A World Destroyed: Hiroshima and Its Legacies, Third Edition (Stanford Nuclear Age Series) https://t.co/SxQgHvayhz @amazonJP#Y21メモ サミュエル・ウオーカー『破壊された世界~ヒロシマとその遺産』第3版(スタンフォード核時代シリーズ) pic.twitter.com/RVOGhJ9Sv9
— inoue toshio 子どもを守れ! (@yuima21c) 2018年8月9日
#ヒロシマ&#ナガサキ:虚構&事実— inoue toshio 子どもを守れ! (@yuima21c) 2018年8月10日
「原爆が多数の米兵と日本人の命を救った」…当の軍人たちが否定しているのに、俗説がアメリカ社会に浸透している。
…なんだか原発マフィアの企みと似通っている。
Hiroshima and Nagasaki: Fictions and Facts https://t.co/re95capRF5 by @NatCounterPunch
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[訳注]図書画像の挿入は訳者による。
2018年8月8日
ヒロシマ&ナガサキ:虚構&事実
ジョン・ラフォージ JOHN LAFORGE
アメリカの原爆による1945年のヒロシマとナガサキの破壊について、通俗的な説明は、マイク・ハシモトが2016年にダラス・モーニング・ニュースに書いたような、「さもなくば、何万人ものアメリカ人が死んだだろうが、同じようにもっと多くの日本人が死んだだろう」という嘘だが「最も偉大な世代」のストーリーにいまだにこだわっている。
その年、ニューヨーク・タイムズは、「多くの歴史家は、合わせて200,000の人命を奪った、ヒロシマ、さらにナガサキに対する爆撃だが、列島に侵攻すれば、遥かに大規模な流血を招いたので、結局、人命を救ったと信じている」と報道した。たぶん、多くの歴史家だろうが、それほど多くはない。
それどころか、合衆国原子力規制委員会の歴史部門主査、J・サミュエル・ウオーカーは1990年、ディプロマティック・ヒストリー誌に、「学界のコンセンサスは、日本侵攻を避け、比較的短期間のうちに戦争を終らせるために、原爆は必要でなかったというものである。原爆の代替案が存在したこと、そしてトルーマンと彼の補佐官らはそうと知っていたことは明白である」と書いた。
歴史家のマーティン・シャーウィンは、2003年刊の著書“A World Destroyed: Hiroshima and Its Legacies”[『破壊された世界――ヒロシマとその遺産』スタンフォード核時代シリーズ]において、「原爆がアメリカ人の命を救ったというより、むしろ犠牲にしたのかもしれないと示唆する新たな証拠の『考慮に値する要点』…すなわち、仮に合衆国が断固として、原爆を完成し、実験し、最終的に使用していなかったとすれば、幾週間も前にさかのぼって日本降伏の条件が整い、沖縄の大量の流血が避けられていた」として、「善玉」原子爆弾の言い伝えの偽りを暴いた。
歴史学者のガー・アルペロヴィッツは、著書“AtomicDiplomacy: Hiroshima and Potsdam”(ヴィンテージ・ブックス1967年刊)[『原爆外交――ヒロシマとボツダム』]において、「入手可能な証拠によれば、戦争を終結したり、人命を救ったりするのに原子爆弾は必要なかったこと――そして、このことは当時のアメリカの指導者たちに理解されていたこと――が示されている」と書いた。さらにまた、戦時機密指定が解除され、前書出版以来28年間の調査を積んだ結果、アルペロヴィッツは1995年刊の決定版歴史書“TheDecision to Use the Atomic Bomb”を著し、この論点をなおも強化した。
提督と将官は神話を粉砕
退役戦闘員と爆撃機搭乗員らは、ミッドウェー、ガダルカナル、硫黄島、沖縄、その他の戦地で戦い、死をかけて、1945年8月6日よりずっと前に日本を打ちのめしていたのであり、第21爆撃集団司令官、カーティス・ルメイ少将が豪語したように、これは数十人もの軍司令官らが裏づける事実である。ルメイは1945年9月20日、「ロシアの参戦がなくとも、原子爆弾がなくとも、戦争は2週間以内に終わっていたでしょう」と公に発言した。その意味を明確にしてほしいと頼まれ、大量焼夷弾攻撃による日本の67都市の破壊を指揮した将軍は、「戦争終結に、原子爆弾はまったく関係なかったのです」と念押しした。
太平洋の陸軍航空隊の複数部隊を指揮したジョージ・ケニー大将は、1969年に見解を求められ、「わたしが思うに、われわれはどこでもジャップ(ママ)を打ち負かしていました。わたしは、やつらが負けるなら、1週間かそこらで手を上げていたと考えています」と応じた。アルペロヴィッツは、第二次世界大戦時の海軍長官、ジェームズ・フォレスタルの補佐官だったルイス・ストラウス提督が1960年、歴史学者のロバート・アルビオンに宛てて、「海軍の観点で述べれば、キング提督、ハルシー提督、ラドフォード提督、ニミッツ提督、その他の発言があり、いずれも、原子爆弾および日本本土侵攻提案の双方とも、降伏を促すのに必要なかったと表明しております」と認めていたと指摘する。
ドワイト・アイゼンハワーは、著書“Mandatefor Change”[『変化の負託』]において、ヘンリー・スティムソン陸軍長官が彼に原子爆弾が使われると告げたとき、「第一に、日本はすでに敗北していた、原爆投下はまったく不必要であるという、わたしの信念にもとづき、わたしは深い懸念を彼に表明した…」と認めた。
トルーマン大統領の参謀総長、ウィリアム・リーヒ元帥も同じ見解だった。ロバート・リフトンとグレグ・ミッチェルが、共著“Hiroshimain America: 50 Years of Denial”[『アメリカのなかのヒロシマ――否認の50年』]で伝えたように、リーヒは、「わたしの見解をいえば、この残酷な兵器をヒロシマとナガサキで使ったのは、わが国の対日戦争にとって、なんの物的支援にもなりませんでした。日本はすでに負けており、今にも降伏するお膳立てができていました…」と語った。正史[公認の歴史]さえも、フィクションを暴いてきた。アルペロヴィッツはデシジョン誌上で、「合衆国戦略爆撃概説は、原子爆弾がなく、ソヴィエトの宣戦がなく、アメリカの侵攻がなくても、日本が1945年に降伏する見込みが大いにあったとする結論を公表した」と明記した。
それでもなお、200,000人の大量殺戮は人命を救うために必要だったという神話は、歴史記録を考慮したり、受け入れたりするのを拒んでいる何百万人もの合衆国市民に信じられている。この「最も偉大な世代」冒険譚の最も偉大な創作物は、夜の眠りを幾ばくかむさぼったり、世界全体がわれわれを殺すより、民間人を殺したほうがマシだと考えたりするのに役に立つかもしれないが、核兵器廃絶の役には立たない。
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【クレジット】
CounterPunch, “Hiroshima and
Nagasaki: Fictions and Facts,” by John LaForge, posted on August 8, 2018 on https://www.counterpunch.org/2018/08/08/hiroshima-and-nagasaki-fictions-and-facts/.
【ジョン・ラフォージ記事】
2018年7月24日火曜日
福島第一原子力発電所の核反応炉3基のメルトダウン事故による放射能の環境放出量は1986年のチェルノブイリ破局事故によるそれを凌駕しているので、われわれはフクシマ核惨事を史上「第二に過酷」な核災害と呼ぶのをやめたほうがよい。『世界原子力産業現状報告2013年版』によれば、フクシマの大気中放出総量はチェルノブイリのそれの5.6倍ないし9.1倍になると見積もられている。同報告のフクシマの部を執筆した細川孔明教授は当時、ロンドンのチャンネル4ニュースで、「ほとんど毎日のように、新たな事態が勃発していまして、ここ数か月のうちに、あるいは数年のうちに、彼らが状況を制御できるようになることを示す兆候はありません」と語っていた。
2014年11月23日日曜日
放射線基準を緩和する。自己責任に上限を設ける。改良に代えて、原子炉プロパガンダ。期限切れを超えて古い原子炉を動かす。設計仕様を超えてエンジンを回転させる。…われわれはメルトダウンを切望してやまないと思えるだろう。環境保護局は重大漏出事故後の放射線被曝限度の引き上げを勧告した。ガタのきた原子炉をただちに停止するよりも、人間の被曝量拡大を許容して、業界を十把一絡げに救おうというのだ。
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