2014年8月21日木曜日

ノーム・チョムスキー「午前0時まで、あと何分?」~核時代とアルマゲドン @JapanFocus #核兵器

アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナル Vol. 11, Issue 33, No. 1, 2014818.
「午前0時まで、あと何分?」~核時代とアルマゲドン
How Many Minutes to Midnight? On the Nuclear Era and Armageddon
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http://japanfocus.org/-Noam-Chomsky/4164
ノーム・チョムスキー Noam Chomsky
地球外種族がホモ・サピエンスの歴史を編纂するとすれば、時代区分をBefore Nuclear Weapons(前核兵器時代)とNuclear Weapons Era(核兵器時代)に二分するだろう。後者の時代はもちろん、この奇妙な種族、自己破壊のための効率的な手段を発見する知性を獲得したけれど、証拠が示すように、自分たちの最悪の本能を制御する道徳的・知的な器量は身につけなかった種属が不面目な終末となりうる事態を迎えるまでのカウントダウンがはじまった初日、194586日に幕開けした。
核兵器時代の初日は、リトル・ボーイ、簡単な原子爆弾の成功をもって画期とされた。4日目、ナガサキが、さらに洗練された設計のファット・マンの技術的勝利を身に受けた。その5日後、爆撃機1000機が――あっぱれな兵站の成果――あちこちの都市を空襲し、幾千の人びとを殺しながら、「君たちの政府は降伏した。戦争は終わった」と日本語で宣言するチラシを爆弾投下の合間にばらまき、これを公式空軍史は「グランド・フィナーレ」と記す。最後のB29が所属基地に帰還する前に、トルーマンは日本降伏を発表した1
以上が核兵器時代の幸先よい幕開けの数日間だった。われわれは、その時代の70年目にさしかかろうとするいま、まだ生存しているという驚異の念とともに考えこむべきである。あと何年残っているのだろうと、思いめぐらすのみである。
核兵器と核戦略を統括する戦略出撃軍(STRATCOM)の元司令官、リー・バトラー将軍が、このような苦い展望について、反省の辞をいくつか述べている。われわれがこれまで核兵器時代を生き延びてきたのは「手腕、幸運、神の配慮のなんらかの組み合わせのおかげであり、わたしは神の配慮が一番重きをなしているのでは、と思っている」2と、バトラーは書いている。
バトラーは、核兵器戦略の開発と戦略の効率的な運用のための軍の組織化に関わった長い経歴を振り返って、みずからを「核兵器の熱烈な信奉者のひとり」であったと悲しげに表現する。だが、彼はいま、自分には「わたしが判断するに、核戦略はわれわれに極めて邪な仕え方をしたと確信をもって言い切る責任」があると理解していると言い加える。さらに彼は、このように問う――「核保有諸国首脳部の後継世代はなんの権威によって、われわれの惑星上における生命の存続を左右する権限を独占するのだろう? 最も緊急なこととして、われわれがわれわれの愚かさを面前にして戦慄し、その最も致命的な現れを排除するために団結して関与するべき瞬間、このような息を呑むような専横がまかり通っているのはなぜだろう?」3
バトラー将軍は、自動化全面攻撃を要求する1960年の米軍戦略計画を、「わたしの生涯で審査したなかで唯一、最も馬鹿げて無責任な文書だった」4と書き表す。おそらく仮想敵国のソヴィエトはそれに輪をかけて正気でないのだろう。だが、敵対者がいる場合、あまりにも常軌を逸して、筆舌に尽くしがたいほどであっても、生存に対する脅威の安易な受容法とは、せいぜいこのようなものだと留意しておくことが大事である。
学界と一般識者の論壇で認められた教義によれば、国家政策の至高目標は国家安全保障である。この教義には、国民の安全が含まれていないことを示すたくさんの証拠がある。記録によれば、核兵器による即時破壊の脅威ですら、政策立案者たちには上位に位置づけられていないことが明らかになっている。このことは早くから露呈していたし、いまこの瞬間でも、いえることである。
核兵器時代初期のころ、米国は圧倒的に強力で、並外れた安全保障を享受していた。西半球、両大洋、両大洋の向こう側を支配していた。戦争のずっと前から、米国は世界一の富裕国になり、並ぶもののない優位を獲得していた。戦争中、米国経済は好況にわき、その一方、他の工業諸国は戦災にあったり、深刻に弱体化したりしていた。新時代の幕開けのころ、米国は世界全体の富の半分を握り、その製造能力はさらに大きな割合を占めていた。しかし、潜在的な脅威、核弾頭ICBMが存在した。その脅威は、核政策に関する標準的な学術研究において議論され、ケネディ、ジョンソン両政権期に国家安全保障担当補佐官であり、高レベル機密情報アクセス権を賦与されたマクジョージ·バンディによって実行に移された5
バンディはこう書く――「アイゼンハワー政権期の時宜を得た弾道ミサイルの開発は、あの8年間の最良の成果だった。それでも、このようなミサイルが開発されていなければ、米国とソ連が抱える危険はずっと小さかったであろうという認識を出発点に置いたほうがいいだろう」。ついで彼は、次のような示唆に富むコメントを付け加える――「両政府の内外に、協定によってどうにかして弾道ミサイルを禁止すべきだという当代の真剣な提案にはお目にかかっていない」。
つまり、米国に対する唯一深刻な脅威、全面破壊の脅威を防止してみようという考えは明らかになかったのである。
脅威を防止できたのだろうか? われわれにはもちろん確かなことはいえない。しかし、不可能ではない。ロシアは産業発展と先端技術においてはるかに遅れを取り、環境もずっと脅かされていた。したがって、米国以上に、そのような兵器システムに対して無防備だった。だから、脅威防止の可能性を開く機会はあったが、時代の常軌を逸した狂騒のなか、とても理解されるものではなかった。たしかに、常軌を逸していた。NSC68のような重要文書のレトリックはまったく衝撃的であり、「真実以上に明晰」である必要があるというアチソンの勧告すらも軽視している。
スターリンは1952年に、敵対軍事同盟に参加しないという条件で、ドイツが自由選挙によって統一することを許すと提案したが、この条件は、ドイツ一国が二度にわたりロシアを部分的に破壊し、すさまじい死傷者を出したという過去50年間の歴史を考えれば、とても極端とはいえず、この画期的な提案は、機会がありうることの説得力のある徴候である。
高く評価されていた政治評論家、ジェイムズ・ウォーバーグはスターリンの提案をまじめに受け取ったが、その他の向きは、たいがい無視したり、馬鹿にしたりした。最近の学界は別の見方をしはじめている。辛辣な反共産主義ソヴィエト学者、アダム・ウラムは、スターリンの提案の位置づけを「未解明のミステリー」としている。ワシントンは「臆面もなくあやふやな」根拠で、「モスクワの発議を事もなげに拒否するのに、さほどの労も費やさなかった」とウラムは書く。政界、学界、論壇の犯した失策の結果、「基本的な疑問」が残されたと彼はいう。「スターリンは、新生国家、ドイツ人民共和国を真のデモクラシーの祭壇に捧げる心からの用意があり」、世界平和にとって、アメリカの安全保障にとって巨大であったはずの結果をもたらしえたのだろうか?6
最高クラスの評価を受けている冷戦の歴史家、メルヴィン・レフラーはソヴィエト関連の最近研究を調査して、「(ラヴレンチ―・)ベリア――冷酷・残虐な秘密警察長官――がドイツの統一と中立化に関する取引を西側に提案し、東西間の緊張を緩和するために、東ドイツの共産党政権を犠牲にする」ことに同意し――ドイツのNATO加盟を保証することによって得られる機会を用いて――ロシアの国内政治と経済条件の改善を図った7ことに、多くの学者らが気づいて驚いているのを目の当たりにした。
このような環境下では、協定が合意に達するのは不可能ではなく、アメリカ国民の安全は水平線の向こうの最も恐ろしい脅威から守られていたことだろう。だが明らかに、この可能性は考慮されることがなく、このことが、国家政策において正真正銘の安全保障が小さな位置を占めているにすぎないことを顕著に示している。
その結論はその後の歳月においても繰り返し際立ってきた。スターリンの死後、ニキタ・フルシチョフが1953年に権力を握ると、ロシアは、史上で最も豊かであり、最強の国であり、並外れて優位に立っているアメリカと軍事的に張り合うことができないと認識していた。ロシアが経時的後進性を抜け出し、戦争の破滅的な結果を避けたいと願うなら、軍拡競争から降りなければならなかった。米国の諜報機関は1960年には、ソヴィエトの軽爆撃機部隊、海軍戦闘・迎撃機、航空戦力、また15,000人の東ドイツからの撤退などのように兵力が抜本的に縮小されるなど、実戦軍事力の極めて大幅な削減を確証していた。フルシチョフは米国に対し、同様な軍事予算の削減と、駐ヨーロッパおよび全般的な軍事力を縮小すること、そしてさらなる相互削減に向かうことを提案した。ケネディ大統領はソヴィエト高官らとその可能性を私的に議論したが、提案を却下し、米国がはるか先にいっているにもかかわらず、急速な軍拡政策に飛びついた。元国防総省補佐官であり、安全保障問題の主導的なアナリスト、ウィルアム・カウフマンは、米国がフルシチョフの呼びかけに応じなかったのは、職業用語で「わたしの遺憾とするところであった」8と表現する。
著名な現実主義国際関係論学者、ケネス・ウォルツは、ケネディ政権が「フルシチョフが通常戦力の大幅削減を即座に実施し、最小抑止力戦略を採用しようとしていたにもかかわらず…世界が見たことのないような最大規模の戦略的および通常型平時軍事力の構築に踏み切ったのであり、戦略兵器バランスがわが国に大きく有利であったにもかかわらず、そうしたのである」9と見る。
ワシントンはまたもや、国家の軍事力を増強しながら、国家安全保障を損なったのである。
ソヴィエトの核ミサイル、輸送車両、燃料充填および保守管理用のテントを示す、U2によるキューバ偵察写真。
ソヴィエトは対抗策として少しでもバランスを取り戻すために、196210月、キューバにミサイルを配備した。ロシアとキューバにわかっていたことだが、その月に予定されていた侵略につながるケネディのキューバに対するテロ攻撃も動機になっていた。その後の「ミサイル危機」は、ケネディの顧問で親友の歴史家、アーサー・シュレジンガーのことばを借りれば、「歴史上で最も危険な瞬間」になった。危機が頂点に達した10月末、ケネディはフルシチョフから秘密書簡を受け取り、キューバからのロシア軍ミサイルの撤収とトルコからの米軍ジュピター・ミサイル――陳腐化していたので、もっと破壊的なポラリス潜水艦で代替するために、すでに撤収命令を与えられていたミサイル――の撤収の同時実施の提案を受けた。ケネディの主観的な見積では、提案を拒否した場合の核戦争の確率は3分の1ないし2分の1だった――アイゼンハワー大統領が警告した北半球を破壊する戦争である。ケネディは拒否した。歴史のなかでこれ以上に恐ろしい決定は考えにくい。さらに悪いことに、ケネディは冷静な勇気と政治的手腕で大いに賞賛されていた10
ヘンリー・キッシンジャーは10年後、1973年のイスラエル=アラブ戦争の最終局面で核攻撃を警告した。その目的は、ロシアが彼の精巧な外交戦術に介入しないように警告することにあり、その策略によってイスラエルの勝利を約束するが、それは限定された勝利であり、だからこそ、米国は一方的な地域の支配権を握るようになっていた。そして、その策略は精巧だった。米国とロシアは共同で停戦をお膳立てしたが、キッシンジャーはイスラエルに対して停戦合意を無視していいと秘密裏に伝えた。だから、ロシアを脅して遠ざける必要があったのだ。国民の安全保障の位置づけは、いつものとおりだった11
米軍のパーシング・ミサイル
レーガン政権は10年後、ロシアの海・空軍防衛体制を探るために作戦を発動して、攻撃を模擬演習し、また核兵器を全面展開すらして、同時にロシアに検知されることを意図して、高水準の核攻撃警報を発令した。こうした行動は、非常に緊張した瞬間に実施されたのである。ヨーロッパにはパーシングⅡ戦略ミサイルが配備され、モスクワまでの所要飛行時間は5ないし10分、CIAメモによれば、「ざっといって、クレムリンの指導者の何人かは席を立つが、シェルターにたどり着くのはとても無理な程度」の時間だった。レーガンは19833月、レーガンはSDI(スターウォーズ)計画を発表したが、これをロシアが実効的な先制攻撃兵器であると理解する、全方向ミサイル迎撃防衛システムである。また、他にも緊張が持ち上がっていた。こうした緊張は当然ながら、米国と違って防備力が弱く、繰り返し侵略され、実質的に破壊されていたロシアの警戒心を招いた。そのため、1983年に本格的な戦争騒ぎが起こった。新たに公表された文書によって、危険は以前に考えられていた程度よりずっと深刻であったことが明らかになった。広範な米ロ両国の諜報記録にもとづく最近の研究が達した結論によれば、「戦争の恐れが現実的」であったのであり、しかも米国の諜報機関がロシア側の不安とロシアによる予防的な核攻撃の恐れを過小評価していたのである。『戦略研究ジャーナル』誌の記事によれば、演習がほとんど「予防核攻撃の序曲」となりえたのだ12
BBC1年前、まさにこの世界規模の脅威となる事態が進展していたさなか、ロシアの早期警戒システムが米国から飛来してくる攻撃ミサイルを検知し、最高レベルの警報を発していたと報道するにおよび、われわれは状況がさらにもっと危険な状態にあったことを学んだのである。ソヴィエト軍の運用手順は、核攻撃に対して独自の判断で応戦するというものだった。当直士官、スタニスラフ·ペトロフは指令に従わず、警報について上司に報告しないと決断した。ペトロフは公式な懲戒処分を受けた。彼の職務怠慢のおかげで、われわれは生きて、そのことを話題にできるのである13
レーガン政権の政策立案者らにとって、国民の安全保障は彼らの前任者たちに比べて優先度が高かったわけではない。この話題に関するエリック・シュロッサーによる身も凍るような研究14でたくさん検討されているような、数多くの破滅的事態寸前の事故を別にしても、この状況はいまも続いている。バトラー大将の教訓に異を唱えるのはむつかしい。
冷戦後の軍事行動や政策の記録を見ても、やはりとても安心できるものではない。自尊心のある大統領たるものは、みなドクトリンを持たなければならないとされている。クリントン・ドクトリンは、「わが国にできるなら多国間で、必要なら単独で」というスローガンに集約されていた。「わが国に必要なら」のくだりは、議会証言で次のように詳しく説明されていた。すなわち、米国は「主要なマーケット、エネルギー供給源、戦略資源に対する制約のないアクセス権」を確保するために、「軍事力の単独使用」に訴える権利を有すると演説したのである15
一方、ソ連が崩壊し、クリントン政権がゴルバチョフとの約束に反して――いまも残響のように継続中である――NATOの東方拡張というブッシュ父の計画を前進させてからずいぶんたって、クリントンの戦略出撃軍(STRATCOM)は「冷戦後における抑止力の要点」と標題した重要な研究を発行した16
STRATCOM研究は「冷戦後時代における核兵器の役割」を扱ったものである。その核となるひとつの結論は、米国は、非核国に対してさえ、先制攻撃する権利を維持しなければならないというものだ。さらにまた、核兵器は「いかなる危機または紛争に対しても影を投げかけるもの」なので、いつでも使用可能でなければならず、準備されていなければならないともいう。強盗に入るとき、銃を向けても発砲はしないのとまったく同じように、核兵器は不断に使われているというのが、ダニエル・エルズバーグが繰り返し強調してきた要点である。STRATCOMは、「敵が最も大事にしているもの…を立案者が判断する場合、合理的すぎてはならない」、すなわちあらゆるものを標的にすべきだと助言をつづける。「われわれ自身をあまりにも完璧に合理的で冷静であると決め付けるのは有害である…米国の死活的利益が攻撃される場合、米国はなりふりかまわなくなり、悪意をたぎらせるというのが、われわれの投影する国家的ペルソナ(社会的人格)の一部であるべきである」ともいう。「ある要素が潜在的に『無制御』と見受けられる場合」、絶え間ない核攻撃の脅威を与えることになるので、「これは(わが国の戦略姿勢にとって)有益である」とまでいっているので、これは気にする人がいるなら、国連憲章な甚だしい侵害である。
ここで、気高い目標が不断に批判されているわけではさらさらない。核兵器不拡散条約における地上の惨劇を排除するための「善意の」努力を尽くす義務を問題にしているのでもない。反響しているのはむしろ、ガトリング銃に関するヒライア・ベロックの有名な対句である。偉大なアフリカの歴史家、チンワイズを引用すれば、「われわれがたまたま持っているものは、原子爆弾であり、やつらは持っていない」ということだ。
クリントンの後を継いだのがブッシュ息子であり、その予防戦争に対する大幅な是認は、194112月の日本軍による米国の海外所有基地2か所の攻撃を容易に想起させるものであり、そのとき、日本の軍国主義者らは空飛ぶ要塞B17が工場の組立ラインから溢れでて、「本州と九州の竹藪の蟻の群れを焼夷弾攻撃で一掃するように、帝国の産業中枢部を焼きつくす」ために、これらふたつの基地に配備されることに気づいていた。そこで計画立案者、米空軍のシェンナートによって計画が練られ、ルーズベルト大統領、コーデル・ハル国務長官、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長の熱烈な支持を得た17
次いで、オバマが登場し、核兵器の廃絶という楽しいことばを振りまいたが、同時にこれからの30年間で核装備に1兆ドルを消費する計画を発表し、モンテレー国際大学院の研究によれば、その軍事予算比率は、「1980年代のロナルド・レーガン政権下における新戦略システムの調達経費に匹敵する」18
オバマはまた、政治的得点を稼ぐために、火遊びを厭ってこなかった。たとえば、海軍特殊部隊によるオサマ・ビン=ラディンの捕獲と暗殺を見てみよう。オバマは20135月、国家安全保障に関する重要な演説で、誇らしげにこのことを取り上げた。これは広く報道されたが、重要なパラグラフが無視されていた19
オバマは作戦を称賛したが、これは規範になりえないと付言した。その理由はリスクが「計り知れない」からであると彼はいった。特殊部隊が「銃撃戦の拡大に巻き込まれていた」かもしれず、「領土を侵犯することによって払うことになる、パキスタンとわが国の関係の悪化やパキスタン国民の反発というコストが…厳しいものになった」かもしれないが、それを避けられたのは、幸運によってだった。
では、いくつか詳細な点を付け加えておこう。特殊部隊は存在を検知された場合、武力で脱出するように命じられていた。「銃撃戦の拡大に巻き込まれた場合」、運命のままに打ち捨てられるわけではなかった。舞台を脱出させるために、米軍の総力が投入されるはずだった。パキスタンは、訓練の行き届き、国家主権を防護する意識の高い強力な軍隊を保有していた。同国はもちろん核兵器を保有し、パキスタン人専門家らは聖戦分子による安全保障システムの侵食を懸念している。パキスタン国民が無人機による対テロ作戦や他の米国の政策に憤慨し、先鋭化しているのも、秘密でもなんでもない。
特殊部隊がまだビン=ラディン施設のなかにいたとき、パキスタン軍のアシュファグ・パルヴェス・カヤニ参謀総長は侵略の知らせを受け、インドから運用機が飛来すると想定し、いかなる未確認航空機にも対処せよと軍に命じた。その一方、カブールでは、dエイヴィッド・ペトラウス将軍がパキスタン軍による戦闘機スクランブルに対処するために、米軍用機の出撃準備を整えていた20
オバマがいったように、幸運によって最悪事態は起こらなかったが、その事態はすこぶる醜悪なものになっただろう。だが、リスクはたいした懸念も招かなかった。あるいは、コメントされることもなかった。
バトラー将軍が、これまでわが国が破壊を免れてきたのは奇跡に近いと認めたのは正しかった。われわれが奇跡をもてあそべば、もてあそぶほど、奇跡を永遠に貫徹させる神の介入に願かけすることもできなくなりそうだ。
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この記事の初稿:
2014
85日、TomDispatch.com掲載、Tomgram: Noam Chomsky, How Many Minutes to Midnight? Hiroshima Day 2014
【筆者】
ノーム・チョムスキー(Noam Chomskyは、言語学者、哲学者、政治評論家、活動家。マサチューセッツ工科大学言語・哲学学部大学院の名誉教授。最近の著書に、 Hegemony or SurvivalFailed StatesPower SystemsOccupy,  Hopes and Prospects。まもなく最新著作、 Masters of MankindHaymarket Booksから出版の予定。この出版社は来年、チョムスキーの古典的な著作から12点を再刊の予定。チョムスキー作品のアーカイブ・サイトは、 chomsky.info.
エイヴラム・ノーム・チョムスキー

【推奨されるクレジット表記】
Noam Chomsky, “How Many Minutes to Midnight? On the Nuclear Era and Armageddon,” The Asia-Pacific Journal, Vol. 11, Issue 33, No. 1, August 18, 2014.
Notes
1 Wesley F. Craven and James L. Cate, eds., The Army Air Forces in World War II, U. of Chicago Press, 1953, Vol. 5, pp. 732-33.  Makoto Oda, “The Meaning of 'Meaningless Death,” Tenbo, January 1965, translated in the Journal of Social and Political Ideas in Japan, Vol. 4 (August 1966), pp. 75-84.  See Noam Chomsky, “On the Backgrounds of the Pacific War,” Liberation, September-October, 1967, reprinted in American Power and the New Mandarins, Pantheon 1969.
2 Cited by Stephen Shapin, “How Worried Should We Be?,” London Review of Books, “Vol. 36 No. 2, 23 January 2014.  General Lee Butler, letter to Bill Graham, Chair, Standing Committee on Foreign Affairs and International Trade, House of Commons, Ottawa, July 1998.
3 Butler, International Affairs, 82.4, 2006.
4 Shapin, op. cit.
6 James Warburg, Germany: Key to Peace (Harvard, 1953), 189f.  Adam Ulam,Journal of Cold War Studies 1, no. 1 (winter 1999).
7 Leffler, Foreign Affairs, July-August 1996.
8 Raymond L. Garthoff, “Estimating Soviet Military Force Levels,” International Security 14:4, Spring 1990.  Fred Kaplan, Boston Globe, Nov. 29, 1989.
9 Kenneth Waltz, PS: Political Science & Politics, December 1991.
10 Sheldon Stern, The Cuban Missile Crisis in American Memory: Myths versus Reality, Stanford U. Press, 2012.  For further details and sources see Chomsky,Hegemony or Survival, Metropolitan, 2003, chap. 4.
11 Noam Chomsky and Irene Gendzier, “Exposing Israel’s Foreign Policy Myths: the Work of Amnon Kapeliuk,” Jerusalem Quarterly, Institute of Jerusalem Studies, no 54, summer 2013.  To appear as introduction to Amnon Kapeliuk,The 1973 War: the Conflict that Shook Israel, I.B. Tauris; English translation by Mark Marshall of Hebrew original, "Lo 'mehdal': ha-mediniut she-holicha le-milhama" (“Not `omission’: the policy that led to war”), Amikam (Tel Aviv) 1975.
12 Benjamin B. Fischer, “A Cold War Conundrum: The 1983 Soviet War Scare,” Summary , last updated July7, 2008.  Dmitry Dima Adamsky (2013) The 1983 Nuclear Crisis – Lessons for Deterrence Theory and Practice, Journal of Strategic Studies, 36:1, 4-41, DOI: 10.1080/01402390.2012.732015.  See also the documents released by the National Security Archive.
13 BBC News Europe, 26 September 2013.
15 President Bill Clinton, Speech before the UN General Assembly, Sept. 27, 1993; Secretary of Defense William Cohen, Annual Report to the President and Congress: 1999 (Washington, DC: Department of Defense, 1999).
16 “Essentials of Post-Cold War Deterrence,” declassified portions reprinted in Hans Kristensen, Nuclear Futures: Proliferation of Weapons of Mass Destruction and US Nuclear Strategy, British American Security Information Council, Appendix 2, Basic Research Report 98.2, March 1998.
17 Michael Sherry, The Rise of American Airpower (Yale, 1987).
18 Jon B. Wolfstahl, Jeffrey Lewis, and Marc Quint, The Trillion Dollar Nuclear Triad: US Strategic Nuclear Modernization over the Next Thirty Years, James Martin Center for Nonproliferation Studies, Monterey Institute of International Studies, Monterey CA, Jan. 2014.  Possibly an underestimate; see Tom Collina, “Nuclear Costs Undercounted, GAO Says,” Arms Control Today, July/August 2014.
20 Jeremy Scahill, Dirty Wars, Nation Books, 2013, 450, 443.


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