ティム・ホロー(環境活動家、ミュージシャン)「原発は企業の権力維持装置。保守派好みの気候変動対処策」…トニー・アボットは…原子力に対して「わたしは神学的な異議を唱えない」
@DrHCaldicott Tim Hollo http://t.co/pqUDPcnqj4
— inoue toshio 子どもを守れ! (@yuima21c) 2014, 12月 3
トニー・アボットは、原子力に「神学的な異議」を唱えないという。それもいいだろう――盲目的に信心してこそ、これほどコストが大きく、リスクが高い電源への信頼を正当化できる
ジュリー・ビショップ(外相、姓が「司祭」の意)が今週、右派が好む地球温暖化の「解決策」のことを蒸し返したのに対して、トニー・アボットは12月1日、原子力に対して「わたしは神学的な異議を唱えない」と返した。
アボットの言葉の選択は興味深い。額面通りに受け取れば、アボットは原子力反対が、理性的なものでなく、信仰にもとづく見解であると言いたいのだ。だが、余りにも愚鈍で金がかかり、あまりにも危険であると繰り返し示されている(たとえば、このリンク先とこのリンク先を参照のこと)のに、信仰箇条を述べた右翼の記事数本に支えられているのが、右派の止むことないテクノロジー推進なのだ。原子力が持ち上げられるとき、実際になにが起こっているのか明らかにするのに好都合なので、この信仰箇条を解明するだけの価値がある。
1番目の教義は実に神学的なもので、バイブルの視野の狭い読みにもとづいている――
神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」
米国のキリスト教右翼は創世記第1章第28節のこの句を環境決定論の聖書解釈として久しく推奨してきた。神は、彼らの信じるに、われわれ人類の好きなように地球とその資源を扱ってもいいと彼らに告げておられるのである。もちろん、とても違った聖書解釈もある。オーストラリアの宗教界の気候変動への対応を代弁するテア·オームロッド、その他の人たちは、「世話係」の概念、そして神の天地創造を見守る責任を語っている。
だが、「支配権委任」は、人間は自然とは別の存在であり、自然に優越しているという現代産業思想にぴったり合うので、欧米物質主義創造物語の強力な一側面になった。
原子力は、核分裂を人間の自然支配の極致と見る世界観に完璧なまでに適合する。原子力の甚大で恒久的な廃棄物問題を考えると、好きなように汚染するのがわれわれの権利であると信じてこそ、それを受け容れることができる。
2番目の教義は、イエスが神殿から金貸しを放り出したとき、反語的なことを言っていたと信じなければ、権威のあるものではない。しかし、アボットとその同類が企業資本主義に対する盲目的な信仰をますます募らせているので、顕著に神学的なオーラが拡がっている。
気候科学を認めないのが妥当であり、リーフの健全性劣化を否定するのもよしとしても、企業利害にさらなる権力を与えれば、企業以外のわたしたちの利益になるのかと問えば、異端になる。
原子力に特有の利益の私物化とリスクの社会化は、企業の神聖な権利を信奉するときのみ、経済的合理性がある。建設と解体にかかる超億万ドルのコスト持ち出し、民間保険会社のリスク担保拒否、それにわたしたちの文明のこれまでの存続期間の何倍も末永く管理しなければならない廃棄物の流れを考えれば、原子力発電は市民社会から企業への複雑な富の移転なのだ。
この特定の信仰に与する人びとにとって、原子力の大きな魅力は、多様で分散的な再生可能エネルギー・システムがエネルギー供給を民主化する恐れがあるとき、エネルギー基盤の企業独占を維持してくれることにある。
ますます多くの人びとが太陽エネルギーに理があると理解するようになり、世界のエネルギー規制当局は、包囲された化石燃料企業がますますうろたえて、市場シェアの縮小を喰い止めてくれと叫ぶ要求に直面している。米国の各地では、給電契約解除を非合法とする提案すらある。この状況において、原子力は天の恵みだ。
最後の――変化は、困難で危険、不必要であるという――教義は、保守派の信仰の中核である。ナオミ・クラインの新刊書“This
Changes Everything”(『これがすべてを変える』)が指摘するように、この信仰があるため、気候変動が右派の脅威になっている。産業消費社会資本主義の発展を可能にしてきた燃料を原因とする地球温暖化の加速が告げる明白なメッセージは、わたしたちが方向を変えなければならないということである。
気候変動に対処したいと欲するなら――だが、自分の世界観が邪魔になって、エネルギー使用方式、消費行動、社会の構築様式を変えることを真剣に考えることができないなら――原子力が格好の解決策になる。原子力は、本当になにも変えなくても、気候変動に取り組むことができるとささやいてくれる。
残念、これは真実のささやきではない。国際エネルギー機関でさえ、それを信じていない。さらにまた、率直に言って、原子力の推進論者の多くも信じていない。
原子力を熱心に売り込むのは、右派の多くにとって、実際にその使用を宣伝するためではない。信仰の枢要教義3箇条、「人間」は自然支配権を有する、企業力が善をなす、変化は避けなければならない、これを強化する思想を宣伝する文化戦争の兵器として用いることが遥かに重要なのだ。
原子力に反対するのは、筆者はあえて強調するが、道理のある立場である。原子力に不利な証拠が山積みになっている。再生可能エネルギー選択肢の組み合わせは、迅速で安価、安全に展開することができ――わたしたちもまた放漫なライフスタイルを変えるなら――わたしたちのエネルギー需要を賄うことができる。.
だが、これはまた、わたしたち人類は、あたかも明日がないかのように、あるいは明日が来ることがないかのように生きることを止める必要があると見る見識、人間と人間でないもの、現在の存在と未来の存在、この惑星の上に生きるわたしたちすべてであるかのように生きることができ、そのように生きるべきであるという理念といった特定の世界観にもとづく、ひとつの倫理的な立場である。
原子力支持はある世界観にもとづいているが、やはり道理のある論拠に裏付けられているという利点を享受していない。それは正当性の単純な幻想であり、なにも変えなくても、気象変動に対処できると見せかけるために、折にふれ制作される宣伝道具であり、彼らの文化戦争の兵器なのだ。
【筆者】
ティム・ホローは、環境活動家、ミュージシャンであり、最近、グリーン・ミュージック・オーストラリアを発足。前歴として、オーストラリア緑の党指導者、クリスティーヌ・ミルンの広報部長を務め、350.org、Lock the Gate(ゲート閉鎖同盟)などの団体で活動し、今もグリーンピースの理事である。彼は個人の資格で執筆しており、どの団体も代表しない。
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