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フクシマ核惨事4周年:
癌リスクのある放射線量レベル
2015年3月11日
PHOTO: Norio
Kimura, 49, who lost his father, wife and daughter in the tsunami, checks
radiation levels near the Fukushima Daiichi nuclear power plant. (Reuters:
Toru Hanai)
父、妻、娘さんを津波で亡くした木村紀夫さん(49)が、福島第一原子力発電所の近くで放射線レベルを測定
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4年前の今日、マグニチュード9.0の地震と巨大な津波が日本は襲い、広範におよぶ破壊をもたらし、22,000人近くの人びとが死亡または行方不明となりましたが、福島第一原子力発電所の危機も招きました。
三重核メルトダウンはチェルノブイリ以来、世界最悪の核災害になりました。
放射線レベルが高いため、いまだに約120,000人の人びとが自宅に戻れずにいますが、癌など、長期にわたる健康への影響の恐れが、日本で最も深刻な懸念と論争の種になっています。
災害以前の日本では、子どもたちの甲状腺癌症例数は、100万人あたり、ほんの1例か2例でしたが、現在の福島では、検査を受けた子どもたち約300,000人のうち、100人以上が確定症例または疑い例と診断されています。
ムトウ・メグミさんの娘、ナナさんは甲状腺のしこりが大きくなっていないか検査するために、スキャンを受けてきました。症例数は少ないものの、しこりが癌に進展する恐れがあります。
ムトウさんは、腫瘍の原因が2011年3月のフクシマ核惨事による高レベルの放射線であると確信しています。
AUDIO: Four
years after Fukushima disaster, long term health implications dominate
concerns (AM)【オーディオ】フクシマ惨事4周年、長期にわたる健康不安で頭がいっぱい(午前ニュース)
「わたしは怒っています。当局者らは本当の危険を隠蔽し、今ではもっとたくさんの子どもたちが[癌と]診断されています」とムトウさんはいいました。
検査技師は、福島の癌急増を検証する必要があるといいました。
科学者の一部は、増加したのは、単に感度のよい装置を使って、数多くの検査をこなしたからであるにすぎないと述べました。この見解は国連報告に後押しされていますが、他の信頼できる科学者たちは、甲状腺癌の急増は重要であり、徹底的に検証しなければならないといいました。
Almost four years after the Fukushima disaster ABC
correspondent Matthew Carney tours its crippled power plant as Japan prepares
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甲状腺癌は核災害から4~5年ほどたってから発症すると予想されています。
チェルノブイリでは、約6,000人の子どもたちが甲状腺癌を発症しましたが、福島よりも大量の放射能が放出されました。
ムトウさんは、娘さんと息子さんがフクシマ放射性フォールアウトに被曝してから、他の子どもたちと同様、変わってしまったといいました。
「二人は体に発疹ができ、鼻血を出しました。息子の白血球数が減少しましたし。二人とも、驚くほど疲れやすくなりました」と、ムトウさんは話しました。
「今はまだ癌になっていないかもしれませんが、二人とも、甲状腺に複数の結節があります。ほんとうに心配です」
ムトウさんは、県と政府を相手に提訴した約100名の福島県民のひとりです。
提訴した人びとは、県と政府が子どもたちを守らなかったと主張し、政府や東京電力が放射線レベルと安全について彼らに告げることを信用していません。
そこで彼らは、独自に放射線量測定を実施しました。彼らは福島市の学校の近くで、東京の約100倍、1時間あたり3マイクロシーベルトの放射線量を記録しました。
コンノ・スミオさんは29年間にわたり原発で義歯として働いてきましたが、放射線量レベルを検証する必要があるといいます。
「わたしは検証し、事実を社会に伝えなければなりませんので、訴訟事件の申立人に加わりました」と、コンノさんは述べました。
「4年たったいまでも、子どもたちが生活していたり、学校が近かったりする場所が除染されていない地域があります」
PHOTO: Smoke
rises from the earthquake and tsunami damaged the Fukushima nuclear plant on
March 14, 2011.(DigitalGlobe: AFP)【写真】2011年3月14日、津波で損傷した福島第1原発から立ち上る煙
コンノさんは、自宅は放射線量レベルが途方もなく高いので自宅に帰ることはできないだろうといいます。
「わたしは災害のために浪江の故里を失い、未来を見通せません」と、コンノさんはいいました。
「大勢の人たちが意気消沈しており、孤立感を味わっています」
福島県は、2011年3月11日災害に由来する1,800件以上のストレス関連死を認定しています。
ムトウさんは、家族を福島県外に移住させたいと思ったが、できなかったといいました。
「福島は豊かな農業県でしたので、親戚や友だちにいただいた地元産のもので暮らしていましたが、わたしはいま、他県産の食品を買っています」と、ムトウさんはいう。
「高くつきますので、八方ふさがりです」
Topics: nuclear-accident, disasters-and-accidents, japan
初出:2015年3月11日8時02分
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