福島第一原子力発電所事故に関するIAEA報告概要:
予備的な分析
*** 目次 ***
1.放射線と健康
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1.放射線と健康
福島住民に対する実効線量の実情に関する不明確さ
IAEAフクシマ報告は、特に事故後の初期の監視システムが適切に機能していなかったので、フクシマ被災民が受けた放射線量の推計には高レベルの不確実性がともなっていると認めている。ヨウ素131、キセノン133など、数種の同位体は半減期が短く、そのために当初の被曝量を正確に再現することは不可能である。IAEAフクシマ報告は次のように記している――
「事故直後のヨウ素の摂取に関して、この時期の信頼できる個人放射線監視データが不足しているために不確実性が付きまとっている」
IAEAフクシマ報告は、さらに次のように記している――
「福島第一原子力発電所における事故の当初条件の数値化と特性評価が困難であると判明した。環境の迅速な監視によって、放射性核種のレベルを確定し、人びとを防護するための当初の基礎を確立することができる」
IAEAフクシマ報告はこのようにして、同報告そのものが大きく依拠しており、また「放出中の期間における放射性核種の放出比率および天候条件に関する不完全な知見」など、不確実性をもたらす要因を列挙している「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)2013年報告3を追認している。
3
Sources, Effects And Risks Of Ionizing Radiation, UNSCEAR 2013, Report Volume I
Report To The General Assembly Scientific Annex A: Levels and effects of
radiation exposure due to the nuclear accident after the 2011 great east-Japan
earthquake and tsunami, United Nations Scientific Committee on the Effects of
Atomic Radiation,
UNSCEARの2013年報告では、80歳になるまでの日本国民が受ける集団線量が48,000人シーベルトと推計されている。
表8.日本国民(2010年における概算人口1億2800万人)の甲状腺に対する集団実効線量と集団吸収線量の推計値
線量範疇
|
被曝の期間
|
||
最初の1年以上
|
10年以上
|
80歳まで
|
|
集団実効線量(1000人シーベルト)
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18
|
36
|
48
|
集団吸収線量(1000人シーベルト)
|
82
|
100
|
112
|
[UNSCEAR, 2013]
人シーベルトあたりのリスク因子を10%とすると4、日本国民の致死的な癌は4,800症例になる。これには、非致死性の癌と非癌疾病は含まれていない。
4
LNT(線型閾値なし)モデルにもとづき、DDREF(線量・線量率効果係数)を1とする。
IAEAは、放射線量も知らないまま、「識別できる健康への影響はない」と結論する。
IAEAフクシマ報告はこういう――「しかしながら、公衆の受けた線量が低レベルと報告されていることに鑑み、本報告の結論は国連総会に提出されたUNSCEAR報告の結論に同意するものになる。UNSCEARは、被曝した公衆とその子孫に放射線関連の健康に対する影響を示す症例の識別しうる増加はないという知見を得た」。
このような記述は問題であり、その理由は数多くある。国民の線量推計値が不明であるだけでなく、集団線量推計値もまた重要であり、数千もの人びとに対する影響は線型閾値なし(LNT)モデルにもとづいて予測するべきである。放射線防護において、LNTは放射線被曝量を数値化し、規制限度を設定するための基礎である5。また、IAEAフクシマ報告がいう、識別できない、または認識できない健康作用は、健康作用の不在と同義ではない。
5
Low-dose Extrapolation of Radiation-related Cancer Risk ICRP Publication 99
Ann. ICRP 35 (4), 2005,
http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP+Publication+99
個人放射線監視
IAEAフクシマ報告はこう述べる――「初期の放射線量評価は環境モニタリングと線量推計モデルを用いており、その結果、いくぶんの過大評価をともなった。本報告の推計には、地方自治体が提供した個人モニタリング・データも含まれており、じっさいの個人線量に関する堅固な情報を提示している」。これは、日本で「ガラス・バッジ」と呼ばれ、福島県の住民に配布された熱ルミネセント線量計(TLD)の使用を指している。
個人線量計、それ自体は放射線防護における重要な機器である。しかし、放射線防護委員会(ICRP)勧告111に述べられているように、それは環境モニタリングで補完されるべきものである6。たとえば、個人線量計を用いる場合、一部の人たちが屋外で線量計を常時携帯していないために、リスクを過小評価することになるので、両方を組み合わせるべきである。
6
Application of the Commission's Recommendations to the Protection of People
Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation
Emergency ICRP Publication 111 Ann. ICRP 39 (3), 2009J. Lochard, I. Bogdevitch,
E. Gallego, P. Hedemann-Jensen, A. McEwan, A. Nisbet, A. Oudiz, T. Schneider,
P. Strand, Z. Carr, A. Janssens, T. Lazo,
もうひとつの問題として、ガラス・バッジで収集したデータでは、汚染地で暮らしている住民への影響を著しく過小評価しかねない。これは、たとえば(子どもたちが健康問題につながる屋外遊びを許されないなど)屋外ですごすことを避けるというように、人びとが行動を変えるからである。それ故、記録された線量は、通常のライフスタイルの場合に受ける線量より低くなる。そのような個人測定値が人びとを帰還させる決定の参考にされると、そのように変えられたライフスタイルが標準に設定されることになる。これは、人びとがリスクを避ける努力をすればするほど、送り返される地域の放射線レベルが高くなるという矛盾につながる。これでは、生活の質に関する基本的な問題が生じる。
IAEAフクシマ報告は、ガラス・バッジで収集したデータが、避難指示について決定するさいの立派な参照項目になるとほのめかしている。報告は環境モニタリングがじっさいの線量を「過大評価」し、バッジが「より厳密な情報」をもたらすと最初に述べており、「特定の行動に関連する控えめな決定、消費者製品に対する行動集中、沈滞した行動が広範な制約を招き、それにともなう困難をもたらした」とつづけた。日本の当局者たちは、過小評価の可能性と人びとの生活の質を考慮に入れずに、バッジの読み取り値を避難指示の解除を決定するための「より厳密な」データ情報源として頼るべきであるとIAEAフクシマ報告から結論することができる。
ガラス・バッジは個人防護のための個人線量計として用いるのに適しているが、市町村における避難指示解除のレベルを決めるのに適した手段であるとみなすべきではない。
汚染地への強制的な帰還――住民の安全は尊重されていない
ICRP勧告111は、「近年になって、当事者の関与が政策決定の最前線に押し出されてきた。委員会は、そのような関与がたいがいの現存被曝状況における放射線防護戦略の開発と実施の要であると考える」と述べる。
さらにこうつづける――「防護戦略、および包括的には復興計画において、影響を受けた住民の感情的な関与を促す条件を整え、手段を提供することは、当局者ら、とりわけ規制レベルの当局の責任である。汚染地域管理に関する過去の経験によって、防護戦略の実施に地方の専門家たちと住民が参画することが復興計画の維持にとって重要であることが実証されている」。
IAEAフクシマ報告はまた、利害関係者の参画の重要性について次のように言及している――「成功するために、方針決定プロセスにおける影響を受けている住民の関与が必要である…」。
しかしながら、この文書は、避難指示が2014年に解除された田村市(都路地区)や川内村、そのような決定が準備されている飯舘村など、福島県内に現存している紛争を認識していない。政府は避難指示を解除してから1年後に避難民に対する賠償金の支払いを停止する方針を掲げている7。たいがいの住民は自宅を所有し、別の家屋を自分たちの手で購入したり借りたりするのに足りる資金を持っていないので、このことは、彼らが望んでいなくても、汚染地域に帰還することを経済的に強いられることを意味する。人びとに帰還を強制することを「当事者の関与」の範疇でくくるのは無理である。汚染地域に帰りたいか否かについて、人びとはどのような場合でも選択権を持っているはずである。
7
“Ministry plans to end TEPCO compensation to 55,000 Fukushima evacuees in
2018”, May 19 2015, https://ajw.asahi.com/article/0311disaster/fukushima/AJ201505190055
朝日新聞デジタル:東電の原発慰謝料「18年3月分まで」政府・与党検討
最適化原則の限定的な適用
ICRPによれば、緊急局面のあとの期間を指す用語である「現存状況」において、住民が被曝する線量を「合理的に」可能なかぎりに削減するために最適化原則が不可欠である。ICRP111は、「その目的は,個人線量を参考レベルより下に低減することをめざして最適化された防護戦略,すなわち段階的に進む一連の防護戦略を履行することである」8と明確に説明している。非常に重要なことに、ICRPは、「防護の最適化は,将来の被ばくを防止または低減することを目的とした前向きな反復プロセスである」と説き、参照レベルを時間経過とともに下げるべきであると勧告している。
8
Application of the Commission's Recommendations to the Protection of People
Living in Long-term Contaminated Areas after a Nuclear Accident or a Radiation
Emergency ICRP Publication 111 Ann. ICRP 39 (3), 2009J. Lochard, I. Bogdevitch,
E. Gallego, P. Hedemann-Jensen, A. McEwan, A. Nisbet, A. Oudiz, T. Schneider,
P. Strand, Z. Carr, A. Janssens, T. Lazo, http://www.icrp.org/publication.asp?id=ICRP%20Publication%20111
IAEAフクシマ報告は、「公衆消費製品の放射能許容レベルが規制機関による適用および国民の理解を促すためには、それが国際標準と一致している必要がある。国の標準は国際標準に合致しているべきである」と述べており、ICRP111勧告と矛盾しているようである。
今日、コメなどの食品に対する日本の参考レベルは、放射性セシウムに関して100
Bq/kgに設定されており、欧州連合で使われている標準より確かに低い。しかし、測定値がこの参考レベルを超えるコメの量は非常に少なく、これを市場から排除しても、日本の農業や経済に悪影響をもたらさない。さらにまた、もっと厳格な参考レベルを適用することは容易に実現可能であり、最適化を正しく適用すれば、これは論理的であるだろう(容易にできるのだから、実行すべきである)。IAEAフクシマ報告は日本の参考レベルが低いとほのめかしており、最適化原則を弱体化させようとしているが、これこそがフクシマのような「現存」状況における放射線防護の要石なのである。
正当化原則は、住民ではなく、核産業の利益を守る
IAEAフクシマ報告は防護対策を決定するための費用・便益アセスメントに言及し、「放射線量回避による潜在的な便益は、防護対策とその実施そのものによる個人的および社会的不利益に勝っていなければならない」と述べている。
費用と便益の均衡化の根底にある前提は、(費用=測定実施時の放射線リスクを含め、測定に要するコストであるに対して…便益=人の命を守り、癌を予防し、病気を未然に防ぐなど…として)全国民が等しく負担する共通の費用と等しく享受する便益を計算できるということである。
このような功利主義的な考えかたに潜んでいるかもいれない、もっと基本的な倫理問題を別にしても、これは非常に基本的な社会的葛藤を明らかに隠している。次にいくつか列挙するような利益相反(費用と便益の非対称性)が考えられる――
§
東京電力vs住民:(たとえば、死を避けるといった)測定の便益は人のためであり、(測定にかかる)費用は、東京電力(事故の損害に責任があり、偶発的な被曝を避けるための予防測定に費用を負担する責任を負う私企業)の負担になる。
§
地域間の利害衝突:最も被害の大きい地域(福島県、茨城県など)の住民vs日本の全国民の利害衝突が考えられる。日本のもうひとつの重要問題は、(通常の運転時に電力会社から賠償金を受領し、建設を承認する権限を付与されている)原子力発電所の立地市町村と(金銭を支払ってもらわず、建設の可否に関する発言権もない)周辺自治体の利害衝突である。福島第一原子力発電所から30
kmないし40 kmの浪江町や飯舘村は重大な被害をこうむったが、歴史的に賠償金を受領していない。その結果、損害をこうむっただけで、便益(限定市町村「税」)はない。これは、日本で停止中の反応炉43基の再稼働をめぐる論争の中心テーマ、再稼働に対する発言権をもつ自治体の範囲はどこまでか、承認権を付与される自治体の範囲をどこまで拡げるかといった論題になっている。
§
社会経済的な利害衝突:被害を受けた住民のうち、富裕層は被曝を削減するための選択肢(経済的補償がなくても、自主避難または移住する機会)に恵まれている。
§
世代間の利害衝突:住民のなかでも、世代間の利害が衝突する。若い人びとの場合、防護措置の潜在的な便益を最大限に享受するが、比較的に便益が小さくなる年配の世代がコストを負担することになる。日本でさらにまた、年配住民は移住に消極的である。このことは、年配の縁者の暮らしを支える若い世代を汚染レベルの高い地域に長期にわたり留めおく結果になる。緊急対策計画において、子どもたちの権利に特段の注意を払う必要がある。
§
長期的な世代間の利害衝突:事故に由来する健康に対する遺伝的な影響、汚染地域、放射性廃棄物管理は将来の世代に継承される。将来の世代を費用・便益比較に組み込むのは、倫理的に問題である。
§ 高リスク集団vs低リスク集団:これは高レベルに被曝する(小)集団と低レベルに被曝する(大)集団の利害衝突である。集団線量の概念にもとづいて、費用・便益を杓子定規に解釈すれば、(たとえば、移住など)非常に経費のかかる手段を採用して、少数の人びとの被曝量を大幅に下げはしても、集団線量としては小幅な低減にしかならないのに対して、大人数で被曝量の少ない住民の被曝低減策を採用したほうが効果的であると数学的に結論するような状況につながりかねない。倫理的な観点に依拠し、社会経済的要因を考慮すれば、集団便益の最大化をめざすために、(「生贄」になる)この小集団に大きな重荷を負わせるのは、公平といえないだろう。これが、「限度」または参考レベルもまた活用しなければならない理由である。
IAEAフクシマ報告は、このような費用・便益の衝突を認識していない。その結果、事故の影響をこうむりながら、反応炉を建造する決定、貧弱な安全条件で反応炉を運転する状況、過酷事故の影響を管理する様相に対して、ほとんど影響力を行使できない人びとに比較して、リスクを出現させた連中(原子力事業者)の説明責任がほとんどないことになってしまう。
…つづく
…つづく
*** 本稿の構成 ***
1.放射線と健康
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