2012年3月2日金曜日

なまえのない新聞 「放射性プルームが襲った街」 @yuima21c









名前のない新聞
No.171=2012年3・4月号
原 発 震 災 (6)


私の唯一の希望は、人々が賢くなることです(小出裕章) *youtube動画
いつまで福島県民でいられるのだろう(森永敦子)
表紙絵 by 内海朗
healthy.(高崎咲耶子)
誰でもすぐに電気が自給できる「相乗りくん」(合原亮一)
脱原発アクション報告(sachiko)
《MOVIE》「フクシマからの風」
未来へ続く道・対談(広田奈津子・纐纈あや・辰巳玲子) *youtube動画





井上利男

放射性プルームが襲った街

早くも1年。3111446の激しい揺れと衝撃の大津波、そして東京電力福島第一原子力発電所における全電源喪失…未曾有の大震災でも、繰り返す日常のなか、外部からの眼にはすでに過去のものとみえるかもしれない。だが、相次いだ水素爆発などによって原発から放出された膨大な量の放射性プルームが通過した地域に残された放射能の爪痕は、いつまでも消えることはない。

30年近くも前に奄美大島を出て、奥会津で花卉栽培農家になったがバブル崩壊であえなく挫折、福島県の中核都市、郡山に流れ着き…質のよい野菜や魚が並ぶマーケットハイキングに行った近郊の山々緑豊かな多くの公園それなりに充実した街の文化的環境たちまち、この街に愛着を感じるようになった。なかでも楽しみは、県土の北東端、飯豊山麓に住む娘と孫たちの来訪。わたしたちに住みよい街には、幼い子どもたちにとっても、遊園地や遊戯施設など、魅力が満載だった。

あの311日、すべてが一変した。放射性物質の雲がわが街をも通過した時期、群馬県に一時避難していたのは正解だった。あのころ、なんら警告も発せられないまま、市民たちは一家総出で給水所の長い列に並んだり、ガソリンや生活物資の確保に走りまわったりしていた。あの事故以来、娘や孫たちを郡山のわが家に迎えなくなったのは、もちろんのこと。

福島県の広大な地域を覆ったのは、放射能だけではない。「ただちに健康に影響をおよぼすものではない」ということばに象徴される安全・安心キャンペーンに乗っかった眼に見えない戒厳令が県土を覆っているかのよう。放射能は、もちろん目に見えない。行政は経済・社会崩壊を恐れるあまり、健康被害の恐れを悟られないように躍起である。善良な市民は見たくない。なんといっても、それなりに安定した生活が後生大事。

小学校再開のための除染作業
ここに一枚の写真(131日毎日新聞撮影)がある。村域の一部が警戒区域に重なる川内村の遠藤雄幸村長が帰村宣言を発し、小学校を再開するためにマスク・防護服姿の母親たちが体育館を除染している光景である。このように異様な場所に子どもたちを呼び戻そうとしているのだ。佐藤雄平県知事や山下俊一アドバイザーによる精力的なキャンペーンの成果。

わが街・郡山でも実情は似たり寄ったり。市街地の多くで、12月現在の“公表”空間放射線値は0.60.9μSv/h。県内学校の実に75%が、放射線健康障害防止法に定める「放射線管理区域」に該当する。わたしの居住する公営団地でも、小中学生たちが1μSv/hを超える放射線にさらされながら登下校している。

福島県在住の一女性が「たとえば、ふくしまに『とどまれ』と言われると『人の命をなんだと思ってるんだ!』と言いたくなり、『避難しろ』と言われると『そう簡単に言うな!こっちにも事情があるんだ!』と言いたくなってしまう…」とフェイスブックに記した。自主避難するにしろ、踏みとどまるにしろ、揺れ動くアンビヴァレントな心を抱えたまま、悩み・不安・心配の種は尽きない。

疑わしきは救済せず…

通称「ふくしま集団疎開裁判」は、このような環境のもと、昨年6月に郡山市内の小中学生14人が郡山市を相手に「年間蓄積被曝量が1mSv を超える場所での教育活動実施の差し止めと安全な場所での教育活動の実施の仮処分」を申し立てた事件である。

6月の裁判所申立て以来、債権者(原告)弁護団は矢ヶ崎克馬・琉球大学名誉教授の意見書など多数の証拠を積み上げて、債権者である14人の子どもたちの教育環境における外部被曝量がチェルノブイリ事故後の「避難強制区域」基準を超えることや内部被曝の危険性を実証してきた。

それに対して、債務者(被告)郡山市の主張は、市は除染に努力しており、放射線値は低減傾向にある、債権者らには「転校の自由」がある、事故責任は東電にあり、市にはない、などというのみで、債権者側証拠には具体的に反証せず、「不知」(知らない)の一点張り。

10月初頭に双方の弁明・証拠類が出揃ったあと、時あたかも野田総理が原発事故の「収束宣言」を発した1216日、福島地裁郡山支部が下した決定は、「本件申立てを却下する」…いわく、債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない。その理由は、①空間線量が落ち着いてきている、②除染作業によって更に放射線量が減少することが見込まれる、③100Sv未満の低線量被曝の晩発性障害の発生確率について実証的な裏付けがない、④文科省通知では年間20Svが暫定的な目安とされた、⑤区域外通学等の代替手段もあること、云々

暗闇のなか、新たな地平を

この裁判は、命よりも経済を優先する産官学メディア複合体=“原発ムラ”に対抗する市民たちの総力を結集した闘いである。この決定をもって、裁判所みずからが日本国は人治の領域であると天下に宣言したことになる。

子どもたちが仙台高裁に即時抗告する一方、ふくしま集団疎開裁判の会は、日本の市民運動に共通する国際的連携の欠如・不足という弱点を克服し、この裁判を国際的な監視下に置くために、世界市民法廷を2月と3月にそれぞれ東京と郡山で開催すべく、本稿執筆時点で鋭意準備中である。世界の良心を代表するノーム・チョムスキーさんも「社会が道徳的に健全であるかどうかをはかる基準として、社会の最も弱い立場の人たちのことを社会がどう取り扱うかという基準に勝るものはなく、許し難い行為の犠牲者となっている子どもたち以上に傷つきやすい存在、大切な存在はありません」などと、この法廷に支援メッセージを伝える。

未来は暗闇。わたしたちは、この暗闇のなか、新たな地平を切り開かなければならない。


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