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システム障害事例研究詳細
SYSTEM FAILURE CASE STUDY DETAILS
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改革の大波
福島第一メルトダウンの予言的な欺瞞性
2015年8月10日
日本の東北地方太平洋岸の沖合、牡鹿半島の東方43マイル[69キロ]の海域で、2011年3月11日、日本標準時(JST)14:46(午後2時46分)、マグニチュード9.0の地震が勃発した。 海底の巨大断層地震の結果、日本の本土は東方に推定8フィート[244センチ]移動し、地球の地軸は定位置から推定4インチ[10センチ]ないし10インチ[25センチ]逸れた。東日本大震災は巨大な津波を引き起こし、それが最大波高133フィート[40メートル]に達し、日本の本土内陸に最大6マイル[9.7キロ]に達して侵入した。入手可能な最近の日本政府警察庁警察報告によれば、この地震と津波の結果、死者が15,891人、負傷者が6,152人、行方不明者が2,584人に達した。恐るべき人命の損失に加え、129,290棟の建物が倒壊、さらに1,020,777棟の建造物がさまざまな程度の損壊をこうむったと伝えられる。この災害はまた、(チェルノブイリ後)史上2度目になる国際評価尺度7の原子力事象――福島第一核惨事――を引き起こした。
背景
福島第一破局事態
福島第一核発電複合施設の安全履歴を解析すれば、東京電力株式会社の管理に起因する予測の破局的な破綻が露見する。どうして計画策定者たちは津波を見過ごせたのだろうか?
将来予測の危うさ
1958年のこと、すでにロケット工学および宇宙飛行の分野における重要な貢献を認められていたアーサー・C・クラークは、雑誌の連載読み物を執筆しはじめ、それが1962年になって、万物の科学的可能性に関する目録にまとめられ、“Profiles of the Future”[『未来のプロフィル』 ハヤカワ文庫]として出版された。
同書の序論「予言、この危険を冒すもの」は、推論がはらむ、「勇気の不足」、「想像力の不足」という二つの罠を挙げて、予言そのものに対する危惧を表明している。
想像力の不足は、現在の知られている事実が尊重される一方で、不可欠な真実がいまだに知られておらず、未知なるもの(知られていない未知なるもの)の可能性が認められていないときに成立する。(クラークがいうには)さらに一般的な過ち、勇気の不足は、「あらゆる関連のある事実を考えた予言者が、その事実が避けえない結論を指し示していることを見ぬくことができないときに成立する」。
図1.4号炉建屋の上層階から建屋脇に落下した残骸。出処:IAEA
事態の経緯
東日本大震災の地震活動によって、1、2、3号炉は緊急停止機能の発動を余儀なくされた。発電所の外部電源もまた、地震動によって遮断され、予備電源が66キロボルト送電線を介して東北電力配電網に接続された。ところが、回路接続不適合のため、予備配線は1号炉に対する電力供給に失敗した。
日本標準時15:37(午後3時37分)のこと、最大波高に達した津波が日本に襲来し、福島複合施設の緊急用ディーゼル発電機を水没させ、破壊した。その後ほどなくして、1、2、3号炉のための海水冷却系ポンプと直流電力供給用の電線網が駄目になった。6号炉の緊急用ディーゼル発電機を除いて、実質的に全電源が喪失した。津波はまた、車両、大型装置や多くの設備をも破壊した。
複合施設の操作員たちは電力を失ったものの、疲れを忘れて働いて、加熱する反応炉の監視と冷却に取り組み、あるときは必要な装置に給電するために、破壊された車両からバッテリーを回収することまでやった。冷却材タンクが空になって、水素爆発が勃発した結果、修復作業が中断し、2号炉の圧力抑制室が破損、放射性物質を放出するにおよんで失敗した。
図2.福島第一現場の主統制中枢、緊急事態対応センターの外で、防護服とマスクを着用した作業員たち。
出処:IAEA
直接的な原因
冠水後の電源喪失によって、時機を逸せずに反応炉を効果的に冷却することが困難になった。冷却材を注入し、反応炉および格納容器の内圧を下げるとともに、最終放熱段階で崩壊熱を除去するために必要な冷却操作と反応炉温度の観測は、電力供給に大きく頼っていた。災害のために接近経路が失われたので、消防車による代替的な海水注入などに必要な機材の送達も阻害された。
基本的な論点
フクシマ事故の直接的および間接的な原因を究明するために2011年10月30日に設置された東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)は、日本の憲政史上で最初の独立委員会だった。国会事故調は法定の調査において、組織および規制のシステムが決定と実施の不完全な論理的根拠を支持していたとして、「この事故が『人災』であることは明らかで、政府、規制当局、そして東京電力の癒着、および前記当事者における管理責任の欠如の結果である」と結論づけた。規制当局は、相手に合わせた規制と手抜きの実施によって、東京電力の事業利益に奉仕していた。
規制の無視
福島第一核発電所の非常用復水器の1967年設置計画は、1966年に政府に提出された元の反応炉計画に適合していなかった。変更箇所は規制に違反して報告されなかった。東京電力の立体配置制御は2012年2月、原子力安全・保安院によって精査された。保安院は2012年3月12日に説明を求めた。しかしながら、東京電力は公式説明を提示できず、変更がなされた理由を推測しただけだった。
2002年のこと、反応炉の設計を担当した請負企業、ゼネラル・エレクトリック社(GE)の職員らが、東京電力がフクシマ1号炉の格納容器に空気を注入して、人為的に漏れ率を低くしていると日本政府に報告した。福島第二核発電所における燃料漏れに加えて、そのようなスキャンダルの結果、東京電力は保有反応炉17基の全基の暫定的な停止に追い込まれた。他にも、東京電力が1号炉と関連して1989年から安全記録と検査を改竄していたと暴露するGE職員らがいた。請負業者は、東京電力の要請に応じて報告書を偽造したことを認めた。暴露の結果、多数の東京電力幹部役員が辞職に追い込まれ、さらにまた以前に報告されていなかった問題が開示され、そのいくつかは、GE社が1976年に請負職員による重要な設計上の欠陥の警告を無視したことを示唆していた(職員は後に警告無視に抗議して辞職)。
図3.福島第一現場の重要課題、汚染水の保管タンク。出処:IAEA
お粗末な安全履歴
東京電力の幹部らは2011年12月29日になって、1991年のこと、1号炉タービン建屋の内部に海水冷却パイプの腐食のために海水が漏れでて、1号炉予備発電機2基のうちの1基が故障していたのを認めた。上層部はその事故について知らされており、津波によって、海の近くに配置されているタービン建屋の内部に設置されている発電機が同じような被害を受ける恐れがあるとも伝えられていた。東京電力は発電機を高所に移動する代わりに、発電機室に漏水防止ドアを設置したのである。
日本の原子力安全委員会はこの事故のあと、電源の増設を義務化する意向を表明し、将来の核施設設計の安全指針を修正すると述べた。
国会事故調報告によれば、2006年には、福島第一核発電所の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、波高10メートルを超える津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東京電力の間で認識が共有されていたという。保安院は、東京電力が対応を先延ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。
天災対策の不在
2008年に東京電力の原子力管理部が実施した研究は、海水氾濫に対する防護策を早急に改善する必要性があると結論していた。報告は、波高10メートルを超える津波が襲来する恐れについても言及していた。東京電力本店の職員らは、伝えられたリスクを現実的でないとして退け、古文書記録のデータを付して提示されていたにもかかわらず、そのような状況が再来するとは想像もしなかった。
日本の核発電所の耐震性能について、日本の国外から懸念の声が寄せられ、国際原子力機関(IAEA)は2008年G8核安全・保安グループ会合において、マグニチュード7.0以上の地震が深刻な脅威になると唱えた。
日本政府は2011年10月2日、東京電力が保安院に提出した報告を公開しており、それによって、福島第一核発電所が津波に耐えうる津波の波高として設計基準に採用された5.7メートルを遥かに超える津波に襲われる可能性に東京電力が気づいていたことが証明されていた。1896年の地震[明治三陸地震]が発電所の立地地域にもたらした破壊にもとづく2008年のシミュレーションによって、8.4ないし10.2メートル高の波が敷地を水没させる公算が明らかにされていた。
東京電力は2011年4月にいたるまで、さらなる科学者らによる研究と発電所の津波耐性改善手段の調査の計画を立てず、2012年10月まで、緩和策を計画しなかった。東京電力は、見積もりは調査段階の暫定的な計算に過ぎなかったので、早急に措置をとる必要を感じなかったと述べた。保安院の担当官は、東京電力はこのような結果を公表すべきであったし、ただちに対策を実施すべきだったと述べた。保安院はそうはいっても、こうした措置は事業者が実施してしかるべきものであり、規制当局が命令するものではないと信じていた。国会事故調はこれを、東京電力による計画遂行の遅れを許容した、保安院の暗黙の了解と解釈した。東京電力の広報担当は津波の後になって、研究を真摯に受け止め、反応炉建屋を補強していれば、対処準備がましになっていただろうと敗北を認めた。
東海第二核発電所の防波堤は対照的に、シミュレーションの結果、予測値を超える波高の津波が襲来する可能性が判明し、6.1メートルに嵩上げされていた。2011年3月11日、津波が襲来したとき、嵩上げ工事こそ未完成だったが、それでも防波堤のおかげで、海水ポンプ2基と緊急用ディーゼル発電機は守られ、外部電源を喪失したにもかかわらず、反応炉の冷温停止状態を保つことができた。
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図4.4号炉建屋の屋上から3、2、1号炉を眺めた光景。中景に見えている、ねじれた金属と瓦礫は3号炉建屋の屋上にあり、そこでは放射能レベルが高いため、遠隔操作クレーンで残骸を除去しなければならない。出処:IAEA |
余波
原子力安全委員会の委員長は2012年2月の国会喚問の場において、「日本の原子力安全規則は世界水準に比べて劣っており、その結果、わが国は昨年3月の福島原子力事故の準備が整っていなかった」と陳述した。日本の核発電企業を律する安全規則に不備があり、強制力が弛んでいて、津波に対する防護の不備も例外ではなかった。
国会事故調は、規制当局を監督し、国民の安全を保障するために、核発電をめぐる問題を扱う常設委員会の立ち上げを勧告した。その委員会は、業界および政府の動向に通じているために、定期的な調査の実施、規制当局、学識者、利害関係者の事情聴取の任にあたるものとされた。
新たな規制機関は、政府、事業者、政治の指揮命令系統から独立していなければならず、意思決定プロセスにおいて透明であり、利害関係者らの関与を排除していなければならず、また核技術に関して専門的に精通していなければならない。
国会事故調はまた、事業者の監視、時代遅れの反応炉の更新など、世界標準に適合するように核エネルギー法制を改定することに関する勧告もおこなった。
他にも、核事故を受けて、考えられる是正処置や今後の改善策を提案した団体やシンクタンクは多い。緊急時対にさいして敷地内交流電源を確保するために、少なくとも1基のディーゼル発電機、その燃料と開閉装置を個別に高所または防水室(または両方を兼備した場所)に別個に備えておくなど、障害管理にかかわるなんらかの措置が必要だった。緊急対応機関が、電力回復を要する現場に迅速に運搬できるディーゼル発電機またはガスタービン発電機を常備していることもできた。規制当局は、事故のさいに、時宜にかなった情報の独立提供者を有し、保有・事業者のふるまいに影響をおよぼす能力を持つ現場要員の増員を命じることができた。現状の使用済み燃料プールは、発端となる外部事象に耐えうる無電源冷却システムを備えていることもできた。
NASAとの関連
福島第一核発電所の計画策定者らは、事故原因となる外部事象のリスクを見積もるさいに薄っぺらな一片の歴史環境データを用いており、そのことが、福島第一の防波堤の設計基準を超える津波が再来すると想像し損ねたことの原因になった。東京電力および日本政府原子力規制当局を代表とする多重的な失策を超えて、設計基準策定プロセスにおいて、いつ線引きをするのか――いつ安全がじゅうぶん安全になるのか――について、根本的な問題が残る。
多様な観点と広範で豊かな経験を備えた集団であれば、そもそもの発端から想像の欠如に向かう道をたどりかねない個々人の偏った認識を克服できる。さらにまた、NASA技術・安全要件に見るように、集団としての方針のチェック&バランス[抑制と均衡]のみが、要件の背後にある説明責任として有効であり、その有効性はまた、事業者と規制当局の両者がそのような要件の背後にある技術基盤を理解している、その良否の程度によって決まるものである。
要件の背後にある理論的根拠は時に、失敗を取り巻く状況から派生する。根拠(状況)が歴史の闇のなかに失われると、安全マージン[余裕度]を弁護する専門的な論拠(および勇気)が集団から奪われる。核発電産業に関して、大衆報道機関が思いのこもった報道で圧力を加えれば、政府を規制の大幅な変更に向けて動かし、それが結局、既存と今後の発電所に打撃を与えるかもしれない。核エネルギーを、石炭や天然ガスの火力など、信頼できる競合発電方式と――それぞれの気候変動、世界経済、安定性と信頼性、供給、地政学に対する影響などの面で――リスクを明示したうえで、先入見なく比較するのが妥当であろうが、社会と政治はリスク明示方式をまともに受け止めることができるだろうか?
しかしながら、さらに克服するのが困難なのは、規制当局そのものが社会の安全よりも有力な産業の事業利益を優先する場合である。安全上の欠陥をもたらすはずの規制緩和が、かえって効率性を要求するビジネス問題として受け入れられるかもしれない。
この事例研究が公開されるころ、2011年に日本全国の反応炉48基が停止したあと、日本国内で初めての核反応炉再稼働が実現した。改革の歴史的な波の効果が、日の目を見るかもしれない。
参照資料
Acton, James M.; Mark Hibbs. Why Fukushima Was
Preventable. The Carnegie Papers, Carnegie Endowment for International Peace.
March 2012.
Buongiorno, J.; R. Ballinger; M. Driscoll; B.
Forget; C. Forsberg; M. Golay; M. Kazimi; N. Todreas; J. Yanch. Technical
Lessons Learned from the Fukushima- Daichii Accident and Possible Corrective
Actions for the Nuclear Industry: An Initial Evaluation. Center for Advanced
Nuclear Energy Systems, Massachusetts Institute of Technology. July 26, 2011.
Kuroda, Hiroyuki. Lessons Learned from the TEPCO
Nuclear Power Scandal. Tokyo Electric Power Company. March 27, 2004.
TEPCO, Reports on the reflection of the changes in
the connection method of the drain pipe in Isolation Condenser in Unit 1at
Fukushima Daiichi Nuclear Power Station to the re-circulating system, March 12,
2012.
本稿は、パブリック・ドメイン[公有知的財産]として入手可能な情報にもとづくNASAの内部安全意識訓練教材である。この事例研究で特定されている知見、主因、要因は、必ずしも当局の見解を反映しているものではない。この事例研究の各部分は参考資料リストに掲載した複数の出処に依拠している。出処資料の不当解釈や不適切使用がある場合、意図したものではない。
【クレジット】
NASA Safety Center, “The Great Wave of Reform -- THE PROPHETIC
FALLACY OF THE FUKUSHIMA DAIICHI MELTDOWN,” posted on October 8, 2015 at;