2012年12月1日土曜日

【資料】ICRP第84作業部会報告「福島原発事故の教訓」


【訳者まえがき】
昨年311日に勃発した東日本大地震・津波・福島第一原発事故が連動した原発震災の10日後の21日、ICRPは声明を公表し、緊急事態被曝状況における参考レベルを20ないし100mSv/y、緊急事態収束後の現存被曝状況におけるそれを1ないし20mSv/yの範囲でそれぞれ定めることを日本政府に勧告しました。政府はこれを国際的基準と称し、文部科学省はこれにもとづき、翌419日付け文書にて「福島県内の学校の校舎・校庭などの利用判断における暫定的考え方」として、その基準を20mSv/yとすると福島県教育委員会・福島県知事などに通知しました。
その後の1216日、野田佳彦内閣総理大臣が宣言した「福島原発事故の収束」をもって、ICRPのいう緊急事態被曝状況が収束し、現存被曝状況に移行したと思われますが、福島県内の子どもたちは、事故直後から今にいたるまで相変わらず上限20mSv/yの参考レベルを押し付けられた違法な環境のもとで生活することを余儀なくされているのです。
では、政府が国際的基準として称揚するICRPの参考レベルの「権威」とは、どのようなものでしょうか? ここにICRP84作業部会が福島原発事故の教訓を検討した最新の報告を訳出しましたので、読者のみなさんには、ご自身でご判断ください。
訳者として1点だけ指摘しておけば、本文第4項に「放射線リスクは受ける線量によって決まるのであり、その線量が体の外部と内部のどちらから照射されているのかには左右されないことには有無を言わさない科学的な証拠がある」と記述されています。「有無を言わさない科学的証拠」と断言されても、その「証拠」なるものを具体的に開示してくれなくては、判断のしようもありません。
ちなみに、この報告書の署名者のうち、明石真言(放射線医学総合研究所理事)、山下俊一(福島県立医科大学副学長・福島県放射線健康リスク管理アドバイザー)両氏は福島県「県民健康管理調査」検討委員会委員名簿に名を連ねています。
井上
【資料本文】
ICRP 国際放射線防護委員会
ICRP ref 4832-8604-9553
2012
1122
ICRP放射線防護システムに照らして
日本における原子力発電所事故に学ぶ
初期段階の教訓に関する第84作業部会の報告
ICRP放射線防護システムに照らして日本における原子力発電所事故に学ぶ初期段階の教訓に関する第84作業部会は2011620日に設置された。
大概のICRP作業部会は、ICRP年報で公表される勧告または指針およびICRP委員会に提出する報告を作成する目的で組織される。第84作業部会は、直にICRP主委員会に報告するという点で例外的な存在であり、ICRPの作業計画を告知するための勧告の作成を依頼された。
アベル・ゴンザレスICRP副委員長が率いる作業部会は、日本の福島第一原子力発電所における事故の最中および事後において人びとを放射線被曝から防護するために実行された取り組みに関して、問題点を特定し、ICRP放射線防護システムに沿った勧告を作成した。作業部会構成員のおおよそ半数は日本の政府当局、研究機関、大学の専門家であり、その他はICRP主委員会および委員会の委員である。
作業部会の報告は、ICRP主委員会の会合が日本国福島市で開催された期間中の20121031日、主委員会に受理された。下記の報告概要は、その標題が示唆するとおり、「学んだ教訓」を特定する試みというより、問題点を特定し、ICRP主委員会に勧告するものとなっている。同報告は必ずしもICRPの見解を反映するものではないが、ICRPにとって行動を識別し、優先順位を決めるための重要な情報を提示している。
ICRPはすでに、作業部会が特定した問題点、そして作成した勧告のいくつかにもとづいて行動を起こしている。これらの問題点と勧告はこれからの歳月を通じてICRPの行動計画に影響を与えつづけることになるだろう。
作業部会は、この概要には反映されていないが、かなり膨大な量の情報を収集した。主委員会は、この情報を公開文献として公表することを作業部会員らに勧奨した。
ICRP84作業部会報告概要
日本における原発事故に関して特定された問題点
および放射線防護システムを完全にするための勧告

アベル・J・ゴンザレス(部会長):アルゼンチン原子力規制局、アルゼンチン。明石真言(まこと):放射線医学総合研究所(放医研=NIRS)、日本。ジョン・D・ボイス・ジュニア:ヴァンダービルト大学、全米放射能防護測定委員会、米国。茅野政道:日本原子力委員会(JAEA)、日本。本間俊充(としみつ):同上、日本。石榑信人(いしぐれのぶひと):名古屋大学、日本。甲斐倫明(かいみちあき):大分県立看護科学大学、日本。久住静代:元原子力安全委員会委員。ジャイキ・リー:漢陽(ハンヤン)大学、韓国。ハンス=ゲオルク・メンゼルCERN(ヨーロッパ合同原子核研究機関)、スイス。丹羽太貫(にわおおつら):福島県立医科大学、日本。佐々木一夫:放医研、日本。ヴォルファング・ヴァイス:連邦放射線防護事務局、ドイツ。山下俊一:長崎大学、福島県立医科大学、日本。米倉義晴NIRS、日本。(エレナ・ブルゴワ:国際原子力委員会・事故緊急事態センター長。クリスチャン・ストレファー:前ICRPコミッショナーおよびICRP2委員会委員長、作業部会の業績を精査し、かけがえのない助言を提供。ジャン・ペントリースICRP5委員会委員長、環境防護に関する文献を精査)

ICRPは、福島原発事故を受けて、事故から持ち上がる問題点をICRP放射線防護システムに即して特定するための作業部会を招集した。
事故の影響を受けた人びとは放射線被曝に対しておおむね防護されており、致死量の放射線(または放射線疾病の原因になるほどの放射線量)に被曝した者はいなかったが、放射線防護上の問題が数多く持ち上がった。
よってICRPは、この尋常でない事故を受けて特定される問題を集約することが重要であると考えた。下記に概説される18件の問題点が要注意項目として特定された。関連のあるICRP勧告が綿密に読み込まれたうえで問題点が集約され、ICRPのための提案がまとめられた。
本報告で考察された問題点は、順不同のままに並べられている。現在時点の報告で論じられる論点の多くは、20113月の事故以前においても、すでにさらなる分析が必要であると指摘されていたと認識することが重要である。

1.放射線リスクの推測(および名目リスク係数に対する誤解)
事故のあと、じっさいの放射線被曝リスクはICRPが勧告する名目リスク係数よりずっと高いのではないかという主張が団体やメディアからあがった。メディアにおいて、とりわけ日本で広範な視聴者をもつTVワイドショーにおいて、低線量域における放射線リスクを見積もるためにICRPが用いる線量・線量率効果係数が問題になった。
放射線防護目的で用いられる名目リスク係数の基本概念を支持する健全な生物学、疫学、医薬学研究団体が日本の一般国民に誤解され、残念なことにメディアがこの誤解に加担した。線量・線量率効果係数(DDREF)という概念が特に誤解された。なぜなら部分的には、その用語が英語のままでさえ、どこか込み入っており、日本語その他の言語に翻訳された場合、なおさら複雑になるからである。
電離放射線に起因する健康リスクに関する生物学・疫学的情報を精査した結果、新たなICRP勧告は、過剰な癌および遺伝効果による複合的な損失に関する従来の見積りを再確認するものになり、有効線量1シーベルトあたり5パーセント内外とする数値を変わりなく維持することになった。この値は放射線リスクに関する国際推計、すなわち原子放射線の影響に関する国連科学委員会による見積りと首尾一貫して一致するものであり、したがって、放射線リスクがICRPによって過小評価されているという主張は実証されない。

2.低線量被曝による放射線効果が原因であるとすること
事故のあと、事故を原因とする将来の人的損失について仮定にもとづく推測がなされてきた。そうした推測は、相互査読された文献に見る数十例からメディア報道に見る50万例のあいだで揺れ動いている。このような人騒がせであり、事実無根で仮想的な計算が、日本国民に深刻な感情的苦痛を引き起こした。
放射線生物学および放射線疫学の科学的知識の認識論的限界、およびそうした限界の低線量被曝状況における健康効果寄与に対する影響は無視されることが多い。これらの限界を明解に説明することが、少数事例の概念的な個人線量を集約した集団有効線量を、健康効果の原因を放射線被曝状況のせいとするためには、過去遡及的にも未来予測的にも用いるべきでない理由を実証するのに不可欠である。
それにもかかわらず意志決定機関にとって、予想される被曝状況による名目放射線リスクを想定し、たとえ低線量域であっても放射線防護策を課することは、部分的には社会的責務、責任、公益、慎重さ、予防といった理由により必要であるかもしれない。

3.放射線被曝の数値化
事故のあと、個々人の放射線被曝を放射線量で数値化するために数値や単位が用いられたが、これがかなりのコミュニケーション問題を引き起こした。この問題には次のようなものがある――
·           数値間の違いがじゅうぶんに説明されず、学識のある聴衆でさえじゅうぶん理解できなかった。
·           放射線防護システムに用いられる数値と放射線計測に用いられる実践的な数値の区別は、部分的には意味論的な問題のために、さらにもっと困難である。
·           ある器官の線量に該当する数値と実効線量の数値とで、常にどちらの数値が用いられているか特定せずに同じ単位を用いることで、さらに混乱を深めた。
·           (放射線荷重係数から区別するための有効荷重といった)高線量域における放射線加重線量を欠いているとしても、幸いなことに、この事故では問題にならないが、それでも未解決の問題として残る。
·           放射線防護では、線量測定数値が数多くあるだけでなく、(放射能と放射能蓄積といったような)放射線測定数値も数多くあり、このように数多く異なった数値があるのはなぜかについて、非常に貧弱にしか理解されていない。
専門外の人びとや一般国民に対して、ICRPシステムとその数値を用いて放射線学的な情報を伝えるのは非常に困難である。このことは、(器官[等価]線量や全身[実効]線量といった)一つ以上の数値を用い、身体被曝データを器官および体組織に対する放射線リスクに関する科学データと組み合わせる数値システムの背後にあるかなり複雑な概念の当然の結果である。
言い換えれば、システムおよび数値は実践的な放射線防護のためにはじゅうぶん適していることが明白だが、とりわけ緊急事態状況において専門外の人びととの情報伝達のためには適していない。
(器官または組織に対する)数値等価線量と実効線量とが共通の単位シーベルトを用いているという事実が引き金になって、はなはだしい混乱が生じている。この問題は、事故による甲状腺線量の報告にとりわけ関連しているようであり、放射性ヨウ素の取り込みが、ほとんど甲状腺のみの放射線被曝に結びつくという事実に関連している。通常の場合、等価線量が器官線量を報告するための関連数値であるが、線量が単位のみについて報告される場合、たやすく実効線量と混同されることになる。シーベルトを単位とした数値を告げる場合、線量値を特定しないことによる混乱が生じるので、状況を改善する可能性を慎重に分析することには価値がある。
困難があるとわかったにもかかわらず、ICRP放射線防護システムの数値と単位には、実践的な放射線防護における功を奏する適用の記録を重ねてきたことは強調されるべきである。それらは、情報伝達のためには、そしておそらく緊急事態および緊急事態後の状況における意思決定のためにはじゅうぶん適していないかもしれない。(たとえば器官線量や実効線量といった)簡易化した線量報告を正確で帰結的に適用していたならば、緊急事態においては状況改善に役立ったかもしれない。ICRP防護数値は、(個人または集団の)リスク評価のためではなく、低線量域における放射線防護を立案し、個人線量規制の適合性を検定するために導入されたことは忘れられてはならないし、強調されなければならない。

4.内部被曝の重要性を評価すること
内部被曝、つまり体内に取り込まれた放射性核種による放射線被曝は、日本の国民やメディア、それになんらかの科学界において、論争の種であってきた。所与の(器官または実効)線量において、内部被曝は外部線源からの同等の被曝よりも危険であると受け取られているように見受ける。
放射線リスクは受ける線量によって決まるのであり、その線量が体の外部と内部のどちらから照射されているのかには左右されないことには有無を言わさない科学的な証拠があるが、メディアや国民はたいがいこれを無視している。ICPRは、ある一定の放射線量について、照射が体の外部からか内部からかにかかわりなく同じ放射線リスクを予想できると考える。線量が同じ場合、ICRP防護システムは、内部被曝のほうが外部被曝よりも控えめであるとする。前者の場合、じっさいに被曝した線量というよりも、実効的な線量に限定されるからである。

5.緊急事態の危機管理
放射性物質の大量環境放出をともなう過酷事故において通常発生する一連の問題に対処するための国際的な指針が用意されている。しかしながら、事故によって生じる危機の管理にあたる者にとって、その指針は不十分であったようである。関連する問題には次のようなものがある――
·           (核事故として通常予想されていたように)単一装置からの一過性放出というよりも、複数の装置からの長期におよぶ放射性物質放出によって出現する緊急事態被曝状況の管理。
·           変転する状況に対応するための緊急事態計画地帯の拡大。
·           緊急事態防護対策の優先順位付け。
·           緊急事態防護対策の増強計画。
·           いつ、なぜ、どのようにして、緊急事態被曝状況から現存被曝状況に移行するべきか。
要するに、危機管理にあたる者が緊急事態被曝状況を管理するために利用できる国際指針を適用するには困難がある。放出期間が長引いたこと、および緊急事態計画地帯の拡大に関連した困難があった(この問題は、緊急対応局面の期間中に重要であったが、それは放射線防護の原則の問題ではなく、むしろ規制政策の問題だったのかもしれない)。防護対策の優先順位付けがもうひとつの関連問題であった。緊急事態防護対策を増強するための数値にもとづく勧告が得られなかったことにより、重大な問題が持ち上がりつづけた。
事故による(一過性ではなく)長期にわたる放出によって出現した例を見ない緊急事態被曝状況の管理、その結果として、緊急事態計画地帯の拡大と緊急事態防護対策の増強、そして最後に重要なこととして、緊急事態被曝状況の増強および緊急事態被曝状況から現存被曝状況への移行を含め、過酷事故にともなう危機管理上の数多くの問題に対して、ICRP勧告はもっと明確に対応するべきである。

6.救助隊員とボランティアの防護
習慣的な「放射線」作業員ではない作業員にとって、職業人向け放射線防護勧告が妥当であるかどうかが問題になった。事故のあと、この種の作業員には次の人たちがいた――
·           救助隊員、自衛隊員、消防隊員など、みずからの危険をもかけて、危険または悲惨な状況から人びとを脱出させる仕事に任ずる救助専門家。
·           ボランティア、つまり初期段階というよりも、事故の余波が残るうちに自分の意思により援助を申しでる人びと。
救助隊員やボランティアの扱いに、なんらかの混乱があった。救助隊員の場合、職業的被曝「正規」作業員の線量限度を当局により引き上げなければならず、そのために信頼性の問題が生じた。ボランティアの場合、どの類型の線量規制を適用するのかを巡って混乱し、ボランティアの一部は地域に居住していて、そのため、事故のせいで比較的に引き上げられた線量がすでに適用されていたが、ほかのボランティアらは地域外から来ていた(そして、それぞれ2つのグループの別によって、ボランティア作業によって追加被曝する線量に大きな違いがありえた)。
ICRPの職業人防護システムは、「放射線」作業員ではないが、それでも特定の環境において、とりわけ事故現場に突入する「救助隊員」である例など、高度に放射線被曝する作業員のために特段に適合するのではない。このシステムは、救命やその他の慈善的な企てのために高リスクを率先して引き受ける人々のために考えられたものではない。ボランティア作業員、つまり緊急事態における非正規援助者に対しては、このシステムはさらに適合しない。しかも、被災地域のボランティアと被災地域外から来たボランティアを区別するための明確な方針はない。

7.医療援助に対応すること
事故のあと、一連の医療関連問題が生じる。それには次のものがある――
·           複合災害としての事故に関連する問題。
·           緊急事態医療に関与する人員の問題。
·           汚染の検査レベルの選定、衣服除去の影響など、人びとの汚染対策。
·           緊急事態における放射線安全のための保健物理専門家の役割。
·           医学部における適正で模範的な必須カリキュラム
·           リスク情報伝達
·           訓練、演習を含む医療準備
事故から医療管理に関する教訓を数多く学ぶことができた。関連の深い教訓をいくつかあげれば、次のとおりである。
·           とりわけ地震の例のように、核または放射線施設の破損を含む災害が複雑多岐にわたるものであったので、そのような災害時の医療対応における多方面の専門分野にわたる対策の必要性が増大した。
·           医療放射線緊急事態に備えた訓練と演習は、地震・津波のような極端な自然事象が原因となる放射線・核事象を想定に加えたシナリオを用いて実施されるべきである。
·           医療専門家は、放射能と放射線の現象、その影響、とりわけ放射性核種による汚染に関する基本的な知識を備えるべきである。
·           医師、看護師、放射線技師、初動医療対応員らはすべて放射線緊急事態医療対応に関与する可能性があるので、彼らにとって、放射線とその影響に関する知識は極めて重要である。
·           地震の場合、ライフラインに加えて、放射線モニタリングと計算の両方またはいずれか一方のシステムが損傷する可能性があるので、これには真剣な注目と警戒を要する。

8.必要ではあっても、破壊的な防護措置の正当化
ほかの同様な状況と同じように、事故のあとに国民を防護するためになされた決定のいくつかは、極めて破壊的であり、甚大な社会的損害を引き起こした。たとえば、人びとを自宅から避難させることは、正常な国民生活を著しく乱しかねない対策である。こうした対応のいくつかに、ほんとうに害以上に利益をもたらしたのかといった意味で正当化されるかどうか、疑問がもちあがった。
人びとの被曝を増大すると予測される新たな放射線源が発生すると、通常、放射線防護正当化の原則が適用されるが、人びとの被曝を減らすと予測される破壊的な防護措置に踏み切る場合にも、やはりこの原則を適用しうる。切迫的な緊急事態状況および長期的な現存被曝状況において、人びとは防護措置によって得られる恩恵が見通せる場合のみ、破壊的な防護措置を正当とすることができる。
事故によって引き起こされたような緊急事態状況で正当化を適用するのは、とりわけ困難である。たとえば、線量が上昇したが高くはない地域から人びとを避難させるかどうかを決定するには、過酷なジレンマに見舞われかねない。人びとが残留すれば、いくらかの放射線量に被曝し、将来において放射線に起因する害悪の蓋然性が高くなる。人びとが避難すれば、そのような蓋然性が消え去りはするが、避難そのものに付随する現実的な損害を間違いなくこうむることになる。
このような過酷な状況において、正当化原則の適用に関するもっと踏み込んだ指針があれば、歓迎されるであろう。しかしながら、正当化に関するひとつの問題として、利益と害の「損得勘定」が放射線被曝に関連した事柄に限定されないということを理解しなければならない。防護措置から生じる、その他の放射線に関連しない得失もまた考察しなければならず、この問題は、このように放射線防護の視野をはるかに超えて拡大する。

9.緊急事態状況から現存状況への移行
事故によって生じた緊急事態被曝状況から長期間つづく現存被曝状況への移行には、いくつかの困難があった。中核的な困難は、いつ緊急事態被曝状況が終わり、現存被曝状況が始まるのかを確定し、決定することにあるようだ。
事故に起因する緊急事態被曝状況から事故の余波が残るなかでの現存被曝状況への移行は、日本政府当局に疑念を呼び起こした。日本では、ICRP勧告がもっと明解であり、もっと数値化されていたなら、いつ緊急事態被曝状況が現存被曝状況に移行するのかを判断するのが、もっと容易で明確だったと感じられた。

10.避難地域の復興
チェルノブイリ事故のはっきりした教訓として、核事故の結果として避難した地域を復興するのが極めて困難だったし、将来も困難であるはずだということがある。その事故のあと、この問題に立ち向かうには大規模な政府間プロジェクトを要した。事故のため避難した福島県の地域では、同じような状況が生じつつある。
避難地域の復興、たとえば避難した人びとの帰宅、帰宅避難民と新住民の両方のための居住区の建設は極めて困難であることがわかった。じっさい、日本政府が「帰宅困難」と指定した地域からの避難民は、少なくとも数年間は移転先に居住しているべきである。しかしながら、それほど遠くない将来、そのような地域が復興することが期待される。そのとき、被曝量が幾分高めであるという事実があっても、移転住民の一部を含む人びとは、その地域に移りたいと望むかもしれない。この場合、どのような被曝状況の類別になるか、被曝の型はどのようなものか、その結果、どのように被曝を管理するか、という問題が持ち上がる。
ICRP勧告は、避難を余儀なくされた一般人にいくらかの混乱を明らかにもたらした。帰宅が計画被曝状況に戻ることであると勧告が示しており、したがってICRPが勧告する計画被曝状況における年間線量限度1mSvが適用されることになると解釈されたようである。このタイプの状況をどのように管理するか、ICRP勧告は明確に規定していないが、一時的な避難からの帰宅は現存被曝状況に結びつくと暗黙のうちに考えられる。

11.事故による公衆被曝の類別
緊急事態被曝状況は、計画被曝状況の管理の期間中に、または悪意による行為によって、またはその他すべての予期せぬ事態によって出現するかもしれない状況であり、望ましくない結果を回避または緩和するために緊急措置を要すると定義されている。放射線緊急事態における被曝状況が緊急事態被曝状況であり、ICRP勧告によれば、この状況は参考レベルを用いて管理されるべきである。この状況における暗黙の事実とは、なんらかの重要で不可避な行動を可能にするため、あるいは「通常」線量限度を超えて被曝する被災地に、人びとが防護原則を侵害することなく留まることを許容するために、つまり決定的影響の発現を防止し、確率的影響の発現リスクを広範におよぶ環境を考慮に入れて合理的に達成可能なかぎりに低く抑えるために、事故前の計画被曝状況に施行されていた線量規制は、具体的にいえば線量限度に関連する規定は「保留」または「緩和」される。
緊急事態期間に救出された一般人の被曝は、概念的に最初から現存被曝状況のものとして扱われてよく、したがって緊急事態被曝状況から現存被曝状況への移行という概念はじっさいに必要ではない。しかしながら、緊急事態と現存の被曝状況では、時間枠と線源の制御可能性が異なっている。緊急事態被曝状況にあっては、防護措置は効果を最大にするために、一般的に推定線量にもとづき時機を逃さず緊急に実施されなければならない。現存被曝状況において通路を管理するために、防護対策計画は、多くの場合、個人線量計測にもとづき、じっさいの被曝条件に関する優れた知見にもとづいてのみ立案できる。

12.一般人の個人線量制限
事故が大量の放射性物質を居住環境に放出した結果、いかにして一般人に対する線量を制限するかという問題が極めて重要になった。放射線防護に関して、当時、政府当局が適用した避難および食品規制が被災地で生活する人びとが受ける線量を効果的に引き下げた。実質上の緊急事態被曝状況にあったいくつかの地域の参考レベルの選定にあたって、ICRPが推奨する状況にもとづく手法に従おうとした。計画被曝状況における線量限度は1mSv/yであった(し、今も変わらずにそうだ)が、規制当局は基準の算定にあたって、20mSv/yの参考レベルを選んだ。
しかしながら、被災地域に住む人びとは、個人線量に適用される規制の背後にある論理を巡り、緊急事態以前、緊急事態、緊急事態以降の防護方針の混ぜこぜと受け取って混乱した。原子炉の状態が長期にわたり完全に安定していなかったという事実は役に立たなかった。基本的に1mSv/yの線量限度と最大100mSv/yに達するさまざまな参考レベルとのあいだで公衆防護のために勧告される個人線量規制に関して、一般人に、また当局に不透明感がかもしだされた。
1mSv/yの線量値を理解するにあたって、少なからぬ食い違いがあったようだ。一般人と社会全般はこの値を超える線量を危険とみなしがちであり、その結果、放射線事象に対処するにあたり紛糾が生じることになる。
公衆線量規制に用いるレベルの決定には、リスクに対する個人受容度の判断が関わるので当然ながら異論が多い。線量は制御が困難であるが、人びとはことさら上首尾に防護されることを期待するので、この問題は放射線緊急事態時に度を越した難事になる。広範におよぶ環境に即した、さまざまに異なった規制レベルの背後にある論理は、一般人にとってだけでなく、管轄当局にとっても理解と受容が困難である。
現在のICRP勧告は、個人線量規制に関して報告されている問題の大部分をじっさいに考慮に入れているが、あらゆる環境下で一般人が求める防護保証を明確に伝えることには失敗しているのかもしれない。たとえば、緊急事態に対処するために勧告されている参考レベルは、計画状況で用いられる限度よりも高い線量レベルではあるが、それでも一般人にじゅうぶんな防護を供することは一般人にとって明確ではない。ICRPが勧告する数値の論理的根拠がなんなのかも明確でない。

13.幼児および児童に対する処遇
事故の余波が残るなかでの児童の防護は、日本で格別な関心事であってきたし、親たちはわが子の防護について極度に心配している。親たちは、住民全体の防護に適用される線量レベルが、わが子にじゅうぶんな安全をもたらすものか疑わしく思っている。親たちは、一般人にとって1mSv/yが法定の線量限度であるからには、20mSb/yの参考レベルは児童にとって受け入れるには高すぎると感じている。
児童と幼児の防護に限定して具体的に論じたICRP文書は存在しない。児童を含む全体集団の損失補正を加味した名目リスク係数と、成人集団のそれとの比較的小さな違い、つまり30%内外の違いは、少なくとも、最近報告されている児童の放射線リスクに関するデータを考慮に入れて、さらなる考察を進めるのに値するだろう。

14.妊婦、胎児、胚に関する考察
妊娠している女性は、事故による放射線被曝の自分自身および生まれてくる子どもの健康に対する影響について極度に心配している。胎児や胚に適正な防護を提供することは、医療専門家のレベルにおいてさえ、意見が分かれ、不明確である。放射性物質を摂取したあとの被曝に関する懸念が特に大きい。
妊婦、胎児、胚の防護に関するICRP勧告は詳細であり入手可能だが、もっぱら女性作業員や病人とその胎児および胚に焦点を当てているようだ。一般女性を対象とした具体的な勧告は明確には用意されていない。緊急事態後および現存被曝状況後の被曝事例について、特にそうである。これらの状況において、いくつかの放射性核種について、発達中の胎児および胚のさまざまな段階における生物動力学的な変化を含め、ある種の放射性各種の生物動力学特性を考察しなければならない。

15.公衆防護のモニタリング
事故のあと、公衆防護のモニタリングに関して、次のような2点の主要問題が浮かび上がった――
·           事故後の環境モニタリングに関する全般的方針は、どのようなものであるべきか。
·           作業員は個人モニタリングの便益を享受しているのに、一般人がそうでないのはなぜか。
核事故後の長期汚染地域に居住する人々に対する放射線モニタリングに関する勧告は用意されているが、より直近である事故直後の一般人放射線防護モニタリングに関する国際指針は全般的に欠落している。この不備により、不必要な社会的不安が生み出された。

16.国土、がれき、残留物、消費財の「汚染」の扱い
事故につづいて、周辺環境および消費財を含む公共空間における、事故由来の放射性物質の存在に関連して、深刻な問題が浮かび上がった。この状況が国民の深刻な懸念を招き、政府当局の行動を促す圧力になった。
事故による放出物の一部は降下物となって、広大な国土に放射性物質を付着させた。政府当局が抱える問題は、これらの国土が「汚染」されているかどうか、居住を許容するために「復旧」を要するかどうかである。したがって、「汚染」「復旧」「居住可能性」といった概念に関する誤解には、強固な結びつきがある。一般人のうち、心配な人にとって、問題は次の簡潔な疑問に要約できる――わたしと家族がこの地に住んでも、安全なのか?
「汚染」がれき(さらにいえば「除染土砂」)の廃棄は、おそらく事故後における最も深刻な問題のひとつであろう。「汚染」がれきの一片が相当な量の放射性物質を帯びているかもしれず、そうであれば、関連国際会議が要請する規制がかかる放射性物質として扱わねばならないことを意味しかねないのである。しかしながら、主たる問題は、大部分のがれきはじっさいに「汚染」されていないが、一般人がそのように受け取るせいで、その廃棄が人為的に深刻な問題になることである。
事故由来のもののような放射性物質の大量環境放出を受けて、食品、飲料水および食品以外の消費者製品といった、一般人が使用し、または消費する製品が、若干引き上げられた事故由来の放射性物質レベルを表示することが期待される。自然現象のため、天然放射性核種が消費者製品に含まれている一方で、事故につづく人工核種の含有は、より広範にわたる放射能の紛れ込みと受け取られるので深刻な問題である。それに対する規制の議論は紛糾し、一筋縄ではいかない。じっさい、これら消費者製品の管理は実践的放射線防護にまつわる主要な未解決問題のひとつである。日本全体としても、特に福島県としては、これから数多くの問題が生じた(そして、これからも生じつづけるだろう)。
日本では当初、当局が食品および飲料摂取に関する具体的な指針を公表したが、これは(低めの)WHO指針および(高めの)コーデックス食品規格の両者とも異なっていた。その後、指針は改訂されたが、異なった値を用いることは、必ずしも混乱の度合を緩和するのに役立ったわけではない。要するに、放射性物質を帯びた消費者製品に対する国際規格は奇妙であり、日本国民と当局の別を問わず、とても多くの混乱を招いていても、驚くことはない。
食品、飲料、食品以外の消費者製品の汚染に対処するための国際合意がいくつか成立した。しかしながら、これらの合意は首尾一貫せず、たがいに食い違っている。しかも事故状態における消費者製品と通常状況におけるそれのあいだ、また国内管理と国際管理のあいだに違いがあり、用意されている指針は、こうした問題に関して具体的ではない。
たとえば、「汚染」地の修復、「汚染」残骸とがれきの廃棄、「汚染」消費者製品の管理といった、公共領域における明確な数値にもとづく国際指針の欠落が、当局にとって数多くの問題の種になっている。事故のあと、これが対処すべき重要度の高い問題のひとつである。

17.心理的影響の重要性の認識
事故によって生じた放射線被曝状況は、おそらく事故に先行した壊滅的な地震および津波の結果と合わさって、被災民に深刻な心理的影響をおよぼしているようだ。この心理的影響は、たとえば意気消沈、悲嘆、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、慢性不安、睡眠障害、激しい頭痛、過剰喫煙、アルコール摂取といった、ほかの同様な状況に見られる同じタイプの結果を含んでいるようだ。しかしながら、多くの地域で、激烈な怒り、絶望、健康上または子どもの健康上の長期にわたる心配、とりわけ恥辱や差別といった、他の結果も見受けられる。
日本の復興庁が最近出版した報告は、福島核事故に関連する避難、管理、除染に対する個人的な関与によるストレスが、日本国民の不健康の最大要因として浮上していると示唆している。
この事故は、心理的影響が放射線大事故の主要な結果であることを再確認した。それは独自の健康効果ではあるが、基本的に放射線防護勧告や基準において無視されている。緊急事態に備える事前計画において、事故から数十年間にわたり生じるかもしれない心理的影響と不安に対処する必要性を認識するべきである。地域全体の精神衛生上の要請への対処は。備えておくべき多くの課題を提起している。

18.情報共有の促進
放射線被曝をともなう過去の事故の大部分と同じく、福島事故のあと、放射線防護専門家と当局のあいだ、そして当局と一般国民のあいだの情報交換に困難が持ちあがった。
事故体験は、一般人の放射線被曝をともなう深刻な事故のあと、情報交換がいかに重要であるかを改めて認識させた。一般人とメディアに対する放射線リスクおよび防護対策に関する情報伝達において、先行する事故のさいに誤りがあったが、この事故でも繰り返された。
さまざまな問題に関して、一連の教訓が再確認されたが、それを列挙すると次のとおりである――
·           過酷事故におけるメディアの関連のある役割。
·           メディアとの定期的な情報交換の重要性。
·           今回はソーシャル・ネットワークの関与を招く最初の事故だったので、この比類のない経験から多くの教訓を汲み出すべきである。
·           情報共有における放射線専門家以外の人びとの関与の重要性。
·           医療専門家および教師との情報共有の効果。

勧告
作業部会が提起した問題に対処するために、実質的な国際指針が用意されているが、事故の経験から数多くの教訓を汲み出すことができる。作業部会は、委員会が次の各項を保証するような行動を起こすべきであると勧告する――
·           潜在的健康効果に対する放射線リスク係数が正しく解釈されること。
·           低線量被曝による放射線効果のせいであるとする疫学研究の限界が理解されること。
·           防護数値と単位に関する混乱はいかなるものも解消されること。
·           放射腺核種の体内取り込みによる潜在的障害は適正に解釈されること。
·           救助隊員とボランティアは臨機応変システムにより防護されること。
·           危機管理と医療、および回復と復旧に関する明確な勧告が用意されること。
·           (幼児、児童、妊娠女性、やがて生まれる子どもを含む)一般人の防護レベルおよび(事故、非常事態から現存状況への移行、復旧中の避難地域に対応する公衆被曝の類別化といった)関連問題に関する勧告は首尾一貫し、理解されていること。
·           公衆モニタリング方針に関する最新の勧告が用意されていること。
·           消費者製品、がれき、残滓の受忍許容汚染レベルが定められていること。
·           放射腺事故から生じる深刻な心理的影響を軽減するための戦略を追求すること。
·           事故後の放射線防護方針に関する情報の共有の醸成における不具合について、そのような情報の食い違いを最小化するために勧告が対応すること。
翻訳:「ふくしま集団疎開裁判」の会 井上利男

フクシマから直視する放射線被曝の歴史
(中川保雄著『増補・放射線被曝の歴史』を福島第一原発事故に照らして読む)

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