見捨てられた街路、教室の机に開いたままの教科書、食品を満載したままのスーパーマーケット商品棚――フクシマ核惨事から6年、防護服着用の映画作家らがゴースト・タウンを探索
- ドキュメンタリー映画作家らが2011年惨事から6年後のフクシマの見捨てられて不気味な街路に踏みこんだ。
- 彼らが撮影した映像は核メルトダウンが引き起こした街の荒廃ぶりを露わにしていた。
- 福島県の発電所が巨大地震と津波に襲われ、核反応炉3基がメルトダウンを起こした。
- 2011年3月の惨事に関連して、約300,000人がフクシマ被災地から避難し、15,584人が死亡した。
ベン・ヒル、デイリー・メイル・オーストラリア
2017年11月9日
ドキュメンタリー映画作家らは、街が破滅的な核惨事に見舞われてから6年後のフクシマの見捨てられて不気味な街路に踏みこんだ。
マグニチュード9.0地震のあと、フクシマ被災地から約300,000人が避難し、津波が町々全体を押し流して、15,584人が死亡した。
ドキュメンタリー映画作家らは、街が過酷な核惨事に見舞われてから6年後、フクシマに入った。
ボブ・ツェッセンとセムプルス・フレデリク(写真のふたり)は住民避難後の街に入り、惨事が残した跡を撮影した。
立入禁止区域は警備されているが、ツェッセン、フレデリク両氏は首尾よく入域し、棚が食品やタバコで満載のスーパーマーケットの内部を撮影した。
ドキュメンタリー映画作家のボブ・ツェッセンとセムプルス・フレデリクは避難民が去った街を訪れ、惨事に見舞われた跡を撮影した。
彼らが撮影した映像は、住民が逃げるために捨て去った営為のありさまを目のあたりに示していた。
街の学校の教室では、机の上に今でも教科書やペンが残され、家々の屋内では、惨事の当日、2011年3月11日付け表示のカレンダーが吊るされたままである。
立入禁止区域は警察に警備されているが、ツェッセン、フレデリク両氏は首尾よく入域し、棚が食品やタバコで満載のスーパーマーケットの内部を撮影した。
映像はドキュメンタリー映画『見捨てられたフクシマ』シリーズの一部になる。
ある研究論文は2017年はじめ、核惨事後の放射線被曝によって、地球上のすべての人間が余分なレントゲン検査一回分のX線に相当する放射線を浴びたと断言した。
映像はドキュメンタリー映画『見捨てられたフクシマ』シリーズの一部になる。
2011年3月の事故のさい、福島第一原子力発電所の核反応炉3基がメルトダウンを起こし、放射性物質を放出した。(画像は、一斉捜索活動)
2011年3月の事故のさい、福島第一原子力発電所の核反応炉3基がメルトダウンを起こし、放射性物質を放出した。
報告によれば、地域内の土壌と水系は高レベルの放射能を帯びており、それが一斉捜索活動の妨げになっている。
高さ10メートルの津波が発電所構内に突入し、それがメルトダウンのきっかけになり、有害な放射性燃料棒とデブリが収納区画から漏出することになった。
報告によれば、地域内の土壌と水系は高レベルの放射能を帯びており、それが一斉捜索活動の妨げになっている。画像は、惨事に由来する放射性廃棄物を目一杯に詰め込んだ何千もの大袋。
発電所職員らは核メルトダウンで残された廃棄核燃料の10パーセントの一を特定したに過ぎないと目されている。
惨事から6年後のいまも、研究員らは廃物になった反応炉の水中にある燃料を一掃するために苦闘している。
発電所職員らは核メルトダウンで残された廃棄核燃料の10パーセントの一を特定したに過ぎないと目されている。
フクシマでは、惨事後に数十万人の住民が避難し、店舗が放置されたままになっている。
大規模な地震と津波がきっかけになった大規模な住民避難の結果、フクシマはいまゴースト・タウンになった。
損壊した発電所が少量の放射性廃棄物を太平洋に漏出しており、それが遥かかなたの米国の西岸にまで移動しかねないと信じられている。
研究員らはいま、見失われた燃料を除去する最も安全な方法を解明するために、その位置を特定しなければならず、遠隔操縦マンボウ型ロボットに望みを託している。
【クレジット】
Mail Online, “Abandoned streets, books left open on classroom
desks and supermarket shelves still full of food: Filmmakers in hazmat suits
explore the ghost town of Fukushima six years after the nuclear disaster,” by
Ben Hill, posted on November 9, 2017 at;
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