2018年8月10日金曜日

カウンターパンチ【評論】#ヒロシマ & #ナガサキ:虚構 VS 事実

  
カウンターパンチ
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[訳注]図書画像の挿入は訳者による。
201888

ヒロシマ&ナガサキ:虚構&事実

ジョン・ラフォージ JOHN LAFORGE

アメリカの原爆による1945年のヒロシマとナガサキの破壊について、通俗的な説明は、マイク・ハシモトが2016年にダラス・モーニング・ニュースに書いたような、「さもなくば、何万人ものアメリカ人が死んだだろうが、同じようにもっと多くの日本人が死んだだろう」という嘘だが「最も偉大な世代」のストーリーにいまだにこだわっている。

その年、ニューヨーク・タイムズは、「多くの歴史家は、合わせて200,000の人命を奪った、ヒロシマ、さらにナガサキに対する爆撃だが、列島に侵攻すれば、遥かに大規模な流血を招いたので、結局、人命を救ったと信じている」と報道した。たぶん、多くの歴史家だろうが、それほど多くはない。

それどころか、合衆国原子力規制委員会の歴史部門主査、J・サミュエル・ウオーカーは1990年、ディプロマティック・ヒストリー誌に、「学界のコンセンサスは、日本侵攻を避け、比較的短期間のうちに戦争を終らせるために、原爆は必要でなかったというものである。原爆の代替案が存在したこと、そしてトルーマンと彼の補佐官らはそうと知っていたことは明白である」と書いた。

歴史家のマーティン・シャーウィンは、2003年刊の著書“A World Destroyed: Hiroshima and Its Legacies”[『破壊された世界――ヒロシマとその遺産』スタンフォード核時代シリーズ]において、「原爆がアメリカ人の命を救ったというより、むしろ犠牲にしたのかもしれないと示唆する新たな証拠の『考慮に値する要点』…すなわち、仮に合衆国が断固として、原爆を完成し、実験し、最終的に使用していなかったとすれば、幾週間も前にさかのぼって日本降伏の条件が整い、沖縄の大量の流血が避けられていた」として、「善玉」原子爆弾の言い伝えの偽りを暴いた。

歴史学者のガー・アルペロヴィッツは、著書“AtomicDiplomacy: Hiroshima and Potsdam”(ヴィンテージ・ブックス1967年刊)[『原爆外交――ヒロシマとボツダム』]において、「入手可能な証拠によれば、戦争を終結したり、人命を救ったりするのに原子爆弾は必要なかったこと――そして、このことは当時のアメリカの指導者たちに理解されていたこと――が示されている」と書いた。さらにまた、戦時機密指定が解除され、前書出版以来28年間の調査を積んだ結果、アルペロヴィッツは1995年刊の決定版歴史書“TheDecision to Use the Atomic Bomb”を著し、この論点をなおも強化した。

提督と将官は神話を粉砕

退役戦闘員と爆撃機搭乗員らは、ミッドウェー、ガダルカナル、硫黄島、沖縄、その他の戦地で戦い、死をかけて、194586日よりずっと前に日本を打ちのめしていたのであり、第21爆撃集団司令官、カーティス・ルメイ少将が豪語したように、これは数十人もの軍司令官らが裏づける事実である。ルメイは1945920日、「ロシアの参戦がなくとも、原子爆弾がなくとも、戦争は2週間以内に終わっていたでしょう」と公に発言した。その意味を明確にしてほしいと頼まれ、大量焼夷弾攻撃による日本の67都市の破壊を指揮した将軍は、「戦争終結に、原子爆弾はまったく関係なかったのです」と念押しした。

太平洋の陸軍航空隊の複数部隊を指揮したジョージ・ケニー大将は、1969年に見解を求められ、「わたしが思うに、われわれはどこでもジャップ(ママ)を打ち負かしていました。わたしは、やつらが負けるなら、1週間かそこらで手を上げていたと考えています」と応じた。アルペロヴィッツは、第二次世界大戦時の海軍長官、ジェームズ・フォレスタルの補佐官だったルイス・ストラウス提督が1960年、歴史学者のロバート・アルビオンに宛てて、「海軍の観点で述べれば、キング提督、ハルシー提督、ラドフォード提督、ニミッツ提督、その他の発言があり、いずれも、原子爆弾および日本本土侵攻提案の双方とも、降伏を促すのに必要なかったと表明しております」と認めていたと指摘する。

ドワイト・アイゼンハワーは、著書“Mandatefor Change”[『変化の負託』]において、ヘンリー・スティムソン陸軍長官が彼に原子爆弾が使われると告げたとき、「第一に、日本はすでに敗北していた、原爆投下はまったく不必要であるという、わたしの信念にもとづき、わたしは深い懸念を彼に表明した…」と認めた。

トルーマン大統領の参謀総長、ウィリアム・リーヒ元帥も同じ見解だった。ロバート・リフトンとグレグ・ミッチェルが、共著“Hiroshimain America: 50 Years of Denial”[『アメリカのなかのヒロシマ――否認の50年』]で伝えたように、リーヒは、「わたしの見解をいえば、この残酷な兵器をヒロシマとナガサキで使ったのは、わが国の対日戦争にとって、なんの物的支援にもなりませんでした。日本はすでに負けており、今にも降伏するお膳立てができていました…」と語った。正史[公認の歴史]さえも、フィクションを暴いてきた。アルペロヴィッツはデシジョン誌上で、「合衆国戦略爆撃概説は、原子爆弾がなく、ソヴィエトの宣戦がなく、アメリカの侵攻がなくても、日本が1945年に降伏する見込みが大いにあったとする結論を公表した」と明記した。

それでもなお、200,000人の大量殺戮は人命を救うために必要だったという神話は、歴史記録を考慮したり、受け入れたりするのを拒んでいる何百万人もの合衆国市民に信じられている。この「最も偉大な世代」冒険譚の最も偉大な創作物は、夜の眠りを幾ばくかむさぼったり、世界全体がわれわれを殺すより、民間人を殺したほうがマシだと考えたりするのに役に立つかもしれないが、核兵器廃絶の役には立たない。

More articles by:JOHN LAFORGE

ジョン・ラフォージは、平和と環境の正義をめざすグループ、ニュークウォッチ[核監視]の共同代表、ニュースレターの編集者。
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【クレジット】

CounterPunch, “Hiroshima and Nagasaki: Fictions and Facts,” by John LaForge, posted on August 8, 2018 on https://www.counterpunch.org/2018/08/08/hiroshima-and-nagasaki-fictions-and-facts/.

【ジョン・ラフォージ記事】

2018724日火曜日
福島第一原子力発電所の核反応炉3基のメルトダウン事故による放射能の環境放出量は1986年のチェルノブイリ破局事故によるそれを凌駕しているので、われわれはフクシマ核惨事を史上「第二に過酷」な核災害と呼ぶのをやめたほうがよい。『世界原子力産業現状報告2013年版』によれば、フクシマの大気中放出総量はチェルノブイリのそれの5.6倍ないし9.1倍になると見積もられている。同報告のフクシマの部を執筆した細川孔明教授は当時、ロンドンのチャンネル4ニュースで、「ほとんど毎日のように、新たな事態が勃発していまして、ここ数か月のうちに、あるいは数年のうちに、彼らが状況を制御できるようになることを示す兆候はありません」と語っていた。

20141123日日曜日
放射線基準を緩和する。自己責任に上限を設ける。改良に代えて、原子炉プロパガンダ。期限切れを超えて古い原子炉を動かす。設計仕様を超えてエンジンを回転させる。…われわれはメルトダウンを切望してやまないと思えるだろう。環境保護局は重大漏出事故後の放射線被曝限度の引き上げを勧告した。ガタのきた原子炉をただちに停止するよりも、人間の被曝量拡大を許容して、業界を十把一絡げに救おうというのだ。






2018年8月9日木曜日

CBS【ニュース】米政府保健当局者ら、ウラニウム加工☢汚染廃棄物と癌の関連の可能性を認める





CBS NEWS  201887 7:36 AM

連邦政府保健当局者ら、セントルイス地域の放射性廃棄物が癌と関連している可能性を認める

連邦政府は、セントルイス地域[ミズーリ州東部]の一部の人びとについて、癌を発症するリスクが高いと認めた。最近の保健報告によれば、数十年前に放射性廃棄物で汚染された地域で育った一部の住民は、さまざまなタイプの病気に加えて、骨と肺の癌にかかるリスクが増大していることがわかった。このアセスメントは、アメリカ疾病予防管理センターの一支局、環境有害物質・特定疾病対策局によって実施された。

CBSニュース通信員、アンナ・ワーナーの報告によると、この状況はアメリカが数十年前に推進した核兵器計画に関連しているので、セントルイスに特有のものではない。土壌に放射性廃棄物が根強く残存しており、だから自分たちや愛する人たちが癌にかかったのだと信じる人たちは多い。連邦保健当局者らが、今になって初めて記録文書で、これは現実の可能性であると認めた。

「彼らが『われわれはあなたの肺と肝臓に病変を見つけました』とあなたに告げたなら、あなたはその瞬間を金輪際忘れないでしょう」と、メアリー・オスコは3年前にCBSニュースに語った。

メアリー・オスコ。CBS NEWS

彼女は断じてタバコに触れることがなかったのに、2013年に第4期の肺癌と診断された。癌の進行を食い止めるために、医者が彼女に処方できる最後の薬に頼っている。

「わたしはまだ死ぬわけにはいきません。社会に貢献するためにやることがあります」と、彼女はいう。

大勢の人たちが自分たちの家族の癌の原因は数十年昔からの放射能汚染だと信じており、メアリー・オスコと夫のジェラルドはそのうちの二人にすぎない。セントルイスは1940年代から50年代にかけて、アメリカの核兵器計画の重要拠点だった。政府はマリンクロッド化学会社に下請けさせて、第二次世界大戦で日本に投下した原子爆弾を作るためにウラニウムを加工させた。

当時、その工程で発生した放射性廃棄物はノース・カウンティの処分場で保管された。数万ものドラム缶は、その多くが山積みされ、環境に対してむきだしであり、土壌と近辺のコールドウオーター・クリークを汚染した。そのクリークこそ、時おり氾濫し、オスコの自宅に隣りあう公園を水浸しにした小川[creek]である。

陸軍工兵隊が2か所の主だった処分場を除染し、コールドウオーター・クリーク沿い数百か所の不動産の検査に歳月を費やした。

担当主任、ブルース・マンホランドは、「検査と試料採取そのものが極端にややこしい仕事です」という。

マンホランドは、トラック輸送業務が一部の汚染の原因になったとして、次のように語った――

「運搬に限っていえば、連中は非常に手際よく仕事したとはいえず、トラックの荷積みにカヴァーもかけず、万事ルーズにやりっぱなしで、輸送ルート沿いどこでも瓦礫が転がり落ちていました」

このことから、連邦の科学者らにとって、健康リスクの正確な解明は能力を試される課題だったことがわかる。そのひとり、ジル・ダイケンはこういった――

「過去に汚染がどのようなものだったのか、適切な評価を下そうとするのは、わたしたちが取り組まなければならなかった大いに厳しい課題のひとつでした」

それでもダイケンと同僚たちは確かな潜在的リスクを見つけだした。コールドウオーター・クリークの近くで育ったり、1960年代と50年代の長期間、氾濫原で暮らしたりした子どもたちにとって、なんらかの癌、とりわけ骨や肺の癌のリスクが高いかもしれない。

「潜在的リスク」
「コールドウオーター・クリークの中や周辺で遊んだり、その氾濫原で暮らしたり」
1960年代から50年代にかけて、一部の癌のリスクが高かった」
連邦の科学者たちはコールドウオーター・クリーク近辺の潜在的癌のリスクを解明しようとした。CBS NEWS

当局は6月、地域集会で調査結果を提供した。それでも、多くの住民は疑問に答えてもらえないままだった。だが、活動家であるキム・ヴィジンティンは、報告は一歩前進の印だとして、こういった――

「追加的な地域が検査され、研究がその機会をわたしたちに提供してくれるのを見たいものです」

彼女のフェースブック・グループは2012年に癌の疑い症例を追跡しはじめ、健康調査を要求してきた。ヴィシンティンは12年前、6歳だった息子を脳腫瘍で亡くしていたが、彼女にとって、報告は切実に必要だった情報をもたらしてくれた。彼女はこういう――

「彼らにとって、可能性としてありうると認めるのは大ごとなのです」

陸軍工兵隊は3年前、オスコの自宅に隣接する公園で低レベル放射線を検出した。その公園は今では除染されているが、オスコ家の人たちは、わが家の子どもたちがその公園で遊びながら育ったことを知りながら、そこに住んでいる。オスコはこういう――

「そんなこと知りませんでしたし、そうでなきゃ、こんな家を買っていませんよ。

「もしわたしにわかっていれば、なにかできたでしょうし、引っ越していたでしょう」

オスコ家を含め、マリンクロッド社をはじめ、ウラニウムと放射性廃棄物を扱っていた他の企業数社に対して訴訟をつづけている。マリンクロッド社は、同社陳述を一部抄録すれば、次のように主張した――

「弊社はいかなる時も、契約他社もそうですが、合衆国政府の指示のもとで作業しましたし、マリンクロッド社は、いかなる時も、ウラニウム、またはその副産物をまったく所有しておりませんでした。合衆国政府が、あらゆるウラニウム原料、仕掛品、副産物、残留物を所有し、事業を遂行するための立地点を決定していました。さらに言えば、合衆国エネルギー省および合衆国陸軍工兵隊は数十年間、責任を担っておりましたし、立地点における除染事業全体を担当しております」

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【クレジット】


CBS News, “Federal health officials agree radioactive waste in St. Louis area may be linked to cancer,” posted on August 7, 2018 at https://www.cbsnews.com/news/radioactive-waste-cancer-federal-health-officials-acknowledge-possible-link/.

2018年8月2日木曜日

トリシティ・ヘラルド【地元記事】ハンフォード解体作業員の汚染、昨年は42名に

トリシティ・ヘラルド紙
[訳注]トリシティズTri-Cities)とは、米国ワシントン州ハンフォード核保留区の後背地である3自治体、ケニウィック、パスコ、リッチランドを中心とする広域都市圏。人口は2010年国勢調査で253,540人。


昨年の被汚染作業員が42名に
ハンフォード除染請負業者、今回はもっと安全に

アネッテ・キャリー ANNETTE CARY
·         2018726
·          
【ワシントン州リッチランド発】ハンフォードで最大限に放射能汚染された建屋のひとつを解体する作業が10月、より慎重かつ意図的に作業を実施する新たな計画のもとで再開されるかもしれない。

その工場建屋の取り壊しは20296月に終了する可能性があり、そうなれば、核保留区内で長期にわたり、時には厄介な事態に陥った事業が完了することになる。

プルトニウム仕上げ工場における作業は、201712月に放射性粒子が拡散し、11名の作業員が粒子を吸入したり摂取したりして、少量の放射能で汚染し、彼らの体内で放射能が崩壊する事態になって、その時に中断された

その11名が、20176月に放射性粒子が空中に舞い上がって、汚染された31名の作業員に加えられることになった。


12月の事故では、自家用車や公用車が放射能で汚染し、その一部は町に乗り入れた。

今月、航空撮影されたハンフォード核保留区の高度に汚染されたプルトニウム仕上げ工場の残骸。青い色は、放射能汚染物質が空中に舞い上がるのを防ぐために散布された定着剤による。
David Wyatt Courtesy Department of Energy

12月とそれ以前にも、コロンビア川の近く、そして施設内だが一般道240号線に近接したラトルスネイク・バリケードで汚染が見つかっており、少量の放射能汚染が何マイルもの距離に渡って拡散していることがわかる。

工場の取り壊しは屋外で重機を使っておこなわれており、新たな工事計画では、解体中に汚染区域にテントを設置するなど、なんらかの被覆をかけるといった必要な対策の不備を解消することになる。

ジェイコブス工学技術グループのキャレン・ウイモルト上席副社長は、テント、その他の被覆設備を設計し、資材を購入し、設置する作業に2年はかかるかもしれないと語った。

その期間中、部分的に解体された建屋は劣化が進行するだろうし、小動物が汚染区域に入り込んで、汚染物質を拡散するのを防止するのは難しいだろう。

事業を早期に完了できる無被覆解体方式が、リスク度が比較的に低い選択肢であるとして選ばれた。

ウイモルト上席副社長は、「管理を強化して、念には念を入れて進めるほうが、遥かに意味があります」と述べた。

ジェイコブス傘下の工場解体請負業者、CH2Mヒル・プラトー・リメディエイションは、核保留区施設の解体およびその関連作業の再開にあたって、管理の改善を計画している。

放射性物質を検出するモニターの設置箇所を増やすことになる。それに加えて、モニターの確認回数を増やし、夜間よりも解体作業中の昼間の確認を重視する。

解体作業は、一度に施設の1か所だけでおこなわれることになる。2か所同時解体路線は、法的な強制力のある最終完工期限に間に合わせるために、作業スケジュールの遅れを取り戻す手段として始められた。

以前のように解体作業が加速すると、地上に置かれた瓦礫の山から汚染が拡散したかもしれない。

解体作業の再開にあたって、当日発生分を超える瓦礫の堆積は許されないと、ウイモルト氏は述べた。

昨年12月、ハンフォード核保留区、プルトニウム仕上げ工場プルトニウム再生施設の壁の取り壊しが進められていた。2か所の基部を除いて、壁のほぼすべてが解体された12月中旬、放射能汚染の拡散が見つかった。
Department of Energy

CH2M社は、汚染粒子を定位置に「糊付け」するために塗料のような定着剤を使い続けるが、メーカーが推奨する使用方法に従うことになる。

12月の汚染拡散を招いた問題の検証の結果、散布を容易にするために、定着剤が希釈されていたことが判明した。

新規解体計画は、作業を2局面に分けて、リスク度が最低である作業から着手することを求めている。

12月に作業が中断されたあと、工場の主要区画の地面に汚染されているのに剥き出しのまま放置されていた解体瓦礫は、9月になれば、すぐにでも除去することができるようになるだろう。

その翌月、建屋の主要部の残りについて、プルトニウムを収納していたアーチ型保管庫と併せて、解体を再開できるだろう。

この工場は冷戦期のあいだ、国家核兵器計画に必要なプルトニウムの3分の2近くを処理していた。プルトニウムは溶液の形で工場に搬入され、粉末またはアイスホッケー・パック大の円盤状成形品に加工されて、兵器製造工場に向けて出荷されていた。

加工処理の大半はグローブ・ボックスを長く連ねたラインでおこなわれ、作業員らはボックスの前面に設置された手袋を使って作業箇所に手を伸ばしていた。

おそらく1月には着手できる解体作業は、これまで以上にリスク度が高くて、2系列の生産ラインの取り壊しが含まれる。

グローブ・ボックスのほとんどは、すでに取り除かれているが、長年にわたる生産中に汚染が蓄積された区画は、場所によって塗料で固定されたか、またはタイルで覆われていた。

ハンフォードのCH2Mヒル・プラトー・リメディエイション社の作業員らは、核保留区内の高度に汚染されたプルトニウム仕上げ工場の解体の準備をしていた昨年12月、汚染が拡散する前に梱包されていた瓦礫を運び出してきた。
Courtesy Department of Energy

汚染封じ込めの一助として、排気装置を使って、一帯の空気を吸引することになる。

解体の最終工程は、工場のプルトニウム再生施設に残された解体瓦礫の搬出である。

昨年12月には、プルトニウム仕上げ工場の主要部の一端に付属する施設は大壁を残すのみで解体されていた。

そこで、汚染の拡散が露見した。

ウイモルト氏は、瓦礫の除去にさいして、汚染が空中に舞い上がらないように、厚さ数インチの土砂で覆われている瓦礫の堆積を水浸しにし、泥でベトベトにするという。

プルトニウム再生施設は、工場のなかで最大限に放射能汚染された部分であると信じられていた。

ハンフォード職員らは、312グラムのプルトニウム、またはその関連核種が解体事業で残されていると語った。その大部分、238グラムは再生施設の瓦礫の堆積のなかに、64グラムは工場の加工処理ラインが設置されていた部分にある。

汚染が拡散したあと、事業の規制官庁、ワシントン州エコロジー省は作業停止命令を発布した。

同省は6月、8月の解体作業再開に先立って策定された作業管理見直しに挙げられたものを含め、改善がなされることを条件に低リスク作業に関する命令を解除することに同意した。

エコロジー省は、先行の作業が完了し、汚染拡散を防止する管理強化の効果の有効性が評価された場合のみ、高リスク作業の中止命令解除を考慮することになる

CH2M社には、同社の10年間工期契約の条件として、工場解体の工期内完了を奨励する意味から、最大5100万ドルを稼ぐ機会があった。

同社は2012年までに1200万ドルを稼いだが、それ以上の稼ぎを売る見込がないと見られている。

作業はほぼ20年前、冷戦の終結時に溶液として工事に残されていたプルトニウムの安定化処理を手始めに、工場解体の準備をすることから始められた。

解体作業は2016年遅くに始まった。

法的拘束力のある三者合意で定められた解体期限日は過ぎ去ってしまった。

その期限日は、1年間の工期延長を含めて、20179月末だった。だが、その後、作業の中心課題は、工期の遵守から安全を旨とした作業完了に移っていた。

Annette Cary: 509-582-1533; @HanfordNews

【クレジット】