2014年12月30日火曜日

わたしたちは種――2015年 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ

SEED FREEDOM
わたしたちは種――2015年 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ

POSTED IN IN FOCUSLATEST NEWS



2015年は種の年と宣言されましたので、
種のなかに、また土壌のなかに
わたしたちが向きあう危機のすべての答えがあると認識しましょう」
“As 2015 has been declared the Year of Soil,
let us recognize that in the seed and the soil
we can find answers to every one of the crisis we are facing.”

ヴァンダナ・シヴァ Vandana Shiva


「わたしたち皆は種」 ヴァンダナ・シヴァ博士の新年メッセージ
0:12
友だちのみなさん、みなさんの一人ひとりが過ぎ去った1年を通してなさったことに、ありがとうと言わせてください。
0:23
ヨーロッパで、コロンビアで、園芸家や農民が独自品種の種を入手するのが違法になる法律を退けた年でした。インドネシアで種を取っておいた農民の逮捕の却下を祝った年でした。
0:47
GMO(遺伝子組み換え作物)産業が捨て鉢になり…わたしたちのことばを使って、広告を打ちはじめた年でした。わたしたちが言っている作物を育てる喜び、食べる喜びのことです。それこそ、未来そのものです。
1:08
わたしたちには、化学物質と遺伝子組換え作物を製造する企業が、広告を制作するにしても、その約束を実行できないとわかっています。
1:19
最も大事なことに、世界中いたるところ、「わたしたち全員が種だ」というフレーズが、地下に潜んでいるかもしれないが、正しい時に芽を出し、力いっぱい生い茂るのだと、反響しあいながら、鳴りわたった年でした。
1:46
新年を迎えるにあたり、みなさんにご挨拶します。種の年と宣言された年であり、わたしたち自身の地球性、わたしたち自身の大地性、わたしたち自身の根源性の年です。わたしたちが撒く希望と愛の種、わたしたちが撒く豊穣と創造性の種の年、増殖し、前進する道を、わたしたちお互いにだけでなく、相変わらず目が見えず、ためらいがちの世界に示す種の年です。
2:26
そして、土壌の年には、母なる大地とわたしたち自身の結びつきを祝いましょう。わたしたちは、結局、土地でできており、土でできています。母なる大地の日となった422日を、大地を守る行為として祝いましょう。
2:54
名高い作家、アリス・ウォーカーが言ったように、「わたしたちはいま母性主義を採用しなければなりません」し、わたしたちは母なる大地の母となって、愛で大地を守るのです。そして、SEED[種]は愛がはじまる場です。大地がわたしたちに種を与え、わたしたちが大地にそれを返します。大地が肥沃な土壌を生み出し、わたしたちが大地に返します。
3:26
種と土壌のなかに、わたしたちが向きあう危機のすべて、暴力と戦争の危機、飢えと病の危機、民主主義の破壊の危機の答えがあります。
3:40
わたしたちは、企業が人びとに企業みずからを「人間」と信じこませるのを許しません。企業は法的構築物であり、それが企業の地位です。人びとが民主的な手続きによって、どのビジネス活動が維持可能なのか、どのビジネス活動が公正なのか、どのビジネス活動が、この惑星の命、すべての生類の命、全人類の命を、敬意をもって尊重するのか、判断して許すのです。
4:16
マウイが「われわれは遺伝子組換え作物なしでやっていく」といい、ヴァーモントが「われわれは自分が食べているものを知っていたい」といったので、企業がヴァーモントなどの州やマウイ郡を提訴しはじめましたが、企業は企業の人格性を言い立てているのです…これは最高峰に達する幻です。
4:38
わたしたちは、惑星のエコロジカルな生命過程の現実、わたしたち自身の命の現実、わたしたちが形作るデモクラシーの現実、現実が支配する現実を創造しようとしています。
4:55
このデモクラシーの挑戦は、2015年を通じて単一最大の挑戦になるでしょう。
5:03
連帯を保ち、強さを保ち、喜びを保ちましょう。
5:09
最も大事なことですが――土壌の年なので――有機農法のなかに、エコロジカルな農業のなかに、化石燃料が作り出した大混乱に対する答えがあります。わたしが『石油ではなく土壌』を書いたように、「土壌のなかに、石油が作りだした問題の答えがあります」。
5:32
気候変動と生物種多様性の減衰が合体した危機ですが、生物種多様性であふれ、福利と豊穣に満ちた命の祝祭であふれた農園をいたるところに創造すれば、どちらにも対処できます。
5:50
どこにでも農園を、本物の食べ物を提供する農場を。
5:56
わたしたちは、種をひと粒ずつ、畑に一寸ずつ、人から人へ、地域社会から地域社会へと撒いていく別の世界を創造し、この惑星全体が蘇る命と蘇る愛のひとつの輪になるまでつづけます。
6:21
わたしたちは諦めません。
6:25


NHK World「南相馬市のホットスポット避難勧奨を解除」#Fukushima Govt. ends Minamisoma "hot spot" evacuations



Home > NHK WORLD News > Japan


南相馬市の「ホットスポット」避難勧奨を解除





20141228

日本政府は、福島県南相馬市の放射線レベルが高い、いわゆる「ホットスポット」の避難勧奨をすべて解除しました。
Japan's government has lifted all evacuation advisories for so-called hot spots with high radiation levels in Minamisoma City, Fukushima Prefecture.

政府は家ごとに避難勧奨を指定していましたが、除染作業の結果、基準値の年間20ミリシーベルトを下回ったとして、28日に解除しました。
The government lifted the house-by-house evacuation advisories on Sunday because radiation dosage levels in the area have fallen below the benchmark 20 millisieverts per year, thanks to decontamination work.

これは、2年前に同じように解除された別の市と村につづくものです。これで県内のホットスポット避難勧奨区域はすべて解除されました。
This follows similar moves in another city and a village 2 years ago in Fukushima Prefecture. All the hot-spot evacuation advisories in the prefecture have now been lifted.

解除によって、南相馬市の住民152世帯が自宅に戻ることができます。
With the lifting, residents of 152 households in Minamisoma city can return to their homes.

ただ、市の職員によりますと、放射線量への不安が根強いため、住民のおよそ8割が戻らないそうです。
But city officials say about 80 percent of the residents will not return due to lingering radiation concerns.

79歳の佐藤勝治さんは自宅の隣の畑で除染が行われていないとして、当面は仮設住宅ぐらしを続けるそうです。
79-year-old Katsuji Sato said he will continue to live in temporary shelter for the time being, since the fields next to his house have not yet been decontaminated.

佐藤さんは、指定を解除されたが、生活は変わらないといいます。自宅の周りは今も放射線量が高く、孫を連れてくることもできないそうです。
He said the lifting will not change his life. He said he cannot have his first-grade grandchild visit due to the high levels of radiation surrounding his house.

佐藤さんは、周辺も含めて除染し、安心して住めるようにしてもらいたいと話していました。
He said he wants the government to decontaminate the neighboring hot spots in order to create a safe residential environment.

住民たちには、国の指針に基づいて、来年3月まで1人当たり月10万円の精神的賠償が東京電力から支払われることになっています。
The residents will continue to receive monthly compensation money of 100,000 yen, or about 830 dollars, from Tokyo Electric Power Company until March of next year, for the stress and suffering they have had to endure.

ライセンス:標準の YouTube ライセンス

【参照ニュースクリップ】








営利目的での映像のエンベッドを禁じます。
カテゴリ:ニュースと政治
ライセンス:標準の YouTube ライセンス



2014年12月29日月曜日

ナスリーン・アジミ「フクシマ後のいま、日本の自然がはらむ危機と希望」 @JapanFocus

アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナル Vol. 12, Issue 43, No. 1, 2014年10月27日

フクシマ後のいま、日本の自然がはらむ危機と希望
ナスリーン・アジミ Nassrine Azimi
凡例:(原注)、[訳注]
学究肌の英国外交官、サー・ジョージ・サンソムが著した『日本史』第1巻の冒頭に、日本列島の地質が詳細に描かれている。
サー・ジョージは、1958年に愛してやまない「火山活動が力強い」国について書き、標高2マイルにまで聳え立ち、海水面下5マイルに潜り込んだ峰々の自然界のドラマを描き、賢明にも「水平方向に短い範囲内にこれほど膨大な幅で隆起しており、地球地殻のこの部分を高度に不安定な地域にするストレスが蓄積される…」と警告した。
日本地すべり学会は、この列島を簡潔に「傷だらけの島々」と呼んでいる。
今年の8月、わたしたちは傷の深さを目の当たりに目撃した。大量の雨水と地すべりのため、広島市の郊外のあちこちで山頂が丸ごと崩れ落ち、記録的な多数の死者を出した。この悲劇は国のどこで起こってもおかしくなかった。
そして927日、信仰の山、御嶽山で予期せぬ噴火が突発し、名高い秋の紅葉を愛でるために来ていた何百人もの登山客を捕らえた。噴火のため、数千人もの消防士、警察官、自衛隊員たちが大規模で危険な救助活動に駆り立てられた。いまだに60人の人びとが死亡したと報じられている。
政府はこの噴火を受けて、即座に火山監視活動事業の一新を求めた。だが、御嶽山は国内に110ある活火山のひとつに数えられ、すでに気象庁の綿密な調査の対象になっており、火山性微動の活発化が――911日だけで85回――記録されていたが、脅威になるとは考えられていなかった。
テクノロジー過剰の日本で、監視活動が問題であるとはとても思えない。
むしろ、火山噴火――そして、他の自然災害――が、環太平洋火山帯の縁に乗っかり、4つのテクトニク・プレートにまたがる国土の常態であるとみなすべきである。それに、一部の科学者たちは2011311日のマグニチュード9地震がリスクを高めたことがじゅうぶん考えられると懸念しており、フランスの地球物理学者の研究チームは今年の7月、やはり活火山である富士山に圧力が蓄積していると示唆する論文を公表している。
富士山麓の3県は、御嶽山噴火による火山灰が救出活動を完全に妨げた様相に危機感を募らせ、先週、噴火防災訓練を実施した。同じような動きとして今月はじめ、東京大学の名誉教授であり政府の火山噴火予知連絡会の会長を務め、重んじられている火山学者、藤井敏嗣は、休止中の原発を再稼働させる政府のスケジュールで、最初の送電開始が予定されている川内原発の原子炉が火山噴火の影響を受けないとする想定に異論を唱えた。藤井は――原発から、わずか40キロの――桜島の火山噴火による濃密な火山灰が原発に到達しかねず、基本的な避難手順の実施が不可能になると示唆した。
自然災害を断じて避けられないなら、国土がカリフォルニア州よりも小さく、人口が3倍を超える国にとって、原発の存在は、控えめに言ってもロシアン・ルーレットで遊ぶのとたいして変わりない。
2週間前まで与党・自民党の期待の星だった小渕優子・前経済産業大臣は先の国会論戦で、政府が原発の再稼働を推進するにあたり、最も厳格な安全措置を保証する決意を固めていると主張し、その安全基準はフランスなどの先進諸国のそれと同等のものであると述べた。
フランスとの比較は、頻りになされるが、とても妥当とはいえない。フランスは大規模な地震や津波、火山噴火にいつも脅かされておらず、(まさしく今月、ふたつの台風が襲来した日本と違って)巨大台風の通り道ではない。去年だけでも日本に小さな地震が数百回起こり、フランスでは5回だった。日本はまたフランスより小さく、人口はほとんど2倍である。原発のこととなれば、リスク要因が根本的に違っている。
わたしたち、広島のグループは9月下旬、再建がどれほど進んでいるか、自分たちの目で見るために福島を再訪した。2011年の地震と津波の被害をまとめに受けた3県のうち、宮城県と岩手県のほうが津波による人的損失が大きかった(宮城県が5倍)ものの、喪に服し、悼み、津波による瓦礫の巨大な堆積を片付け、いま再建プランを推し進めているが、惨事収束がいまだに覚束ない福島第1原子力発電所を抱えた福島県は、深い不透明性に覆われたままである。
福島でない。県土の広大な部分が片付いていない。原発から20キロ圏内の立入禁止区域のなかでは、ほとんどの町が無人である。打ちのめされた原発に最も近い場所の不気味に静まりかえった街路をドライブしているとき、核事故について大いに書いてきた腕利きの調査報道記者、田城明が事故前の人口の概略的な推計――および現状――をわたしたちに解説してくれた。彼によれば、浪江町が事故前の人口22,000人、現状は一部規制、大熊町が11,515人、無人のまま、富岡町が15,800人、無人のまま、楢葉町が8200人、一部規制である。 
背景に福島第1原発の排気筒を遠望する浪江の町。写真:田城明。
過去の数十年間にわたり東京電力からこれらの自治体に流れこんだお手軽な金は、良質の建物や上品な都市環境という形では、たいしたものをあまり残さなかったようである。それでも打ち捨てられた都市の光景は傷ましい。カーテンがかかったまま、台所用品が窓を通して垣間見え、子どもの三輪車が空き家の外に置かれたままだった。
浪江町請戸地区。写真:田城明
わたしたちは南相馬市で、窮地にある原発から14キロのところにあり、吉沢正巳のいう名の不敵な牛飼い農民が当局者らに逆らい、動物たちと共に残るほうを選んだ、保全農地を訪問した。日本語で希望の牧場と呼ばれる、この場所は、土地を放棄しなければならないが、自分の汚染された家畜をどうしたらよいのかわからない他の農民たちにも土地を提供している。保全農地は一種の非公式な試験場になり、放射能の動物たちに対する影響を見守っている。
だが、飯舘村のような、さらに離れた場所でさえ、中途半端なままである。飯舘村は原発から約45キロ離れ、当初、安全な避難場所に指定されたが、やはり放射能のホットスポットであると判明した。その住民6000人はいま村を離れてしまったか、日中の時間帯だけ帰宅を許されているかのどちらかである。見事な出来栄えの老人ホームはいま、移住するには年を取り過ぎた――平均年齢87歳――という理由だけで残留した少数の入居者の必要に応じている。どの部屋も空っぽである――飯舘に住んで働く意志のある、あるいはそうできるスタッフを見つけるのは不可能である。
核惨事の前は農業と畜産の地域社会だったが、わたしたちが飯舘で働いているのを見たのは、汚染された表土を除去する作業――政府の錯綜した問題の多い除染政策の一環――従事する下請け作業員3000人の一部だけだった。表土は草木などと一緒に何千もの黒いプラスチック収納袋に詰められ、それが見渡すかぎり散在している。当然ながら、どの地域も嫌われものの代物を受け入れるつもりはなく、霞ヶ関の政府が圧力をかけたり、金で丸め込んだりするだけである。浄化は今年3月に終了するはずだったが、つい先程、さらに2年間の繰り延べになった。
写真:田城明
わたしたちが景観を眺めたかぎり、核事故で被災した飯舘や他の市町村が――丹念な屋根磨きと表土除去によって――通常の経済活動に速やかに復帰するとはとても思えなかった。飯舘は福島の他の場所と同じく、山々と森林に覆われ、自然界の元素にさらされているのである。表土除去は一時的に放射線レベルを下げることができるが、テッサ·モリス=スズキは‘Touching the Grass: Science, Uncertainty and Everyday life from Chernobyl to Fukushima’1[『草に触れて~科学、不確実性、チェルノブイリからフクシマにいたる日常生活』]と標題された思慮深く、細心の調査が行き届いた記事で指摘するように、「山林の腐葉に蓄積した放射能が水で流され、常に農地に入りこんで、放射線レベルを再び上昇させる」。
歳月(および巨額の金)をかけて、表土を移動させたとしても、若い家族がそこで子どもを育てたいと思うだろうか?
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会[国会事故調]の委員長、黒川清博士はあっぱれ簡潔に、政府の浄化事業をこのように皮肉る――「水は敷地内に溜まる一方、瓦礫は外に山積みのままです。これは、問題を未来に先送りする、まさにでっかい詐欺行為です」2
それにしても、複雑な事態から当局者らにとって、実務的なもの――つまり、賠償や移住の問題――から優れて倫理的なものまで、基本的な問題が生じると認めるにしても、ただひとつの原発事故がこれほどの障害をもたらすことがわかったのに、激しい大衆的な反対に逆らって、安倍内閣が望んでいるように、停止中の原発の発電を再開することを、どのように正当化するのだろう? また、技術大国である日本が、核事故の余波で国内の町を葬り去ろうとしているのに、計画中の対外輸出をどのように正当化するのだろう?
さて、福島の住民は不透明な状態から抜け出せない。年配の人たちは放射線の長期的影響を受ける恐れが少なく、帰還を受け入れようとしている。幼い子どもたちのいる若い人たちは別である。男たちの多くは仕事のために戻るだろうが、女たちは家族の健康を思う気持ちが強く、戻りたくない。すべての家族にかかる圧力は、とてつもなく重い。新造語、原発離婚がプライベートな悲劇を映す。
モリス=スズキは、環境、また特に核、汚染の顕著な特徴となった陰鬱な不透明性の類を抱えて生きる、ごく普通の人びとの、このインターネット時代に強化された困難を浮き彫りにする。わたしたちは、夜の帳が下りると、特定の刻限を過ぎた人びとの入域を禁止する門限の前に飯舘を離れなければならなかった。山を車で下り、暗い、放棄された家を、1軒、また1軒と通り過ぎていくと、わたしは、福島の県民たちが、訪問し、大きな口を利く代表たち――科学者らや政府当局者たち、歌手、俳優、売り出し中の政治家、理想主義の学生、善意の外国人――の流れにどれほどうんざりしているか、よりよく理解するようになった…日の終りに、わたしたちはみな去っていく。
だから、ある種の無関心が福島に取り憑き、すべての人を悩ませ、たいがいの場所とは対照的に若い人たちを苦しめる。わたしたちがいわき市の近くに訪問した漁協の友好的で積極果敢な幹部職員は、毎週、水揚げされる魚の放射線レベルを検査するために最新型の装置類が送られてきて、安心しているようだった。若手職員は、ややこしい機械を担当しており、時おり、まったく手に余ってしまうと率直に認めた。福島県内3大都市のひとつ、郡山市で、わたしがインタビューした上級建築士は、まもなく大型の建築計画が再開されるだろうと希望を語った。彼の年下の同僚は、幼い子どもたちの父親だが、無表情なままであり、懐疑的だったように思えた。
ヒロシマとナガサキを指して、核の惨事から復興する可能性、「希望」の物語という人たちがいる。これは、被爆者たちとヒロシマ・ナガサキ市民の少なくとも2世代が向き合ってきた代価と差別を忘れろということだ。これはまた、1945年と2011年の違いを忘れた物言いである。当時、どの家にも手持ち式のガイガーカウンタはなかったし、土壌、魚、水の測定結果、あるいはホットスポットの情報を伝えるインターネットもなかった。福島は事故の前まで、日本屈指の食料主産地だった。そのブランドを取り戻すのが、いつなのか、あるいは、たとえ回復するとしても、簡単に評判を得たり失ったりするグローバル化した世界では、疑問が残る。
それでも今となっては、安倍首相が物理的に近くても心理的に遠いフクシマのために政治力を失うことはほとんどない。だが、東京の立教大学の教授で日本のエネルギー政策に関する気鋭の観察者、アンドリュー・デウィットがアジア太平洋ジャーナルで書いたように(http://japanfocus.org/-Andrew-DeWit/4174)、再生可能エネルギーに対する明確な関与(そして段階的な原発の閉鎖)について、政府が明言を渋るようでは、重要な機会が失われる。
原発推進派の政治家がとても好んで口にする、日本が「資源の乏しい」国なんて、とんでもないとデウィットは書く。日本は再生可能エネルギーで言えば――災害要因の明るい側面――豊かな地熱エネルギー源に恵まれ、競合国のあいだでトップの位置を占めている。日本は、力強い風と台風、波力、火山、広大な森林(陸地面積の68パーセント)、河川の急流、焼けるような夏、四季を通した太陽に「恵まれている」。
ドイツは、原発の可否をめぐる数十年来の国民的討論のあと、フクシマ核惨事のメッセージを肝に銘じて、だれもが日本に期待したこと、原発依存に終止符を打ったが、否定論者らは、そのドイツが直面する課題をあげつらう。確かに、いまドイツは炭素排出にてこずっているが、ドイツのグリーン[環境調和型]エネルギーへの移行の――雇用創出を含む――利点が、すでにマイナス面を上回りはじめており、時とともに排出量も減少していくだろう3。むしろ問うなら、これまでの数年に限っても、日本の政治指導者らはドイツの相手方に比べて半分しか「グリーン」でなかったが、それでどんな利点が得られたのだろう? フクシマ核事故後のいま、グリーン・エネルギー戦略の全面展開の障害になっているものを理解するには、日本政治の主流に緑の党に近いものはなにもないと指摘するだけで十分だ。
それでも、地方に行けば、あちこちに明るい場所が見つかる。伊東豊雄――プリッカー受賞建築家、20113月災害後の東北地方における賢明で説得力ある再建プランの提唱者――は、被災地で実験的な再建事業を主導してきた。伊藤は、建築家として、いやそれ以上に人間として、これから何をすべきか問うべきであり、「四角なものに戻って、建築の基本的な意味を問いなおす」必要があると書いた4。同じ考え方の切り替えが、わたしたち全員に、とりわけ「専門家たち」にあてはまるはずである。
世論調査が実施されるごとに、日本人の着実な大多数が、原発に復帰するよりも、再生可能エネルギーおよび「第5の燃料」、保全[節エネ]を支持する意志を政治家たちよりはるかにはっきり表明している。日本の技術力を考えると、正しいリーダーシップ、政策、テクノロジーを選択すれば、転換は最終的に可能である。核事故後の浄化作業は、いかに調整が行き届くとしても――膨大な時間、資金、エネルギーの濫費であり――あまりにも困難であることに変わらず、うまくいくかどうか、だれにもわからない。
歴史に残らない昔から、日本の最大の危難と恩恵は自然に由来してきた。これは21世紀初期のいまでも変わらない――あるいはむしろ、もっと切実になってさえいる。太古の儀礼や儀式は、不可解なようであり、または現代に生きるわたしたちの課題と無関係に思えるが、この不易の現実を告げるものに他ならない。昨年、日本きっての聖域、伊勢神宮は、起源690年以降、20年毎におこなわれる遷宮――建て替え――の儀式を執り行った。この儀礼には、非常に実際的な価値がある。たとえば、骨組みの複雑な構築術と木工技術を維持するために、精巧な建築技術を真剣かつ定期的に世代から世代へ伝える必要がある。重厚な木材を確保するために、指定された森林と水域を維持管理しなければならず、特別な供物を用意するために、近場の水田の注意深い耕作、果樹園の育成、漁場と猟区の管理、土地の生態系にかかわる知識を着実に分かち合うことが必要である。このようなものごとは世紀から世紀へと、単に精神的な豊かさだけでなく、莫大な見返りを三重県にもたらしている。
位置。位置。位置。サー・ジョージ・サンソムが自著の日本史を地理から説き起こしたのは正しかった。あるいは、わたしの亡くなった父が常にわたしたちに思い起こさせてくれるように、「決して、決して君の地理を忘れてはならない」。
***
本稿より短い先行版がHiroshima Peace Media Center[中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター]紙上に掲載された。
【筆者】
ナスリーン・アジミNassrine Azimiは、国連訓練調査研究所(UNITAR)上級顧問。
1959年生まれ、イラン出身のスイス国民。UNITARニューヨーク事務所長を務めたあと、2003年に開設された広島事務所の初代所長に就任。2011年に発足し、ヒロシマ原爆投下を生き抜いた樹木の種や苗を世界中に送るプロジェクトであるグリーン・レガシー・ヒロシマ(http://www.unitar.org/greenlegacyhiroshima)の共同創立者であり、現在も共同世話人。
【脚注】
1 Science Technology and Society Vol 19 No 3 (2014), 331-62 http://sts.sagepub.com/content/19/3/331
3 http://energytransition.de retrieved 27 October 2014
4 “Architecture. Possible here? ‘Home-for-All’”, Toto Publishing, Tokyo, 2013
 【関連APJ記事】
【ブログ内関連記事】
【アンドリュー・デウィット記事】
【ヒロシマ平和メディアセンター記事】