当ブログ記事「宗教者の皆さん、そしてこころある皆さん、『ふくしま集団疎開裁判』にあなたの声を」をお読みになった日本キリスト教団若松栄町教会の方からメールをいただき、昨年12月に福島県で「原子力に関する宗教者国際会議」が開催されたことを知りました。
とても興味深い催しであり、ここに宗教専門紙「中外日報」報道記事および「日本キリスト教協議会」記事と併せて、同会議の宣言文を転載させていただきます。また同時に会議参加者による嘆願書「原子力のない世界に向けて 原子力問題に関する宗教者会議からの嘆願文」も別ポストで掲載します。
当記事と嘆願書は日英バイリンガルになっていますので、国の内外と問わずに広く拡散してくださるようにお願いします。
井上利男
2013年1月8日 17時14分
日本キリスト教協議会(NCC)の呼び掛けで、アメリカ、ドイツ、韓国など10カ国の宗教者ら87人が昨年末に福島に集まり、「原子力に関する宗教者国際会議」を開催、脱原子力への意識を高めた。被災した宗教者の声や諸外国の原子力事情などを聞き、脱原子力依存に向け宗教や国を超えてネットワークを築くことを誓った。
「放射線汚染の現場から、中通りは今」と題して報告した木田恵嗣・福島県キリスト教連絡会代表は、福島の現状を表す言葉として「分断」「不安」「麻痺」の三つを挙げた。震災以後、男女、高齢者と若者、地域住民と避難者の間などで分断が生じ、不安が生まれ、1年9カ月を経過し放射能への感覚がまひしてきていると説明した。
韓国の張允戴・梨花女子大学校基督教学部教授は、「韓国の原子炉稼働数は世界5位で、周知されたものだけでも654回事故があった。韓国民は『潜在的被ばく者』」と述べ、「原発の安全神話はもとより、絶えず電気が必要だという偽りの神話からも解放される必要がある。福島の大災難は、人類が貪欲な核文明から早急に脱け出さなければならないという大警鐘」と訴えた。(詳細は2013年1月8日号をご覧ください。中外日報購読申し込み)
12月5日(水)~7日(金)の3日間、福島県会津若松市で「原子力に関する宗教者国際会議」が開かれました。東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所の事故を受け、9条アジア宗教者会議が中心になって昨年から準備を進めてきたものです。
欧米、アジ化各国のキリスト教、仏教関係者87名が集い、原子力の問題を宗教者の立場からどのようにとらえ、私たちが今後どのような方向に進んでいくべきかを話し合いました。
脱原発運動に携わる方からの福島県の現状報告、被災者支援活動を行っている方の報告、宗教者による核問題への取り組みの報告を聞き、活発な討議を行った後、最終日に世界に向かって発信する提言をおまとめました。
私たちは、この有意義な会議の成果を内外に知らせ、福島県の被災地の方々が平安な生活を取り戻せるよう祈りつつ、核のない社会づくりに努めていきたいと考えています。
提言のPDFは下からダウンロードできます。
NO!原子力
福島からの信仰宣言 2012
1. 原子力に関する宗教者国際会議は、2012年12月4日から7日まで福島県いわき市および会津若松市において、日本、沖縄、韓国、フィリピン、タイ、ドイツ、香港、インドネシア、スイス、カナダ、米国から87人が参加して開催されました。私たちは、2011年3月11日に起きた地震、津波、東京電力福島第一原子力発電所の事故が、福島県と周辺地域の人びとと自然に与えた影響を目の当たりにし、同時に福島の現状に対する現地からの取り組み、あるいは海外からの支援連帯の現実にも触れました。家族と地域共同体が分断されている事実、住み慣れた家と仕事を失い、こどもたちの健康問題を憂慮する人びとの叫び、とくに母親たちの苦しみと闘いに私たちは深く心をうたれました。「会津放射能情報センター」の働き、また苦しむ人びとに連帯し、癒しのために奉仕するさまざまな働きを知り、さらに原発廃絶とエネルギー使用を変えようと努力している海外の信仰共同体についての報告を受けたことも有意義な体験です。これらの証言は、私たちを励まし、希望を与えてくれるものです。
私たちは、砂場で遊ぶことを恐れるように教えられている3才の幼いこどもについての話に耳を傾けました。こどもの健康を守るために転居を決めた母親が、汚染された地域から去ることをまわりの人びとに言えず、嘘をつかなければならなかった苦しみを彼女の夫の口から聴きました。果たして再び海に出て、漁を続けることができるのか、まったく見通しのたたない漁師の嘆きの声も心に残りました。また福島の住民が、健康について医師のセカンド・オピニオンを聴くことを阻まれているという事実も忘れることができません。地域に政府が設置した放射線測定器と、個人の測定器の測定値との明らかな違いについての映像、汚染地域に残され死を待つばかりの牛、自らの命を断った人が最後に書き残した一言「原発さえなければ」の文字、無人の禁止区域にかけられた「原子力明るい未来のエネルギー」の看板などが、無言のうちに私たちに語りかけました。会議で話された仏教の僧侶の方の言葉「苦しんでいる人たちがお互いに傷つけあう福島になってしまいました。福島が叫んでいます。大地が空が泣いています。福島の声を聴いてください。声にならないこどもたちのいのちの叫びを聴いてください。」原子力についての真実を見据えながら、私たちは「いのちは宝」であることを、祈りのうちに受けとめ、宣言します。
私たちは、砂場で遊ぶことを恐れるように教えられている3才の幼いこどもについての話に耳を傾けました。こどもの健康を守るために転居を決めた母親が、汚染された地域から去ることをまわりの人びとに言えず、嘘をつかなければならなかった苦しみを彼女の夫の口から聴きました。果たして再び海に出て、漁を続けることができるのか、まったく見通しのたたない漁師の嘆きの声も心に残りました。また福島の住民が、健康について医師のセカンド・オピニオンを聴くことを阻まれているという事実も忘れることができません。地域に政府が設置した放射線測定器と、個人の測定器の測定値との明らかな違いについての映像、汚染地域に残され死を待つばかりの牛、自らの命を断った人が最後に書き残した一言「原発さえなければ」の文字、無人の禁止区域にかけられた「原子力明るい未来のエネルギー」の看板などが、無言のうちに私たちに語りかけました。会議で話された仏教の僧侶の方の言葉「苦しんでいる人たちがお互いに傷つけあう福島になってしまいました。福島が叫んでいます。大地が空が泣いています。福島の声を聴いてください。声にならないこどもたちのいのちの叫びを聴いてください。」原子力についての真実を見据えながら、私たちは「いのちは宝」であることを、祈りのうちに受けとめ、宣言します。
2. 2011年に沖縄で開催された第三回9条アジア宗教者会議を覚えながら、私たちは今ここでオキナワとフクシマの人びとが直面している苦しみの共通点、とくに差別と人権侵害の現実を見たのです。それは政府と企業が一人ひとりのいのちと共同体の生活権、さらに環境を優先せず、その決定によって傷つけられ、被害を受けた人びとに正義に基づいた補償がなされていないこと、共同体が分断されてゆく悲しさ、さらに原子力と軍事力の関連性についての真実でした。私たちは、政府、軍隊、企業とマスメディアが共謀して、「人間にとって有利である」とする原子力と基地を推進している事実と、オキナワとフクシマの人びとの経験が、まったく矛盾していることを確認しています。オキナワとフクシマの体験から学ばせていただいた私たちは、「いのちが宝」であることを、あらためて強く訴えます。
3. 私たちの体験と学びによって、原子力は決して安全ではないこと、放射線による被曝には安全基準は存在しないこと、原子力と「いのち」平和は、まったく互換性のないことを確認します。核兵器と原子力は、実にひとつのコインの両側であって、政治、軍事、経済の複合体が、自分たちの利益のために創りあげたものです。原子力は、人間のいのちと環境にこの技術が与える悪影響を無視し、当初から戦争を目的として、政治、軍隊、企業によって開発されたのです。原子力技術を開発しながら、核兵器を表面的に否定する国ぐには、自然とその力を支配できると信じる傲慢を露呈しています。多くの国が、核兵器の製造と備蓄はもちろんのこと、発電施設としての原発の建設のために、巨額な費用をつぎ込み続けました。より意味のある人間のニードのために役立てるのではなく、環境を破壊し、人間、動物と植物の死と疾病を招き、それらのDNAを変え、国家あるいは非国家からの核攻撃の危険に住民をさらし、人間と自然界の生死を左右する重要な決定を不完全な人間の手に渡してしまったのです。人間は過ちを犯すが、その過ちから利益を得るものは、過ちを無視し、また学ぶことをしないという事実に、あらためて気づかされています。
4. 私たちは、真摯にいのちを育み、どこまでもいのちを守ること、さらに原子力と核問題について真実を語り、誤解を招く「安全神話」を明らかにすることを、信仰者の責任として引き受けます。この責任を原発事故によって苦しんでいる方がたの声を注意深く丁寧に聴きとることによって果たします。苦しむ人びとに寄り添い、彼らに課せられた不正を明らかにするために、彼らと心を一つにして行動することを約束します。さらに政府と企業による放射性物質の移動をモニターし、周縁部の共同体、原子力を持たない国、そして未来の世代に核廃棄物が押し付けられる問題について、警告を発します
5. 上記に基づき、私たちは決意します。
ü
私たちの信仰共同体において、原子力の民間および軍事利用についての真剣な討議を始め、個人の生活様式を変えることを含む、信仰共同体としての行動計画を立ち上げること。
ü
核兵器と原子力技術の関連性についての真実を広く知らせ、原子力についての誤った情報と情報隠しについて問いかけ、公表すること。
ü
原子力の誤った利用について直接的非暴力行動を始めること。
ü
原子力の廃止を実現するために、すでに存在している信仰共同体と組織、また真実と修復的正義に取り組んでいる良心的科学者とその他の組織との協働ネットワークを築くこと。このようなネットワークは宗教や国家の壁を越えたものである。
ü
福島の人びとおよび原子力のもたらした被害によって苦しんでいる他の共同体とともに祈り、その声を増幅して彼らの体験を世界に告げること。
ü
2013年世界キリスト教協議会の総会にこの宣言を届け、原子力についての分科会を実現させること。
ü
原子力に頼る社会を、真に持続可能、クリーンで安全なエネルギーに基盤を置く社会へと変革するために働くこと。
6. 福島で開催された「原子力に関する宗教者国際会議」は、原子力のもたらす苦しみの現実について、多宗教、多民族の参加者の目を開かせました。私たちは、原子力の廃絶、原子力ゆえに苦しむ人間共同体の癒し、環境(創造の業)を取り戻すために、できる限りの努力をすることを誓います。今、ここから、この決意と責任を果たすために、それぞれの共同体に戻ります。
2012.12.7 原子力に関する宗教者国際会議参加者一同
No to
Nuclear Power!
Faith Declaration from Fukushima 2012
1.
The Inter-religious Conference on Nuclear Issues held in Aizu-Wakamatsu and Iwaki , Fukushima , from December 4 to 7, 2012, gathered 87 participants
from Japan , Okinawa ,
South Korea , the Philippines , Thailand ,
Germany , Hong
Kong , Indonesia ,
Switzerland , Canada and the USA . We, as people of faith, saw and heard about the
effects of the March 2011 earthquake, tsunami and Fukushima Number 1 Nuclear
Power Plant incident upon the people and environment in Fukushima and other areas. We witnessed the varied local and international
responses to the situation in Fukushima . The people's stories of family and community
separations, lost homes and jobs, the particular
difficulties and struggles that face mothers, and their children's health problems
touched us deeply. We also witnessed the work of the Aizu Radiation
Information Center
and saw ministries of healing and solidarity with the suffering communities. We
heard how faith communities are working in other countries to phase out nuclear
power and transform their use of energy. These are encouraging
signs of hope.
2.
We heard for example of a three year old child who has
learned to fear playing in the sand; we heard from a husband whose wife had to
lie repeatedly to community members about their decision to move for the sake
of their children to avoid pressure to remain in a contaminated area; we heard
from a fisherman who does not know when or whether he will ever again be able
to fish for his living; and we heard how residents of Fukushima are discouraged from seeking independent medical diagnoses. We saw the different readings of government
and independent radiation monitors; we saw photographs of livestock abandoned
to die; we saw the last words of a man who took his own life; and we saw
slogans promising a healthy prosperous life based on nuclear energy in a town
abandoned because of high radiation levels. As one Buddhist priest observed “Fukushima has become a
place where those suffering inflict pain on each other. Fukushima is crying out, the land and sky are
weeping. Please listen to the voice of Fukushima ,
please listen to the cries of the lives of the children who are silent.” Moved
to sober reflection by our experience of the effects of nuclear power and radiation contamination, we prayerfully reaffirm the
sanctity of life and hereby issue this Declaration:
3.
Those participants who also attended, in 2011, the 3rd
Asia Inter-Religious Conference on Article 9 in Okinawa noted some common
elements uniting the suffering of residents of Okinawa and Fukushima Prefecture , especially discrimination and the violation of human rights. These include the low
priority placed by government and business organizations on the life of the
communities, on the individual lives and livelihoods of residents, and
on the
integrity of creation; the inadequate compensation offered to individuals and
families injured by government and corporate decisions; the disruption of
communities; and the relationship of nuclear power to nuclear
weapons. We also perceive the
collusion of government, military, business and media to
promote nuclear power and military bases as beneficial to human beings, which
the experience of people in Okinawa and Fukushima
contradicts. Our experiences in Okinawa and Fukushima
further emphasized anew that all life is sacred.
4.
Based on our research and experiences, we conclude that there
is no safe use of nuclear power, no safe level of exposure to
radiation, and no compatibility between nuclear power and life and peace. Nuclear weapons and nuclear power are two
sides of the same coin, developed and promoted by a political, military and
economic complex for its own benefit. Government, the military and business
developed nuclear
power
for the
purpose of war-making without regard to life and the integrity of
all creation. Nations which have developed nuclear power but
foresworn nuclear arms demonstrate the arrogance to believe they can dominate
nature and natural forces. In country after country, the
construction of nuclear power-generating facilities, let alone the creation and
maintenance of stockpiles of nuclear weapons, has consumed vast amounts of
money which could have been used to serve human needs; damaged for tens of
thousands of years the environment; caused death and disease among human
beings, animals and plants; caused changes in human,
animal and plant DNA; placed populations at risk from nuclear attack by state and
non-state actors; and arrogated to imperfect human beings decisions that
determine the life and death of human and natural communities. We are newly reminded that all humans make
mistakes but too often those who benefit ignore or fail to learn from those
mistakes.
5.
As people of faith, we commit to care for life unreservedly, to protect all life, and to speak the truth and break down misleading myths about nuclear power
and nuclear issues to our own communities and with one voice to all people. We
do so while attentively and respectively listening to those who suffer most
directly the consequences of nuclear accidents. Indeed, we commit to stand with
those who suffer, wherever they may be, and act in unison with them to address
the injustice done to them by denying their right to
live in peace with justice. We further commit to
monitor the movement of radioactive materials by governments and businesses and
to sound the alarm against passing on the problem of nuclear waste disposal to
marginalized communities, non-nuclear nations and future generations.
6.
Therefore, we resolve:
Ø
to initiate serious discussion in our own faith communities
about civilian and military uses of nuclear energy and to develop and enact plans of action as faith communities, including
individual lifestyle changes;
Ø
to inform the public about the true relationship between
nuclear weapons and nuclear power technology and
to expose and challenge the deliberate cover ups and disinformation regarding
nuclear power;
Ø
to initiate direct nonviolent
action to oppose misuse of nuclear power;
Ø
to create and
work with already existing collaborative networks of faith communities and faith-based
organizations that go beyond national and religious
boundaries to
effect the abolition of nuclear power plants and nuclear
weapons and
to work to that end with experts and organizations similarly committed to truth
and restorative justice;
Ø
to pray for and with the people of Fukushima and other
communities suffering the harms caused by nuclear power
while
amplifying their voices as they tell the world of their experiences;
Ø
to send this statement to the World Council of Churches
Assembly in 2013 along with a workshop on the
impact of nuclear
power;
and
Ø
to work together to transition from a
society based on nuclear power to a society based on renewable, sustainable,
truly clean and safe energy.
6. In conclusion, holding the Inter-religious Conference
on Nuclear Issues here in Fukushima awakened us, people of many faiths and
nations, to the reality of suffering caused by nuclear power. We have pledged to work to abolish
nuclear power, to heal the living
communities
affected by it, and to restore creation as
fully as possible. From here, we journey to our own
communities to begin fulfilling our pledge and commitments.
December 7, 2012
All the participants of the Inter-religious
Conference on Nuclear Issues
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