「原発全廃止」叫ぶ 郡山で大集会、1万6000人
東日本大震災・福島原発事故1周年「原発いらない!3・11県民大集会」は11日、郡山市の開成山球場で開かれ、作家の大江健三郎さんらが原発事故に関する全ての賠償や脱原発などを呼び掛けた。
県内外から1万6000人(主催者発表)が参加。呼び掛け人代表の清水修二福島大副学長が「『原発いらない』の声は痛恨の思いを込めた県民の叫び。この叫び声を全国の心ある人々の耳に届けるのは県民の使命であり、義務。共に前進しましょう」などとあいさつ。大江さんは「私たちに求められているものは、原発事故を絶対になくすこと。それはできます。この国の原発を全て廃止すれば」と「脱原発」を訴えた。このほか農業や漁業、高校生ら、さまざまな立場の県民が反原発の思いを発表した。
(2012年3月12日 福島民友ニュース)
県内外から1万6000人(主催者発表)が参加。呼び掛け人代表の清水修二福島大副学長が「『原発いらない』の声は痛恨の思いを込めた県民の叫び。この叫び声を全国の心ある人々の耳に届けるのは県民の使命であり、義務。共に前進しましょう」などとあいさつ。大江さんは「私たちに求められているものは、原発事故を絶対になくすこと。それはできます。この国の原発を全て廃止すれば」と「脱原発」を訴えた。このほか農業や漁業、高校生ら、さまざまな立場の県民が反原発の思いを発表した。
(2012年3月12日 福島民友ニュース)
【福島民報】
犠牲者の冥福を祈る 県の追悼式、知事が式辞
県東日本大震災犠牲者追悼式は11日、福島市のこむこむで行われ、参列者が未曽有の災害で亡くなった県民の冥福を祈り、震災と東京電力福島第一原発事故からの「福島再生」を誓った。
県主催、県市長会、県町村会の共催。遺族と県関係者、県議、本県関係国会議員ら約250人が参列した。
冒頭、政府主催の追悼式の映像が同時中継され、震災が発生した「午後2時46分」に合わせ一分間の黙とうをささげた。参列者は天皇、皇后両陛下のお言葉と野田佳彦首相の式辞に静かに耳を傾けた。
佐藤雄平知事は犠牲者に哀悼の意を表し、「県民1人1人の力を県復興計画に結集させ、1日も早く豊かで美しい本県の復興を遂げることを誓う」と式辞を述べた。斎藤健治県議会議長が追悼の辞をささげ、「安全で安心して暮らせる地域社会を築くことが、今を生きるわれわれの責務」と訴えた。
女優の小雪さんが、いわき市の高校に通う4人が作った「3・11のための追悼詩」を心を込めて読み上げた。
参列者を代表し、佐藤知事、斎藤議長、県市長会長の瀬戸孝則福島市長、県町村会長の佐藤正博西郷村長、浪江町遺族会の叶谷守久会長、国会議員が献花した。引き続き同会場で「復興の誓いシンポジウム」を開催した。
■県内死者1997人
県災害対策本部によると11日現在、震災による死者は1997人、行方不明者は53人、重傷者は20人、軽傷者は162人に上る。
原発事故が重なり、県内約9万7700人、県外約6万2600人の合わせて約16万人が、仮設住宅や借り上げ住宅で避難生活を送っている。
【写真】県東日本大震災犠牲者追悼式で式辞を述べる佐藤知事=11日午後、福島市・こむこむ
震災復興に向けた力強いメッセージを発信する「福魂祭(ふっこんさい)」は11日、郡山市のベルヴィ郡山館で開かれ、郡山市出身の俳優の西田敏行さんや、秋吉久美子さん(旧磐城女高卒)らが歌やメッセージで本県の復興に向けて決意を新たにした。
実行委員会の主催。震災後から救援物資の提供や避難所訪問など支援に取り組む本県ゆかりの俳優、歌手らが集まった。西田さんは「もしもピアノが弾けたなら」「あの街に生まれて」を披露。「古里・福島は世界でまれにみる原発事故に苦しんでいるが、今日から世界を驚かす復興に向けて歩み出そう」、秋吉さんも「復興は長い道のりだが、今日からは笑顔で復興の道を歩んでいきましょう」と呼び掛けた。
【写真】エンディングで来場者にエールを送る西田さん(中央)。左は秋吉さん
【毎日新聞福島版】
東日本大震災:1年 鎮魂の祈りに包まれ 各地で犠牲者追悼 復興願い植樹 /福島
多くの夢と命を奪った“あの日”から1年が過ぎた。悲嘆、怒り、希望、決意……。さまざまな思いが交錯する中、東日本大震災の犠牲者を悼む集会などが県内各地で11日に開かれ、鎮魂の祈りに包まれた。一方、昨年3月12日に起きた福島第1原発1号機の爆発事故に象徴されるもう一つの“あの日”の出来事が、今も福島に重くのしかかる。低線量被ばくによる健康被害が心配され、この1年で4万3587人が県外に流出した。それでも再生に向けた除染が小学校の通学路で始まり、復興への願いを込めた植樹や登山が行われた。託した思いは、古里の“明日”を開く--。【清水勝】
◆大熊
◇納骨もできず
福島第1原発事故で全域が警戒区域に指定されている大熊町。11日に会津若松市であった合同追悼式では、津波被害者9人と共に、古里に帰れぬまま避難先で亡くなった町民113人も慰霊された。「いつかは先祖とともにやすらかに眠ってほしい」「亡くなっても放射線量の高い墓に帰せない」。複雑な思いが交錯するなか、遺族は手を合わせた。
「『家に戻る』というのを無理に連れてきてしまった」。会津若松市に避難する栃久保次郎さん(59)は震災8日目の3月18日に義父の重蔵さん(当時84歳)を亡くした。震災前は自転車で出かけるほど元気だったが、避難所で突然倒れた。
火葬場で家族ら6人だけで見送った。きちょうめんな父は自分の葬式に呼ぶ人のリストを作っていた。最後の希望に沿えなかったことが悔しかった。
遺骨は現在、市内の無住寺にある。菩提(ぼだい)寺の遍照寺(大熊町)が避難しているため。一時帰宅で先祖の墓に立ち寄ったが、周囲は雑草だらけ。「手入れできない墓には納骨できない」と頭を抱える。
追悼式では同じ日に町役場であった復興祈念植樹の様子を上映。除染で放射線量が当初の3分の1から10分の1になったことも報告された。しかし、栃久保さんは「効果がどのくらい続くのか分からない。生活基盤をしっかりしたいのに、戻れるのか戻れないのか。本当にちゅうぶらりんな状態です」。重蔵さんをどこで弔うのかも決められずにいる。【曽根田和久】
◆福島
◇ふくしま宣言
福島市早稲町で開かれた県主催の追悼式には遺族ら約300人が出席し、復興への誓いを新たにした。佐藤雄平知事が「ふくしま宣言」を読み上げ、復興へ向けて歩み始めようとのスローガン「ふくしまからはじめよう。」を発表した。
式では、女優の小雪さんが追悼詩を朗読。シンポジウムでは、作家の玄侑宗久さんが講演。「人間は、葬式や毎朝線香をあげることで、日常を取り戻していくもの」。「汚染された作物を食べるか、避難するか、避難者が戻るかなどの分断を生んでしまった」と復興への困難さを語った。
パネルディスカッションでは、復興への条件について、見城美枝子・青森大教授と佐藤知事が加わり討論。風評被害について、佐藤知事は「原乳からは一部でのみ放射性セシウムが検出されたが、県全域が出荷制限になり、『福島産』が全て危険だと思われた。正確な情報を流し、福島に来てもらうことが大事」。見城氏は「県外の人には事故の衝撃が大きかった。不安や恐怖に福島側からアクセスする道を広く」と提言した。玄侑さんは「放射線の危険性のまとまった見解がなく混乱している」と訴えた。【深津誠】
◇殉職警官を悼む
住民の避難誘導中に津波にのまれた県警警察官5人を悼む「東日本大震災殉職警察官1周年慰霊の会」が11日、福島市の警察学校で開かれ、松本光弘本部長以下、警察官ら約200人が黙とうし、白菊の花を手向けた。
殉職したのは、南相馬署・佐藤政美警部(当時57歳)▽同・橋本浩忠警部(同42歳)▽双葉署・増子洋一警視(同41歳)▽同・古張文夫警部(同53歳)。双葉署・佐藤雄太警部補(同24歳)は行方不明。階級はいずれも2階級特進。
小笠原和美警務部長は「勇敢な行動をいつまでも忘れず、後世に残すことを誓う」とあいさつ。危険を顧みず職務にまい進した5人をたたえた。【泉谷由梨子】
◇保護者らが除染
福島市の市立清明小学校では11日、保護者や地域住民による通学路の除染作業が初めて行われた。校庭・校舎は除染が進み、比較的線量は低いが、通学路は手つかずだった。
自治会やボランティアが行う子どもの生活空間の除染のため、市が予算に計上した補助金50万円を利用し、高圧洗浄機やブラシなどを購入。防護服に身を包んだ保護者ら約85人が5時間かけて、学校周辺の橋や河川敷周辺などの地面を磨いたり、土を除去した。
小学5年の長男を持つ半沢浩幸・同小PTA会長(46)は「1年たっても通学路さえ除染できない学校がほとんど。保護者が子どもの安全を守っていく活動が広まってほしい」と話した。【深津誠】
◆新地
◇鹿狼山200人登山
津波で115人が亡くなった新地町では11日、犠牲者の追悼と被災地の復興を祈願して、鹿狼山(かろうさん)(標高約430メートル)での「追悼登山」が行われた。
県登山ガイド協会(佐藤一夫理事長)が主催。福島、宮城両県の遺族ら約200人が参加し、雪が積もる山道を踏みしめながら頂きを目指した。午後1時半すぎ、今も津波の爪痕が残る沿岸部を一望できる山頂に着くと、全員で黙とうをささげた。
地震のあった午後2時46分には、登山口近くの広場で、沿岸部に向かって改めて黙とう。震災で亡くなった人々をしのんだ。共催した地元消防団員らでつくる「アイラブしんちサークル」の小野茂夫代表(45)は「震災後、ご遺体の搬送をしました。冷たい水の中で息を引き取った方がどのような思いだったのか。亡くなった方の体は重く、今も手に残ります。命の重さを感じました」と1年前を振り返り、「亡くなった方の分も、これからの人生を一生懸命生きなくては」と訴えた。
新地駅に迫る津波から走って逃げたという同町の会社員女性(23)は「亡くなった同僚に黙とうをささげている間、この1年の出来事が思い出された。山から町の景色を見て、私たちで復興を進めなければならないと改めて感じた」と話した。【三村泰揮】
◆会津美里
◇手作りの灯籠
会津美里町宮里の仮設住宅で11日、神奈川県の絵手紙教室のメンバーが作った灯籠(とうろう)やガラスの器に火がともされ、避難区域に指定された楢葉町の避難者らが犠牲者の冥福や早期帰還を祈願した。
用意されたのは絵付けされた和紙の灯籠42基とガラスの器180個。「未来へゆっくり歩いていこう」「ガンバレ日本」などの文字と共に地蔵や動物などが描かれ、火をつけると、夕闇にぼんやりと浮き上がった。
絵手紙教室を開く神奈川県綾瀬市の橘川芳恵さん(69)は「会津には震災前からスケッチに訪れてきた。被災者の方に少しでも心の安らぎを与えたい」。【蓬田正志】
◆いわき
◇「港の復旧早く」
「3・11いわき追悼の祈りと復興の誓い2012」が11日、いわき市平の芸術文化交流館アリオスで開かれた。同市では、津波による犠牲者310人、行方不明者37人に上る。
式典には、遺族や関係者ら1700人を超える参列者があり、渡辺敬夫市長が「大切な人を一瞬にして失った遺族の思いは察するに余りある。復興への道のりは平たんではないが、この1年、市民の熱い思いを感じた。復興を成し遂げることを誓う」と述べた。
遺族代表で、同市久之浜町の水産加工業、猪腰洋治さん(61)が「私たちは記憶を忘れず、体験を未来に生かしていかなければならない」と追悼。津波でおばを亡くし、自宅と工場を失った猪腰さんは「あっという間の1年だった。水産業の将来はまだ見えない。久之浜港の復旧を早めてほしい」と話した。【和泉清充】
◇沖縄からも応援
「復興じゃんがらエイサー2012」(同実行委員会主催)がいわき市で11日あり、市内各所で、じゃんがら念仏踊りと沖縄の伝統芸能エイサーが披露された。
同市常磐湯本町の一番町通りでは、西郷子どもじゃんがらなどが演舞。東京都の愛好団体と沖縄市の久保田青年会によるエイサーの練り歩きがあり、沿道から拍手を浴びた。
久保田青年会は昨年9月に続いて2回目。新崎順二会長(22)は「復興に向けて頑張り続けられるよう、遠い沖縄からも応援しています」と激励した。【和泉清充】
◆南相馬
◇鎮魂の灯2000個
津波で36人が犠牲になった南相馬市の老人保健施設「ヨッシーランド」では、脚本家の倉本聰さん(77)によるキャンドルナイトが行われた。被災当時のまま残る建物に、キャンドル約2000個がともされ、犠牲者の冥福を祈った。
海難事故の際、沿岸に火をともして遭難者の帰りを待つ風習にちなみ、震災の行方不明者が早く見つかるようにという思いを込めた。震災後、同市を訪れた倉本さんが施設の運営者と知り合ったのがきっかけで実現した。
午後6時、地元の人らが泥で汚れたままの廊下や居室に並ぶキャンドルに次々と点火し、建物は鎮魂の灯に包まれた。震災前まで通所していた近くの主婦(70)は「震災以来初めてここに来ましたが、すべてがあの時のままで、胸が詰まる思いです」と涙ながらに話した。【袴田貴行】
◇3人の分まで
南相馬市の市民文化会館で開いた式典には約1500人が参列。桜井勝延市長は「安心安全なまちづくりに努め、市民一丸となって復興に取り組みます」と述べた。
遺族代表として、原発事故により警戒区域に指定された小高区の高校2年、横山翼さん(17)と鹿島区の菅野長八さん(60)が追悼。
横山さんは津波で自宅が全壊し、5人家族のうち父(45)と妹(13)、祖母(73)の3人が犠牲になり、母(42)は鹿島区の仮設住宅に住む。小高工業高校から横浜市の神奈川工業高校に転校した。「父さんのような堂々とした大人になりたい。ぼくと母さんを見守っていてください。3人の分まで、胸を張って生きていきます」と誓った。式典後「学校では先生や友達によくしてもらっています。ぼくが母さんを絶対に守ります」と語った。
菅野さんは、家族4人を津波で亡くし、「何ものにも代えがたい家族でした。安らかにお眠りください」と悼んだ。【高橋秀郎】
◆郡山
◇脱原発1万6000人
原発災害に苦しむ福島から脱原発の決意を発信する「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が11日、郡山市の開成山野球場で開かれた。県内外から1万6000人(主催者発表)が参加し、県内にある全原発の廃炉を求めるとともに「福島の犠牲を無駄にしないために『原発はいらない!』の声を上げよう」と、他の立地地域や電力消費地の人々に連帯を呼び掛ける集会宣言を採択した。
清水修二・福島大学副学長、青木千代美・県女性団体連絡協議会長らが呼び掛け人となり、県生協連や県平和フォーラムなどが実行委員会を設けた。
集会では、ノーベル文学賞受賞者の作家、大江健三郎さんが「あと1、2度原発に何かがあれば、私たちは将来の人間に向け責任が取れないことになる」とあいさつ。ドイツやイタリアで動き出した原発廃止の取り組みを紹介し、日本でも大きな動きにする必要があると呼びかけた。
その後、小学生の子ども2人と福島市から山形県米沢市に自主避難している菅野智子さん(42)▽二本松市で有機農業を営む菅野正寿さん(53)▽相馬市の漁業、佐藤美恵さん(55)▽飯舘村から福島市に避難している農業、菅野哲さん(63)▽富岡高校からあさか開成高校に転校した鈴木美穂さん(17)▽浪江町から本宮市に避難している元教員、橘柳子さん(72)--の6人がスピーチ。「人間と原発、農業と原発とは共存できない」「地震は止められないが、原発は人の行動で止められる」などと訴えた。
集会に先立ち、歌手の加藤登紀子さんのコンサートがあり、東日本大震災の復興支援ソングに使われているザ・ビートルズの「All you need is love」などを披露。散会後は、「さよなら原発」などと書いたプラカードを掲げ、市内をデモ行進した。【太田穣】
毎日新聞 2012年3月12日 地方版
【朝日新聞】
世界各地で脱原発集会 「フクシマを忘れるな」
東日本大震災による東京電力福島第一原発事故から1年を迎え、国内各地や海外各国で「脱原発」を訴える集会やデモが相次いだ。
第一原発から西へ約60キロの福島県郡山市では11日、「原発いらない! 3・11福島県民大集会」が開かれた。約1万6千人(主催者発表)が参加。マイクの前に立ったノーベル賞作家の大江健三郎さん(77)は、原発の稼働を「人間の生きる妨げになる、倫理を欠く行動だ」と語った。
東京・日比谷公園にはインターネットでの呼びかけなどに応じた約1万4千人(主催者発表)が集まり、「脱原発」と書かれた白い旗を掲げて東電本店前などを行進した。北海道や名古屋、大阪、福岡のほか、原発が立地する青森や福井などでも集会が開かれた。中国電力(広島市)が原発建設を計画する、山口県上関町では、予定地の対岸にある祝島(いわいしま)で、住民らが「計画阻止」を訴えた。
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