2011年5月1日日曜日

カトリーナとフクシマを比べてみれば

天災であれ、人災であれ、郷土に大惨禍を残す災害は、日常下に隠されていた社会の真の姿をわたしたちの目にあらわにします。フクシマ原発震災は旧ソ連のチェルノブイリ事故と比較されることが多いですが、東日本大震災と原発震災をひっくるめて、2005年のハリケーン・カトリーナ災害および当時のブッシュ政権の対応に比較して、見えてくるものがあると思います。そこで、わたしのPCアーカイブの奥深くから古い翻訳文を引っ張りだしてみました――











レベッカ・ソルニット 著、井上利男 訳、七つ森書館 刊

『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』

http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0596.html



TUP速報No.543 2005年9月8日

ハリケーンが暴いた

アメリカ社会の矛盾と非暴力の祈り


本稿は、レベッカ・ソルニットが緊急に寄稿したTUPオリジナル記事です。いつもの訳者駄文に代えて、作家とのメール交換のさわりをどうぞ――

送信: rebecca solnit

日時: 200596 0:19

宛先: inoue21c

件名  Re: Driving Cindy Sheehan

お見舞いのお言葉、ありがとう。私は、ボランティアに行くために新刊書キャンペーン・ツアーを中止するかもしれません――このところ、講演する者であるよりも、被災者救援にかかわる者でありたいと本気で思ったりしています。ハリケーンはこの国の針路を少しばかり変えるかもしれないと考えています――すでに、多くの、とても多くの政治家たちが、右も左も含めて、わが国はなぜ戦争しているのか、国家の社会計画や社会基盤を台無しにするような数多くの減税政策をなぜ実施したのか、気候変動なんて起こっていないとなぜ主張したのか、と問いはじめています。

親愛をこめて

レベッカ


送信: inoue21c

日時: 2005年9月5日 12:58

宛先: rebecca solnit

件名: Re: Driving Cindy Sheehan

私も、1995年の阪神淡路地震いらい繰り返し襲う地震が、ここ日本における考え方を変えてきたと信じたいものですが、土木工学専門家たちが技術を誇らなくなったことを除いて、たいして目に見える形にはなっていません。ハリケーン・カトリーナがあなたのアメリカ社会に与えた衝撃に関する情報は私たちにとっても重要であると信じ、それをTUP読者に伝えたいと考えています。

いつもあなたの友、利男


送信: rebecca solnit

日時: 2005年9月6日 0:19

宛先: inoue21c

件名: Katrina's Questions

この災害を、下記のような疑問の形にして考えてみました。具体的な疑問、社会、メディア、政府、科学、政策優先順位、倫理……にまつわる疑問です。

最高の親愛をこめて

レベッカ

凡例: (原注)[訳注]〈ルビ〉

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カトリーナが残した数多の疑問


●まるまる一地方が、9・11に崩壊したマンハッタンの摩天楼群16エーカー[約6万5000平方メートル]に匹敵するほどの凄まじさの廃虚になってしまい、お粗末な国内・環境政策がテロよりも破壊的であると露呈してしまった今、国家安全保障は、実際には何を意味しているのだろう?


●ハリケーンはほんとうに天災だったのだろうか? あるいはただ単に、社会基盤に投資したり、豊かさを分かち合ったり、環境問題に取り組んだり、人種差別を克服したりすることを拒む社会が、久しい前から内に抱えてきた多様な形の不幸を強烈に拡大し、目に見える形にしただけだったのだろうか?


●私たちの社会が強く正しいとしたら、ハリケーンは、財産に対してだけでなく、人間に対してさえも破局的惨事をもたらしただろうか?


●キューバは、昨年、ハリケーン・デニスに襲われたさい、60万人の貧しい人びとをひとり残らず避難させるという力量を発揮したが、この事実は社会や政策優先順位に関して私たちに何を語っているだろう?


●わが国の歴代大統領のうちの二人が私たちに託そうとしたニュー・ディール[第32代フランクリン・ルーズベルト]と偉大な社会[第36代リンドン・B・ジョンソン]とを堅持していたならば、このような貧困、このような公共事業の無策、あるいは、養護施設、老人ホーム、病院、視覚障害者住宅にいる人たち、出産まぎわの妊婦たち、新生児たち、精神障害者たちを救ったはずの社会的ネットワーク[絆の環]のこのような欠如が、わが国にありえただろうか?


●ニューオリンズの最貧困層市民を対象にした避難計画はどこにあったのだろう?


●ニューオリンズ市長が連邦政府高官たちに噛みついたのは愉快〈ゆかい〉な見ものだったとしても、間に合ううちに、このような最も弱い人たちを市外に搬送できたはずのバス、避難計画、関係機関はどこにあったのだろう?


●防災用品が備蓄されていなかったのは、なぜだろう? また、サンフランシスコ市が将来の地震に備えて設置した緊急時医療対策室に相当する機関はどこにあったのだろう?


●世界最強の軍隊と最も豊かな社会が、取り残された5万人程度の人びとに飲料水を届けることができなかったのは、なぜだろう? 5万ガロン[約19万リットル]と言えば、マリブ[ロサンジェルス郊外の海岸地域]のとき程度の規模の山火事のさい、ヘリコプターのバケットで投下する水の平均的な量ではないのだろうか?


●オーナーシップ社会[1]は、貧窮者、弱者、高齢者を死ぬがままに放置する社会的ダーウィン主義に他ならないと見てしまった今、また、こういう人たちが見捨てられている場合が余りにも多いことを見てしまった今、私たちは完全に私営化[2]された社会を考えなおすだろうか?

[1.ブッシュ政権が政策として提唱・推進する、だれもが持てる者になるという株式などの所有者だけで構成された社会]

[2.日本で言う「民営化」は privatization の意識的な誤訳]


●このハリケーン襲来が、アメリカの政治と国民生活の転換点になるだろうか?


●それとも、一週間ずっと快適に過ごしていたニューオリンズ・ハイアット[高級系列ホテル]の週末スタッフと客たちが、スーパードームでの避難順番待ちの行列の先頭に移されたという事実があるが、これは、わが国がいつもの流儀にすぐさま戻ることを意味しているのだろうか?


●これでも大統領は気候変動の現実を否定したり、これに関して何らかの対策を取る必要性があっても、言い逃れたりしつづけるのだろうか?

(それに、大統領が、ハリケーン被害の凄まじさをやっとのことで直視するために、避暑地から重い腰を上げ、「対テロ戦争」遊説を中止したことは、世界貿易センターのタワーが爆撃されたと聞いたさい、[たまたま訪問中の小学校の教室で]『ペットの子山羊ちゃん』を半時間近く朗読しつづけていたことと並んで、歴史に残るのだろうか?)


●コンドリーザ・ライスは水曜日にニューヨークに居て、靴の買物と観劇に行ったのだが、とても信じられないことに、「あのアメリカ人たちは、どこか色に左右される流儀で、助ける人と助けない人を決めるものなのよ」と言ったのは、どういう意味だろう?


●短い間の略奪者の急増と、見知らぬ人たちに無料の宿泊を申し出る篤志家たちの長いリストのどちらが、今回の危機に現れたアメリカ人の本当の姿を見せているのだろう?


●20歳のジャバー・ギブソンは、スクールバスを勝手に動かし、たったひとりで70人のニューオリンズ避難民をヒューストンに搬送したが、バスの排他的権利者と目される人たちから自発的決断と責任遂行の機会を掠〈かす〉め取ったことにより、略奪犯のなかの略奪犯と記憶されるだろうか?


●また、スーパードーム[フットボール場]とコンベンション・センター[大公会堂]のなれの果て、不潔な家畜囲いから人びとが歩いて脱出するという単純なことが許されなったのはなぜか、事情は明らかになるだろうか?


●なんらかの市民意識なり連帯なりが、政策優先順位と社会計画とを変革するかもしれない形で再生するだろうか?


●見知らぬ人たちに自宅を開放するという何万人もの人びと、クレイグのリスト(Craigslist)ほか、何十ものウエブサイトに支援の申し出を書きこんだマサチューセッツとミネソタとジョージアとカリフォルニアの人びとから何が生れるのだろう?


●その人たちは報われるだろうか? その人たちの寛大な行ないは、スーパードームやハイウェイに居ることを余儀なくされた人びとが抱いたはずの見捨てられた思いを和〈やわ〉らげるだろうか?


●一部の避難民が客のあるべき本分を逸脱し、ごく一部の人たちがやむにやまれず略奪に走る気になったとき、メディアは、その一点に焦点を当てて報道したが、不可避的に信頼毀損〈きそん〉行為におよばなければならなかった事情に注目するだろうか?


●私たちは、スラム街、アメリカ南部、アフリカ系アメリカ人社会の貧困を、[今回の災害の]根っこにある問題と認識し、堤防を再建するのと同時に、貧困に対処する計画を考えるだろうか?


●あるいは、昨年の津波のときのように、私たちは、救済とは、貧窮者を以前に享受していた耐えがたい生活条件に戻すことと考えるのだろうか?


●イラクにおける戦争は、アメリカの先制攻撃によって、突如として武力衝突が頻発する事態を招いたが、これが、これまでの数日間に私たちが目にしてきたのと同じ、いやそれ以上の荒廃をもたらしていることに、私たちは思いを馳せることがあるだろうか?


●こんなに大勢の南部諸州の政治家たちが、戦争のために、国内で必要とされる資材と州軍部隊が奪われていると悲鳴をあげているが、これは意に介されるだろうか?


●カトリーナがもたらした災害は、思いも寄らない形で早い時期に、戦争の終結をもたらすだろうか?


●何が国内危機の要因になっているか、何がこれらに対処するための具体的な方策になるか、これらの答を知るための具体的な実例を私たちが見たからには、戦争が私たちをより安全にしているという最後のあがきみたいな言い訳は、引っ込められるだろうか?


●ウォルマートは、店舗や搾取工場の従業員から、それに低賃金労働者や環境のための助成金を出す地方自治体から、組織ぐるみで掠め取っているというのに、そこから物を持ち出したとして、それが略奪行為になるだろうか?


●生存し、尊厳のある生活を維持し、衣食住を平等に確保する権利を行使したとして、それが略奪行為になるだろうか?


●あなたが報道関係者であり、広義の略奪者としての行為におよんでいる広範な人びとを晒し者にするとすれば、それは人間の尊厳と身分を剥奪する行為ではないだろうか?


●来年の春、マルディ・グラ[*]はおこなわれるだろうか? あるいはそれは、これまでのマルディ・グラに勝る最高のマルディ・グラ、復興と解放を祝う究極のお祭りになるだろうか?

[告解火曜日、ジャズの都ニューオリンズのパレード祭]


●水没した家屋が再建され、そのさい貧乏人の粗悪な住宅は改善されるだろうか?


●ニューオリンズの音楽が絶望と恐怖の叫びを洗い流すまで、どれくらいかかるだろう?

●ドレスデンが1945年[空襲]以降も都会であり、広島が1945年以降も都会であり、サンフランシスコが1906年[地震]以降も都会であり、メキシコ・シティが1985年[地震]以降も都会であるならば、いつの日か、ニューオリンズは、たとえ今から1週間前とまったく同じ姿にならないとしても、ふたたび都会として自立するだろうか?


[原文]Katrina's Questions

By Rebecca Solnit, September 6, 2005

Copyright 2005 Rebecca Solnit and Inoue Toshio

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   [翻訳]井上利男

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