2015年5月15日金曜日

『救援』第553号「放射能と被曝戒厳令」


放射能と被曝戒厳令
福島県郡山市 井上利男

放射能は不可視である。物理的に目に「見えない」だけではない。政治・社会的に「見させない」。そして、心理的にわざわざ「見たくない」。

被曝戒厳令も不可視である。軍事力や警察力の形では目に「見えない」。官民一体となり、メディアが総力をあげて「見させない」。世間に楯突くのが怖いので「見たくない」。

だから、意志・意識的に「見なければならない」

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あの20113月の当時、放射能プルームが吹き抜けた街、郡山市の対応は早かった。当時の原市長は県内で率先して小中学校の校庭などの除染に着手した。親たちの不安の声に応え、大手スーパー資本の協力を得て、子どもたちがのびのびと遊べる大規模な屋内遊戯施設「ペップキッズこおりやま」を開設した。

この施策は大当たり。満員つづきで順番待ちがひどく、屋内遊戯場がもっとほしいという要望が大きくなった。そこで、市街地の外れ東西南北四か所に同様な大型施設を整備する計画が策定された。

ところが核惨事3年目の昨年あたりから、雲行きが怪しくなった。

昨年九月の郡山市議会定例会で昨年度の補正予算案が可決された。そのうちの一項目が
「屋内遊び場等整備事業設計委託費」。設計費だけで7000万円。公文書で使われる“等”が曲者である。事業の実態として、屋内運動場が1か所、残り3か所は屋外運動公園である。これに反対したのは、共産党と市民会派の6議員だけで、社民を含め、残りの会派議員の起立によって、賛成討論もないまま可決成立。

事業構想の変更理由がまたふるっている――「屋内運動施設を4ヶ所整備することで、『郡山は危険だから屋内の遊び場を作った』などと間違った情報発信になる可能性がある」。

これは構想策定にあたった官民合同「検討会」での発言であり、小生が議事録を開示請求してみると、開示されたのは要録のみであり、発言者の氏名は黒塗り。議会資料にも「議員のみ」と刻印されており、よほど知られたくないものと推察される。
 
大安場史跡公園運動施設イメージ図(『救援』紙面では割愛)
古墳時代にタイムスリップ~古代人になって遊ぼう~

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「屋内遊び場等整備事業」はほんの一例。被曝都市は伏魔殿と化し、除染、復興、先端技術、医療など、多面にわたる利権あさりの百鬼が夜行する。

市民は押し黙り、あるいはアパシーな理屈にすがる。

ある懇談会で吐露された市民の意見。「現在の放射線レベルは安全だという専門家がいます。危険だという見解もあります。わたしがどちらかに賛成すれば、中立じゃなくなるでしょ」。

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フクシマ核惨事翌年の六月、野田政権の大飯原発再稼働方針に抗議して、霞ヶ関で金曜日デモ行動がはじまった。この「あじさい革命」に呼応して、わが街でも「原発いらない金曜日!郡山駅西口ひろばフリートーク集会」が発足した。

ほんの少人数だが、それ以来延々と毎週ほぼ欠かさず、駅前モニタリング・ポストのそばで幟を立て、バナーを拡げて、マイクを握り、「原発はいらない!」「子どもたちを被曝から守れ!」と訴えている。無関心を装いつつ、行き交う人びとを前に、吶々と呼びかけるだけであり、気分は時として荒れ野のヨハネ。

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ものの本によれば、行動の結果は、その本人には知りようがないという。ベルリンの壁の崩壊、アパルトヘイト体制の廃止、冷戦の終結などなど、その直前まで想像できなかったはずである。

そして、このネットで結ばれた時代。すべての状況は相互連関している。どこかで不安と緊張が過飽和に達して、一瞬のうちに状況が転換するとき、世界全体がどのような変貌を遂げるのか、まったく未知のままである。

このようなことを思いながら、今週の金曜日にもJR郡山駅前に立つ。

(いのうえとしお。ブログ「原子力発電・原爆の子」、ツイッター:@yuima21c



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