2014年4月15日火曜日

【海外論調】フクシマの未来


フクシマの未来
Fukushima’s future
ボブ・スティルガー BOB STILGER  201423
地域社会が地震や核爆発などの惨事に打ちのめされたとき、どのように回復できるのだろうか? フクシマでは、変身のみが唯一の選択肢かもしれない。
3.11津波」に襲われた気仙沼 Credit: Reuters/Kyodo. All rights reserved.

2011311日、東北地方太平洋沖地震福島県を襲ったとき、それに伴う波高15メートルの津波が時速80キロのスピードで陸地に突進した。
一日も過ぎないうちに、死亡または行方不明者が18000に達し、30万人近くが住居を奪われた。昔からの日常は奪われてしまった。今日、地域の人びとは暮らしを根本から取り戻すために奮闘しているが、永久に状況が一変したなか、彼らの未来はどのように見通せるのだろうか。
多くの人びとにとって、これは単に財産や生計を取り戻すといった問題ではなく、幸福と生活の質の意味の中心にあるのは、優れて精神的な問いなのだ。
日本で「3.11」で通用する大震災は地域一帯の建物を倒したが、とりわけ沿岸地帯の町の被害が甚大だった。多くの場所で、地面そのものが崩れ去り、1メートルばかりも陥没した。次の日、福島第一原子力発電所の原子炉6基のうち、3基が爆発し、4号炉の使用済み核燃料棒の格納構造が重大な損傷をこうむった。放射能がとても短時間のうちに、さらに6万人の人びとを住居から追いやった。
この福島第一原発4号炉はいま、世界で最も危険な存在である。大規模な地震がもう一度発生すれば、核爆発が誘発されかねず、そうなれば2000万人以上が避難を余儀なくされるだろう。第一原発の原子炉から恐るべきペースで汚染水が太平洋に漏れだしている。放射能を封じこめ、地域をふたたび安全にすることは、現在のテクノロジーの有効限度を超えている。カリフォルニア州の人びとは8000キロ離れた岸辺に放射性廃棄物が到達するのを心配しているが、現地の人びとはもっと直截な関心を抱いている。彼らは郷里に戻りたいのだ。
地域社会の再生を目のあたりにするために必要なのは、人びとを元の暮らしに呼び戻すことだろうか? ある程度の汚染がつづくのは必定であり、人口が大幅に(特に若年層が)減少し、原発、観光業、農漁業を中心基盤とする生計手段が消失し、地域の状況は見る影もなく変わり果ててしまった。技術的問題は山積し、フクシマは――誤解され、果てしない恐怖と歪曲の対象であり、常軌を逸して複雑な――混乱の極みである。原発の状況について、フェアウィンヅ・プロジェクトは世界屈指の正確な概要を提示してくれている。
だが、フクシマが直面する根本的な問題は単に技術的なものではなく、人間的なもの――新たな、ずっと意欲をそそる現実における暮らしをいかにして作りなおすか――である。わたしが先ほど福島の蓮笑庵で主宰した住民集会のあと、年配の男性がわたしに近づいてきた。
その人はいささか遠慮がちに、「わたしは将来のことを考えなきゃと思ったこともありません。今夜たぶん、思うのですが、わたしは将来を考えるのはわたしの幸福を考えることと同じだと思いはじめました」といった。こころの痛手はもっと深遠な変革のとばぐちを用意してくれる。この場合はじっさい、変身が唯一の選択肢なのだろう。
大惨事から千日以上が過ぎた。わたしはその日々の半分、東北一帯各地の住民とともに、人びとがみずからの悲嘆を安全に分かち合う場を創造し、新しい可能性を探求し、異なった未来をつくるための相互協力関係を形成するために活動してきた。これはフューチャー・センター・モデルのような手法を取り入れている。これはもともとヨーロッパで開発されたものであり、アート・オブ・ホスティング(「司会術」)の「ワールド・カフェ」、開かれた場、物語ること、賞賛を加味した質問といった「対話技術」を併用しながら、今日では地域の状況に適応されている。
フクシマの人びとは幅のある3種の現実のひとつに生きている。馴染み、愛していた一切のものが消失したので、絶望に圧倒されている人たちがいる。他所に移転する方策があれば、即座にフクシマを去る人たちもいるだろう。他にも、「これがわたしたちの故郷であり、ここで共に新たな暮らしをつくるのだ」と公言した人たちがいる。その人たちは、過去が消え去り、未知の未来が生まれるのを待っていると知っている。
たとえば、若い女性を支援する団体「Peach Heart(ピーチハート)」を創設した20代後半の女性、鎌田さんを取り上げてみよう。「わたしの友だちの何人かは福島を離れ、こちらで一緒にやろうとわたしにけしかけつづけるのですが、わたしは行くわけにはいきません。動きの取れない若い女の人たちをここに残して行きたくないのです。安全なのだろうか? 結婚できるだろうか? 赤ちゃんを産めるだろうか? 赤ちゃんは健康でいられるのだろうか?…とてもたくさんの疑問を話し合いながら、彼女らを支えることがわたしの仕事なのです」と彼女はわたしに語った。
菅野さんは、帰還運動のもうひとりのリーダーである。わたしは2013年のクリスマスの何日か前に彼に会ったが、彼は葛尾村で原発の間近に住んでいた1500人の人々の多くが暮らす福島の仮設住宅団地で催すパーティの準備で多忙だった。「わたしたちはますます限定的になる政府資金を巡って、近隣の町村との競争を余儀なくされています。再建事業の契約でさえ東京で公布され、その条件は地元企業が仕事するのが不可能なものになっています。疑問は多々ありますが、わたしたちは前進するための道を見つけるために協力しなければなりません」と彼はいった。
そのような条件で、どのように地域社会を再興できるのだろうか? 帰宅を望む地域の人びとの大多数は、60歳以上の高齢である。たとえば、大熊町を対象にした最近の調査によれば、元住民のほぼ20パーセントが帰還を望んでいるが、その全員近くが高齢者である。一部の子どもたちも帰還することになっているが、過去の人口密度はどこにも望むべくもない。かつての学校システムを再興することはかなわず、できるとしても、子どもたちが異なったフクシマを生き、つくるために学ぶ必用があることを教えないだろう。家屋、店舗、田畑は空っぽのままである。経済は崩壊した。放射能汚染帯の外側で実施された津波残骸処理事業はフクシマをほぼ手付かずのままに残した。
おまけに、地域の全部分が再定住のために開放されているのではない。放射線レベルはほぼ道ごとにばらついている。しかし、日本政府が戻っても安全であると決定すれば、避難を強制された人びとに政府が払う資金、被災者が受け取る「放射能賠償金」を失うことになる。これでは、たいがいがほんの月額数万円の年金しか支給されない農民たちを見捨てることになる。これまでの3年間、恒久的な住宅を持てなかったことによるストレスと重圧は、さまざまな人びとが受け取る金銭的支援のレベルのばらつきをめぐる緊張によって悪化する。このような状況では、地域再建に必須の信頼を育むのがさらに難しくなる。
人びとが現に帰還すれば、除染作業で集積された放射性廃棄物をどうするかという疑問が残る。政府事業の請負業者は目下、放射能を含む地表部6センチメートルの土壌を除去して仕事を進めている。だが、この廃棄物はどこに貯蔵されるのだろうか? この作業は同時に、田畑から肥沃な土壌を剥ぎ取ることになる。「バイオ・リメディエーション(生物的環境浄化)」の研究は、よりよい代替案――土壌をその場に残し、キノコ類や植物に放射性物質を食べさせること――を提案しているが、これはどうなのだろう? だれがこのような決定をするのだろう?
このような疑問に直面するなら、明白な答えとは、全員がどこか別の場所へと永遠に移転するのを強制することであるという人たちもいる。フクシマの地域社会住民はおそらく放射能のことを世界のだれよりもよく知っているだろうが、それでも確かなことはわからない。低線量放射線に関するヒロシマ・ナガサキの疫学研究は包括的なものではない。なぜ一部の人たちが病気になり、他の人たちは罹患しないのか、わたしたちにはわかっていない。
帰還する人たちは自分たちの決定を下したが、彼らは自分たちの暮らしが以前と同じになることはないと知っている。原子炉に付随する複雑な問題は確かにあるが、彼らが向き合うより深い疑問は、非常に人間的なものである。この新しい社会はどのようなものになるか? 圧倒的に高齢化した人口を持つとは、どのようなものか? 以前の生計手段が消え去ったいま、どのような種類の経済が地域を支えるのか? 以前に可能でなかったが、いま可能なことはなにか?
鎌田さんや菅野さんといった人たちが自分たちの悲しみと自分たちの夢を抱き、ともに不透明な未来に向き合い、前を歩を進めるにつれ、このような疑問がゆっくりと着実に見えるようになってきた。だが、この過程は何十年もかかることだろう。わたしはこのごろ、人びとが芋虫と蝶のイメージを変態のメタファーに使うのはいつか、頭を悩ませている。美なるものが再生するためだけに軟泥に溶解してしまうすべての存在について、ほとんど華やかななにものかがある。
フクシマの人びとの暮らしの形質転換は非常に違っている。この変身は、故郷と呼ぶ場所に新たな暮らしを築くために、みずから声を上げ、みずからの手を使い、お互いに手を差し伸べ、一歩一歩ずつ前進する人びとのそれなのだ。
【筆者
ボブ・スティルガーはニュー・ストーリーズ(New Stories)の共同代表であり、バーカナ研究所(The Berkana Institute)の元共同代表。カリフォルニア統合学研究所(California Institute of Integral Studies)学習・人的システム変革論の博士号を保持。日本における彼の仕事に関する著書“Calling Community Back to Life”執筆の完了間近であり、同書は2014年に東京の英治出版より刊行の予定。

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