期24065年)3.2×1009 Bqと、セシウム137やストロンチウム90に比べると、放出量は数桁少ないが、物理的半減期は2万4千年と長く、自然生態系や人体内での積算線量も高くなる。
さらに、プルトニウム239が出すアルファ線の体内局所でのイオン化作用は強力で、水の分子やタンパク質の分子を高率に切断する。中でも、DNAの二重らせん構造が切断されると、修復不可能なキズになる可能性が高い。これが先天障害や悪性腫瘍、さらに免疫不全や1型糖尿病、心臓循環器疾患など晩発障害の原因となる。
東電と日本政府のデータ隠し
問題は、原発を推進するための省である経済産業省の下に原発の安全性チェックを担う原子力安全・保安院があることだ。その保安院は自然環境中に放出された各核種の調査データを一般住民にわかりやすいやり方で公開しているとは、とても言えない。表1で紹介した2011年6月6日付公表の保安院データも、IAEA調査団向けに報告した資料であり、私たちが保安院のwebsiteにアクセスしても、見つけることはきわめて困難だ。
ストロンチウムとプルトニウムに関しては、文部科学省が9月30日になって、東電事故現場からそれぞれ80km、45km離れた土壌中から検出したことを公表した。経産省と文科省がそれぞれ別々に調査を進めている縦割り行政構造の問題点は以前から指摘されているが、最大の問題点は日本政府各省庁のデータ隠しだ。
日本の気象庁はSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム) のデータを、手元にあったにもかかわらず、4月半ば過ぎまで公開しなかった。その結果、事故直後に現場近くから避難した家族が、たまたま風下に車で移動したため、小さな子どもともども汚染された空気に晒されるつづけることになった。何日か先まで汚染空気の流れを予測するSPEEDIが公開されていれば、余分な被曝を避けることができたのだ。
千何百頭もの肉牛の内部被曝とそれを知らずに食べた人びとの内部被曝も、百数十キロメートル離れた地域の稲藁が汚染されていたことは、これまたSPEEDIのデータから予想できたはずだ。汚染牛肉事件も政府の隠蔽がもたらした過剰な被曝だと言わねばならない。
従って、内部被曝を知るための民主的で闊達な議論は、自然環境に放出され生態系に負荷を与えている全放射性核種に関するデータのリアルタイム開示なしには成立し得ない。
問われる民主主義と住民自治
事故後間もなく9ヶ月が過ぎようとする今、広範な放射能汚染の原因を作り出した東電を軸にした原子力産軍共同体は、政府に巨額の税を投入させながら、除染ビッグビジネスに乗り出している。しかも、極めて深刻な問題は、高濃度に汚染された地域の除染が、放射性物質によって甚大な被害を受けた被災住民に危険な作業を押し付ける下請け・孫請けの形で進められていることだ。
杜撰な安全管理による除染は健康被害を拡げるものであることを広く知らせるとともに、
例えば南相馬市飲料水の水源である飯館村山林の樹木をすべて伐採して土を入れ替えることなど不可能であることを周知させる必要がある。
放射線から身体を守るには、放射性物質を身体の中に取り込まないようにすることにつきる。とくに小さな子どもや赤ちゃんをおなかにかかえたお母さん、授乳中のお母さんには、特別の配慮が必要だ。早く汚染されたところから避難することが必要。それも、個人的にではなく、幼稚園や保育園、小中学校が丸ごと移動できるよう、国と自治体に働きかける必要がある。受け入れ先では、子どもたちが安心して暮らし勉強できる環境を整えるべきだ。
内部被曝を外部被曝から区別することが肝要
外部被曝はおもにガンマ線が外から身体を貫いたときの、多くの場合短時間の影響であるのに対して、内部被曝は、身体の中に沈着したさまざまな放射性物質(核種)からくり返し、長期間にわたって照射されるおもにアルファ線とベータ線による影響だ。アルファ線やベータ線を出す核種の小さな粒が沈着した部位のまわりの細胞にとって、それらの線量は決して低線量ではない(「放射線は、可視光線と同様、距離の二乗に反比例して減弱する」)。
内部被曝を外部被曝から明確に区別しなければならない理由だ。
アルファ線による細胞レベルの生体影響はガンマ線に比べると、桁外れに大きい。ベータ線もガンマ線に比し非常に大きなDNA損傷を与える。ICRPは、ガンマ線1に対して、アルファ線20という放射線荷重係数を与えているが、ベータ線は同じ1としている。
ECRRは、世界各地の疫学調査結果から、ICRPのリスク評価モデルは100倍から1000倍も内部被爆のリスクを過小評価していると、批判している。
1988年に結成されたECRR(ヨーロッパ放射線リスク委員会)は、「低線量」放射線による内部被曝による晩発障害=さまざまな健康障害に警鐘を鳴らした。日本政府は年100ミリシーベルト以下は健康障害なしとしているが、ECRRの提唱するリスク曲線と日本政府の折れ線と間が、日本政府が無視している健康影響リスクだ(図1)。
チェルノブイリ原発事故から学ぶ
チェルノブイリ事故25周年を記念して、2011年4月6日から8日までドイツのベルリンで国際会議が開かれた。その会議のプログラムとレジュメなどは、次のwebsiteで読むことができる。
上記国際会議で紹介された、Annals of the New York Academy of Sciences Volume1181(Dirctor and Executive Editor Douglas Braaten)の論文集から、この間にウクライナやベラルーシで確認された先天障害やがん、その他の疾患の疫学データのいくつかを、紹介する。
(a)先天障害の増加
高度汚染地域で生きて産まれた新生児1000人の中に、事故の前には4.08だった先天障害が事故後の1987年から88年には7.82と倍近くに増えている。また、低濃度汚染地域においても、少し遅れて、事故の前には4.36だったものが1990年から2004年には8.00に増加している。
(b)悪性腫瘍の多発
チェルノブイリ事故以前と以後の人口10万人対がん発症数の推移を、ベラルーシのゴメル州とモギレフ州の、それぞれセシウム137による汚染度合いの異なる3地域別に比較したデータがある。それぞれの地域の15 Ci/km2以上ならびに5~15 Ci/km2の汚染地域において、1986年以降がんの発症が有意に増加している。さらにモギレフ州では、5 Ci/km2以下の地域においても、原発事故後がんの発症数が事故前の248.8から306.2へと有意に高くなっている。またベラルーシでは、甲状腺がんが、子どもおとなともに事故3年後から、当初の予想をはるかに超えて急激に増えている。
(c)1型糖尿病など様々な良性疾患の増加
チェルノブイリ原発事故以降高頻度に認められるようになったのは、先天障害や白血
病・がんなど悪性疾患だけではなかった。
ベラルーシの高濃度(ゴメル)ならびに低濃度(ミンスク)汚染地域における小児の1型糖尿病の発症は、高濃度汚染地域では事故以前に比し、優位に増加。低濃度汚染地域でも、上昇傾向がうかがえる。セシウム137の濃度が高いほど両眼の水晶体混濁が高頻度に観察されたことを示すデータがある。ベラルーシのゴメル州の18歳未満の子どもたちの種々の疾患の有病率を調べたところ、チェルノブイリ原発事故以前に比べ、1997年には、循環器(心臓)疾患が、13.3倍、呼吸器疾患が、108.8倍、泌尿器系疾患が、48.0倍、消化器疾患が、213.4倍、先天障害が6.7倍、腫瘍性病変が95.7倍に増えている。
この論文集のまとめ「一般民衆の健康と自然環境に対するチェルノブイリ・カタストロフがもたらした23年後の重大なる影響」と題された第15章には、今回の福島県郡山市などの放射線汚染とそれによる晩発障害、さらに今後の対策を考える上で、次のような示唆に富む内容が記述されている。
「・・・1986年には、4kBq/ m2以上の放射能で汚染された地域にほぼ400万人の人々が住んでいましたし、しかも約5万人は今なお危険な汚染に晒されています。有病率の増加、早すぎる老化、そして遺伝子異常が、すべての汚染地域で調査・研究されました。
全死亡率の増加が、ヨーロッパ・ロシアでは最初の17年に3.75%、ウクライナでは4.0%に上りました。内部被曝のレベルは、植物による吸収とセシウム137、ストロンチウム90、プルトニウムおよびアメリシウムのリサイクルによって上昇し続けています。近年セシウム137の内部レベルは、“安全”と考えられている年1mSを超えたところでは、子どもでは50Bq/kg以下、おとなでは75 Bq/kg以下でなければなりません。・・・」。
私たちは何をなすべきか
いのちと健康、とくに放射線の影響を受けやすい子どもをまもるために、私たちは何ができるのか、何をなすべきか?この問いに対する答は、放射性物質を体内に取り込まないよう最大限の努力をする!につきる。そのためには、以下に挙げる事柄が必要条件になる。
① 放射性物質を自然生活環境に出さないように事故現場と周囲環境を遮断すること。
② 放射性物質が自然生活環境に拡がらないように必要な手立てを講じること。
③ 放射線物質による汚染地域から集団で汚染の少ない地域に疎開し、疎開先で今までの
ミュニティーを維持しながら働き、生活し、子育て・教育ができるように、財政措置をともなった法的措置を日本政府と地方自治体にとらせること。
東電と日本政府への基本的要求事項
今回の事故の原因を作った東電を中心とした原子力産業界と国策として原発を推進してきた日本政府に要求すべき、放射線からいのちと健康を守るための基本政策
(a)「人間は核=原子力とともに生きていける」との考えを根本的に改め、汚染地域には住めないし農酪林漁業はできないとの前提で、国家100年の計を策定すること
(b)最優先課題として、集団疎開の権利を保障すること
(c)医食同源。安全な食の自給率100%の実現。そのために必要な一次産業(農酪林漁業)復興を軸とした産業構造の改革を行うこと
(d)いのちと健康を守るために有効な高精度の検診と医療・介護・福祉を保障すること
東電と日本政府に求める緊急の要求項目
① 放射性物質で汚染された汚泥や瓦礫の処理を全国の自治体に押し付けることによって放射能汚染を拡げるのではなく、放射性物質によって高度に汚染された東電原発事故現場に、当該汚泥や瓦礫の仮置き場を作り保管すること。
② 東電原発事故現場周囲の岩盤まで鋼矢板を打ち込み、放射性物質の地下水への拡散を極力防ぐこと。
③ 自然環境中、酪農をふくむ農産物、水産物、食品中の各種放射性物質の全データを調査できる検査・相談ステーションの設置と人員の養成。すべての核種について放射線量と放射性物質の粒子径をリアルタイムで公開すること。
[nm(ナノメートル、ナノ=ミクロンの1/1000、ミクロン=ミリの1/1000)径の微粒子は数千キロメートルもの遠隔地まで飛ぶし、100nm径以下の微細粒子は胎盤を通過して胎児の遺伝子に影響を与える。]
④ 食品の暫定基準値を改め、より厳しい安全基準値(許容線量限度値)を定めること。できるだけきめ細かく全国各地に食品の安全を評価できる相談所を設けること。
[ウクライナ保健省の基準値を参照されたい。ストロンチウム90についてもより厳しい基準値が定められていることに注目されたい。表2]
⑤ 放射線感受性の強い子どもの健康障害を防ぐために、大人より厳しい子どもの許容線量限度値を定めること。
⑥ 放射能汚染地域からのコミュニティーとしての集団移住を保障し、移住先での長期間にわたる生活と労働および教育を保障するための法制化と財政措置。移住先自治体の協力を得るための措置。国策として原発を推進した政府と東電の責任を明記すること。
⑦ チェルノブイリの被害地域(ウクライナ、ベラルーシ、ヨーロッパ各国など)における内部被曝と晩発障害の調査研究結果から深く学び、広く周知させること。
(c) Matsui Eisuke 2011
(完)