2016年12月6日火曜日

アジア太平洋ジャーナル【評論】偽りの夜明け~日本における番犬ジャーナリズムの衰退


  アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
  アジア太平洋と世界を形成する諸勢力の分析

20161015
Volume 14 | Issue 20 | Number 2

偽りの夜明け――
日本における番犬ジャーナリズムの衰退

デイヴィッド・マクニール David McNeill

凡例:敬称略。(原注)、[訳注]

日本に攻撃的な対決ジャーナリズムは存在しないと責めるなら、週刊文春がひとつの答えになる。この週刊誌は販売部数が国内最大(監査値で約420,000部)であり、これまでの1年あまり、スクープを連発して得点を稼いできた。20161月には、当時の財務大臣、甘利明の賄賂要求をスッパ抜き、彼を辞任に追いこんだ。翌月には、妻の妊娠中に議員活動を産休すると喧伝していた宮崎謙介の不倫を暴露した。その同月、読売ジャイアンツの元投手、笠原将生の違法賭博を明るみに出した。

  週刊文春「甘利大臣に1200万円を渡した」

週刊文春の編集長、新谷学は20165月、日本外国特派員協会に招かれ、彼の極意の拍子抜けするほど単純な種明かしをした。彼は、「わたしたちがスクープを物にする理由は、それを追っているからです」といった。彼は、同業者たちにその意欲を滅多に見受けられないと言外にほのめかした。「わたしはテレビ関係の同業者に高市早苗(通信担当大臣)[総務相]をちょっと調べてみたらと持ちかけてみました」と、彼はいう。高市は2月、政治的不偏不党ルールに抵触すれば、放送免許を取り上げる結果になりかねないことをTV局に「思い知らせる」と広言して、大騒ぎになっていた。新谷は、TV局が尻込みしたので、「わたしたちが自分で調べ、記事にタイトルを『高市早苗総務相 嫌われる理由』とつけました」といった。

ジャーナリズムの役割として、権力の濫用から公益を守ることが、おそらく自由民主主義諸国になくてはならない機能であると目されてきた。この見方にもとづけば、わたしたちの暮らしを左右する政治的・経済的利害関係に関して、独立メディアは多元的な論争と自由な情報流通を促すべきである。それと相容れない見解――戦時の日本と現代の中国で広く流布した見方――は、メディアは第一に国家権力の道具たるべしというものである。多くの先進資本主義諸国における現実として、メディアの役割が、独占資本や政治的・経済的プレッシャー、それに公式または非公式の規制によって囲いこまれている。日本のメディアは第二次世界大戦後に改革されて、「番犬」モデルに近くなったものの、例外ではありえない。批判論者たちは久しい前から、日本における情報の自由な配信を封じる定型化された規制として、さらにもうひとつ可視的なレイヤー[階層]、すなわち記者クラブを指摘してきた。

記者クラブ制度

日本の記者クラブ制度は一世紀の歴史を経ているが、2009年から2010年にかけて劇的変化と思われる事件があった。民主党の新政権が日本の強力な官僚機構を改革するつもりだと明言していたが、雑誌、サイバー空間、外国の報道機関、フリーのジャーナリストたちが定例記者会見に出席することを認めはじめた。それまでの報道機関向けの公的イベントは、このような範疇に入るすべてのジャーナリストが全面的に参加することを禁止されており、議会・官僚機構と大手TV局・新聞社のへその緒で繋がったような関係で数十年にわたり支配されていた。民主党のこうした措置の結果、メディアの番犬機能が強化され、日本の政治制度を改革に向かわせる力になると広く期待された。

なかでもメディア監視機関の国境なき記者団がこの動きを歓迎し、報道の自由度に関する世界ランキング一覧表2010年版で日本を第11位に引き上げたが、これはその4年前に、報道の自由が「極めて憂慮すべき」ほどに侵害されたと指摘され、第51位と不名誉なランクを付けたのに比べて大躍進だった。ここで書いておくが、現在の日本は(180か国のうちで)第72位にランクされており12010年代初めの高得点から急激に落ちこんでいる。フクシマ核危機報道と2012年の自由民主党の政権復帰がメディア開放度評価を引き下げる要因になった。フリーランス・ジャーナリストたちの団体が記者クラブ制度に対する事実上の挑戦を試みたが、主流メディアに影響をおよぼすことがおおむねできなかった。何はさておき、記者クラブ自体が取材源を支配しつづけており、このことが潜在的にメディアの自由に大きく関わっている。

  2016216日付け毎日新聞:国境なき記者団「報道の自由度」ランキング2002年~2015年推移

日本のマスメディアは洗練され、活発である。同国には、有力な公共放送局でコマーシャルを流さない半政府機関、日本放送協会(NHK)があり、世界最大級の購読者数を誇る新聞社が揃っていて、その筆頭が讀賣新聞社であり、同社が発行する各新聞の発行部数を合計した総合発行部数は――由緒あるニューヨーク・タイムズに比べて桁外れ――約950万部に達している2。日本の出版物には、大量に売れている共産党および宗教団体の日刊紙があり、漫画本が年に何百万部も出版され、しかもその一部は、経済モデルや歴史など、さらにはマルクス主義すら含むほど、高尚な話題を扱っており、週刊文春など、醜聞好きなタブロイド週刊誌と月刊誌のどちらも数十万人の読者を獲得している3。日本のインターネット接続普及率は世界最高レベル(80パーセント)であり、(2012年以来)全国津々浦々にデジタル放送が整備されている4。多くのアジア諸国と違って、1946年の憲法のおかげで、あらゆる形態の表現の自由が法的に保護されている。憲法第21条は、「検閲は、これをしてはならない」と特記している。

それなのに、その多様性と開放性は見掛け倒しである。日本の報道機関は組織化された制約でがんじがらめになっている。その制約とは、取材記者を公的筋と結託するように促し、独立系列の調査を断念させ、自己検閲を制度化する情報流通システムであり、これは広く批判されている。主流メディアの記者たちは、日本の皇室、戦争犯罪、企業の不祥事、死刑、宗教、その他もろもろの際どい話題を避けて、国家の政治・経済エリートに迷惑がおよぶことが滅多にない無難な国民総意を醸成するために奮励している。

これは日本以外の理想化された番犬メディアを無批判に支持するものでないことは――ローリー・アン・フリーマンが指摘するように、そのような理想的な組織は存在しないので――端から言うまでもない5。当代の日本メディアはどんな問題を抱えていても、権威主義的な軍国主義国家の道具にあらかた成り下がっていた戦前および戦中期からは数歩前進を果たしている61945年以後、あからさまなマスメディアに対するイデオロギー支配はゆるくなった。連合軍占領司令部(194652年)はメディアを当初、戦時帝国体制を解体し、リベラルな資本主義国家を再興する方針のための情報伝達システムとして見ていた7。占領が終結したとき、新聞とテレビは下からの支持に呼応して、戦後期の主だった国民的な論争のいくつかで独自の役割を担ったと言ってもよい。

戦前と戦後の記者クラブ制度

正力松太郎


それにしても、戦前と戦後のメディアは大きく重なっている。スーザン・J・ファーはこう指摘している――「1990年代における日本の主要なメディア機関の大半は…1930年代から第二次世界大戦終結まで、軍部優勢と厳格な検閲の時代に総体的に組み込まれていた」8。連合軍内部の改革論者たちは、当初、リベラルなニューディール政策支持者らの強い影響を受けていたが、メディア機関の抜本的な改革を退け、戦前構造を強化しさえした。讀賣新聞の社長、正力松太郎をはじめ、追放された新聞の経営者や編集者が元の地位に復帰することを許された。左翼の暴力闘争の問題が募ると、それと戦うために編集方針に対するヒエラルキー統制が奨励された。早稲田大学のメディア研究者、花田達朗は、「不連続性ではなく、連続性がメディアの戦後史において支配的なテーマになった」と結論づけている9

記者クラブは戦前期の遺産をのこしながらも、1945年以後、さらに重要にすらなった。記者クラブは本質的に、国家の政府、官僚組織、企業団体に癒着した取材組織であり、1890年代に公式情報を取得する機会を求めることで集団的な立場を強化したがっていたジャーナリストたちによって設立された。戦時中の記者クラブは、公式見解を広めるための上意下達システムの一翼を担った。記者クラブは戦後期のあらかた、扉を閉ざし、日本の大手メディアのために働くジャーナリスト以外の人の入室を禁止した。フリーランサー、タブロイド紙や雑誌のジャーナリスト、そして外国メディアの特派員は数十年にわたり締め出され、最近になってようやく入室できるようになった。

記者クラブの便益を享受する業界の団体、日本新聞協会はクラブを擁護して、その正確さを褒め称え、「言論・報道の自由を求め」「結集してきた」ジャーナリストたちの「自主的な組織」と謳っている10。批判する向きは、記者クラブの実態はエリートのニュース管理体制であって、ハーマンとチョムスキー(1989年)のいう「権力側の官僚」から公衆に情報を直接流す経路になっており、日本で最も影響力のあるジャーナリストたちが情報源と記者クラブの共生関係に割り込むのを阻止しているという11。フリーマンによれば、ジャーナリストたちは高給取りの代弁人よりほんの僅かに高等であり、「ニュースのカルテルで結託する共謀者」なのだ。世界有数に名のしれた批評家が記者クラブの目的を謳った宣言文を逆転させた話は有名である。つまり、カレル・ヴァン・ウォルフレンは、記者クラブ制度は、明らかに日本国民への情報の拡散を促進するように設計されているが、「現実には、この促進を阻む最も深刻な障害になっている」という12

しかし、20099月の末になって、すべてが入手可能になる見込みになった。日本の報道記者たちは、この上なく稀なイベント、政府高官との真に開放的な接触の機会を享受した。総選挙で勝利した民主党の新内閣の外務大臣、岡田克也は就任後初の記者会見で、日本外国特派員協会(FCCJ)の会員、日本人フリーランサー、雑誌記者、インターネット投稿者など、出席者全員に事前質問書提出なしの質問を認めると発言した13。おまけに岡田は質問者の全員に答え――一度など、時間切れを告げる外務省職員をさえぎって――予定時間を30分ほど伸ばしてしまった。

日本政府の閣僚は通常の場合、ジャーナリストたちから分厚い帳で遮蔽されているので、岡田の演じたハプニングは例外的だった。防御の第一線は官僚たちであり、ジャーナリストたちを丸めこみ、言い聞かせて、好ましい話題へと誘導し、政治的地雷から遠ざける。第二線は、最大級に議論されているように、ジャーナリストたち自身である。エリート・メディアの記者たちは記者クラブの会員として、成文化されたルールと実践を独自に取り揃えたノウハウを駆使して、[閣僚の]隔離に勤しんでいる14。ジャーナリストたちは排他的な情報取得と情報源接触の代償として、パンチを引っ込め、さもなければ、もっと敵対的な関係になりかねない行為を控えさせる。

外国人ジャーナリストの立場

たいがいの外国特派員は、ことあるごとに記者クラブ制度と衝突している。2002年のこと、小泉純一郎首相が歴史的な北朝鮮訪問を果たしたとき、欧州連合加盟15か国から赴任していた東京駐在記者の誰一人として随行を認められなかった。英国人ホステス、ルーシー・ブラックマンが殺害された2000年の事件の捜査中、外国人記者は警察の記者会見から締め出された15。これら二つのケースは共に欧州委員会2002年報告で取り上げられ、その報告は、「広く国際社会の関心事であり、重要なできごと」の報道を邪魔したと記者クラブ制度を批判した16

  20029月、金正恩と会見する小泉純一郎首相

日本の公職筋と外国メディアの主要な情報伝達機関、在日外国報道協会(FPIJ)が長年にわたり圧力をかけた結果、2002年に外務省が書簡を送り、日本のジャーナリストと同じ質問権を外国の記者にも基本的に保証した。当時、あまり気づかれていなかったが、その書簡は情報取得を改善する闘いの重要な節目を刻むことになった。当時のFPIJ理事長、リチャード・ロイド・パリーは、「これが実施されると、記者クラブ制度は無力化された」と述べた17

記者会見を管理したり、お気に入りのジャーナリストたちに情報入手や情報源接触を優先させたりすることが、日本政府の独壇場であるとは、とても言えない18。証拠がほしいなら、ホワイトハウスの排他的で不自然な振る舞いを一瞥するだけでよい。世界中どこでも、程度の差はあっても、エリートの消息筋が優遇される。しかし、みずからの情報源と共有の見解にジャーナリストを組織的に引き込み、破壊的かも知れない「部外者」の進入を阻止することにかけては、日本の記者クラブは非常に効率的である。日本の記者たちは明けても暮れてもエリート官僚や政治家との共生関係の維持に励んでいる。質問が、競合メディアと、あるいは報道の情報源とさえも、明らかに公益に反する形で共有されることが多い。実例を二つあげれば、この点が浮き彫りになるはずだ。

報道と皇室

2007年のこと、皇太子・徳仁親王はモンゴル訪問旅行に出発する予定になっていた。宮内庁は協定にもとづき、渡航前の記者会見に少人数の外国特派員を招待した。そのような会見は同庁にとって、皇族の外国訪問を公表する手段だったが、リスク要因をも抱えていた。そこで同庁は、質問を文書化して――数週間前に――提出することによって――また内容によっては、その質問を拒否することによって――抑制のとてもよく利いた式次第の進行を保証するように主張したのであり、おそらく世界で最も古くから世襲されている皇統に属する皇族を目の当たりにする機会にすることを除き、外国報道機関にほとんど関心がなかった。

しかし、徳仁親王ご本人は2004年、彼の妻、雅子妃の経歴と個性が「否定」されてきたと記者団に語って、人間性を台無しにする宮内庁丸抱えを打破してしまった。それ以来、雅子妃の精神健康状態、そしてご夫妻と皇室の関係が、ある種の憶測の対象になってきた。わたしたちは宮内庁による篩〔ふるい〕分けによって、このような話題について質問したり、あるいはするさい、またもや皇太子が妃同伴なしに外国の公式行事に参列しに赴くのはなぜか、訊いたりしないほうが無難であると思い知らされている。最後の瞬間まで時間が割り振られていることの多い行事にしては異例だが、記者会見が終わる前に文書化された質問が品切れになったこともあり、宮内庁の職員が他にもう一つ質問はないかと訊ねた。

これはジャーナリストにとって、宮内庁の防御陣の隙を突き、皇族ご本人に質問する絶好の機会であり、わたしは直ちに手をあげた。わたしは雅子妃の健康についてもっと聞きたかったのだ。宮内庁職員はわたしを無視した。何秒間か虚しく過ぎ、もう一人の外国記者、AP通信のエリック・タルマッジも手を挙げた。お役人は、気まずそうな顔つきと哀願するような目つきで、対面に座り、顔を伏せている日本人記者たちの列をチラチラ眺めた。この上なく長い時間が空回りしてから遂に、女性がとてもおずおずしながらも、思いやりの気持ちで挙手をした。「オッケイ、レディファーストでいきましょうか?」と、お役人はわざとらしくいった。

このできごとの教訓は、くだんの女性記者は、公益目的で宮内庁から情報を入手するために共闘するプロの仲間として、わたしを見なかったということである。それどころか、彼女は当惑しかねない状況に陥った宮内庁職員に助け舟を出し、はた迷惑な闖入者から守る必要があると考えたのだ。もちろん、外国人記者たちのほうが日本の皇室を取り巻く制度的タブーに鈍感である。それだけなおのこと道理として――それに、万民の興味に応えるため――徹底的な質問を奨励されてしかるべきではないだろうか?

報道と死刑

2009年に稀なケースとして、報道陣が秘密の帳に包まれた日本の絞首刑執行室を視察したさい、同じように「アウトサイダー」を締め出す戦略が歴然としていた。法務省は嫌々ながら視察を認めたのだが、おそらく、死刑廃止論者であり、死刑論争のきっかけを作ろうとしていたことが明らかな千葉景子法務大臣の圧力があったのだろう。大勢の日本人フリーランス・レポーターたちが視察許可を申請した。わたしは当時、FPIJ理事長であり、協会員を代表して陳情したが、不首尾に終わった。その一方、法務省記者クラブに所属するエリート・ジャーナリストたちは827日の朝に備えて説明を受け、その日付けの秘密保持を申し渡されていた。

その後、肝心な絞首刑執行用の締め縄もなく、無菌状態に処理された画像類が、NHK、その他一握りの報道機関によって流され、信用されたジャーナリストによる鎮痛剤調合済みの記事がそれに添えられた。驚くこともないが、死刑論争が実現することは金輪際なかった。日本における絞首刑支持率は過去最高のままである19。記者クラブのジャーナリストたちは疑いの余地なく、自分たちは望みうる最高の情報を国民に提供したというだろう。だが、このエピソードをまったく違ったふうに特徴づけることは可能である。エリート・ジャーナリストたちがエリート官僚とコラボレートして、厄介な物議をかもす関心事について、上演困難なストーリーの舞台を監督したのである。

報道機関、報道カルテルと民主党

どちらのケースでも――そして他の無数のケースでも――記者クラブの会員であるジャーナリストたちは、発言の取材報道対象とされている人物たちと結託し、報道側と公的情報筋との対立関係ではなく、クラブ風の協調関係のようなものを成立させていた。それを英紙ガーディアンの元東京支局長、ジョナサン・ワッツは、「見返りに自己検閲で報い、横並び意識を助長して、競争を抑え込む」金余りメディア集団のカルテルと喝破する20

民主党の政権掌握は、このカルテルの打破の前兆になると思えた。開かれたメディア取材機会の約束を主導したのは鳩山由紀夫首相であり、彼は、少人数に限定して選ばれた記者たちを対象にした簡潔で非公式の首相会見を廃止して、記者会見を「もっと多くの皆様方に開かれた」ものにすると言明した21。民主党は日本の閉鎖的なメディア体制が政敵の自由民主党の都合がいいと感じていたので、この動きは部分的に自党の都合にもかなっていた。

鳩山はまた、公然の秘密、長年にわたりジャーナリストやテレビ番組コメンテーターを手懐けて政治的好意を醸成するために使われていると報じられていた裏金が官邸に存在していることを暴露した22。エコノミスト誌は、日本のたいがいのマスメディアが鳩山の暴露に関して「尋常でない沈黙」を守っていると指摘した。このこと自体がメディアの「長きにわたる日本の政治機能不全における中心的役割」のさらなる証拠であると、この週刊誌はいう。

鳩山と岡田、そして金融・郵政を担当していた大臣、亀井静香の努力を過小評価しないことが重要である(亀井は、記者クラブ会員たちが部外のジャーナリストたちと情報入手の機会を共有することを拒んだので、別の記者会見の場を用意しなければならなかった)。ブルームバーグ、ダウ・ジョーンズ、ロイターなど、外国通信社の記者たちは、戦いのすえ、国会やその他の権力中枢への基本的な接触権を認められた。フリーランサーたちはさらに広範なアクセス権を享受している。「だが、制度そのものが無傷のままです」と、古強者のフリーランス・ジャーナリスト、神保哲生はいう。おまけに2011年以降、制度がやせ細った。

報道の自由の縮小

2012年末、自民党の政権復帰(公明党と連立)の結果、メディア開放度は著しく逆戻りした。自民党の公職たちはさまざま非公式な手立てを駆使して、記者クラブ制度に埒外の記者たちに対する情報公開を制限した。フリーランサーたちはメディア施設の使用を控えさせられ、政府の手配人に記者会見の予定を教えてもらえない23。高官たちは由緒正しいジャーナリストを選り分け、その他大勢は避けたり遠ざけたりする。首相の記者会見は時間が短縮されている。安倍首相の記者会見は「並外れて長い」冒頭発言ではじまり、それが予定時間の半分を占め、その後、厳選されたジャーナリストによる文書が事前に提出された質問がつづく24

「わたしは安倍首相の開いた記者会見を一度も逃さず出席しましたが、質問する機会は一度もありませんでした」と、神保はいう。朝日系列のように、連合政権に対する穏健な批判派ですら、脇に追いやられている。こうしたことすべてが、安倍が監視の目を避けるのに役立っていると神保は結論づけた。「彼が辛辣な質問に向き合う唯一の場が国会であり、その一部分しかテレビ中継されていません」25。おそらくさらに心配されるのは、こうしたルールに縛られているジャーナリストたちが、それを問題にしないことである。現職が東京の武蔵大学の教授であり、元TV朝日ニュース番組レポーター兼プロデューサー、奥村信幸は、「首相官邸記者クラブの会員たちは、この問題に対する集団行動の挙に出るようなことは断じてありませんし、その一方、記者会見に出席してはいても、クラブに会員登録していないインターネットや外国メディアの報道関係者には、これについてできることがほとんどありません」と述べる。

けれども、時たまだが一筋の光明が射すことがある。たとえば、2015929日、ニューヨークの国連本部における安倍首相の記者会見のさい、ジャーナリストたちは質問書を事前提出しており、首相はテレプロンプター[文書表示装置]で台本を読んでいた。しかし、ロイター通信の記者は、「日本人の同輩たちを横並びにしていた職業的な縛りに影響されておらず」、日本政府にはヨーロッパから難民をさらに多く受け入れる意向があるかと、首相に事前通告もなく質問した26。安倍は台本なしの発言を迫られ、なにが何だかわけのわからない回答をして、難民問題について、まともに考えていなかったことを思わせた。彼の返答は世界中で大きく報道されたが、日本の大手メディアはあらかた無視していた27

また別のおり、国家公安委員会委員長、拉致問題担当国務大臣、山谷えり子は2014925日、日本外国特派員協会の記者会見に臨んだ。山谷は拉致問題について論じることになると説明されていたが、それどころか、極右圧力団体にかかわっている疑惑について、質問攻めにあう羽目になったと気づいた。この時もまた週刊誌の一部で報道されたものの、日本の主流メディアはこの論争をあらかた無視した。その後、政府の閣僚たちはFCCJ記者会見の出席を徹底的にサボることにした28

記者クラブ制度を改革する企ての失敗

記者クラブ制度を改革する企ての失敗が、日本の「報道の自由度」ランキング順位が下げられた理由に挙げられている。最新版(2016年)の「フリーダム・ハウス」ランキングは、日本を世界で第44位に格付けしている。前述したように、国境なき記者団は、日本を180か国の第72位としている(このランク付けは厳しすぎるとして、広く批判されている)。エコノミスト誌が発表している「民主主義指数」の最新版では、日本は(韓国、コスタリカ、フランスとともに)「完全な民主主義」類型から脱落した4か国のひとつである。国連報告者、デイヴィッド・ケイによる20164月付け報告は気が滅入るような内容で、報道の独立に対する「深刻な脅威」を警告している。彼は、「わたしが面会した相当数のジャーナリストたちは、報道内容を公的な政策優先度に順応させるように経営側から教唆されており、政府からの強烈な圧力を感じていた。多くの記者たちは有力政治家から間接的な圧力を受けたあと、第一線から追われ、あるいは沈黙を強いられたと主張した」と述べた。
[訳注]アメリカに本部を置く国際NGO。年次「世界人権状況白書」を発行

その断定が、公的機関の非妥協的な対応、おそらくは、国家の第四権力の健全さに対する調査に着手する決意のきっかけになったかもしれない。ところが、外務大臣、岸田文雄は国連の使者に難癖をつけた。彼は、ケイ報告に「日本政府の説明は十全に反映されていない」と失望感を表明した。この恨み節を修正する一法は、通信担当の総務大臣、高市早苗がケイに面会することかも知れなかったが、彼女は明らかに国会で「多忙」に過ぎていた。ケイの記者会見は、日本のリベラル派メディア(とりわけTBSTV朝日、東京新聞)で広く報道されたものの、国内で最も有力な放送事業者、NHK、それに販売部数トップ紙、讀賣新聞では――どういうわけか、ケイの論点を証明するかのように――無視同然だった。

物議をかもした最近の例

このことは、フクシマ核危機を含め、最近のあらゆる物議をかもす問題に歴然とした様式に従っている。その危機は2011年の夏中つづいた一連のデモ行動を引き起こし、919日、東京の明治公園に推定60,000の人びとが結集してクライマックスに達した。ある研究によれば、16件のデモ行動が讀賣新聞に合計686語で報われたそうだ29NHKはたいていの場合、目と鼻の先の代々木公園に撮影取材班を派遣して、そこにいる抗議行動参加者に対面取材させる面倒を避けた。

  2011919日、東京、明治公園のデモ集会

2012329日にはじまった大規模な一連の国会前デモ行動もまた、当初は日本の主流メディアに無視されていた。世話人たちはメッセージの拡散をオンラインのソーシャル・メディアと口コミに頼った。2012629日、首相公邸の外で主催者の推計値で170,000人の群衆が結集し、ヴェトナム戦争期以降、おそらく東京で最大規模のデモ行動になった。参加者の数値はもちろん、警察、それに現場にいたジャーナリストの多くに疑問視された。しかし、不在ゆえにかえって目立つ存在があった。讀賣新聞は数値を伝えなかったが、デモ自体を報道しなかったからである。

フクシマとその余波は、日本における報道の自由の衰退を示す鍵となるできごととして広く挙げられている。早稲田大学の花田は、日本のジャーナリズムはフクシマで実質的に敗北したという30。もっと深刻な問題をいくつか挙げれば、福島第一核発電所1号炉建屋が爆発するテレビ画像は、放送事業者がそれをどうするか決めかねて逡巡し、1時間あまり遅れた。フクシマ事故後の1週間、多くの人びとの目に、最も正確な情報は日本の国外から、とりわけワシントンDCから届くように見受けられた。核産業につながった日本の有識者たちは、第一発電所の安全について、TV番組を似非証言で満載にした。批判論は実質的に禁じられた。公共放送のNHKは、おおっぴらに核開発賛成派の専門家に進行中の事態の解説を任せた31。ある慎重な研究によれば、核エネルギー批判派の学者の注目に値するTV登場は、ただ一度きりだったという32。慶応大学の元物理学教授、藤田祐幸は2011311日夕方のフジTVで、福島第一の炉心「メルトダウン状態」を推測していた。そういう彼に対して、詳しく問う声は全然なかった。

  福島県、汚染土の置き場

記者クラブを経由した情報をもとに危機を報道していたジャーナリストたちは、「部分的」メルトダウンが疑われるという説明で早ばやと決着をつけ、事業者である東京電力が三重メルトダウン災害をついに認めるまでの3か月、この線を維持していた。放射能拡散情報が伏せられていると外国メディアで報道されたとき、地元紙が後追い報道をするまで何週間もかかった33。フクシマ現地の南相馬から、312日の放射性降下物の脅威にさらされた広大な地域から、日本のエリート・ジャーナリストたちが一斉に避難したとき、彼らの本社すら、この地域は安全であると公言して、何百万人もの日本人を安心させていた。彼らは40日ほどたってから戻ってきた34。ジャーナリストたちは後になって質問されたとき、その地帯は「安全でなかった」と答え、それは本当のことだが、現場から報道しているとき、彼らの身を守るために考慮すべき情報源を使わなかったり、競合他社を出し抜くスクープをものにしようとしなかったりした理由を説明していない35。東京新聞の編集長、菅沼堅吾はフクシマ報道を、絶望的な戦争遂行努力について虚偽情報を伝えていた大本営発表を一言一句違わずに全国報道機関が流していた日本の戦時報道に比べた36。「戦争中ずっと、新聞は言われたことを、そのまま正確になぞって報道していたのであり、それこそ戦争があのような道筋を辿った理由なのです」と、彼はいう。

2011年以降、発行部数をわずかに伸ばした)東京新聞、朝日、毎日、それに派手なタブロイド紙や週刊誌の存在は、批判的なジャーナリズムが日本でまだ――重要な資質を失わずに――健在であることを意味している。東京新聞は地方紙であり、朝刊の発行部数がざっと500,000部、讀賣、朝日の720万部に比べるとほんの小部数、日本の政治的な色分けスペクトルの対極に位置する産経新聞の約3分の1である。週刊誌は有力者を串刺しにするのが大好きだが、正しく同じように矛先を他の人たちに向けて振りかざしかねず、記者クラブから締め出されている。30年前に「慰安婦」論争を開始したことで右翼に追い詰められた朝日のジャーナリスト、植村隆に対する魔女狩りを主導したのは文春だった。文春編集長、新谷学は皇室にパンチを食らわす場合、手加減をすると認めたが、それは、朝日のジャーナリストで植村の同僚、小尻智浩を殺害した1987年の未解決事件を招いた類いの粗暴な仕返しの火をつける恐れからだった。「ですが、それはまた、小誌の愛読者の反応を考えてのことでもあります。小誌は日本の雑誌であり、わが国を愛していますので、わたしたちが愛読者と築き上げた信頼の絆を破るようなことは何であれ、やってみたいとは思いません」と、新谷はいった37

朝日と撤回の駆け引き

リベラル派として日本の旗艦的な新聞、朝日はどうかと言えば、フクシマに関して、やはり敗北をこうむった。朝日は(東京新聞とともに)フクシマ核惨事後、東京電力と核産業に対して、日本の日刊紙のなかで抜きん出て粘り強く批判的な論調を維持してきた。朝日の批判報道は2014520日、2011年メルトダウン事故当時の福島第一原発所長、吉田昌郎の証言のスッパ抜きを元にした記事を掲載したときにヤマ場を迎えたといってもよい。特ダネ記事「所長命令に違反」は、危機のさい、恐慌をきたした現場作業員の650名が命令に違反して、撤退したと断定していた。

朝日の言い分は、作業員たちは命をかけて施設を守ろうとする英雄だとみなす世評に楯突くものであり、業界、政府、それに朝日と競合する他紙に強硬な異議を申し立てられ、なかでも右翼紙の産経は、2011315日から16日にかけて、現場は誤った情報伝達のために混乱していたのだと論難した。結局、2014911日になって、朝日の社長、木村伊量が、記事の撤回、同紙の取締役編集担当、杉浦信之の解職、その他数名の編集員の懲戒処分を表明した。この痛い深手になった発表は、朝日の論敵を喜ばせ、同紙のジャーナリストたちを唖然とさせ、自分たちは前もって何ひとつ知らされていなかったと言わしめた38

法律家、ジャーナリスト、学者らは木村の撤回表明に困惑したと申し立てた。吉田証言が公開され、事実の詳細の解釈が自由にできるようになると、危機の最悪期に絶望した現場作業員たちが職務を放棄したことには、疑問の余地はほとんどなかった39。弁護士で核発電の論敵、海渡雄一は、「記事内容と見出しは間違っていなかった」と言い立て、政治的圧力に屈した撤回を批判した40。独立した報道監視機関であれば、紛糾を一掃したかもしれないが、朝日は社内組織「報道と人権委員会」に諮り、背後にある経緯と規律を精査しようとした。ジャーナリスト、鎌田慧は同紙の振る舞いに失望して、「日本には、たとえば、米国だったらあるような、ジャーナリストを支えるための報道評議会や専門家組織は存在していません。記者クラブ制度は、日本のジャーナリズムにおける職業人意識の涵養を邪魔だてしています」と述べた41

  衆議院議員、中山成彬が20133月の本会議で掲げ、「朝日が歪曲した慰安婦史料」とタイトルが付されたパネル

朝日の「弊社の過失」表明は、その1か月前、いわゆる「慰安婦」――戦時中の日本軍用売春宿に連行されたアジア人女性たち――に関する1990年代の連載記事を撤回した、さらに大きな痛手になったできごとに続くものだった。連載の内容の一部にかかわる情報を提供していた吉田清治は久しい前から信用されておらず、朝日の撤回は何年も遅きに失していた。さらに、政治的な右派の反応は、同紙の報道全体の評価に疑義を申し立てるだけではすまず、海外で日本の評判を損ない、近隣諸国との絆に有害であると非難するものだった。

右翼の言い分によれば、朝日の記事が、女性たちにセックス奴隷の立場を強制したときの陸軍の役割を認定した1993年の河野談話が成立するきっかけを作ったという。2007年の米国連邦議会下院決議第121号(U.S. House Resolution 121)は、日本政府に「慰安婦の件につき、公式に認定し、謝罪する」ことを要求していた。事実としては――同決議の起草を支援した専門家グループによれば――吉田の回想録とそれを報じた朝日の記事は決議第121号となんの関係もなかった。リベラル派の毎日新聞がその学者たちに面接取材して、正反対の報道をしたとき、彼らはこの点を明らかにするために一肌脱いだ。「わたしたちはみな、仰天しました」と、彼らは回顧した42

吉田騒動は外国人記者たちも巻き込んだ。わたしたちの何人かは、日本の報道機関に持ちかけられ、同じ質問を受けた。すなわち――朝日の慰安婦問題報道は、外国報道機関の報道に重要な影響をおよぼしましたか? 答えは、ノー。吉田清治はわたしたちの時代より前の人だった。だが、わたしたちは過去10年にわたり、韓国、その他で、数多くの[元]慰安婦に面接取材した43。その結果は、そして決議第121号を起草した学者たちの反論は、日本における右翼の言い分になんの影響も与えていないと思える。慰安婦問題について批判的に書きつづけていたジャーナリストたちは、嫌がらせと脅迫の標的にされていた。

飴と鞭

朝日に対する攻撃は、大局的な――国の内外の――リベラル派ジャーナリズムに対する粗暴行為の一環であるようだ。政府は世界各地に外交官を派遣して、歴史の教授やジャーナリストらに不満を表明させた。ある事例では、外務省の職員たちが外国のジャーナリストらを政府の戦争に対する姿勢に批判的な日本の学者から遠ざけようと無作法にも企てた44。別の事例では、日本の役人たちが、ドイツ最大手の経済新聞、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングに対して、日本を標的にした親中国プロパガンダを発信していると責めたてた45

批判を許さない姿勢がメディアの職分に対する不格好な干渉の形で表れることが多い。たとえば、自民党は衆議院解散を受けた201412月総選挙の運動期間中、国内メディアに「公正で中立的」な報道を要求し、アジアで最古の由緒ある外国特派員クラブ、東京のFCCJ[日本外国特派員協会]を実質的にボイコットした。2012年から本稿の執筆時点まで、外務大臣と防衛大臣は、どちらもFCCJに姿を見せていない。内閣官房長官、菅義偉に来ていただくのに19か月かかり、その彼は事前に質問を文書化させようとした(そして、不首尾に終わった)46。日本の政治家のみなさんに外国の報道機関にひれ伏す義務がないのは言うまでもないが、このようなコソコソしたやりかたが、自信たっぷりの政権運営とはとても言えない47

安倍批判で名の通った政治問題コメンテーター、古賀茂明はTV朝日の夜のニュース番組「報道ステーション」で定期出演枠を持っていたが、異論が多かった安全保障法案に関する論争のさい、局の役員たちが明らかに安倍政権の圧力に屈服したあと、唐突に降板した。古賀の口封じは、批判派に対する肘鉄作戦とメディア幹部に対する酒と食事の饗応作戦を組み合わせて調整された安倍政権の「飴と鞭」戦略を浮き彫りにした48

日本で一番あけすけに発言するリベラル派のアンカーたち、つまり夜のニュース番組「報道ステーション」の辛辣な司会者、古舘伊知郎、そのライヴァルのTBSニュース番組のレギュラー出演者、岸井成格、そして20年にわたるNHKの看板調査報道番組「クローズアップ現代」の舵取り役、国谷裕子が20163月を期して地上波テレビから消えたのは、報道機関のボス連中と日本で最高レベルの政治家たちの定例のような会合と関係していると考えて、はじめて辻褄が合うようだ。

古舘のニュース番組にかかわったプロデューサーたちは、この生放送番組での彼の安倍政権批判に対する数か月におよぶ圧力を打ち明けている49。古賀の生放送発言のあと、ある種のクライマックスが到来した。古賀ご本人は、政府の干渉に対抗して、メディアを結束させることが目的だったという。ところが番組の制作会社、TV朝日は謝罪し、ゲスト出演者に対する監督を強化すると約束した50

岸井は夜の「ニュース23」出演枠を、海外における国家の軍事的役割を拡大することをねらった2015年夏の法制化を問題にするために使った。ある保守主義者団体が岸井の激烈な生放送発言に反発し、彼が放送事業者の不偏不党ルールを侵害していると糾弾する新聞広告を打ち出す挙に出た。20161月になって、岸井は降板すると明かした。「わたしが去るのは、わたしの発言のせいだと誰もズバリと言わなかった――そういうふうにはいかないのです」と、岸井はいう51。彼は、国谷裕子降ろしも、やはり背後で操っていたかもしれない菅官房長官による中傷工作のせいだという。彼女は生放送インタビューで向こう見ずにも官房長官を相手に、新しい安全保障法制のもとで日本が他国の戦争に巻き込まれるかもしれない可能性について、台本にない質問をしていた。

批判的で独立したジャーナリズムに対する政府の敵意が一番鮮明に観察されるのは、NHKの抑圧状況においてである。安倍は、BBCのリベラル偏向と思われていた体質を疑っていたことで有名な英国首相、マーガレット・サッチャーの同じように、日本で最強の影響力がある放送事業者を断じて信頼せず、その放送局と衝突した過去がある52NHKは、6000億円の予算を受信料金で賄っており、国会承認が必要なので、圧力に弱い。安倍が政権に復帰したさい、彼の政府が手始めに片付けた仕事は、NHK12人委員会に籾井勝人会長が率いる保守主義の同志4名を送り込むことだった53。安倍の被任命者たちは――遵守要項にもとづき――番組編成への干渉を繰り返し否定してきた54。だが、彼らの監督職務の成果のひとつとして、従業員らは自己検閲を強化する方向にプレッシャーをかけられてきた。このことを一番はっきり示す実例が「オレンジ・ブック」の制定であり、この部内ハウツー本はNHK国際放送部門の検閲方法を定め、NHKが政府内部の保守派の側に立つ様相を明記しており、ある場合には、日本における公的な立場を賭けなければならないような有様である。

第二次世界大戦における日本降伏から70周年にあたる日の靖国神社
たとえば、この冊子は、編集員、翻訳担当者、ジャーナリストらに、‘so-called comfort women’[いわゆる慰安婦]という表現を避けるように指示し、「be forced to[強制されて]、brothels[売春宿]、sex slaves[性奴隷]、prostitution[売春]、prostitutes[売春婦]などは使わない」と記し、「原則として」彼女たちの実態を解説しないように指導している55。同書は南京大虐殺を否定しないように用心しながら、1937年の日本帝国陸軍による中国首都の壊滅を、単に「南京事件」として言及しなければならないと記述している。「それが引用であるという事実を明確にしなければならない場合、『南京大虐殺』は海外の重要人物などによる評言をそのまま引用する場合のみに使われる」。NHK職員は、240万人の戦死者とともに戦時指導者たちを崇める靖国神社に言及するさい、war-related shrine[戦争にかかわる神社]、war-linked shrine[戦争に関連する神社]、war shrine[戦争神社]といった英語表現を避けなければならない。日本の放送局を政権によるプロパガンダの道具にする、この偏向は、籾井の指名時に示唆されていたので、驚くにはとてもあたらない56。メディア学者、林香里は、「議論の忌避、視聴者迎合、偏狭な愛国――これらが、NHKの現在の業務に通底する三大基本信条であるようだ。これでは、第二次世界大戦後に発展した公共放送サービスの元来の精神とまるで正反対である」と結論している57

小冊子の概説では、日本におけるメディアの自律性を後退させようとする公の企みを貫徹できない。2014年の国家秘密法の成立によって、情報を部外に出さないでおく官僚国家の自由裁量権が拡大した。秘密を侵害すれば、10年以下の禁固と1000万円以下の罰金で処罰されることになる。この法律は、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国際ジャーナリスト連盟、日本新聞労働組合連合、日本弁護士連合会、数百人の日本人学者らの抗議に火をつけた。国連人権理事会の有識者は、同法が「内部告発者にとって、さらには秘密を報道しているジャーナリストにとってすら、重大な脅威をもたらす」と述べた58

安倍政権の閣僚たちは、過度に批判的なTVネットワークの放送免許を取り消すとほのめかした59。同調者らは政府の方針に敵対していると目される新聞の廃刊を公の場で提案した60。メディア職業人に対する低レベルのハラスメントは後を絶たない。自民党は20144月、NHKTV朝日の役員らを召喚し、怯えさせるように設定されたことが明白な公人の力を見せつけるショー仕立てで、報道の失態を言挙げして、叱りつけた。

結び

後知恵で振り返ると、日本における2009年から2010年の記者クラブ制度改革は偽りの夜明けであったことがわかった。記者クラブ制度という組織化された機構の解体はいうまでもなく、もっと開かれた情報源アクセス[接触・利用機会]の約束は雲散霧消してしまった。番犬ジャーナリズムは敵に常時包囲された事業であり、国家と連携した保守主義勢力が国内の大手メディアに自律路線の後退を要求すると、撤退した。同様な闘争は世界中各地で頻発しているが61、日本の防衛線は、自己検閲と、それに厚遇されて体制内に取り込まれた高給ジャーナリストの軍勢とによって、弱体化されてきた。

2011年以降の報道の自由度ランキングで急落した日本の成績を疑問視することは可能であり、じっさいに多くの人たちがそうしている。日本は落ち度が多々あっても、記者たちにとって世界有数に安全で自由な場所である。ジャーナリストらは自分の仕事をすることで、殺害されたり投獄されたりすることはない。韓国では、ジャーナリストが脅迫されたり、あるいは産経の加藤達也のように、記事を書いたことで逮捕されたりすることはないし、検察官たちが最近、元慰安婦に関する国の公式談話に面倒をもたらす本を書いた日本文学の教授を起訴しているが、日本はほんとうに韓国よりも下位に評価されるのに価するのだろうか?62 報道の自由度の順位表で日本が滑り落ちていることについて書く人たちは、そのような疑問に答えるように無理強いされることは避けられない。「お前が日本はそれほどひどいと考えるなら、なぜ中国へ行って、暮らさないのか」というのが、典型的なコメントの一例である。肝心なのは確かに、日本がさらに中国のようになるのを阻止する手立てである。

【脚注】

1 See here.

2 Circulation figures for the NYT. (accessed Nov.1, 2015) 讀賣 2016122日閲覧

3 創価学会の公明新聞の公称日刊発行部数は500万~600万。日本共産党の日刊紙、しんぶん赤旗の公称発行部数は160万。

4 See Japan Fact Sheet. (Accessed April 5, 2013)

5 See Laurie Anne Freeman’s “Japan’s Press Clubs as Information Cartels,” Japan Policy Research Institute, Working Paper No.18, April 1996. (October 6, 2011). Also see Closing the Shop: Information Cartels and Japan’s Mass Media, Princeton University Press (2000). And DeLange, W., A History of Japanese Journalism: Japan’s Press Club As the Last Obstacle to a Mature Press, Routledge (1998). [ローリー・アン・フリーマン著/橋場義之訳『記者クラブ―情カルテル』(緑風出版2011/1刊)…本書は記者クラブ制度を軸にした情報カルテルの歴史と実態を実証的、批判的に明らかにする]。フリーマンは米国のメディアとの違いについて、「米国には管制報道でカルテルを組む制度的な仕組みは実質的に存在しない…両国のシステムがこれほど大幅に異なっているのは、この根本的なレベル――一次情報源――で違っているからである。米国のメディア業界は――とりわけ一極集中型のメディア・グループの場合、ニュースの流通において――報道の「下流」段階では代わり映えのしない呼び物記事ということで横並びになってしまうが、「上流」段階で似たり寄ったりということはまったくない。そして、両国のシステムが、単に程度で違っているだけでなく、種類で違っていることで、とても顕著なのは、この点である」と記す。

6 For an account of prewar and wartime control over the Japanese media, see Kasza, G., The State and the Mass Media in Japan: 1918-1945, University of California Press (1993).

7 Pharr, S.J., “Media and Politics in Japan: Historical and Contemporary Perspectives” in Pharr and Krauss (ed.) Media and Politics in Japan, University of Hawaii Press (1996).
[スーザン・J・ファーは、ハーヴァード大学ライシャワー日本研究所所長]

8 Pharr, S.J., Ibid.

9 Hanada, T., “The Stagnation of Japanese Journalism and its Structural Background in the Media System,” in Bohrmann et al. (eds), Media Industry, Journalism Culture and Communication Policies in Europe, Halem (2007).

10 See: Nihon Shimbun Kyokai. (accessed May 2, 2015)

11 Herman and Chomsky.

12 Karel Van Wolferen, Karel, The enigma of Japanese power: people and politics in a stateless nation, Tuttle, 1993.
[カレル・ヴァン・ウォルフレン著/篠原勝訳『日本 権力構造の謎〈下〉』(ハヤカワ文庫NF)。上巻はAmazon.Jpに出品がないようだ]

13 A record of this press conference can be found here. (date accessed April 6, 2015)
岡田外務大臣会見記録(平成21929日(火曜日)1740分~於:本省会見室)(2016122日閲覧)]

14 See Laurie Anne Freeman’s “Japan’s Press Clubs as Information Cartels,” Japan Policy Research Institute, Working Paper No.18, April 1996. (October 6, 2011). Also see Closing the Shop: Information Cartels and Japan’s Mass Media, Princeton University Press (2000). [ローリー・アン・フリーマン著『記者クラブ―情報カルテル』]。And DeLange, W., A History of Japanese Journalism: Japan’s Press Club As the Last Obstacle to a Mature Press, Routledge (1998).

15 同じようなことが長年にわたり繰り返されていた。1964年、駐日米国大使、エドウィン・O・ライシャワーが刺されたあと、ロサンゼルス・タイムズ記者、サム・ジェイムソンは警察の記者会見から締め出されており、これは有名な話である。

16 “Press clubs stymie free trade in information: EU,”The Japan Times, Nov. 7, 2002. Available online. (April 3, 2015)

17 2015415日付け面接取材。

18 Laurie A. Freeman, "Japan’s Press Clubs as Information Cartels,” Japan Policy Research Institute, April 1996.

19 Feigenblatt, Hazel and Global Integrity (eds), (2010) The Corruption Notebooks. vol.VI, Washington: Global Integrity.

20 Jonathan Watts, “EU acts to free Japanese media,”The Guardian, Nov. 29, 2002.

21 首相官邸サイト「鳩山内閣総理大臣記者会見」(平成22326日)

22 The Economist, "See no evil", 2010. (Accessed April 29, 2015)

23 朝日記者、神保哲生に対する面接取材。

24 東京の武蔵大学、奥村信幸[社会学部メディア社会学科教授]に対する面接取材。

25 Ibid. See also, Brasor, P., “Abe raises eyebrows when he’s off script,” The Japan Times, October 24, 2015. 安倍晋三の記者会見のさい、NHK記者、原聖樹は挙手していないときでも指名された。

26 Brasor, Ibid.

27 McNeill, D., “Japan pulls up the drawbridge as refugee problem grows,” The Irish Times, October 3, 2015. Available online. (Nov.1, 2015).

28 No.1 Shimbun, “Behind the Barricades,” Dec. 28, 2014, Available online here (last accessed on October 20, 2016).


30 記者会見:20141216日、日本外国特派員協会。

31 See McNeill, D., “Pro-Nuclear Professors Accused of Singing Industry’s Tune in Japan,” The Chronicle of Higher Education, July 24, 2011.

32 伊藤守著『テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社新書、2012年)。

33 マーティン・ファクラー著『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書、2012年)。

34 その時までに、取材のために町に向かう外国やフリーランスのジャーナリストらが着実な流れになっていた(到着の第一陣はAFPで、318日のこと)。

35 フクシマのような重大なニュース記事の場合、日本のメディアは互いの競合他社のスクープを抑制するためにカルテルに似た協定を結ぶので、日本人記者たちが抜群の働きをしても得るものは少ない。特に危険な状況の場合、TVネットワークや新聞社の幹部らは(「報道協定」と呼ばれる)取り決めをして、実質的に各社の取材班を全体的に危険が予想される事態から遠ざける。1991年の雲仙岳噴火、それに2003年のイラク侵略の両ケースとも日本人ジャーナリストの死亡者が出たので、報道協定が強化された――イラク戦争のあいだ、あるいはビルマやタイ、アフガニスタンなどの紛争地帯で、大手メディアの日本人記者をほとんど見かけない理由の一端である。そのような現場では、フリーランスたちが大仕事の大半を担った。本多勝一が朝日の特派員として戦場で縦横無尽に報道したヴェトナム戦争と比較してみるとよい。

36 2015624日付け面接取材。

37 日本外国特派員協会、2016518日付け記者会見。

38 朝日新聞記者、木村英昭に対する201556日付け面接取材。木村は懲戒処分を受けたジャーナリストのうちのひとり。

39 海渡雄一、河合弘之、原発事故情報公開原告団弁護団・共著『朝日新聞「吉田調書報道」は誤報ではない隠された原発情報との闘い

40 20141216日付け日本外国特派員協会の記者会見:海渡雄一、鎌田慧、花田達朗「朝日と日本のジャーナリズムの危機」。YouTubeヴィデオ

41 海渡ら、前出。

42 “Scholars adamant that Yoshida memoirs had no influence in US,” Asia Policy Point, Sept. 25, 2014. Available online. (Accessed May 2, 2015)

43 See David McNeill and Justin McCurry, "Sink the Asahi! The ‘Comfort Women’ Controversy and the Neo-nationalist Attack", The Asia-Pacific Journal, Vol. 13, Issue 5, No. 1, February 2, 2015. (May 2, 2015)

44 Anna Fifield, Washington Post.

45 His account can be found here. (May 8, 2015)
[ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイツゥング紙の東京特派員カーステン・ゲルミス氏による手記「5年間を振り返って」]

46 See McNeill, D., “LDP vs. FCCJ – Behind the Barricades,” No.1 Shimbun, December 2014. Available online. (March. 31, 2016)

47 McNeill, D., No.1 Shimbun, Ibid.

48 2016年のこと、讀賣新聞の主筆、渡辺恒雄は、東京都心の本社ビルで安倍首相と日本のメディアの最高級幹部らに晩餐でもてなした。メディア幹部らの所属先は、毎日、産経、朝日、日経など、ならび国内最大の放送局、NHKだった。その数日後、ジャーナリストの池上彰は朝日新聞に寄せた記事で、「一国の総理が、購読者数が最大の新聞社に赴き、主筆と会食する。費用は誰が出したのでしょうか?」と露骨に問いかけた。「読売新聞は、安倍首相を食事に呼ぶような借りがあるのでしょうか? …首相としては、読売新聞に自分の主張を理解してほしいという思いがあっての会食でしょうか? それとも渡辺会長が首相にアドバイスをしたのでしょうか?」。2016129日付け朝日新聞<池上彰の新聞斜め読み>安倍氏は誰と食事した?[有料記事]。

49 東京、2016212日~13日付け面接取材。See: “Anchors Away,” The Economist Feb. 20, 2016.

50 東京、2016213日付け面接取材。

51 東京、2016224日付け面接取材。

52 See Alexis Dudden and K. Mizoguchi, Abe’s Violent Denial: Japan’s Prime Minister and the ‘Comfort Women,’ Asia-Pacific Journal.

53 4人の新委員ら:百田尚樹、長谷川美智子、本田勝彦、籾井勝人。百田は日本の戦争犯罪を否認している。Profile of four appointees.

54 放送法は、経営委員は「公共の福祉に関し公正な判断」をしなければならないと定めている。

55 政府が大韓民国と合意したとき、1993年の公表された外務省のオリジナル文書[作成は内閣官房内閣外政審議室]「いわゆる従軍慰安婦問題について」[2016126PDF閲覧]は次のように記す――
慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理しているところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍とともに行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられたことは明らかである。

56 指名後の籾井の発言。

57 See here.

58 See here (Nov. 3, 2015).

59 See Fackler, M., "Effort by Japan to Stifle News Media is Working," New York Times, April 26, 2015. Available online here (last accessed, October 20, 2016).

60 2015626日付け琉球新報「作家・百田氏『沖縄の新聞つぶさないと』 自民改憲派の勉強会で主張」[2016126日閲覧]。

61 For example, see Human Rights Watch, “Malaysia: Crackdown on Free Speech Intensifies,” (Oct. 13, 2016).

62 See, The Japan Times, “Sankei journalist Tatsuya Kato acquitted of defaming South Korean leader,” Dec. 17, 2015. (Last accessed October 11, 2016).

【著者】

David McNeill 
デイヴィッド・マクニールは、アイリッシュ・タイムズ紙(The Irish Times)、エコノミスト誌(The Economist)、その他に出稿。アジア太平洋ジャーナルの編集者。共著に“Strong in the Rain: Surviving Japan's Earthquake, Tsunami and Fukushima Nuclear Disaster”(Palgrave Macmillan)。
A version of this essay appears in Information Governance in Japan: Towards a New Comparative Paradigm(SVNJ eBook series), edited by Kenji E. Kushida, Yuko Kasuya and Eiji Kawabata.

【クレジット】

Asia Pacific Journal, Volume 14 | Issue 20 | Number 2, “False Dawn: The Decline of Watchdog Journalism in Japan,” by David McNeill, posted on October 15, 2016 at;