2012年8月11日土曜日

フクシマから直視する放射線被曝の歴史


福島県郡山市内の一角、県営住宅で見かける光景です・・・居住棟の階段ホールの前にたたずみ、なにやらおしゃべりしている女の子たち。手元の線量計RADEX0.83μSv/hrの放射線値を示しています。放射線健康障害防止法に定める放射線管理区域の設定基準は、1時間あたりに換算して0.6μSv。本来なら、部外者の立ち入りが厳しく禁止され、作業員らはマスクと防護服の着用と被爆量管理を義務づけられるような場所で幼い子どもたちが、何事もないように生活している。
このように理不尽な人権侵害状況が放置されている原因を問うとすれば、その答えは、どこにあるのか?
わたしにとって、今年4月、福島市で開催された「原子力行政を問う宗教者の会:2012ふくしま全国集会」で行われた稲岡宏蔵の講演「フクシマから直視する放射線被曝の歴史」に答えのひとつがありました。
2011311日東北沖大地震から10日後、321日に発せられた国際放射線防護委員会(ICRP)声明が、わたしのグローバルなジグソーパズルの最後のピースになりました。同年11月から12月にかけて、内閣官房に「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ(WG)」が設置され、その第5回会合にICRP幹部クリストファー・クレメント、ジャック・ロシャール両氏が出席し、プレゼンテーションを行っています。第8回の最終会合は1215日に開かれています。その翌日、16日に野田佳彦・内閣総理大臣が福島第一原発事故の「収束」を宣言したのです。
同じ16日、郡山市では、福島地方裁判所郡山支部が「健康に危険な場所での教育の実施を差し止め、年間被曝量1ミリシーベルト以下の安全な場所での教育の実施」を求める子どもたちの仮処分申し立てを却下しました。「100ミリシーベルト未満の低線量被ばくによる健康への影響は実質的に確認されていない」という、ある意味で歴史に残る判事らのメイ言は、ICRPの「権威」に依拠したものだったと考えても、あながちまちがいではないでしょう。
それでは、稲岡宏蔵氏作成のレジメを道案内に「フクシマから直視する放射線被曝の歴史」をたどってみましょう・・・


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増補 放射線被曝の歴史
アメリカ原爆開発から福島原発事故まで
中川 保雄 () 
明石書店; 増補版 (2011/10/20)
内容紹介
放射能汚染時代のなかで、私たちの社会は子どもたちを放射線の被害からいかに守るかが重要なテーマとなっている。しかし、これまでの歴史では、放射線被曝の影響を過小評価する強い動きがあった。そのため現在でも放射線の影響について、「影響はない」とする立場と「安全な放射線量はない」とする立場がある。本書では、健康被害がどう評価され、防護措置がどのように定められてきたのかを膨大な資料から明らかにするとともに、闇に切り捨てられてきた被害を示し、今後新たな被害者を出さないためには何が必要かを考える。
 新たに福島事故の評価も加えて、待望の復刊。
著者について
1943
年生まれ。大阪大学工学部出身。神戸大学教授。科学史を教える。1991年没。

フクシマから直視する 放射線被曝の歴史
科学技術問題研究会 稲岡宏蔵
2012年4月18日
はじめに
1)甦る『放射線被曝の歴史』とその遺訓
20年前に死没した亡き旧友が今の私たちに残したメッセージ)
       ICRPの被曝「受忍論」への徹底した社会的・政治的批判を!
 「許容線量とは『がまん線量』であると評価することは正しくない。我慢とは、自ら堪え忍ぶことである。許容線量は、前述のような強権的思想をもとにして、原子力推進側が国民に我慢を強制するものなのである。」(『放射線被曝の歴史 増補版』以下『増補版』p40)⇒
ICRP「受忍論」(リスク論)の進化を跡づけ、現在の被曝対策の批判につなげる。
       核の時代への警鐘
 「都市の住民は放射能汚染の犠牲を原発立地住民に押しつけて恩恵だけをみずからのものとしてきた、と指摘される。全くその通りである。しかし、スリーマイル島事故、チェルノブイリ事故が起きた今日、明白になったことは、その都市住民といえども、原発の放射能汚染から免れようもない時代を生きていると言うことである。」(『増補版』p248)
美浜2号蒸気発生器細管破断事故(1991年2月)が勃発した当時の関西の運動のメインスローガン「原発重大事故を起こす前に原発を止めよう!⇒
私たちも反省と自己批判が必要
       被曝の強要反対、被曝の源泉の廃棄を求める運動のグローバル化の課題の提起
 「放射線被曝の危険性を抜本的に見直すように求め、放射線被曝の源をなくし、他民族を含めたあらゆる人びとへのヒバクの押しつけに反対する運動、その運動を、過去と現在そして日本と世界を結びつける地球的な運動として、広く、世界的に発展させることが今後の大きな課題になろう。」((増補版Jp265)
(2)新たにヒバクシャを生み出したことへの被爆地の反省:
「平成23年長崎平和宣言」(11年8月9日)
 「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのでしょうか。 自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、未来への責任から日をそらしていなかったか……、私たちはこれからどんな社会をつくろうとしているのか、根底から議論をし、選択をする時がきています。」
・再生可能エネルギーの開発と安全なエネルギーを基盤とする社会への転換
・被爆者の提言:
  フクシマ被災者に対する「被曝手帳」の作成、病気になった際の医療交付
(3)「日本は原子力帝国」
佐藤栄佐久前福島知事の欧州議会での講演(12年3月7日)
 「日本は(福島第一原発の)事故の後も原発を進めようとしている。原子力帝国だ」(3月7日「朝日新聞」)
・ロベルト・ユンク『
原子力帝国』(1977年)の引用
「原子力の導入によって、社会は『帝国』へと変貌する。原爆製造への転用、テロ、国境と世代を超える災害」(教養文庫版 1989年)
※「核時代」(核の時代)とは、核エネルギーや核廃棄物の軍事的・産業的利用の時代を意味する。
※「ヒバク」とは、原爆被爆、核実験被曝、原発や核燃料サイクル被曝、X線被曝、ウラン兵器による被曝等、あらゆる被ばくの総称である。
[報告の構成]
1.      フクシマ事故と放射能汚染、被曝の特徴
2.      低線量被曝は人にとって大丈夫か
3.      1CRPと被曝「受忍論」の変遷
4.      ヒバクと責任、三つの「ホショウ」一被爆者運動の教訓
5.      核時代とフクシマ
1.フクシマ事故と放射能汚染、被曝の特徴
 福島第一原発の苛酷事故の結果、いかに深刻な事態、とくに放射能汚染と被曝が生じたかをふり返る。
(1)第一原発1~3号炉(沸騰水型)
冷却失敗から炉心溶融(メルトダウン、メルトスルー)
水素爆発:3月12日1号、14日3号、15日2号、および4号プール
()チェルノブイリ原発事故(黒鉛チャネル炉1986年)に次ぐ重大(過酷)事故
       ヨウ素とセシウムの放出量はヨウ素換算でチェルノブイリの約15%
       広島型原爆の168個分のセシウム137を放出
(チェルノブイリの約1/4~1/3)
・半分以上の粒子状放射性物質が海に落ちる
・プルトニウム、ストロンチウム97はチェルノブイリと比べて比較的少ない
       1~3号炉および1~4号炉の貯蔵プールは
チェルノブイリの10倍を超える放射能を蓄積
チェルノブイリを超える大量放出で東日本が壊滅する「並行・連鎖型危機」も、さらには人類の生存に関わる深刻な汚染へと発展する可能性も存在した。
 昨年の3月下旬、政府は半径250キロ以上の首都圏を含む3000万人の避難をも想定していた。
・4号機のプールの崩壊の危険など偶然に救われるとともに、海水注入などでかろうじて歯止めがかかる。
()広大な地域(福島県と周辺6県)を深刻に汚染
       セシウム高濃度汚 地域(55.5万ベクレル/m2以上):
避難区域(計画的避難区域 警戒区域)
・屋外年間積算線量20mSv以上
※ベクレル:放射能量 ※Sv(シーベルト):実効線量
(1):福島第一原発周辺の放射線量と記事「50mSV以下2年で除染」(2012.1.27付「日本経済新聞」)
(i)
福島県の面積の約10%、8万人以上が避難
(ii)
2011年12月「事故収束宣言」と避難区域の解除・再編へ:
帰還困難区域(50mSv以上)居住制限区域(50~20mSV)避難指示解除準備区域(20mSv以下)
(iii)
50mSV以下は、国が工程表を作り、国が除染を行う
       セシウム汚染地(4万ベクレル/m2以上)
(i) 放射線管理区域(18歳以下、必要のない立ち入りを制限)の放射能レベル
屋外年間積算線量1.3mSV以上
(ii) この汚染地に約400万人(チェルノブイリの旧ソ連圏の約600万人に匹敵)が生活
・福島(160万人)、宮城(13万人)、岩手(1万人)、群馬(山間部ほとんど)、茨城(13万人)、埼玉(実質ゼロ)、千葉(140万人)、栃木(14万人)、東京(ホットスポット)
※図():汚染状況重点調査地域
(文科省調査、5.2万ベクレル/m2以上、放射線量が0.23μSv/h以上)
・年1mSV以下を長期目標に、市町村が除染を開始、国は財政的・技術的支援のみ。
・除染作業による追加的な被曝も
【参考】汚染状況重点調査地域(8県102市町村:1~20mSv)の面積
総面積:13000km2 日本の面積の3
(i)
福島県の汚染地:8000km2 福島県の60%
(ii) 栃木、群馬2県の汚染地3800km2 両県の30%
・除染特別地域(11市町村:追加被曝線量が年20mSV以上)
       健康や産業上の被害に加えて後始末に要する費用を加えれば、被害総額は数十兆円にもなろう。
() 福島県内の高い被曝線量
       福島県の学校で測定された高い線量
1400
の小中学校の校庭の75.9%が放射線管理区域を超える線量(11年4月調査)
       福島県民の平均線量:1年間だけで5mSV程度、集団線量1万人SV程度
       ホットスポットの存在
() 事故は収束していない
第一原発で生じている事故の過程そのものも、汚染と被曝も今後、長期にわたって継続するであろう。
・福島県だけで、避難区域外の住民も含めて、今なお15万人ほどが避難生活
2.低線量被曝は人にとって大丈夫か
 政府や「原子力村」の専門家達による「低線量の放射線を浴びても大丈夫」との「不安解消を目的にした」宣伝がICRPの見解によって裏打ちされたものであるかを明らかにし、低線量被曝の危険性が被爆者調査をはじめ多くの調査によって確かめられているかを示す。低線量被曝の影響は決して仮説にとどまらない。
(1) 政府と「原子力村」の専門家たちは低線量の放射線を浴びても大丈夫だと強調
100mSVと20mSvが二つの目安となる線量
        (ICRP 07年勧告の「参考レベル」が基礎 ※《図》参照)
       IOOmSv以下
(i)
官房長官等の発言(11年3~4月):
   
100mSv以下は「直ちに健康に与えるレベルではない
・高い線量率の空間線量の測定値、野菜などの汚染が明らかになるなかで
(ii)
山下俊一・福島県アドバイザー
 「100mSV以下の線量では健康に影響を示すデータは出ていない」
・チェルノブイリ調査にも従事した長崎大学教授(被爆2世)を肩書きに、福島県を中心にキャンペーン
(iii)
文科省「放射線副読本」(11年10月):
 「一度に100mSv以下の放射線を受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません」
(iv)
食品安全委員会事務局(11年11月発言):
 
「おおよそ(生涯)100mSVは 健康への影響が必ず生じるという数値ではなく、リスク管理機関(厚生省)が適切な管理を行うために考慮すべき値
(v)
低線量ヒバクのリスク管理に関するワーキンググループ
  
(以下WG、2011年11月):
・「100mSv程度の線量では、リスクの増加は認められていない」
・「100 mSv以下の極めて低い線量の被ばくのリスクを多人数の集団線量(単位:人・シーベルト)に適用して、単純に死亡者数等の予測に用いることは、不確かさが非常に大きくなるため不適切」 ⇒ 事実上の切り捨て
       20mSv以下
(i) 政府(11年3月~):
 避難基準は年間20mSv、避難区域(警戒、計画的避難)、特定避難勧奨地点
(ii) 学校等屋外活動の年間目安線量(文科省、11年4月):
    
「20mSv」、時間当たり「3.8μSv」
(iii) WG報告をもとに細野原発担当大臣(11年12月):
       
「20mSVで人が住めるようになることだ」
WG報告:(自発的な要因によるリスクと事故によるリスクと比べるのは適切でないと述べながらも)年間20mSvの健康リスクは他の発ガン要因(喫煙、肥満、野菜不足など)によるリスクと比べて低いと評価 ⇒ リスク論の登場
(2)100mSV、20mSVとICRP
       ICRP07年勧告、11.03.21声明で権威づけ
(i) 文部科学省「放射能を正しく理解するために 教育現場の皆様へ」(11年4月)
 「国際放射線防護委員会(ICRP)は、3月21日に「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1~20ミリシーベルト/年の範囲で考えることも可能」とする声明を出している。
(ii) 「日本学術会議会長談話:放射線防護の対策を正しく理解するために」平成23年6月17日:
ICRP 3.21声明(コメント)と2007年勧告の重要性を強調し、「国際的な共通の考え方を示す」ICRPの基準に基づく政府の対策への理解を求めている。
(iii)
WG報告(2011年12月):
 07年勧告に依拠して、政府の避難基準20mSv、及び避難地域のそれ以下への段階的除染と帰還などを正当化
(iv) 「放射線審議会声明:緊急時作業における被ばく線量限度」(11年3月)
 11年3月に放射線作業従事者の緊急時被ばく限度を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げた。この超法規的な措置もICRP 0 7年勧告で権威づけられ実施された。
       放射線審議会:
11年8月~ICRP2007年勧告「現存被曝状況」の国内制度取り入れ審議開始
放射線審議会総会第118回(12月5日)で基本部会の検討状況の資料を配付
(3)データが示す100mSv以下、20mSv程度の低線量ヒバクも危険
100mSv以下、20mSv程度でも晩発性障害が発生
① 15カ国被曝労働者調査(2007):平均20mSVの集団でもガン死増
② 広島・長崎の被爆者調査(2007):ガン罹患率と被曝線量の直線関係を示す
※図(3)100mSV以下でも閾値なしの直線関係(LNT)を示している
食品安全委員会事務局は2007年の結果はLNTモデルを確かめただけであると主張
最近の放影研の調査結果(2012)はガン死亡率でもLNTを示す
③ 英国核施設労働者の調査(2008):ガン・白血病以外の循環器系の疾患も増やす
※図(4)50~100mSvの被爆群で1割のリスク増加
が示される
   
広島・長崎の被爆者でも高血圧症や心臓病が増加(2010
(4)放射線に敏感な胎児や乳幼児
核実験のフォールアウトの影響評価から論争と調査が始まる
       アリス・スチュアート:X線被曝と小児ガン死の関係の調査(1971) ※図(5)
・2.5mSVから統計的に有意な直線関係
・胎内被曝による過剰の小児ガン:1万人Sv当たり0.57
       チェルノブイリ汚染後のギリシヤの調査(1996
・ギリシヤの年間平均被曝線量は2mSv程度
・胎内被曝による過剰の小児白血病:1万人mSv当たり0.6人
       乳幼児死亡 スターングラスの調査
 核実験フォールアウト、TMI事故放出放射能と乳児死亡の増加
(5)IOOmSV以下でも急性症状やぶらぶら病
       原爆被爆者の急性症状
2km以遠の被爆者や入市被爆者でも急性症状
 ABCCの調査でも脱毛、紫斑、下痢などが現れる。※図(6)
・被曝線量:2kmの地点で約250mSv、3.5kmで1mSv
※図()(『増補版』p101)
 アメリカは紫斑、脱毛、口内炎症のみを急性症と評価し2km(250mSV)で線引き
       原爆被爆者と原発被曝労働者に共通する自覚症状(ぶらぶら病」とも呼ばれた)
※図()原爆被爆者は85~90年調査、原発労働者は80~82年調査
★被曝の健康影響を評価する場合に広島・長崎の原爆被爆者の調査結果を重視すべきであると考える。
・多数の専門家による長年の研究の積みかさねの上に結果が出されて、多<が争う余地のない事実を示している。
・長期間、原爆症に苦しみ続けながら調査に協力してきた被爆者の苦しみや思いが凝集されているーこの意味では、死んだデータではなく、生きたデータでもある。
3.ICRPと被曝「受忍論」の変遷
 ICRPの被曝「受忍論」の変遷を跡づけ、政治的・経済的な性格を明らかにするとともに、それに基づくICRP被曝防護体系が矛盾に満ちたものであるかを示す。
※表:ICRP勧告の被曝線量基準の変遷(『増補版』p185』参照
       「許容量 =「がまん量」
・「有害さとひきかえに有利さを得るバランスを考えて、“どこまで有害さをがまんするかの量”が、許容量というものである。」(1967年武谷三男『安全性の考え方』岩波新書p123)
・「……集団に対して放射線被曝のリスク(危険性)とそのもたらすベネフィット(有益さ)をバランスさせて許容量を決めようという考え方が次第にでてきて、今日では放射線の許容量については武谷の考え方が世界的に認められ、ICRPの国際勧告もそのように変わってきた。」(1976年『原子力発電』武谷三男編岩波新書p71)とICRPのリスク・ベネフィット論を一定評価している。
       放射線防護の基準=
「我慢して受容すべきものとして思わせるための社会的基準』(中川保雄)

「今日の放射線被曝防護の基準とは、核・原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受容すべきものと思わせるために、科学的な装いを凝らして作った社会的基準であり、原子力開発の推進策を政治的・経済的に支える行政的手段なのである。」(『増補版』p225)
⇒ 被爆を強制する側と強制される側の社会的対立の中でヒバク基準を捉えている。
       被曝基準、「被曝防護体系」の定量化の基礎=健康被害の金銭的値段への換算
・「原発被曝労働では被曝線量が仕事の量になっている。被曝労働者は自らの健康や子孫の健康を切り売りしながら、働いている。」(1981年 双葉地方原発反対同盟)
・私たちは81年、原発下請け労働者の実態調査を協力して進めていたが、「被曝線量」=「仕事の量」とういうことの意味(被曝線量 ⇒ ガン死のリスク ⇒ 切り売りされる命の値段 ⇒ 仕事の量)を十分理解できなかった。
・ICRP77年勧告の国内制度取り入れ(被曝基準緩和)反対運動に取り組む中、理解できるようになった。
1)「耐容線量」から「許容線量」へ
       「耐容線量」1934年)
・放射線がある線量以下では、生物・医学的悪影響を及ぼさないとする基準
戦前は主としてX線やラジウムの利用による職業病対策として定められた。
・医学者、生理学者が中心となった「X線およびラジウム諮問委員会」が基準を決める。
       米国の核兵器開発と被曝受忍論の登場と「許容線量」
・遺伝学者を中心に「安全線量」など存在しないとの「耐容線量」への批判
生物実験の結果は、突然変異に「しきい線量」はなく、その発生率が線量に比例していることを示す。
・戦後、原爆開発のために核施設の軍事的・政治的必要性の承認
 ⇒ 被曝は避けられない。
マンハッタン計画に携わった科学者が前面に
遺伝的影響は低線量でも避けられず、この難問に対処するために「リスク受忍論」が登場した。
 それは、実用的な被曝線量限度は、そのリスクを、「平均的な普通の個人に受け入れられる程度に小さくする」というものである。
「許容線量」の定義(米NCRP 1949年):「その生涯のいかなる時点においても平均的人間に眼に見える身体的障害を生じない電離放射線の線量」
・始まりにおける被曝「受忍論」の思想的特徴
(i)
原子力開発(米核戦略)のためには少々の犠牲はやむをえない。
(ii)
「平均的な人間」を基準に据え、放射線に最も敏感な胎児、乳幼児の切り捨て、人類の次世代へ犠牲を転化。
       「国際放射線防護委員会」(ICRP)の誕生と1950年勧告
・核兵器開発を進めた米国の物理学者を中心に、米国、英国、カナダの専門家でICRPの誕生
・米国の核独占の崩壊、水爆開発への着手と核軍拡競争の始まり
 「原子兵器禁止」のストックホルムアピール署名運動など国際平和運動の台頭
 ⇒ 「世界平和協議会」結成
・米原子力委員会の圧力で、(核戦略を阻害する)公衆の「許容線量」は明記されず。他方、「被曝を可能な最低レベルまで引き下げるあらゆる努力を払うべきである」(リスク受忍論の事実上の否定)を盛りこむ。
日本の現行法体系の被曝防護の基本方針はリスク受忍論を採用していない。だが放射線審議会はリスク論に従っている。
※「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」(19585月制定)
(基本方針)第三条 放射線障害の防止に関する技術的基準を策定するに当っては、放射線を発生する物を取り扱う従業者及び一般国民の受ける放射線の線量をこれらの者に障害を及ぼすおそれのない線量以下とすることをもって、その基本方針としなければならない。
(放射線審議会の設置)第四条 文部科学省に、放射線審議会(以下「審議会」という。)を置く。
(2)核実験反対運動、原子力の商業化とリスク・ベネフィツト論
       フォールアウトによる低線量被曝の危険と核実験反対運動
1954年3月のビキニの実験に始まる実用的な水爆開発の開始と米英ソによる新たな核軍拡競争
全面核戦争とフォールアウト(死の灰)の脅威
・日本の原水爆禁止運動や世界の反核平和運動の高揚(英国のCND、ドイツの原爆死反対等々)
ポーリングらによる米国の科学者運動とソ連水爆開発の先駆者のサハロフの提言
1964年部分的核実験禁止条約
       原発の商業化と経済性の追求
・米国のオイスタクリーク原発(65万kw、BWR)の認可と経済性の宣伝、原発ブーム
       リスク・ベネフット論の誕生
・リスク受忍論とそれに基づく許容線量の弱点:生物・医学的証拠からは許容線量程度の被曝からの障害の発生を認めないわけにはいかない。
米国NCRPの新しい「リスク論」(1959年)の登場:
原子力利用の社会的・経済的利益と生物学的放射線のリスクとのバランスで許容染料を決めよ。
 公衆の許容線量は人類が歴史的に曝され続けてきた自然放射線レベルと関係づけ、自然放射線のレベル年間0.1レム(1mSV)をあまり大きく超えるべきでない。
       1965年勧告とALARA
(i) 公衆の「許容線量」(0.5レム)は線量当量限度に改めた。
(ii) 「容認できる線量」の被曝をリスク・ベニフィット論で正当化
・線量制限の原則変更:1958年勧告ALAP(実行可能な限り低く)からALARA(容易に達成できる限り低く)へ、「社会的・経済的要因を計算に入れて」ということで、強引に押し切った。
(3)エネルギー危機、反原発運動の高まりとコスト・ベネフィット論
1973年のエネルギー危機の勃発と「エネルギー安全保障」を掲げての先進国での原発推進論
・米欧日での反原発運動の高まり
・原子力産業を救済するために「利潤獲得」の原理(経済性の原理)を前面に出す。
一般原則としてのALARA(合理的に達成できる限り低く)=
利潤原理としての「最適化」原理を導入
被害と利益のバランスを見るために、リスク・ベネフィット⇒コスト・ベネフィット
       コスト・ベネフィット
・被曝による社会経済的「損害」=Σ{被曝による有害な影響の発生数×重篤度} 
※Σ:総和
様々な放射線障害(ガン・白血病、遺伝的障害、皮膚ガン、ブラブラ病等々)を単一の尺度で測ることは困難
「リンゴとナシを足すことは科学者にはできないが、子どもなら誰にでもできる」ICRP Pub27
・生命の価値を貨幣量に換算
 当時のICRPによれば1人のガン死は1万人・レムで起こるので、1万人・レム=10万~100万ドル 
⇒ 一人1レム(10mSV)の被曝は10ドル~100ドルに相当 
※10mSV=1レム 1SV=100レム
・定量的な評価の基礎としての実効線量当量の導入
(i)
従来のレムは線量当量の単位で生物学的影響を表す、線量当量=吸収線量×線質係数
(ii)
実効線量当量{})
Σ{特定の臓器の線量当量×荷重係数(ある臓器が照射されたときの確率的影響のリスクの、全身均等照射の際の全リスクに対する比)} ―人当たりの全身被曝に換算
1990年勧告以降、実効線量当量 ⇒ 実効線量 荷重係数 ⇒ 組織加重係数
(iii)
損害=HEXR(効線量当量当たりのガン死など障害の数)
実効線量等量(単位:シーベルト)は、確率的影響を損害に換算するために加重係数を使っており、社旗経済的量
       1977年勧告と線量制限体系(三位一体の体系)
(i)
正当化:被曝を伴う行為(例えば原発の運転)は「正味でプラスの利益を生む」ときに正当化できる
(ii)
最適化:利益と損失をバランスさせ利益を最大化する
(iii)
線量限度:被曝によって利益を受ける集団と損害を被る集団は一致しない。そこで個人に強要できる被曝線量の上限を政治的に決め制限する基準
       1986年当時、被曝基準緩和に反対するグループとの交渉で、旧科技庁は「人の命を貨幣価値に換算するやり方は我が国になじまない」、ALARAの原則の法令化は困難と答えていた。それでもICRP77年勧告は最適化(ALARA)の原則をはじめ経済性の原理がベースとなっており、88年4月、77年勧告に基づく基準改定法令の告示によって実質的に導入されたが、「放射線障害防止の技術的基準に関する法律」に基づく放射線障害防止の現行法体系は形式的にはリスク論に基づく経済性原理を基礎においてはいない()
★『放射線被曝の歴史』:軍需産業は「死の商人」、原子力産業は「ヒバクの死の商人」
 ICRPは「原発推進派と被曝問題のエスタブリッシュメント」
※学校屋外の放射線量基準の導入(昨年4月)の際、これに抗議し「涙の記者会見」を行った小佐古氏もICRPの前委員でエスタブリッシュメントの一員
()広島・長崎の線量見直し、チェルノブイリ事故と高線量の強制へ
・広島・長崎の原爆線量見直し(70年代の中性子爆弾の開発が契機)
  TD65 ⇒ DS86(1986年確定)
被爆者が実際に浴びた放射線量は、それまで推定されていたよりも少ないことが明らかになった(12)
・被爆後40年を経過し原爆被爆者のガン・白血病の急増とDS86を用いた疫学調査結果(1987年):
 線量と影響の「閾値なしの直線関係」と少なくともがん死のリスクの10倍増
・チェルノブイリ事故の勃発 ⇒
 重大事故の勃発と放射能汚染・住民の大量被曝を考慮せざるを得なくなった。
       1990年勧告
・公衆の被曝限度を77年勧告のO.5レム(5mSv)/年 ⇒1mSv/年
 職業人の被曝限度を77年勧告の年5レム(50mSv)⇒20mSv(5年間の平均線量)
1997年勧告の線量制限体系(正味の便益がもたらされる行為のみを対象に体系を構築)から放射能で汚染された地点(被曝のネットワークが既に存在している)への介入措置(例えば避難、除染)を適用して被曝の減少を図るものをも含む放射線防護体系とその三原則への転換
(1)
行為の正当化:放射線被曝を伴うどんな行為も、その行為によって、被曝する個人または社会にたいして、それが引き起こす放射線損害を相殺するのに十分な便益を生むのでなければ、採用すべきでない。
(2)
防護の最適化:個入線量の大きさ、被曝する人の数、被曝する可能性、この全てを、経済的社会的要因を考慮して、合理的に達成できる限り低く保つべきである。
(3)
個人の線量限度
       2007年勧告
(i)
重大事故の容認と「緊急時被曝状況」、「現存被曝状況」、「計画的被曝状況」の導入 ※《図》
(ii)
事故時から平常時のまでの移行過程を通して高線量・大量の被曝を前提に前の二つの被曝状況に「参考レベル」を設定し被曝を管理しようとするもの。
(iii)
放射線防護体系の三原則のうち「正当化」と「最適化」は線源関連で全ての被曝状況に適用、「線量限度」は個人関連で、「計画被曝状況」のみに適用される。
()フクシマ事故によるICRPの被曝防護体系の破綻と政治的性格の強まり
       住民への集団実効線量の放棄とそれをベースとした「最適化」の適用
・住民などの大きな被曝集団に関しては、全体の被曝線量は情報を不適切に集め、防護対策の選定を誤らせる可能性があるとして、決定の有用な手段ではないとのICRP77年勧告の見解に基づき、政府は集団実効線量の採用を放棄している。他方、最適化の原則をもとに除染を行い、線量を下げることを主張しているのである。集団線量を用いなければ被曝に伴う損害を勘定できず、最適化の原則は適用できない。
       原子力発電は正味の利益はプラスか
 福島事故における、住民の賠償、除染や廃炉対策費用はおそらく数十兆円に上り、原発導入の利益は正味プラスでありえないことを示している。 
⇒ 正当化の原則の否定
       「現存被曝状況」の拡大と恒常化の動き
(放射線審議会での議論一隣国の事故をも考慮せよ)
4.ヒバクと責任、三つの「ホショウ」
一被爆者運動の教訓
 被爆者運動はフクシマ被災者(ヒバクシヤ)の救済・補償を実現していく上での多くの教訓を残している。重要なものが、三つの「ホショウ」の観点と「加害責任」の明確化、追及である。
1)被爆者運動の教訓は何か
       被爆「受忍論」を打破せよ
(i)
国による被爆「受忍論」
「原爆被爆者対策基本問題懇談会」意見書(1980年12月):
一般戦災者との均衡による「受忍論」
「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての民がひとしく受忍しなければならない……」
(ii)
「被爆者援護法」の性格一国家補償か社会保障か
国家補償の原則に基づく『被爆者援護法』制定運動:
被爆責任(戦争責任と放置責任)の追及

国家補償を拒否した「被爆者援護法」の制定(1994年、基本は社会保障的見地)
(iii)
直野章子『被ばくと補償』(2011年12月 平凡社新書)
「被爆者と同じように、原発被害者も補償を拒否される可能性がある。……厳しく放射線起因性を問うことで、被曝による被害は、被害の受忍を強いられるかもしれないのだ」
・被害の受忍を強いられないためには、継続的健康管理、国の責任を明記した行動記録(健康手帳)が必要
       被爆者運動の三つのホショウの理念
(i)
補償:原爆被害を償う
・国の責任の明確化:原爆投下を招いた戦争責任、被爆者を放置した責任、米国への賠償を放棄した責任
(ii)
保障:被爆者(ヒバクシヤ 被災者)の生活と健康の保障
・原水禁運動と結んだ被爆者運動を通した「原爆医療法」から「原爆被爆者特別措置法」へ
(iii)
保証:再び被爆者(ヒバクシヤ)をつくらない(核兵器禁止)
★被爆者援護法制定運動に学び三つの「ホショウ」を要求(原水禁東北ブロック
(i)
福島県民の現在の健康と暮らしの保障、
(ii)
放射能汚染による回復しえない損害、健康被害への「補償」、
(iii)
脱原発による確実な未来に向けた「保証」
・被爆者援護法制定運動で鋭く問われたように、(ii)を実現するためには、放射能汚染と被曝による被害をもたらした国の責任を認めさせること、国の謝罪を勝ち取ることが重要
・福島県は県内の原発の廃炉を宣言。(iii)を確実にするためには日本が脱原発に進むことが大事。
       加害責任の徹底した追及:岩松繁俊『戦争責任と核廃絶(1998年7月三一書房)
・「日本の原爆被曝の惨禍をいう前に日本の侵略責任が問われなければならず、同時にアメリカ原爆投下の責任が問われなければならない」(まえがき)
・「…最終目標(核廃絶)を実現するために、核実験をやめさせ、原発・核燃料サイクルを建設させず、運転中の原発(高速増殖炉原型炉などをふくむ)を停止させるなど、諸悪の根源を一歩ずつ断つことに徹底することである。このことを、神戸大学の中川保雄教授は学問および実践の両面から熱心に研究し指導してきた。放射線問題の専門研究科という立場から、国際放射線防護委員会(ICRP)を中核とする「エスタブリッシュメント」側の巧妙かつ欺隔的な核兵器政策・放射線防護政策を学問的に鋭く追及すると同時に、核兵器・原発を廃絶する運動をウラン採掘、濃縮、再処理、輸送などに従事する各地の労働者と周辺住民、子どもたち、少数民族、途上国の住民などとの国際連帯をとおしておこなうよう指導し推進してきた。……教授の核兵器・原発にたいする論理的で綿密強靭な告発の業績は、‥…・遺著『放射線被曝の歴史』として「技術と人間社」より逝去の4か月後に出版された。」(p5152)
 『戦争責任と核廃絶』はフクシマ事故の13年前に書かれたものであるが、岩松繁俊は当初から中川保雄の反核運動への関わりやICRP批判に注目していた一人である。岩松氏は、長崎大学経済学部の教授を務め、森瀧市郎氏の後をついで、1997年から10年ほど原水禁の議長を務めた。
 岩松氏は、学徒動員された三菱重工の長崎・大橋工場で被爆した被爆者であるが、歴史の中で被爆体験を捉えなければならないとして、二つの加害責任(米国の原爆投下責任と原爆投下を招いた日本の戦争責任)を追求してきた。また「反原発抜きの反核は真実の反核ではない」と、原水禁運動の中で一貫して主張してきた。そして、ICRP批判にとどまらず、核兵器・原発廃絶のための国際連帯のための中川保雄の活動を高く評価していることでは、他の紹介者・引用者とは異なっている。岩松氏が原水禁の指導者の一人として、1970年代から反核の国際連帯のために奮闘してきた故の共感でもあろう。
 2011年「長崎平和宣言」の問いかけ(「なぜノーモア・ヒバクシャと訴えてきた被爆国日本で放射能の恐怖が出現したのか」)への一つの回答となっているのではないだろうか。
(2)フクシマ被災(被曝)住民の健康管理、健康被害の補償に関して何が問われているのか
 被爆者援護法における争点(補償と責任)が形を変えて登場しつつある。
       国の事故責任
・原子力災害対策本部(11.5.17):「原子力政策は、資源の乏しい我が国が国策として進めてきたものであり、今回の原子力事故による被災者の皆さんは、いわば国策による被害者です。復興までの道のりが仮にながいものであったとしても、最後の最後まで、国が前面に立ち責任を持って対応してまいります。」
・内閣府被災者支援チームのヒバク反対六団体への文書回答(11.9.30):「国としては、原子力被災者の健康の確保について、最後の最後まで、国が前面に立ち責任を持って対応してまいる所存です」
・福島県に限って県が行う健康管理・調査を財政的に支援することが中心、謝罪もなし。
       「原子力災害による被災地域の再生に関する特別法」(福島復興再生特措法、)への福島県の要望(11.8):「県民の健康影響の防止に関する措置、継続的な健康管理、放射線被曝に起因すると思われる健康被害が将来発生した場合の保険・医療および福祉にわたる総合的な援護措置」を放射線影響からの民生の安全回復、健康管理のための行政上の特別措置の一つとして挙げる。
       県が要求する「18歳以下の医療費無料化」支援について、政府は見送りを伝達(20121.28
・内閣府の見解:医療保険制度の根本に関わる、その一本化に影響を与えるとの見解。⇒社会保障の一環
       「福島復興再生特措法」(12年3月30日成立)
被曝・健康関連施策は不安解消を目的としている
・国は「原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任」を負うと明記(与野党協議の結果)。
・だが、「一般的な社会的責任」であり、国家補償に基づく被災者の救済は拒否
・国は……被ばくに起因する健康被害が将来発生した場合においては、保険・医療および福祉にわたる措置を総合的に講ずるため必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を講ずるものとする。(第65条)
・医療費無料化支援については、与野党協議の結果、「国は、……予算の範囲内において、必要な財政上の措置を講ずるものとする」(第68条)が盛りこまれた。
 社会保障的措置、県外移住者は適用されず
・県の復興計画の理念である「脱原発」は盛りこまれず(政府は県からの要求はなかったと開き直る)。
       福島県・政府の県民の健康管理調査のうち行動調査(被曝線量の推定のために不可欠)の回収率は18%。
・「健康管理ファイル」には「国が責任を持って、生涯にわたり健康を保障する」とは明記されず。
・住民の中にはABC調査同様に「モルモット」として利用されるのではないかとの調査への不安と不信。
       浪江町(12月4日):被爆者同様の支援を国に要請へ
 浪江町は全町民に「放射線健康管理手帳」の配付を予定しているが、手帳を持つ人が医療費無料の等の支援を受けられるように政府へ法整備を求めていく方針である。双葉郡の7市町村にも働きかける。
(3)原子力の延命・維持か、脱原発か
       原子力延命・維持への巻き返し:停止原発の再稼働と原子力組織制度改悪(原子力推進を目的とする「原子力基本法」下、環境省の外局としての「原子力規制庁」設置、原発40年運転と60年運転の例外規定等)
・脱原発・減原発の放棄、原発を「重要電源」と位置づけ再稼働(原発=「基幹電源」との死後も復活か)
・電力制度改革で東電を国有化し、発送電分離を進めるとの路線もデッドロックに乗り上げつつあるか。
       原発維持の一環としての被曝管理と「不安解消」のための宣伝
(i)
ICRP07年勧告の「現存被曝状況」と「参考レベル」のなし崩し的な国内制度への取り入れ
(ii)
文科省の「放射線副読本」(研究開発部門が原子力文化振興財団に委託し作成)
・作成委員会会長は放射線審議会前会長中村氏:食品の放射能新基準反対のパブコメやらせメールで有名に。
・「副読本」は「低線量ヒバクを浴びても大丈夫だ」と事実上、主張している。
 100~200mSV放射線を受けた場合の発ガンのリスクは喫煙や肥満より小さいと、低線量被曝の容認を迫っている。
・放射線には「リスクとベネフィツト」がある、放射線利用の際、線量を合理的に制限するための方針にICRPの放射線防護体系の三原則があると述べる。しかし、放射線防護の対象をX線やCTなど放射線利用に限定し、原発の運転や避難・除染などの対策は除外している。そして、被曝のリスクを貨幣価値に換算してはじめて、ICRPのいう被曝の「合理的制限」が成り立つということには一切言及しない。
・原子力施設では周辺住民の被曝線量が1mSV以下になるように管理していると、事故抜きの安全宣伝。
★再び戦前の軍国主義教育のあやまちを繰り返してはならないと、教員を中心に起こる批判。
       原発再稼働を巡る中央政府と原発周辺自治体の分岐と対立
       脱原発運動の台頭
(i)
多様な市民運動の高まりと盛り上がりを欠く労働組合運動
(ii)
市民グループや労働組合の脱原発の1000万人アクションヘの合流傾向
5.核時代とフクシマ
 フクシマに至る原発推進と脱原発の対立、核と非核・反核の対立を核時代の歴史の中に位置づける必要性
1)核時代の歴史のなかのフクシマ
       ヒロシマ・ナガサキ(原爆投下):「核時代」の始まりを告げた
       ビキニ:全面核戦争による人類破滅の危機と「平和のための原子力」の追求
・反核平和運動の高揚とその中での大気圏核実験とキューバ危機 ⇒ 部分的核実験禁止条約(前文「人類の環境の放射能汚染を終止させることを希望」)
・日本の原発推進の始まりと「原子力基本法」(原発推進を明記)
       チェルノブイリ:エネルギーの「原発依存の修正の始まり」
       フクシマ:「原子力の平和利用」が世界を支配した一時代の終焉 ⇒ 脱原発と原発延命が対立・拮抗。
反核運動には、フクシマを「核時代の終わりの始まり」とすることができるかどうかが問われている。
(2)核と帝国主義―支配と抑圧、差別の構造
 核時代の社会・経済的、政治的側面、『原子力帝国』(ロベルト・ユンク著)は「原子力帝国主義」と特徴づけた。
       核時代の始まりは米ソ冷戦の始まりであった
・帝国主義戦略としての核戦略一原爆の誕生からして、核は帝国主義の世界支配の武器であった。
・原爆投下は米ソ間の冷戦の始まりを告げた。
       「平和のための原子力」と核支配体制:
原発の売り込みと核燃料の供給を通した核による世界支配
       「原子カルネッサンス」と原発輸出
       核・原発と差別
核開発と原発の推進下では、旧来の社会的対立や差別が帝国主義差別に結合、統合される
(i)
エネルギーの安全保障、都市への安定的エネルギー供給のための過疎地への原発立地の押しつけ。
「電源立地交付金」での原発への過度な依存と批判者の抹殺。
国内植民地主義と原子力帝国主義との結合(産業と消費の集積地=年による原発立地点住民に対する差別)
(ii) 原発被曝労働と下請け多重構造 苛酷な被曝労働は下請労働者へ(原子力独占体制下での労働者差別)
(iii)
先住民(北米や豪州)の土地の略奪とウラン採掘における汚染被曝の犠牲の転化(典型例:ャーチロック事故)
旧植民地主義と原子力帝国主義との結合(原子力帝国主義による先住民への差別)
1987年第1回「核被害者世界大会」への北米先住民の参加と専門家との連帯
1992年にはコロンブス500年「世界ウラン公聴会」開催
(iv)
途上国への原発輸出 新植民地主義と原子力帝国主義の結合
(3)脱原発・核廃絶、核による支配と差別の打破を目指す国際的な運動
 ヒバクの押しつけに反対しヒバクの根源廃棄をめざす運動のグローバル化の必要。
 ヒバクの根源の廃棄は物理的源泉の廃棄にとどまらず社会的源泉の廃棄にまで進まなければならない。
       あらゆるヒバクシヤの国際連帯 チェルノブイリ被災者との連帯・交流
       脱原発潮流の国際化
       核と人類は共存出来ないーあらゆる核の廃棄を求める運動の合流


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