2012年8月25日土曜日

恐竜時代の終焉




哺乳類の時代 21世紀の第1四半期を振り返る
草の茂みから眺めた光景
私はトムディスパッチに非主流ニュースをまとめた歳末記事を2004年から書いてきた。けれど、2017年あたりから、見過ごしにしてきたニュースを掘り出すというお決まりのやり方や、希望の根拠にますますうんざりするようになってきた。そこで今年は目先を変えて、21世紀最初の25年間を振り返ることにした。でも、その方法を私に気づかせてくれたのは、6000万年前の動物だった。
先日、私は何人かのちびっ子たちをお借りして、このますます不安定になる ばかりの世界でいつでも頼りになるものを見にいった。科学博物館の恐竜時 代ジオラマである。そこでは、いつものティラノサウルスとトリケラトプス との迫力ある激突があった。プテロダクティルスが空を切って飛翔し、その うち一頭の歯をむいた口には、小さな爬虫類がくわえられていた。千年紀が 移る前、私が若かったころにブロントサウルスと呼ばれていた恐竜が、どこかぼんやりとした風情で草を食〈は〉んでいた。この劇的状況全体のなか、 簡単に見落としかねないものは、アシの茎や分厚い草葉の上でじっとしているトガリネズミに似た哺乳類であり、こちらは魅惑的なプテロダクティルス のスナック用としてもあまりにも小さい。私は子どもたちに、進化の道筋で 次に登場するものは、はじめはいつもあの哺乳類みたいに見えるのよ、と 言って聞かせた。つまり、とるにたりないもの、本筋から外れた存在である。公式の見せ場はたいてい巨大恐竜のぶつかりあいだ。
まさにこれこそが、主流ジャーナリズムが今世紀初めの10年間を、民主党・対・共和党、マクドナルド世界・対・地球規模のジハドといった、目に付きやすい二項対立概念の意味を議論することに費やした理由である。まるで、1770年代初期に、フランスとイギリスのどちらの絶対王政がアメリ カで覇権を占めるかということに政治論争の焦点が絞られたであろうように。あいにく、じきに前者の王は首をはねられ、もう一方は追放されてしまう。当時の壮麗な図体のきわみにあった絶対王政の君主たちは、その時代の恐竜であり、はじめはだれにも気づかれなかった18世紀の哺乳類は、「革命」と名づけられた。21世紀初めの哺乳類は、「地域主義」、あるいはたぶん「アナーキズム」、あるいは「市民社会主権」とすら呼ばれていたのかもしれない。ある奇妙ななりゆきで、風車建造者は連邦上院議員よりも重要になった。確かに風車造りのほうが上手に未来に備えていた。
http://blog.goo.ne.jp/jura2007/e/a8106fb600e2e1ea35e9ddd555a9610c
◎意見表明者9
はい。郡山市のIです。先ほどは郡山市内の団地を例に子どもたちの放射線被ばくをしている状況が放置されている、こういう無責任な国に原発を動かす資格はない、そういう論点で組み立てたわけです。
もう1点、2030年時点での原発の依存比率です。そういう前提で、この意見の聴取会、この会場は別ですが、そういう前提に立っていると思うのですが、2030年の経済状況です。この経済規模が、果たして成長は今よりも大きくなっているのか。あるいは現状維持であるのか。あるいは、今の経済よりも縮小しているのか。そういう前提が全く欠けているのです、不思議なことに。国家戦略を立てるのに、ほぼ20年後ですよね。1718年後。このときの経済がどうなっているか、ビジョンを示していないわけです。私の意見でいえば、経済規模は必然的に減っているはずです。というのは、2000年代に人口がピークに達して、もう既に縮小局面に入っています。
これから、原発事故の影響もあって、人口はどんどん加速的に減少するはずです。ですから、経済が縮小するということは、エネルギー消費も減るはずです。ですから、原発を廃止すれば、石油の使用量は減る。これはうそです。原発を廃止しても、たった今、現在の石油使用量は減っていくはずです。ですから、その中で、原発を動かすのは新しい時代が目の前に迫っているのに、古い体制にしがみついて、まるで、そのまま滅んでしまった恐竜の末路を見るようなことになると思います。
私たちとしては、賢い哺乳類になって、新しい時代のエネルギーの使い方、これを真剣に考えなければならないと思います。もしも、原発に固執していたら、そのチャンスを失ってしまいます。ですから、今から新しい時代に適応できる哺乳類になって、エネルギー消費の効率化です。効率化技術をどんどん改善しなければならないと思います。ありがとうございました。
国の見通しをはるかに超えて、脱原発を求める意見が根を広げているのではないか。
2030年の電源構成を決めるために国はこの夏、「討論型世論調査」「意見聴取会」「意見公募」という3種類の調査を行ったが、いずれも原発ゼロを支持する人が最も多かった。
仙台市など全国各地で開かれた意見聴取会では原発比率0%が全体の約7割に達し、「15%」「20~25%」を大きく引き離した。意見表明者は原子力に批判的な人が比較的多いだろうと推測されていたが、それにしても大差だ。
国は近々、原発の在り方を決める。この結果をどう政策に反映するのか、今度こそ「脱原発依存」を掲げる民主党政権の本気度が問われる。
聴取会の集計には、三つの選択肢にこだわらずに意見を求めた福島市の分は入っていない。福島会場で意見を表明した30人のうち28人が「原発ゼロ」を主張し、しかも「即時廃止」を求めた人が多かった。
いずれも切実な訴えだ。「被災地だから厳しくて当然だ」などと簡単に片付けてはならない。全国の人々にとっても貴重な生の声になるはずだ。
福島市での聴取会で、田村市の男性は原発ゼロの理由を「単純明快」と話した。いったん事が起こると「人間の力ではもう制御できない」からだ。
須賀川市の女性は「この福島に、この世界中に、放射性物質がばらまかれた。一粒残らず片付けてください」と汚染の深刻さを訴えた。
原子力は人間が制御不可能に陥る危険性を持つ技術であること、いったん放射性物質で汚染されたら元に戻すのが絶望的になることは、多くの人の共通理解になっている。
田村市の女性は、関西電力大飯原発(福井県)の再稼働に対し「福島県民に失礼だったのではないか」と憤った。原発事故の後始末もしないままゴーサインが出されたことは、理不尽としか映らなかった。
歴史の転換点だという意識も強い。福島市の男性は「エネルギー政策の大転換を図る以外に、子どもたちにこの状況を説明できない。これだけの大きな犠牲を払って、何も変わらないでは済まされない」と訴えた。
郡山市の男性は、原発依存が続くことを「恐竜の末路」に例えた。「新しい時代が目の前に迫っているのに古い体制にしがみつくのは、滅んでしまった恐竜の末路を見るようだ」と話した。
原子力がこれからどこに向かうのか、福島県の被災者は自らの行く末と重ねて真剣に見つめている。発想を変えずに漫然と原子力を温存することになれば、「このようなことは福島で最後にしてほしい」(矢吹町の男性)という叫びにも似た心情の切り捨てにつながる。
原発ゼロの社会を目指すことは、多くの被災者の願いだ。それを思いやり、実現させるための想像力を喚起することが今、政治に求められている。

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