2017年4月15日土曜日

『#救援』4月10日付け寄稿【郡山通信】#フクシマ☢惨事6年目~避難指示の一斉解除



国家権力による弾圧に対しては、 犠牲者の思想的信条、 政治的見解の如何を問わず、 これを救援する。


郡山通信

六年目のフクシマ
避難指示の一斉解除

フクシマ核惨事から六年、三月三一日午前〇時を期して飯舘村、浪江町、川俣町、翌四月一日午前〇時を期して富岡町、それぞれの避難指示解除準備区域が開放された。この「一斉解除」で、「放射線量が非常に高い(二〇一三年時点で年間積算量五〇ミリシーベルト超)レベルにあることから、バリケードなど物理的な防護措置を実施し、避難を求めている区域」とされる東京電力福島第一核発電所の事故現場を中心に北西方向に伸びる「帰宅困難区域」を除く全域の避難指示が解除され、万人の居住と自由往来が許されることになった。
たとえば、飯舘村では三一日午前、内堀雅雄福島県知事、原子力災害現地対策副本部長、内閣府「原子力被災者生活支援チーム」支援調整官などを来賓に迎え、村主催の「いいたてむら・おかえりなさい式典」が賑々しく開かれ、菅野典雄村長が「復興に対する国の強い想いも分かりました。県のありがたい御支援もいただきました」と述べるとともに、「解除がゴールではなく、ここからが復興のスタート。村の自主・自立の精神と復興への志を改めて高めていきたい」と決意を表明、村民代表二名が「子どもが自然の中で遊び、年寄りが畑で笑っていて、若者が恋を語る。かつての村の姿を、私たちは一歩一歩取り戻していきます」と宣言した。だが、一月に復興庁などが実施した村民意向調査によれば、「村に戻りたい」と回答したのは、将来的な希望を含めても三四%に過ぎず、それも高齢者中心であることはいうまでもない。菅野村長は「これからは村に戻って来た人たちの支援に(行政の)比重を切り替える…」と〝宣言〟したそうだ。

また、福島県内有数の桜の名所、富岡町の夜の森地区では一日、桜並木のライトアップが七年ぶりに復活した。ただ、桜並木の八割は帰宅困難区域に含まれており、人通りもない並木道に「点灯」宣言が虚しく響くのみである。
同じ富岡町では三〇日、〝公設民営〟商業施設「さくらモールとみおか」が全面開業し、先行営業していたホームセンター「ダイユーエイト」や食堂三店舗に加えて、スーパーマーケット「ヨークベニマル」とドラッグストア「ツルハドラッグ」が開店した。同町では帰還する町民は避難指示解除対象人口の数%と目され、原発の廃炉作業員らの利用も見込んでいる。

避難指示解除の要件は、除染などによって年間被曝線量が二〇ミリシーベルト以下になると見込まれること。わが国における「電離放射線障害防止法」にもとづく一般人の年間被曝許容限度は一ミリシーベルトであり、この法治国家を僭称する国で、法のもとの不平等、ダブル・スタンダードがさほど疑問視されることもなく通用しているのだ。避難指示解除とともに、賠償金などは打ち切られ、とりわけ〝自主避難者〟の唯一の頼みの綱、住宅の提供は今月をもって終了する。

すべて、他人事なのだろうか。ここ郡山市でも疑問や怒りの声はほとんど聞こえてこない。市街地のあちこちの庭の隅などに、除染廃棄物が積み置かれたまま放置されているというのに……県内の子どもたちの甲状腺癌とその疑い例が一八五人に達し、郡山市内だけでも四二人になるというのに……

(井上利男。「#原発いらない金曜日!」郡山フリートーク集会世話人。ブログ「#原子力発電_原爆の子」。ツイッター:@yuima21c



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