2016年11月16日水曜日

ニューヨーク書評誌【オピニオン】マーシャ・ガッセン「トランプ専制時代に生き残るためのルール」


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専制政治~生き残るためのルール

マーシャ・ガッセン Masha Gessen

  ニューヨーク市、選挙翌日の2016119日、トランプ・タワー前の抗議行動。Andrew Kelly TPX/Reuters

凡例:(原注)、[訳注]

「友人のみなさん、ありがとう。ありがとう。ありがとう。わたしたちは負けました。わたしたちは負け、これがわたしの政治経歴の最後の日になりますので、わたしは言わなければならないことを言います。わたしたちは奈落の瀬戸際に立っています。わたしたちの政治システム、わたしたちの社会、わたしたちの国そのものが、これまで150年のいかなる時期のものより大きな危険にさらされています。次期大統領は彼の意思を明確にしており、それを別物に装うことは背徳になるでしょう。わたしたちはただちに結束し、法律、制度、そしてわが国が礎とする理想を守らなければなりません」

上記のこと、あるいはそれに似たことをヒラリー・クリントンは水曜日に言うべきだった。彼女はそうしないで、諦めたかのように、次のように述べた――

わたしたちはこの結果を受け入れ、未来に向き合わなくてはなりません。ドナルド・トランプがわが国の大統領になります。彼に開かれたこころで接し、指導者になる機会を授けなくてはなりません。わが国の立憲デモクラシーは平和裏の権力移譲を定めています。わたしたちはそれを尊重するだけではありません。わたしたちはそれを大事にしています。それはまた、法の支配、わたしたち全員が平等であること、諸権利と尊厳を享受する原則、信仰と表現の自由を定めています。わたしたちはこれらの価値を尊重し、大事にもしており、それらの価値を守らなければなりません。

バラク・オバマ大統領は数刻後、さらに融和的な調子で次のようにいった――

われわれ全員はいま、国を統合し、率いる彼の成功を応援しております。平和裏の権力移譲は、わが国のデモクラシーの特質のひとつです。そして、これからの数か月、われわれはそのことを世界に示すでしょう……われわれは、全員が現にひとつのチームに属していることを忘れてはなりません。

大統領は、「しかしながら、誠実さを想定することが、活気に満ちて機能するデモクラシーに必須ですので、肝心な点は、われわれ皆が、わが同胞市民たちの善意を想定して前進することです」と付言した。これではまるで、ドナルド・トランプが策を用いて何時間も報道に無料で登場したようなことがなく、裁判所や連邦議会、はては選挙手続きそのものまで、わが国の政治システムを厚かましく侮辱しなかったかのよう――つまり、まるで悪意ある振る舞いをすることで正に選挙戦に勝利するようなことはなかったかのようである。

リベラル評論の多士済済が同じような発言を繰り返すのが耳につき、トム・フリードマンが「わたしとしては、わが大統領を失敗させるようなことはしない」と誓ったり、ニック・クリストフが「ドナルド・トランプ以外の人物を支持した52パーセントばかりの多数派の有権者」に向かって「トランプ大統領にチャンスを与えよう」と呼びかけたりした。民主党有権者のうち、既成体制色の薄い層に訴えかけた過去を持つ政治家たちでさえ、懐柔するような物言いを口にした。エリザベス・ウォーレン上院議員は「わたしたちの違いは横に置く」と約束した。バーニー・サンダース上院議員は彼女より少々慎重なだけであり、トランプの善意を見つけたいとばかり、次のように誓った――「この国の労働者世帯の暮らし向きを改善する政策を追求するトランプ氏の本気度に応じて、わたしや進歩派は同氏に協力する用意があります」。

この発言は善意にもとづくとしても、トランプが数多い敵対勢力と一致点を見つけようとしており、政府の制度を尊重し、選挙戦中に擁護していたあらゆるもの、ほぼ全部を否定しようとしていることを前提にしている。つまり、彼を「普通」の政治家と見ているのだ。目下のところ、彼がそのような政治家である証拠はほとんど見当たらない。

もっと危険なことに、喝采の物言いで終わるクリントンとオバマの非常に礼儀正しい一言一句は、トランプの少数派勝利に対抗するオルターナティヴの反応を締め出しているようだ(ネヴィル・チェンバレン[対ナチス宥和政策を主導した英国首相]の「われわれは持てる力をすべて結集して戦争を回避するために、考えられる原因を分析し、それを除去しようと努め、協調と善意の精神で議論すべきである」という声明を思い起こさないのは難しい)。平和裏の権力移譲に関するクリントンとオバマのことばは両方とも、行動の呼びかけをサボったことを隠してしまった。水曜日の夜、ニューヨーク、ロサンゼルス、その他、アメリカの都市の街路に繰り出した抗議者たちは、クリントンのスピーチに応じたのではなく、それに逆らって行動に出たのだ。クリントンの演説の嘘っぱちのひとつは、市民の抵抗と暴動を等価なものとほのめかしたことにある。これは、専制政治家お好みのペテン、世界中どこでも、平和的手段による抗議行動を暴力で抑圧するさいの説明なのだ。

二番目の嘘っぱちは、アメリカはスタートラインから歩みはじめるのであり、その次期大統領はタブラ・ラサ[白紙状態]というまやかしである。つまり、わたしたちは「彼に開いたこころで接しなければなりません」というわけ。これではまるでドナルド・トランプが選挙戦の最中、米国市民を出身国送還すると約束したり、イスラム教徒アメリカ人を特化して対象にした調査システムを創設すると約束したり、メキシコとの国境に壁を建造すると約束したり、戦争犯罪を擁護したり、拷問を正当化したり、ヒラリー・クリントンご本人を監獄送りにすると脅迫したりしなかったかのようである。まるで、選挙戦に誇張は付きものであり、それも終わったいまとなっては、トランプは前トランプ時代のルールに忠実な普通の政治家になろうと励んでおり、そういう物言い、その他一切合切、帳消しだと言わんばかり。

だが、トランプは普通の政治家どころではなく、今回は普通の選挙どころでなかった。トランプは、一般投票で負けながら、大統領職を勝ち取る例として、史上で4人目、これまでの100年あまりで2人目であるにすぎない。それにまた、彼は全国メディアによって、慢性的な嘘つき、性犯罪者、税金逃れ常習者、クー・クラックス・クランの同類を惹きつけた人種差別主義者と繰り返し報道されたにもかかわらず、大統領に当選したおそらく史上最初の候補である。最も重要なこととして、トランプは、大統領ではなく、独裁者をめざして出馬した――そして、勝った――記憶に残る最初の候補である。

わたしは生涯の大半を専制政治のもとで生きてきて、経歴の大部分をウラジーミル・プーチンのロシアについて書いてすごしてきた。わたしは、専制政治のもとで生き残り、あなたの正気と自尊心を救出するためのルールをいくつか学んだ。いま、それに沿った、次のようなルールを考察して、損はないだろう――

ルール1専制政治家の発言を信じること。彼の発言には額面通りの意味がある。彼は誇張しているのだとあなたご自身が考え、あるいは他者が言い張るのを耳にすれば、それは合理化しようとする生得的な傾向なのだ。この傾向はよく表面化する。人間は、受け入れられないものに公の場で直面すると否定で対応するように進化したようだ。ニューヨーク・タイムズ紙は1930年代の往時、ヒットラーの反ユダヤ主義はまったくのポーズにすぎないと読者に請けあった。その同じ新聞がずっと最近になって、モスクワの抗議行動を警察が弾圧したあと、プーチンの報道官、ドミトリー・ペスコフの二通りの発言のうち、抗議者らの「肝臓が舗装面いっぱいに飛び散っていてもよかった」というものではなく、「警官隊は控えめに行動した――わたしはもっと厳格にふるまっていてもよかったと思う」という方を選んだ。報道陣はたぶん自分の耳を疑ったのだろう。だが、報道記者たるものは――ロシアにしろ、アメリカにしろ、どちらの場合でも――信じるべきである。トランプがプーチンをベタ褒めしたにしても、両者は大変違っている。どちらかと言えば、トランプが言ったすべてのことに耳を澄ませるべき理由がなお一層ある。選挙戦のあと、彼には身を寄せるべき既成政治勢力がなく、だからこそ、選挙戦の口約束をご破産にする理由がない。それどころか、先を争って彼に調子を合わせているのは――水曜日にホワイト・ハウスで彼と面会した大統領から、彼の過激な立場を受け入れるようなら、沽券にかかわると久しく思っていたが、そのような態度を投げ捨てている共和党の指導層まで――いまや既成勢力の方なのだ。

彼はまさに言語道断な脅しのおかげで、勝利に必要な支持、渇望する絶賛を得た。トランプ集会の群衆は「彼女は監獄行き!」と唱和した。彼らは、そして彼はそのスローガンを本気で唱えていた。トランプが就任初日にヒラリー・クリントンの後を追わないとすれば、その代わり、彼の候補指名受諾演説が示唆していたように、インフラ整備投資事業に単一化して注力するとすれば(すなわち、これは彼の取り巻きと彼ご本人に報いるお手軽な機会になるわけだが)、ホッと安堵の吐息を漏らすのは愚かなことになるだろう。トランプは彼のプランを明確にしたのであり、それを彼の支持者らが持ち帰られるようにコンパクトな形にまとめたのだ。彼のプランは、オバマケアなどの法制度の解体にとどまらず、司法による抑制を捨て去ることも――そして、もちろん敵対勢力を罰することも――ねらっている。

トランプは、彼の政治的敵対勢力、あるいはただ1名の政敵を投獄するために、司法システムを掌握する試みに手を付けるだろう。観測筋は、そして正常な形の選挙で働く活動家たちでさえ、最高裁判所こそがトランプの判事指名によって差し迫ったリスクが最高レベルの現場になると注目している。トランプが法廷を右旋回させる人物を指名することには疑う余地がほとんどない。それが最高裁判所の性格そのものに混乱を持ちこむ人物になるリスクもある。それにトランプは政治的報復を実行するために司法システムを悪用しようと目論んでいるので、司法長官の指名もそれに劣らず重要である。ニューヨーク市のルディ・ジュリアーニ前市長やニュージャージー州のクリス・クリスティ知事が、ジュネーヴ条約[傷病者および捕虜の待遇改善のための国際条約]、警察力行使、刑事司法改革、その他の切迫した懸念事項の問題に対する彼らの処方を横に置くとしても、トランプ大統領の命令で、ヒラリー・クリントンを追跡する光景を思ってもみよう。

ルール2正常性の小さな兆しにだまされてはならない。今週の金融市場が一夜にして暴落したのにつづいて、クリントンとオバマがスピーチしたあと、反発したことを考えてみよう。不安定な政治状況に直面した市場は、ことば巧みに沈静化をねらう権威筋のカモになる。人間も同じだ。終わりの見えない既知の世情について、偽りのことばで慰められると、パニックは沈静化する。128日であれ、これまでの歴史のいかなる時点であれ、世界が終わらなかったのは事実である。それでも、歴史は数多くの破局を経てきたのであり、その大半は時間をかけて展開した。わたしが好きな思想家のひとりでユダヤ人の歴史家、シモン・ドゥブノフは193910月はじめのこと、ホッと安堵の溜息を付いた。彼はベルリンからラトヴィアに移動しており、友人たちに宛てた書簡に、専制二国に挟まれた小国は主権を維持するであろうし、自分は安全であることが確実だと書いた。その後まもなく、ラトヴィアはソヴィエト連邦に占領され、次いでドイツに、またもや次いでソヴィエトに占領された――が、その時までにドゥブノフは殺されていた。ドゥブノフは自分が歴史の破局的な時期に生きていることを十分承知していた――その時代になんとか隙間地帯を見つけたと思っただけだった。

ルール3制度はあなたを守らない。プーチンがロシアのメディアを私物化するのに1年かかり、選挙制度を解体するのに4年かかった。司法制度は気づかれないまま崩壊した。トルコの諸制度乗っ取りはもっと迅速に、しかもトルコをEUに導く民主主義者とかつて祝福されていた男によって、実行された。ポーランドが立憲デモクラシーを建設する10数年の成果を無にするのに、1年もかからなかった。

米国が保持している諸制度はもちろん、1930年代のドイツ、あるいは今日のロシアのものより強固である。クリントンとオバマの両者とも、彼らのスピーチで、アメリカの諸制度の重要性と強固さを強調した。しかし、問題なのは、諸制度の多くが、法律というより、政治風土を背景に設定されており、そのすべてが――法で設立されたものも含めて――当事者全員がその目的を全うし、憲法を遵守するものとする善意に依存しているということである。

全国紙はトランプ主義による制度狩りの槍玉にあげられる一番手になりそうだ。大統領府が日例状況報告をおこなうように要請する法律はなく、メディアがホワイト・ハウスに接触するのを保証する法律もない。ジャーナリストの多くは、専制政治のもとで仕事してきたわたしたちに久しくお馴染みのジレンマ、取り込まれるか、あるいは接触を拒絶されるかの二者択一にほどなく直面するかもしれない。情報に接することができなければ、ジャーナリズムは困難、時には不可能なので、(正解があるとしても)良策はない。

調査報道の力は――その事実に執着する力が、謀略志向で嘘っぱちのトランプ流選挙戦ですでに著しく損なわれており――衰弱するだろう。世界の闇は深まるだろう。主流報道機関の一部が現政権に反対する決意を表明するといった思いもよらない事態になっても、あるいは単に現政権の不正や失策を報道するだけでも、大統領は数多くのフレームアップを図る挙に出るだろう。報道は、そして思いは、選挙運動の時のように――たとえば、候補たちが要するに、イスラム教徒のアメリカ国民がテロ行為の連座責任を負っているとか、法執行機関の「目と耳」になって汚名をすすぐことができるとか論じたように――トランプ主義者の方向に流れるだろう。かくして、ゼノフォビア[外国人嫌悪症]が一層のこと正常とされ、トランプがアメリカ人イスラム教徒を監視し、イスラム教徒の米国入国を禁止すると首尾よく約束する地固めをしたのである。

ルール4激怒すること。あなたがルール1にしたがい、次期専制大統領がいうことを信じているなら、驚くこともないだろう。だが、正常化する傾向に面と向かえば、ショックを感じる能力を維持することが必須である。この能力のため、人はあなたを理不尽でヒステリーと名指し、過剰反応だと責めるだろう。部屋のなかで只ひとりヒステリーになるのは、おもしろくない。覚悟のほどはいかがだろうか。

トランプは一般投票で負けたのに、近代史上、アメリカのいかなる指導者にも負けない権力を確保した。共和党は連邦議会の両院を制している。国家は海外で戦争状態にあり、15年間におよぶ動員体制にある。これは、トランプが迅速に行動できるようになるだけでなく、並外れて高レベルの政治的支持を当たり前と思うようになることを意味している。彼はそれを維持したい、さらに高レベルにしたいと思うだろうし――彼の理想は、ウラジーミル・プーチンの享受する全体主義レベルの人気度数値であり――その欲求を満たす手段は、動員なのだ。海外と国内で、さらにもっと戦争だ。

ルール5妥協しないこと。テッド・クルーズは、トランプを「徹底的に道徳欠如」とか「病理的な虚言者」とか言っていたのが、9月末には彼の勝利が「アメリカの労働者のすばらしい勝利」と請け合うまで、はるばると旅路をたどったが、共和党の政治家たちは彼のようにトランプの戦列に並んでしまった。選挙戦中に隊列を乱した保守派の評論家たちも営舎に戻ってくるだろう。連邦議会の民主党議員たちは、なんらかの成果を仕上げるために――あるいは少なくとも、痛手を最小化するためにと彼らはいうだろうが――協力の機会を作りはじめるだろう。非政府組織は、当面、触手を伸ばす機会がない政権移行期間にあって、その多くが手持ち無沙汰の状態だが、新政権と協力して働く機会に跳びつくだろう。これは実りがなく――動員が目標であれば、痛手を最小にできず、回復も対して期待できず――さらに酷くて、魂が死ぬほどうんざりするものになるだろう。可能なことを実行する技術[ビスマルクの現実主義政治哲学]としての政治は、独裁体制において、現実として徹底的に没道徳的になる。協力を言い立てる人たちは、オバマ大統領がスピーチでやらかしたように、協力が将来のために不可欠であると主張するだろう。連中は専制の堕落させる触手を意図的に無視しているのであり、その手から未来を守らなければならないのだ。

ルール6未来を忘れないこと。永続するものはない。ドナルド・トランプは確かに永続しないし、トランピズムも、トランプのペルソナ[社会的人格]を中心に据えた限りにおいて永続しない。未来を想像できなかったことが、今回の選挙戦における民主党員たちの敗因だった。彼らは、あまりにもお馴染みになった想像上の過去の遺物、トランプの白人大衆迎合主義構想に対抗する未来構想を提示しなかった。彼らはまた、改革を求められているアメリカのデモクラシーの奇妙で時代遅れの制度――共和党員たちが一般投票で過半数得票に達しないで勝利し、民主党が二度も選挙で勝利を逸する代価を払わされた選挙人団制度の類い――を久しく放置してきた。それが正常であってはならない。だが、抵抗――頑固な精神、妥協をよしとしない不屈、怒り――が正常であるべきだ。

【クレジット】

NYR Daily, “Autocracy: Rules for Survival,” by Masha Gessen, posted on November 10, 2016 at;

【筆者】

Masha Gessen
Amazon.Jp.サイトより抜粋…
マーシャ・ガッセンは1967年モスクワ生まれ。ユダヤ人であるにもかかわらず選抜され、数学専門学校で学んだ。旧社会主義体制下でのユダヤ人に対する差別を逃れるために、大学進学を待たず、1981年に一家でアメリカに移住した。1991年、ジャーナリストとしてモスクワに戻り、US News & World Report誌の特派員の傍ら、自らの2人の祖母が、東欧のユダヤ人として、ホロコーストと、スタリーンの圧政をいかに生き延びたかを綴ったTwo Babushkas2004)などを著している。

青木薫・訳『完全なる証明――100万ドルを拒否した天才数学者



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