◇オンライン版【毎日jp】から
東日本大震災:福島第1原発事故 川内村が帰村宣言 4月役場再開、自主判断を尊重
福島第1原発事故で警戒区域と緊急時避難準備区域(昨年9月解除)に指定された福島県川内村が31日、「帰村宣言」を行い、村民に帰還を呼び掛けた。避難自治体では初の試みで、村内の除染を進め、4月1日に役場、学校、保育園、村営診療所を再開する。
記者会見した遠藤雄幸村長は、1月中旬の村民との懇談会で「一定の理解を得られた」としたが、早期帰還に慎重意見もあるため、「戻れる人は戻る。心配な人はもう少し様子を見てから戻る」と、自主判断を尊重する方針も示した。
村民約3000人は事故直後に全員避難し緊急時避難準備区域の解除後も村に戻ったのは約200人。残る村民は郡山市など県内や全国26都道府県で避難生活を続けている。
民家の除染は年末までかかる見込みだが、大部分が空間線量毎時1マイクロシーベルト未満で居住に問題はないという。子どものいる世帯は優先し3月末までに終える。警戒区域内は4月以降に国が除染するが、その住民も仮設住宅を設けて村内で生活できるようにする。
除染作業で1000人規模の就労を見込むほか、金型工場や野菜栽培施設を誘致し50~100人の雇用を確保する。遠藤村長は「2年後、3年後にそれぞれ我が家に戻ってもらえればいいが、子どもはもっと先になるかもしれない」と述べ、徐々に村民の帰還を促す考えを示した。【乾達】
毎日新聞 2012年2月1日 東京朝刊
◇次は、社会面から
(オリジナル紙面が大きいので、メインの見出しの右半分が隠れましたが…
「当分戻らない」と書かれています)
(オリジナル紙面が大きいので、メインの見出しの右半分が隠れましたが…
「当分戻らない」と書かれています)
◇オンライン版【毎日jp】から
福島第1原発:川内村 「帰村宣言」も歓迎ムードは薄く
東京電力福島第1原発事故による避難自治体で初めて、福島県川内村が「帰村宣言」をした。だが、村民に歓迎ムードは薄い。子供の安全を考え、帰郷をためらう家族も多い。郡山市の仮設住宅に家族7人で暮らす関根孝行さん(36)は「子供2人の安全を考えて、当分戻るつもりはない」と話す一方、深い悩みももらした。村民の絆、友達同士の絆はどう守っていくのか。【深津誠、中川聡子、乾達】
村立川内小2年の関根さんの長女(8)は今、仮設住宅から約8キロ離れた郡山市立河内(こうず)小に通う。川内小が間借りする形のため、村のスクールバスが送迎している。しかし、4月に川内小が村で再開すれば、河内小へのスクールバスは打ち切られる見込みだ。その後の送迎は親の負担となるが、ようやくなじんだ学校から転校させるのは忍びない。
村にいたころから仲良しだった長女の友達2人のうち、村職員の子は帰村する予定で、もう1人は仮設から歩いて通える郡山市立小に転校するという。子供たちがばらばらになってしまう。「原発はまだ収束していない。本当に安全が確認される前の帰村宣言はおかしい。『自主判断』は無責任ではないか」と関根さんは憤る。
原発事故前は、水道工事や農薬散布などを請け負う自営業だったが、仕事場の9割以上は、隣接する楢葉、富岡両町だった。警戒区域で住民のいない両町で仕事ができるはずもない。村は除染作業などで雇用を確保するというが、関根さんは言う。「放射線から逃げてきた私たちが、どうして放射線を浴びる仕事をしなければいけないんですか」
一方の遠藤雄幸村長は「戻れる可能性があるなら、自分たちでそれを広げたいと思った」と31日の記者会見で帰村を決断した理由を語った。昨年11月にチェルノブイリ原発事故現場を視察し、長期避難を強いられている人々の姿を見て「まだやれることがあるなら、やった方がいい」と考えたという。「避難生活で都会の便利さに慣れ、補償や賠償で暮らしていると、働くことやふるさとに帰ることへの意欲が失われてしまう。村民が転んでも国や県は起こしてはくれない。村の人間が抱き上げていかなければならない」
周辺町村の住民からは「早過ぎでは」という声が相次ぐ。
緊急時避難準備区域が解除された広野町は、役場の一部が町に戻り始めたが、人口約5500人のうち町内に戻ったのは約300人にとどまっている。自動車修理業、大須賀正久さん(61)は「自分は仕事があるから広野に残っているが、大半の人は仮設と自宅を行き来して暮らすのが精いっぱい。店や病院のない町に戻る人はほとんどいない」と話す。
計画的避難区域や警戒区域は、住民帰還のめども立っていない。葛尾村民で三春町の仮設住宅に暮らす畜産業、岩間政金さん(86)は「畜産を復活させるには土壌の除染が必要で、2~3年は仮設で暮らしながら待つしかない」。富岡町民で郡山市の借り上げ住宅に暮らす宮本めぐみさん(38)は「家と仕事がなければ戻れない。行政は帰還を急ぐより、除染の進捗(しんちょく)状況などの情報を提供してほしい」と訴えた。
毎日新聞 2012年1月31日 21時06分
◇写真を拡大してみると
小学校の体育館で教室のカーテンなどを除染する福島県川内村の女性たち=同村の川内小で2012年1月31日 (毎日新聞) |
◎さて、いかがでしょう? マスクと防護服着用で除染しなければならないような場所へ、こどもたちに「ふるさと再生のため、戻ってこい」というのでしょうか? まず、子どもたちの健康を最優先にしなければ、なにもかもおかしなことになってしまいます。
村長は、「避難生活で都会の便利さに慣れ、補償や賠償で暮らしていると、働くことやふるさとに帰ることへの意欲が失われてしまう。村民が転んでも国や県は起こしてはくれない。村の人間が抱き上げていかなければならない」とおっしゃりますが、放射能汚染された村で身をすくめて生きるより、国や県、そしてなによりも東京電力に対して、人間らしい生活の補償を迫るべきです。
川内村が間違った形で復興の努力をすれば、県内のほかの地域の子どもたちの避難の機会をも奪うことになるはずです。
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