ペクチン論争
原子力産業を守るために、
科学と科学者を攻撃する政府
原子力産業を守るために、
科学と科学者を攻撃する政府
【原文】
Science in Society 55, 2012, pp.24-26,(訳注1)
The Pectin Conttoversy
How the government orchestrated attack on science and scientists to protect the nuclear industry
Science in Society 55, 2012, pp.24-26,(訳注1)
The Pectin Conttoversy
How the government orchestrated attack on science and scientists to protect the nuclear industry
Susie
Greaves
【注記】原文および訳文のオリジナル出典リンクを付したうえで、商業出版の場合を除き、拡散・転載自由
汚染食物からの慢性的低線量被曝
チェルノブイリ原発事故で放射能汚染された地域における、過去26 年間の健康被害の主なものは、汚染された食べ物による慢性的内部被曝が原因である。農村が最も酷い。それは、その地域で採れるもの、たとえば、川魚、狩猟動物、森で採取した果物・ベリー類やキノコ類などの放射能汚染されたものを食べているからである。
これらの地域の人々は、まずソ連政府によって、次に西欧によって見殺しにされた。原子力ロビーが各国政府を支配し、慢性的低線量放射線は健康に影響ないと政府を説得したのである。
原子力ロビーはようやく最近になって、広島のような高線量による急性・瞬間的外部被曝の影響と、チェルノブイリのような慢性的低線量による内部被曝の違いを受け入れている(注1)。
最も影響を受けた3国、ベラルーシ・ウクライナ・ロシアの科学者たちは事故当初から、この誤った情報と闘わなければならなかった。自分の国の人々の悲惨な絶望的状況に駆り立てられ、体内に取り込まれた放射線核種の影響について、画期的な発見をした。特にセシウム-137が人間の各臓器にどんな影響を及ぼすかについての発見である。この情報を使って、放射線防護方法を次々と開発していった。その一つは、体内に取り込まれた放射線核種を排出する助けをするペクチンの使用である。以下の報告は、ジャーナリストのウラジーミル・チェルトコフの素晴らしい著書『チェルノブイリの犯罪――核の強制収容所』が基となっている(注2)。
ワシリー・ネステレンコ
ワシリー・ネステレンコ教授は1977 年から1987 年まで、ベラルーシ科学アカデミー・原子力エネルギー研究所の所長であった。1986 年に事故が起こった時、ソ連政府に状況判断を命じられ、彼は爆発によって破壊された原子炉の上をヘリコプターで飛んだ。その時に高線量の被曝をし、後に健康を蝕まれていく(訳注2)。当初からネステレンコはソ連当局者にとって目の上のこぶだった。なぜなら、彼は安定ヨード剤の配布、避難地域の拡大を要求したからである。
どちらもすぐには実行されなかった。その上、彼は公的なデータとは異なる、独自の汚染報告書を作成した。そのため、ネステレンコは絶えず脅しを受け、2回の暗殺未遂にあっている。
1989
年に、自分の所属する国立研究所では放射線防護の研究が続けられなくなり、核物理学者のアンドレイ・サハロフ、作家のアレス・アダモヴィッチ、チェス・プレーヤーのアナトリー・カルポフから支援を受けて、民間の「ベラルーシ放射能安全研究所」(BELRAD ベルラド研究所)を設立した。ベルラド研究所は子ども一人一人の内部被曝をホール・ボディ・カウンターで計測し、この情報を使って、その地域の保護者や教員に子どもたちの被曝量をいかに軽減させるかの助言を行った。これに対し、ある地域の予想線量の合計を抽象的数学的な計算で出そうとすることは荒唐無稽とすら言える。この方法は、同地域内で1m の違いで汚染レベルが大きく違う現実を無視していたし、何よりも、子ども一人一人の食生活が違っているからである。
子どもたちは、多かれ少なかれ汚染された物を食べていたので、ホール・ボディ・カウンターの計測をすることが必要不可欠だった。
1990
年までに、ベルラド研究所は、ホール・ボディ・カウンター計測器を備えた放射線防護センターを370 地域に設置した。そこでは、食料サンプルの放射線量を計測し、食料中のセシウム-137
を下げる技術が開発された。海外の支援団体からの援助で、子どもたちの一部は体内の放射線を軽減するために3 週間のホリデーに行くことができた。ベルラド研究所はアップル・ペクチンによる治療法も開発した。
内部被曝と病気の関係性の確立
1994
年にネステレンコは、病理学者であり、ゴメリ医学研究所所長のユーリ・バンダジェフスキー博士に会った。ユーリと妻のガリーナ・バンダジェフスカヤ(小児科心臓専門家)は二つの重要な発見をしていた。最初の発見は、食べ物によって取り込まれたセシウム-137 が、体内の主要臓器に不均等に蓄積されることであった。つまり、子どもの体内に、平均50 ベクレル/kg 取り込まれたとすると、肝臓では1000 ベクレル/kg になり、心臓では2500 ベクレル/kg 以上になる。二人の二番目の発見は、50 ベクレル/kg 以上になると、体内の主要臓器全てで、修復不可能な損傷が起きるということである(このレベルは後に20 ベクレルに引き下げられた)。(注3、「放射線防護のためのアップル・ペクチン」SiS 55 を参照)
これは非常に重要な発見だった。原子力ロビーが、汚染地域における死亡と罹病の増加はチェルノブイリと関係ないと主張できたのは、線量を正確に計測することが不可能だったからであり、従って、線量と個々の病気を結びつけることができないからだった。これこそが、バンダジェフスキーが成し遂げたことだった。それは原子力ロビーとベラルーシの保健省にとっては、大きな脅威となった。
ネステレンコとバンダジェフスキーは、他の人々とともに、ベラルーシ政府がチェルノブイリ大惨事の影響を少なくするためにという理由で使った170 億ルーブルについて激しく非難した。政府は影響を少なくするどころか、欠陥のある線量登録装置に巨額を使い、この装置は1年後には放棄されたのである。そこで、ベラルーシ保健省はベルラド研究所の妨害を始めた。
1999
年中、保健省はベルラド研究所を脅し続けた。ホール・ボディ・カウンター計測は医学的科学的手続きを経ているかとか、研究所は保健省の認可が必要だとかいう脅しだった。この脅しが効かないとわかると、政府は次に吸着剤としてのペクチンの効能についての議論に矛先を変えた。
『スイス・メディカル・ウィークリー』
アップル・ペクチンはセシウム137 の吸着剤として効果ありと認める
アップル・ペクチンはセシウム137 の吸着剤として効果ありと認める
吸着剤の使用が、体内から重金属や放射性物質を除去する作用を高めることは数十年前から知られていた。アメリカ政府の食品医薬品局(Food and Drug Administration: FDA)は産業界に対して、これらの吸着剤の使用を勧めている。アップル・ペクチンは天然生成物で副作用もなく、安い。その上、評価の高い科学雑誌『スイス・メディカル・ウィークリー』に掲載されたベルラド研究所の研究結果(注3、「放射線防護のためのアップル・ペクチン」SiS 55 を参照)は、子どもの体内に蓄積された放射線汚染度を減らすことに成功したことが証明されている。
それなのに、アップル・ペクチンの使用について反対するどんな理由があるのだろうか。
反ペクチン戦争、または科学に対する抑圧
ベラルーシの保健省がベルラド研究所のペクチン使用に反対したのは、原子力ロビーがバンダジェフスキーを黙らせ、ベルラド研究所の活動を阻止しようとしたことと、明らかに結びついている。もし、バンダジェフスキーの発見が認められたら、原子力の将来は脅威に晒されることになる。低線量被ばくの影響と、広大な汚染地域、そして数百万人もの人々の健康が危険に晒されるということは、財政的に致命的な結果をもたらすから、いかなる国の政府も原子力が実現可能なエネルギーとは考えなくなるだろう。
そこで、ベラルーシ保健省はバンダジェフスキーとペクチン療法に反対するために、二人の科学者に協力を要請した。ベラルーシの科学者で国際原子力機関(IAEA)で働いている(そして今でも!)ジェイコブ・ケニグスバーグ博士と、ドイツ・チェルノブイリ支援協会の会長であるレングフェルダー教授である。レングフェルダーと副会長のフレンゼル女史はネステレンコとバンダジェフスキーに対する中傷活動を行った。ネステレンコもバンダジェフスキーも、チェルノブイリの犠牲者救済に人生の全てをかけるまでは、素晴らしい経歴の持ち主だったのである。この二人に対する、政府を後ろ盾にした中傷運動は、結果として、バンダジェフスキーが1999 年にゴメリ医学研究所所長の職を追われ、でっちあげの容疑で逮捕されて、禁固8年とされた(注4)。バンダジェフスキーはアムネスティ・インターナショナルの「良心の囚人」と認定され、2005
年に釈放された。
アップル・ペクチンに対する根拠なき反論
レングフェルダー・フレンゼル・ケニグスバーグは、ペクチンは利用価値のある性質のものではないと主張した。3人によると、ドイツのハーブストレイス&フォックス社によって行われた研究結果は、放射線核種を体内から排除する効果がないと証明したという。後にハーブストレイス&フォックス社の代表がインタビューで、重金属に対するアップル・ペクチンの効果だけが研究され、放射性核種に対する効果は研究・調査されなかっただけだと述べた(注1 のp.137 参照)。
2003
年にロシア連邦保健省が各地の保健局長に送った手紙には、ペクチン製品のゾステリン-ウルトラ(Zosterine-Ultra)の使用が奨励され、以下のように書かれていた。
原子力産業における集団予防薬として、体内から鉛・水銀・カドミウム・亜鉛・マンガン、その他の重金属とプルトニウムを含む放射線核種の有毒な成分を取り除く効果がある。[投与による副作用をもたらすような]禁忌症もなく、患者には完全に耐性がある。
更に、この手紙には、この製品のチェルノブイリ地域での使用がいかに大切か書かれており、「体内に蓄積された有毒物質の量を減少させ、体内の免疫メカニズムを補強する」という。使用が認可された機関名も列挙されている。
この製品は治療的、予防的食品添加物として、様々な医学研究所、病院、クリニック、国立科学センター・生(物)物理学研究所・ロシア医学アカデミー研究所・キーロフ軍事医学アカデミー・ロシア公衆衛生省「毒物学研究所」・医学トレーニングアカデミー(サンクトペテルブルク)などの政府機関に推奨している。
つまり、これはロシア保健省がこの製品の効能を高らかに保証した手紙なのである。
ベルラド研究所がヨーロッパの財政支援を拒否される
しかし、レングフェルダー・フレンゼル・ケニグスバーグはペクチンの効能を中傷する運動を続けた。そして、破滅的結果をもたらしたのである。2005 年の春、ヨーロッパ議会はTACISプログラム(東欧諸国が市場経済に移行するためのサポートを目的としたEU のプログラム)におけるベルラド研究所の財政支援を拒否する決定を行った。
TACIS
の認定委員会の席上、ペクチンの効能について異論があったが、この疑問に終止符を打つための研究を委託することが提案された。ドイツの委員、ジラ・アルトマンによると、レングフェルダーはここでも影響力を振り回し、この研究の実現を阻止した。それ以来、ベルラド研究所は海外の慈善団体からの寄付に頼るのみとなり、研究所職員の小額の給料を払うことさえ困難になっていった。ワシリー・ネステレンコは2008 年に亡くなったが、息子のアレクセイ・ネステレンコがベルラドの仕事を引き継ぎ、現在、日本の放射線防護機関に助言と援助を行っている。
ヨーロッパ議会の議員であったソランジュ・フェルネックス(1934-2006)は2000 年に、ミンスクのフランス大使に対して、なぜレングフェルダーが「同じ学者仲間である教授(バンダジェフスキー)を排斥するために、あれほどの時間を使うのか。バンダジェフスキーは職を奪われ、犯罪者の身分に貶められ、獄中にある身で自己弁護もできないのに。レングフェルダーがベルラド研究所を潰し、研究所がしてきた仕事、特にペクチン治療を非難した動機は何なのか」と、熱意をこめた嘆願書を出している(注1『チェルノブイリの犯罪』のp.319 を参照)。
ネステレンコがこの疑問に答えている。
ペクチンが年に3,4 回投与されたら、子どもの体内に年間を通じて蓄積された放射線核種が2,3 倍は減少する。つまり、子どもたちは以前より回復するということだ。この国の食べ物は汚染されている。これがフランスかドイツだったら、汚染食品は流通禁止され、市民全員が汚染されていない食品を食べることになるだろう。しかし、ベラルーシでは、国は非汚染食品を提供できず、市民はそれを買う余力がない。彼らは自分たちが生産するものを食べる。集団汚染が起こっていると認めたがらないと思う(原執筆者による強調)。
私はペクチンが普遍的な万能薬だとは思っていない。しかし、市民全体が汚染地域から避難しないここでは、効果を発揮する製品である。
ネステレンコが存命だったら、ベラルーシの人々の苦難が続いているばかりか、今、日本で避難すべきかどうかの議論があることを、どう思うだろうか(注5 の「福島の真実」SiS55 掲載参照)。
世界中の核/原子力産業にとっての結果
恥ずべき真実はこうである。もし、ベラルーシ政府がペクチンの効果について認めてしまったら、放射線による広範囲の汚染も認めなければならないことになる。そうなれば、政府も西側諸国も、50 万人の子どもを含めた200 万人の市民に26 年間汚染食品を食べさせ、病気にさせ、悲惨な人生を送らせて、命を縮めさせた(1985
年のベラルーシでは90%の子どもが健康だったが、現在ではわずか20%)ことも認めることになる。世界中の核/原子力産業にとって、この結果が何を意味するか言うまでもない。2000 年に、当時のコフィ・アナン国連事務総長は『チェルノブイリ――今も続いている大惨事』と題した報告書(国連人道問題調整部)の序文を書くよう依頼された。アナン事務総長はその序文を以下のように締めくくっている。
犠牲者のうち、最もか弱い犠牲者は、幼い子ども、赤ん坊、そして原発が爆発した時にまだ生まれていなかった者たちである。彼らが成人する時期が迫っている今、その子ども時代がそうだったように、大人としての人生も原発事故によって破壊されることだろう。多くの者が寿命を全うせずに死ぬだろう。彼らが生きようと死のうと、世界は彼らの苦しみに無関係・無関心だと、私たちは信じ続けて、何もしなくていいのだろうか?(訳注3)
おわりに
この論考が最初に出てから、ペクチン論争で抜けていた重要な部分が明らかになった。フランスの原子力ロビーが、ベルラド研究所に対する特に陰湿な攻撃を、1996 年に「エートス・プロジェクト」、その後は、続編の「コア・プログラム」(CORE:
チェルノブイリによって汚染されたベラルーシの地域の生活条件復興のための協力)を通して開始したのである。このプログラムの財源はフランス電力会社(EDF: Electricite de France)とフランス原子力庁(CEA: Commissariat
a l’Energie Atomique)から出ており、プログラムの運営者は、ジャック・ロシャールだった(訳注4)。この二つのプログラムの主旨は2001 年にフランス原子力庁が出した豪華なパンフレットに次のように書かれている。「チェルノブイリ周辺の住民は『放射能の存在を、自分たちの日常生活に、新たな存在として融合させていく』ことを学ばなければならない」。
1996
年から1998 年にかけて、「エートス」はネステレンコの各地にある放射能防護センターのシステムと並行して活動していた。放射能防護センターが蓄積していた素晴らしいデータベースを利用し、センターの献身的な職員を使ったのである。しかし、まもなく、「エートス」はその影響力を行使し始め、ベラルーシ政府と一緒になって、各地の放射能防護センターをネステレンコから切り離すことを確実なものにした。邪魔者のネステレンコが排除されると、放射能防護のために効果的だった線量計測は放棄され、汚染地域では復興の新たな段階が発表された。致命的なことは、子どもたちへのペクチン投与を拒否したことである。その結果は悲惨なものだった。
2005
年に、ネステレンコは各国の在ベラルーシ大使に必死の訴えをした(注2)。「ベラルーシの科学者たちの提案、たとえば、ペクチンをベースにした吸着剤を食事療法として取り入れることが、コア・プログラムの一環として採用されなかったことは非常に残念です」。
ネステレンコは、2004 年から2005 年にかけてのコア・プログラムの元では子どもたちにペクチンが投与されず、子どもたちの体内のセシウム-137 の量は減少せず、変化がなかったということを知ったのである。一方、2000 年から2001 年にかけて、同じ村でネステレンコが放射能防護の責任者であった時は、子どもたちがペクチン投与を受けており、その結果、体内蓄積のセシウム-137 の量が、Braguine 村では27%減少し、Bourki・Mikoulitchi・Khrakovitchi各村では32%、そして、Komraine 村では35%減少している。
不幸なことに、ロシャールが指導者だった「エートス」が今現在、日本の市民に放射線防護について助言をしている。福島の市民に向かって、ロシャールはチェルノブイリ周辺で行った「エートス」と「コア」の放射線防護について自慢気に語った。彼の日本の市民に対するメッセージは、チェルノブイリの犠牲者に対するメッセージと驚くほど似ている。
被災地域の外では、放射能に対する恐怖がゆっくりと引いていっているとのことです(中略)。極端に低いレベルの被曝を怖れる客観的な理由は全くないからです。(中略)鍵となる問題は、被災地域と日本のその他の地域、(いや、世界のと言っても良い)社会的、経済的、文化的な強固なつながりを維持することです。チェルノブイリでの経験からは、被災地域や住民に対する差別が長期的には深刻な問題となるのが分かります。このリスクに対して初期に手を打つのが重要です。(訳注5)
ロシャールの言葉を言い換えると、心理的要因、たとえば、態度のまずさ、決断力のなさ、そして恐怖心が真の敵だという。彼は、本物の放射線防護を犠牲にして、核/原子力産業のためのプロパガンダ戦争を続けているのである。
原著者注
(1)
2007 年には、国際放射線防護委員会(ICRP)はその勧告書に少なくとも内部被曝と外部被曝という用語を使用している。「重要な違いは、それまでの様々な数学的モデルの使用に代えて、外部と内部の線源による線量を、医学的トモグラフィー(断層)画像をもとにした人体の基準計算ファントムを使って計算することである」
http://www.icrp.org/docs/ICRP_Publication_103-Annals_of_the_ICRP_37(2-4)-Free_extract.pdf
http://www.icrp.org/docs/ICRP_Publication_103-Annals_of_the_ICRP_37(2-4)-Free_extract.pdf
(2)
ウラジミール・チェルトコフ(Wladimir Tchertkoff)『チェルノブイリの犯罪――核の強制収容所』(Le crime de Tchernobyl: le goulag
nucleaire, Actes Sud,
2006
(3)
M.W. ホー(MW. Ho)「放射線防護のためのアップル・ペクチン」、Science in Society 55号、32-33 頁、2012.
(4)
ロザリー・バーテル(Rosalie Bertell)「避けられた悲劇 チェルノブイリ後」(Avoidable
tragedy post-Chernobyl”)、Journal of Humanitarian Medicine 、第2 巻第3 号、2002年、21-28 頁。
(5)
M.W. ホー(MW. Ho)「福島の真実」(”Truth about Fukushima”)、 Science in Society 55 号、32-33 頁、2012.
(6)
国連人道問題調整部(United Nations Office for the Coordination of Humanitarian Affairs)『チェルノブイリ――今も続いている大惨事』(Chernobyl: A Continuing Catastrophe), OCHA/99/20, 2000
訳注
(1)
この論考の原題は “The Pectin Controversy: How the government orchestrated attack on
science and scientists to protect nuclear industry”、執筆者名はSusie Greaves。2012 年8
月13 日発行のScience in Society 誌55 号掲載のこの論文の翻訳・拡散を許可してくださったSusie Greaves さんと雑誌編集者のDr. Mae-Wan Ho, Prof.
Peter Saunders に御礼申し上げます。福島の現状を心配なさって、提供して下さいました。注にあるその他の論文の抜粋は
http://www.i-sis.org.uk/index.php
から見られますが、論文全体はHP 経由で有料となっています。
http://www.i-sis.org.uk/index.php
から見られますが、論文全体はHP 経由で有料となっています。
(2)
ネステレンコは2005 年11 月にスイス・バーゼルで開催された「社会的責任を負う医師団」と「核戦争防止国際医師会議スイス支部」主催の国際会議「チェルノブイリ爆発から20 年――リクビダートル= 処理作業員の健康」(
Health of
Liquidators (Clean-up-Workers), 20 Years after
the Chernobyl Explosion)で、「チェルノブイリ事故後のベラルーシ共和国の人々(特に子どもの放射線防護)」と題して発表したが、このアブストラクト(ミシェル・フェルネックス教授監修)によると、ネステレンコと共に爆発直後の原発上空を飛んだ消防士、パイロットなどのうち、二人は上空で受けた煙から被曝して飛行直後に死亡し、同乗したソ連の科学者ヴァレリー・レガソフは政府が事故の重大性を隠蔽することに堪えられず、2 年後に自殺したと述べている。アブストラクト(英文)は以下からアクセス可。
http://www.ippnw.org/pdf/chernobyl-health-of-clean-up-workers.pdf
レガソフの未完の手記は「これを語るのは私の義務・・・・」として邦訳され、以下からアクセス可。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/annex-1.pdf
http://www.ippnw.org/pdf/chernobyl-health-of-clean-up-workers.pdf
レガソフの未完の手記は「これを語るのは私の義務・・・・」として邦訳され、以下からアクセス可。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/annex-1.pdf
(3)
『チェルノブイリ――今も続いている大惨事』(Chernobyl: A Continuing Catastrophe, 2000 )は国連人道問題調整部( United Nations
Office for the Coordination of Humanitarian Affairs)の以下のアドレスからアクセス可。http://ochanet.unocha.org/p/Documents/Chernobyl_2000.pdf
26 ページの報告書だが、内容は同時期に出されたUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告書 “Report of the United Nations Scientific Committee on the Effect of Atomic Radiation to the General Assembly” (2000 年6 月2 日)と対照的だ。UNSCEAR の報告書では、「チェルノブイリ事故による放射線の影響」(The Radiological Consequences of the Chernobyl Accident)という節に、わずか3分の1ページしか割いていない。http://www.unscear.org/docs/reports/gareport.pdf
以下の対比表をご覧いただきたい。
26 ページの報告書だが、内容は同時期に出されたUNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)の報告書 “Report of the United Nations Scientific Committee on the Effect of Atomic Radiation to the General Assembly” (2000 年6 月2 日)と対照的だ。UNSCEAR の報告書では、「チェルノブイリ事故による放射線の影響」(The Radiological Consequences of the Chernobyl Accident)という節に、わずか3分の1ページしか割いていない。http://www.unscear.org/docs/reports/gareport.pdf
以下の対比表をご覧いただきたい。
OCHA『チェルノブイリ̶̶今も続いている大惨事』
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UNSCEAR「チェルノブイリ事故による放射線の影響」
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甲状腺がん
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*11,000 件が既に報告された。
*科学者たちは2006 年(事故から20 年後)頃にピークに達し、最高6,600 人だろうと予想していたが、2000 年に予想をはるかに超えた。 |
*事故で被曝した子どもの約1,800人が甲状腺がんを発症した。
*この傾向が続けば、今後数十年の間に発症するケースがあるかもしれない。 |
甲状腺がん以外
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*肺・心臓・肝臓障害もチェルノブイリで放出された放射線によるという証拠が出ている。
*73,000 人近くのウクライナ人がチェルノブイリの結果として慢性疾患になっている。 *200,000 人のロシア人事故処理作業員のうち、46,000 人が病気になっている。 *570,000 人のロシア人市民が疾病登録された。*ベラルーシの人口の80%が何らかの健康被害を抱えている。 |
*事故から14 年後、被曝による病気の証拠は一切ない。
*被曝によるがんの増加や、死亡率の増加を示す科学的証拠は一切ない。 *白血病のリスクが増加している兆候は、事故処理作業員の間でもない。 *被曝度が高かった人は、放射線による健康被害のリスクが高まるだろうが、人口のほとんどはチェルノブイリ事故の放射線被曝から深刻な健康被害を経験することはない。 |
同じ国連内の組織でありながら、これほどまでに違う結果を報告しているわけだが、UNSCEAR の委員長は、OCHA 発行の『チェルノブイリ――今も続いている大惨事』に序文を書いた国連総長コフィ・アナン宛に激しい抗議文を出した。上記UNSCEAR 報告書のドラフトが出た同じ日付の手紙である。差出人はUNSCEAR 委員長、スウェーデン放射線防護研究所所長でもあるラース-エリック・ホルム(Lars-Erik Holm)である。
拝啓
私は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」(UNSCEAR)の委員長として、この文書を差し上げます。当委員会はウィーンにおいて第49
回目のセッションを終わったところです。ご存知のようにUNSCEAR は放射線被曝の健康への影響とそのレベルについて評価し報告する権限を国連総会から与えられた国連内組織であります。
当委員会は「国連人道問題調整部」(OCHA)が『チェルノブイリ――今も続いている大惨事』(OCHA/99/20, New York and Geneva, 2000)という出版物を出したことを知りました。この報告書は科学的評価において到底支持されない、根拠のない内容に満ちています。そこで、チェルノブイリ事故の放射線影響について、当委員会の調査結果についてお知らせいたします。
(中略:避難者の数などの羅列)
現在まで、一般市民に見られる、根拠のある唯一の放射線被害は、特に汚染の酷い3国の子どもたちの甲状腺がんの急増です。(中略:表にした内容を繰り返している)
OCHA の報告書は「被曝による長期間の健康被害は比較的新しい現象のため、ほとんど何も知られていない」と主張していますが、これもまた不正確な内容です。放射線については、他のどんな発がん物質よりもよく知られています。UNSCEAR は1955 年に設立されて以来、放射線被曝による健康と環境への被害リスクについて国連総会に毎年報告してきています。当委員会は、また、詳細な科学的資料を4,5 年毎に国連総会に提出しています。この事実をもって、国連総会も、OCHA を含めた国連組織全体が、過去45 年間、放射線の影響とレベルについての科学的情報を絶え間なく明らかにしてきたことがおわかりいただけると思います。
さらに、OCHA はチェルノブイリ周辺の汚染地域における放射線がノネズミのDNA を変えたために、1500 万年の進化による変化に匹敵すると主張しています。国連組織内の機関がこのような科学的に根拠のない内容を発表するとは、驚くべきことです。
OCHA によって流されるこのような不正確な情報は、すでに噂に苦しみ、将来に不安を感じている人々を打ちのめします。国連組織は人々の苦しみを軽減し、[事故によって]影響を受けた市民が根拠のない噂で必要以上に恐怖を覚えないよう、監視する責任があります。OCHA の報告書は事故で影響を被った人々を支援するどころか、逆に恐怖を増すことになっています。 敬具
手紙の原文は「Radiation Science & Health」のサイトからアクセス可。題名は”UNSCEAR Chairman June 2000 letter to the Secretary General”.
http://www.radscihealth.org/rsh/docs/UN-Chernobyl/index.html
文中の「ノネズミの遺伝子損傷」の科学的証拠はローザ・ゴンチャロワ(Rose Goncharova)の研究結果と思われる。チェルノブイリの放射線被害に関する研究書としては最も信頼性があり、包括的と評されるニューヨーク科学アカデミー刊(2009)『チェルノブイリ――大惨事が人々と環境に及ぼした影響』(Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment)の中で、ゴンチャロワの論文はいくつも引用されている。
邦訳されているのは以下の論文である。
邦訳題名:「汚染地域の野生ネズミの細胞変異」(ローザ・ゴンチャロワ、ナジェーズダ・リャボコン:ベラルーシ科学アカデミー・遺伝細胞学研究所)、今中哲二(編)『チェルノブイリによる放射能災害‐‐国際共同研究報告書』所収、技術と人間 (1998)
訳注(2)で紹介した「チェルノブイリ爆発から20年――リクビダートル=処理作業員の健康」(Health of Liquidators (Clean-up-Workers), 20 Years after the Chernobyl Explosion)
http://www.ippnw.org/pdf/chernobyl-health-of-clean-up-workers.pdf
にもゴンチャロワの「チェルノブイリ後のゲノムの不安定性と将来的予測」(Genomic Instability after Chernobyl, and Prognosis for the Coming Generation)が掲載されている。また、チェルトコフ監督のドキュメンタリー映画『真実はどこに?――WHOとIAEA:放射能汚染を巡って――』にゴンチャロワ博士が登場している。
http://www.radscihealth.org/rsh/docs/UN-Chernobyl/index.html
文中の「ノネズミの遺伝子損傷」の科学的証拠はローザ・ゴンチャロワ(Rose Goncharova)の研究結果と思われる。チェルノブイリの放射線被害に関する研究書としては最も信頼性があり、包括的と評されるニューヨーク科学アカデミー刊(2009)『チェルノブイリ――大惨事が人々と環境に及ぼした影響』(Chernobyl: Consequences of the Catastrophe for People and the Environment)の中で、ゴンチャロワの論文はいくつも引用されている。
邦訳されているのは以下の論文である。
邦訳題名:「汚染地域の野生ネズミの細胞変異」(ローザ・ゴンチャロワ、ナジェーズダ・リャボコン:ベラルーシ科学アカデミー・遺伝細胞学研究所)、今中哲二(編)『チェルノブイリによる放射能災害‐‐国際共同研究報告書』所収、技術と人間 (1998)
訳注(2)で紹介した「チェルノブイリ爆発から20年――リクビダートル=処理作業員の健康」(Health of Liquidators (Clean-up-Workers), 20 Years after the Chernobyl Explosion)
http://www.ippnw.org/pdf/chernobyl-health-of-clean-up-workers.pdf
にもゴンチャロワの「チェルノブイリ後のゲノムの不安定性と将来的予測」(Genomic Instability after Chernobyl, and Prognosis for the Coming Generation)が掲載されている。また、チェルトコフ監督のドキュメンタリー映画『真実はどこに?――WHOとIAEA:放射能汚染を巡って――』にゴンチャロワ博士が登場している。
ゴンチャロワ以外にも多くの研究者が汚染地域の鳥類・昆虫類・動物の遺伝子損傷を調査研究し、放射線の影響と関連付けている上、人間への影響についても、多くの症例が報告されている。参考:上記ニューヨーク科学アカデミー刊の『チェルノブイリ』は岩波書店から翻訳刊行予定とのことで、翻訳進行中の「チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト」でアクセス可。
http://chernobyl25.blogspot.jp/
http://chernobyl25.blogspot.jp/
その他、核戦争防止国際会議ドイツ支部著、松崎道幸監訳『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害――科学的データは何を示している――』、合同出版、2012(原書は2011年刊)を参照。
福島原発事故後の昆虫の遺伝子損傷実態調査では、琉球大学研究チームのチョウの調査研究(2012年8月9日にNature Scientific Reports掲載)がフランス・ドイツで大きく報じられた。
http://www.nature.com/srep/2012/120809/srep00570/full/srep00570.html
「福島周辺で蝶の突然変異体」ル・モンド(日本語訳)
http://www.nature.com/srep/2012/120809/srep00570/full/srep00570.html
「福島周辺で蝶の突然変異体」ル・モンド(日本語訳)
2012年8月16日の『北海道新聞』は「福島のワタムシ[アブラムシの一種]1割奇形被ばく原因の可能性」と北大研究チームの調査結果を報じている。
(4)
ジャック・ロシャール氏(Jacques Lochard)と「福島のエートス」の関係については、ETHOS INFUKUSHIMA ブログに詳しい。
特に2012 年2 月25~26日開催のICRP 伊達市ダイアログセミナーで「福島のエートス」代表の安東量子氏が「ICRP111 付属書の『エートス』プロジェクトの存在」とJAEA(日本原子力研究開発機構)レビュー記載のエートス解説から、「福島のエートスが必要」と感じたこと、2011 年11 月28 日に内閣府「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」委員会でロシャール氏がエートスに関する発表をし、安東氏がその資料の翻訳を呼びかけて「福島のエートス」が始まったと報告している。出典:発表PPT「福島におけるエートス活動実現へ向けて」
特に2012 年2 月25~26日開催のICRP 伊達市ダイアログセミナーで「福島のエートス」代表の安東量子氏が「ICRP111 付属書の『エートス』プロジェクトの存在」とJAEA(日本原子力研究開発機構)レビュー記載のエートス解説から、「福島のエートスが必要」と感じたこと、2011 年11 月28 日に内閣府「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」委員会でロシャール氏がエートスに関する発表をし、安東氏がその資料の翻訳を呼びかけて「福島のエートス」が始まったと報告している。出典:発表PPT「福島におけるエートス活動実現へ向けて」
(5)
ETHOS IN FUKUSHIMA ブログに掲載された「福島のエートス」宛ロシャール氏の手紙の訳より。日付はないが、ブログアップの日付は2012 年1 月1 日。同じ手紙でロシャール氏は「20mSv/年を基準にするという決断は良い知らせです。これで多くの人が早期に家に帰ることができる」と書いている。
http://ethos-fukushima.blogspot.jp/2012/01/lochard.html
http://ethos-fukushima.blogspot.jp/2012/01/lochard.html
翻訳・文責:牟田おりえ
2012 年8 月20 日
2012 年8 月20 日
【リンク】被曝問題に関連する記事・情報リンク集
Special report to be included in Science in Society #55 (available August 2012).Pre-order now or Subscribe. All proceeds from SiS 55 will be donated to children of Fukushima and Chernobyl |
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