2014年3月5日水曜日

足尾鉱毒事件と3.11後の福島~「またやります!女たちの311 in 福島市」

再稼働阻止全国ネットワーク NEWS No. 5 から転載
足尾鉱毒事件と3.11後の福島~
「またやります!女たちの311 in 福島市」
■今日(27日)、福島市で開催されている第14回「県民健康管理調査」検討委員会の情報が入った。20112013年度合計でB判定1795人(0.7%)、震災当時18才未満だった人の甲状腺の「悪性ないし悪性疑い75例」との発表だ。これは前回2013.11月の発表より17人増えていることになる。
 この数値を巡ってまた「専門家」の論議がなされるのだろう。けれど、原子力規制委員会よりもIAEAよりも本当のことを知っているのは私たち福島市民ではないだろうかとの思いを強くしている。若者の突然死、白血病、皮膚・粘膜・目の異常、子どもにのう胞がたくさん等・‥身近にも多くの不安が直接、間接に語られる。(本当はもう遅いのだけれども、それでも)今、専門家のなすべきはグラフの解析や住民帰還に向けた対策ではなく、未来を生きなくてはならない人たちがこれ以上の被ばくを避けるための具体的な提案と対策だろう。これは怒りを通りぬけた切実な願いでもある。
■最近、谷中村(※1)を訪問する機会があった。ここでのフィールドワーク中ずっと感じていたのは、100年前の足尾鉱毒事件と「3.11」後の福島との驚くほど多くの似通ったところだ。その共通点は、正造と太郎の天皇直訴アクションだけにあるのではない。
I)正造が求めていたのは鉱山の操業停止。
2)彼が守ろうとしたものは、憲法・自治・子どもの命・祖先。
3)「少量の銅は身体に良い」とした東大の学者たち。
4)強制移住を認めない国・行政。
5)オホーツク沿岸サロマヘ新天地を求め、辛酸を舐めた移住民たち。
6)「差別」された谷中勢。
7)武器も持たず、ただ逃げ回った人々を不当にも逮捕した官憲。
8)東京などでの支援者の存在。
9)古川鉱業は国内で問題になるとフィリピンのレイテ島に行って操業、などなど。
あれだけの事故を起こしながら、なお営利をむさぼる企業とそれを守ろうとする国・御用学者。甚大な被害が出ても変わらない「国策」。時代を超えてなお、同じような過ちを繰り返していることに愕然とする。
一方で私たちは発見もする。押出し(※2)第一次8000人、第二次5000人。あの時代にそれはすごいことだった。女たちも必死に抵抗している。夜陰に乗じて利根川を船で下り、徒歩で、電車で。出なくなった母乳のためにカンパが集められたという。正造の自然についての洞察も時代を超えてさらに新しいが、さて、現代の私たちの押出しは足尾から何を学んだらいいのだろうか。
さて、「デモの絶叫はテロと同じ」発言の幹事長を戴く安倍政権党は、やみくもにどこに向かっていくというのか。秘密保護法で市民運動を抑え込み、フクシマを何事も無かったことにしようとの魂胆だろうがそうはさせない。
しびらっこく(福島弁で“しつこく・柔軟に”)今年もまた女たちの3.11を開催します。共に、あきらめずにやっていきましょう。
※1 足尾鉱毒事件で知られる栃木県下都賀郡にあった村。1906年に強制廃村、同郡藤岡町に編入された。

※2 鉱毒反対運動のため渡良瀬川周辺住民が東京へ集団で陳情(請願)に向かったこと。
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