国家権力による弾圧に対しては、 犠牲者の思想的信条、 政治的見解の如何を問わず、 これを救援する。
郡山通信
フクシマ ☢ 惨事6年
~汚染県土の「復興」~
二〇一一年三月、東京電力福島第一核発電所が未曾有の放射能災害を引き起こして、早くも六周年。一二年六月、霞が関一帯で盛大に繰り広げられた「あじさい革命」行動を受けて、JR郡山駅西口ひろばでフリートーク集会が発足してからも、まもなく五年になるが、わたしたちはごく少人数ながら、今も毎週「原発いらない金曜日!」の幟を駅前モニタリング・ポストの傍らに立てている。「郡山市民のみなさん、ご通行中のみなさん」と呼びかけても、ごくわずかの例外を除き、目を背け、押し黙ったまま通り過ぎる通勤者や旅行客。
「わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(マタイ福音書)
キリスト教徒でもないのに、救世主のことばを引用して申しわけないが、この六年間、福島県の状況を見せつけられてきて、「砂上の楼閣」という警句がつくづく念頭によぎる。もっともこの場合、「放射能汚染県土の復興」というべきか…
先日の二月二四日、リオデジャネイロ五輪体操競技の金メダリスト、内村航平氏が復興庁嘱託「復興応援大使」として福島県庁を訪問し、内堀雅雄知事と懇談した(福島民報「『福島の良さ広めたい』内村選手、知事と懇談)。昨年十一月のこと、自主避難者らと支援者たちが住宅支援打ち切りの撤回を求めて県庁を訪れたが、内堀知事は「県という組織全体で『丁寧に』対応していく」として、面会を拒否した。農協のピーチガールや震災地・熊本県のクマモンなどは復興の後押しとして大歓迎の知事だが、被曝不安を訴える被災者は復興の邪魔でしかない。
昨年十一月のこと、福島県教組郡山支部が企画した「原発事故被害フィールドワーク」に参加した。核被災地写真家、飛田晋秀氏の案内で、郡山市から国道二八八号線で三春町と田村市都路(最初の避難指示解除地区)を経て六号線に移り、双葉町、浪江町を北上したあと、飯舘村に向かうバスツアーである。
三春町に整備された福島県環境創造センター交流棟「コミュタン福島」で小奇麗に展示された核事故の状況と復興に向かう福島県の力強い姿を学んだあと、都路の山中を進むと車窓に次々と目につく仮置き除染廃棄物フレコンバッグの山。浜通り地方の帰宅困難区域を貫く国道六号線に入ると、車内でさえ放射線値は四マイクロシーベルト/時まで上昇する。沿道の住宅や店舗はフェンスで閉鎖され、草ぼうぼう…脇道にはすべて頑丈な検問ゲートが設置され、制服に簡単なマスクだけの若い警察官が立番している。
浪江町立請戸小学校は、ポーランド人写真家、アルカディウス・ポドニーシンスキ氏のフォトエッセイで有名になった津波遺構である。校舎内を散策すると、一階は備品があらかた流され、二階は教室のコンピュータなどがそのまま残り、チェルノブイリ避難地域の写真でもはや見慣れた光景さながら。
南相馬市から峠を超えて飯舘村に入ると膨大なフレコンバッグの山が次々と現れる。案内人の飛田氏によれば、村人口が六〇〇〇人であり、一人あたり一億円の除染費をかけたそうである。
平地に出るとフレコンバッグの列は見えなくなり、新築なった飯館中学校が御影石造り門構えの威容を誇る。学校の建設費はネットであれこれ検索しても不明だが、やはり新築の公民館には十一億円かけたそうだ。週刊誌『女性自身』記事によれば、アンケート結果として、避難指示が解除になれば家族で村に戻るという保護者は4人だという。菅野典雄村長は村民懇談会で中学一年女子に「村に帰るメリットってなんですか?」と(涙声で)質問されて、「少人数制の授業ができるかもしれませんし……」と言い放ったそうである。
福島県は県民の不安をよそに、各地の除染作業が進捗したとして、政府とともに帰還困難区域を除く避難指示地域の指定解除を急ぐ。解除の基準は年間被曝レベル二〇ミリシーベルト以下であり、電離放射線障害防止規則に定める一般人の年間被曝限度の二〇倍。憲法が定める法の下の平等に背く、この超法規的方針の理由はなんだろうか?
今冬、撮りためた写真を携えて講演するためにパリを訪問した飛田氏によれば、彼の地の反原発人士たちは、それが世界原発ムラの意向であると見ているそうだ。つまり、フランスかどこかで新たな核事故が勃発すれば、フクシマ基準が先例となるのだ。
福島の闇は深い。だが、絶望の淵に沈むわけにはいかない。今週も金曜日には、いつもの顔ぶれが郡山駅前ひろばに集まるだろう。
【関連メディア記事】
2 月24 日付け福島民報
東日本大震災の被災地を支援する「復興応援大使」を務めるリオデジャネイロ五輪体操男子金メダリストの内村航平選手は23日、県庁を訪れ、内堀雅雄知事と懇談した…
2016 年11 月29 日付け毎日新聞/福島版
東京電力福島第1原発事故で、国の避難指示が出ていない地域から避難した「自主避難者」に対する住宅の無償提供を県が来年3月で打ち切ることに抗議し、自主避難者らが28日、県庁を訪ね、内堀雅雄知事との面会を求めた。打ち切り撤回を求める文書を持ち、知事室そばの廊下を通った内堀知事に声をかけたものの、面会には至らなかった。同日の記者会見で内堀知事は「県全体で丁寧に対応する」と、改めて面会には応じない考えを強調した…
2016 年10 月15 日付け女性自身
「どんな人でも5 期20 年も村長を務めたらダメ。村民の声に耳を傾けなくなるから」と、ある村民が話すように、原発事故後の5 年間は、「復興」に邁進するあまり、今年8 月には、約8 億5 千万円も復興関連予算をつぎ込んで、村に公民館を新設。“ ハコモノ政治” と批判を呼んだ。9 月にもその“ ハコモノ政治” に拍車をかけるような驚くべき事実が明らかになった。 '18 年4 月から、村内で0 歳~15 歳までの一環教育を開始するために、幼保一体型「認定こども園」を新設するというのだ。それを含めたスポーツ公園など周辺教育施設の予算総額は、57 億円。費用は国に要求するという…
2016 年4 月4 日付け女性自身
「私たちが、村に帰るメリットってなんですか?」
冒頭のように、涙ながらにそう訴える女生徒に対して、「まぁ、メリットを一生懸命考えていきたいと思います。帰ったら帰ったで、少人数制の授業ができるかもしれませんし…… 」と回答。帰還する人が少ないから少人数教育になるのに、それがメリットとは……
2015 年10 月25 日付け当ブログ記事
津波の影響を見るために、海岸に行ってみると、ありとあらゆる建物が破壊されている。4 年たっている。瓦礫処理が継続中だが、あらかたの被害物件は片付いている。1 棟のコンクリート・ビルが聳(そび)えている。東電のお金を使って建てられた校舎は津波の破壊力に耐えていた。幸運にも、児童たちは近くの丘陵に逃げていた…
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