2012年11月13日火曜日

「学童疎開」を体験した世代からの切なる願い

「ふくしま集団疎開裁判」公式ブログ 2012926日記事
毎週金曜日の文科省前抗議行動に、大阪からここ毎回参加されている水戸喜世子さんが、9月19日、福島県の子どもたちの甲状腺検査結果(3回目)の発表を受けて開かれた緊急記者会見にメッセージを寄せていただきまして、神田香織さんに代読していただきました。
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20120919 UPLAN 【緊急記者会見】ふくしま集団疎開裁判


講談師、神田香織さんによる水戸喜世子さんメッセージ代読:1:07:20~
◇『非核ネットワーク通信』20121015日 第160号紙面
[テキスト]
()                  非核ネットワーク通信                 20121015日 第160
集団避難の即時実現向けて行動せよ。(9月7日、文部科学省前での訴えより)
【解説】「ふくしま集団疎開裁判」は、郡山市の小中学生14人が原告となり、放射能被害の不安がない地域で教育を受けさせよと昨年6月24日、郡山市を訴えた裁判。福島地裁では却下され、10月1日、仙台高裁で2審が始まった。次回は1126日。今年9月に福島県が発表した検査結果では、4万2千人の子どもの43%に甲状腺にのう胞または結節(しこり)が確認されている(特に女子の被害は深刻で、610歳の女子の54.1%、1115歳の女子の55.3%にのう胞が発見されている)。詳細は
http://fukusima-sokai.blogspot.com/
                             (編集部)
「学童疎開」を体験した世代からの切なる願い
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水戸喜世子(高槻市)
私には福島で酪農をする親戚があります。そこの若い夫婦は昨年の7月に二人目の男の子を生みました。彼らの日常を頭に思い浮かべながら「ふくしま集団疎開裁判」にエールを送ります。
福島で3.11の後に産声を上げた赤ちゃんは約1万4千人います(福島県統計による)。原発事故をお母さんのお腹の中で過ごした赤ちゃん。産湯をつかっているときに事故に出遭った赤ちゃん。つかまり立ちがやっとできるようになって、家族の喝采を浴びていた最中の赤ちゃんもいたでしょう。
こんな赤ちゃんの平和な日常が3.11を境にどのように変ってしまったか、私たちは想像しなければなりません。
埋め込まれた地雷のようなホットスポットに囲まれて暮らす伸び盛りの子供の生活が、どのようなものか、私たちは想像しなければなりません。
15歳未満の子供の数25万人(今年4月現在。福島県)を、私たちは数字で見てはなりません。事故の前よりも1万5千人減っています。その一人一人が生木を裂くようにして、親しい友と切り離された苦痛を私たちは想像しなければなりません。
愛するわが子をいい環境で育てたくない親はいません。妨げているのはひとえに経済的理由からです。暮らしが崩壊するからです。
過去の世界の原発事故は、多くの子供を犠牲にした結果として大切な教訓を残してくれました。
1.       まず線量の低いところへ住民を移すこと。
2.       治療は早ければ早いほど細胞の癌化を防げること。
3.       国家が保証して移住させなければ、経済力のない住民は生活のために必ず残らざるを得ないこと。
そうです。大増税の結果、10兆円の災害復興予算が通過しました。福島の子供24万人に一人当たり200万円をとりあえず集団疎開費用に充当しても総額5000億円。たったの5パーセントです。
あとは時間の問題です。時間が経過するにつれて、赤ちゃんから順番に被曝量が増え、将来取り返しのつかない病気に進行することは周知の事実です。
9月に福島県が発表した3回目の検査結果では、子供全体の43パーセントにのう胞または結節(しこり)が確認されました。アメリカの甲状腺学会次期会長のグライアン・ボーゲン博士は、被爆1年でこのような数値が出ることに驚き、なぜ世間に警鐘を鳴らさないのかと疑問視しています。
憲法、児童憲章を活用して一刻もはやく避難を実現しなければなりません。希望の持てる国にするために。ただその場合、子供には原則として最低1名の保護者が一緒であること。小学3年で集集団疎開、縁故疎開を体験した私の世代からの切なる提言です。
文部科学省前で訴える筆音たち
【付録1
JANJAN Blog 2012 9 30 記事
 
男なら カノジョに言いたい あの言葉」より
 「イケめんを探せ in 官邸前」の向こうを張って、本稿は「愛らしいお嬢さんがた in  国会周辺」のつもりだが、特に今回、感謝の気持ちとともに紹介したいのが、1970年代、反核運動の旗手でもあった故水戸巌氏(19331986)の奥様、喜世子さんのことだ。水戸氏のことは、京都大学の小出裕章氏もたびたび著書の中で「原発は巨大な海水温め装置と言うべき」と、原発の熱効率の悪さを教えてくれた恩師として同氏についてふれている。
水戸喜世子さん() お手製のボードも大阪から持ってきたものだ。

郡山から集会(於 文部科学省前)に参加の女性と。

(撮影日 2012年9月28)
喜世子さんは、大阪在住だが「官邸前に集まる人たちがひとりでも多くなるように」と、ほかの用事が無い限り、高速バスや新幹線を使って大阪~東京間を往復している。「亡き主人に代わって、私たちの世代ががんばらないと」と70代の喜世子さんが言われるのを見ていると…「若い世代はドウシタ!」とあたりを見回したくもなる。
©三上英次/現代報道フォーラム

【付録2
OCR処理テキスト]
福島事故経て科学者に勇気
無職 水戸喜世子     
(大飯府高槻市 76
敦賀原発直下に活断層か。原子力安全・保安院の意見聴取会のメンバーである産業技術総合研究所と京大、福井大の専門家ら4人が現地調査し、断層が動く可能性を指摘した。福島の事故という大きな犠牲を経て、科学者がその考察を率直に語る勇気を持ったことに安堵した。国民が渇望しているのは事実だけである。
原発災害の元凶は、科学者が責任を持つべき分野を空白にしたまま、一部の政治家が政治利用によって原発を動かしたことにある。福島の事故後は、科学不在の政治的発言が横行してきた。浮き彫りになった保安院の無知、重大事故を「直ちに影響ない』とした枝野発言。国民の不信はそれらに根ざしている。
 廃虚に佇む被災者を前に、政治家は科学者の声に耳を傾けよ。科学者には、その職責がどれほど重い社会的責任を伴うかを自覚してほしい。沈黙は体制のゆがみを支えるのだ。
 亡き夫の水戸巌は核物理学者だ。東海原発の訴訟では原発の危険性を証言した。双子の息子も物理学を学んでいた。25年前、3人とも北アルプスで遭難死するまで、反原発の活動にかかわっていた。妨害や、電話などでの嫌がらせは日常茶飯事だった。
 孤立無援、少数の科学者が反原発を叫ぶ時代はもう過ぎ去りつつある。亡き夫、息子とともに、そう信じたい。

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