FAIREWINDS Energy Education |
チェルノブイリからの声
Voices From Chernobyl
Voices From Chernobyl
長かった冬のあとの春の到来は、咲き誇る花、鳥たち、陽光を連れてくるはずであり、核のメルトダウンでなかったはずだ。スリーマイル・アイランド、チェルノブイリ、フクシマNo.
1――核産業製の惨事はすべて、春の季節に勃発し、いまもわたしたちに核の力は危険だと警告しつづけている。アルバート・アインシュタインが語ったように、「核の力の解放は、すべてのものごとを変えてしまったが、われわれの考えかただけは別だった…この問題の解決は人類のこころのなかに宿っている。わたしにわかっていたなら、わたしは時計作り職人になっていたはずだ」(1945年)。
フェアーウィンズ・エネルギー教育は3月と4月に福島第一原発とスリーマイル・アイランドの核惨事を偲んだのだが、4月26日の日曜日は、ウクライナ、チェルノブイリで勃発した、凄まじく、忘れがたいメルトダウンの29周年記念日である。朗読劇『チェルノブイリからの声』を脚色したヴァーモント州バーリントンの脚本家・作家、スペンサー・スミスは、今週のフェアーウィンズ・ビデオに出演し、今もつづくチェルノブイリの悲劇について、感情に訴え、心に響く対話を、フェアーウィンズ・エネルギー教育理事長、マギー・ガンダーセンとともにした。
スペンサー・スミスは、1986年とチェルノブイリのメルトダウンが引き起こした核の混乱を回想し、2001年から2003年までウクライナで平和部隊任務に従事したことで、チェルノブイリ・メルトダウンといまだに重大な人間への影響に苦しんでいる人びとに対して、さらに関心が深まったと語る。今日にいたっても、居住が許されない放射能汚染地帯では、チェルノブイリから飛来した放射性化学物質の痕跡が残っているので、スペンサーは平和部隊のボランティアとして、湖で泳がないこと、採ってきたベリー類やキノコ類を食さないこと、水は絶対に飲まないことと言い渡された。チェルノブイリ核危機のさなか、ソヴィエト連邦が事態を隠蔽したので、その結果、数十万の人びとが高線量の放射能に被曝したことを、スペンサーは現地の人びとから直に説明を受けて知った。
スペンサーは平和部隊任務を終えたあと、ヴァーモント州に移り、モントピーリア(州都)でヴァーモント・ヤンキー解体同盟にかかわるようになり、ヴァーモント・ヤンキー原発の閉鎖に注目を集めるために活動している。スペンサーは、ソヴィエトのジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチの高評価を得ている著作『チェルノブイリからの声』*を読み、ウクライナの人びとがいまだにこうむりつづけている破局的な惨事について、世界の人びとに気づいてもらうための活動の一環として、朗読劇『チェルノブイリからの声』を創作した。自国から亡命したスヴェトラーナ・アレクシーヴィッチの作品は、被災者たちに面接取材するために命をかけて放射能汚染地帯に入り、核の力の真実にまつわる彼らの物語を浮き彫りにする、真に献身的なジャーナリストの仕事になっている。
*訳注:英語版タイトル(Voices
From Chernobyl)。日本語版は原書にもとづき『チェルノブイリの祈り』。
スペンサーの朗読劇は、スヴェトラーナのインタビューを受けた6人の人たち、消防隊員の妻、物理学者、科学者、チェルノブイリの幹部、汚染区域に戻った小農、母親の物語を伝える。
スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチはこう語った――「ソヴィエト時代と脱ソヴィエト時代とともに、わたしたちの歴史の全体を振り返ると、人間の共同墓所であり血の洗礼、死刑執行人と被執行人の永遠の問答、執行すべきことはなにか、責めるべきはだれか、憎むべきロシアの詰問。革命、矯正労働収容所、ソヴィエト・アフガン戦争は人民から隠され、大帝国は破綻、巨大社会主義本土、大地のユートピアは破綻し、いま宇宙次元の課題――チェルノブイリ。これが、地球上の生きとし生けるものすべてに突きつけられた課題である。このようなものが、わたしたちの歴史なのだ。そして、これがわたしの本のテーマ。これが、わたしの道、地獄巡り」。
フェアーウィンズ・エネルギー教育インタビュー:スペンサー・スミス
(トランスクリプト作成日:2015年4月20日)
0:14
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SS:お招きいただき、ありがとうございます。ご一緒できて、うれしいです。
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1:17
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MG:こちらこそ、ご一緒できて、すてきです。最初にチェルノブイリに関心を抱かれたのは、どういう経緯からですか?
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SS:そうですね。1986年の惨事を憶えています。スウェーデン人たちが放射能の兆候を捕捉し、自分たちの原子炉のひとつではないかと考えましたので、なにが起こっているのだろうと疑問に思ったのを憶えています。そして、ほどなくして――もちろん、ソ連の人たちは完全に沈黙を守ろうとして、なにか理由があったのか、自分たちでできると考えたものですから――とても残念なことに、彼らが世界に告げなかったので、大勢の人たちが被曝しました。ウクライナ西部で平和部隊の訓練を受けたとき、あれは最初のウクライナ行きではなかったですが、一緒に住んでいた家族を憶えているのですが、後に再び訪問しに行くと、家族の若い奥さん――そのお母さんがわたしと同い年でした――その若奥さんが、わたしとは母が放射能の雨のなかを外出したというのです。わたしたちはだれにも口外しませんでした。彼女はもちろん、その後に子どもをもうけましたが、ありがたいことに健康なお子さんでした。でも、わたしの友だちがもうひとりドイツにいて妊娠していました――妊娠8か月か9か月の双子で、もちろん彼女はうろたえていました――というのも、とてもひどい目に遭い、雨のなかを一日中、お宅の菜園で仕事していたのです。ですから、わたしは何年ものあいだ、情報を少しは拾いあげてきたのです。ところで、わたしが2011年から2013年にかけて初めてウクライナにいたとき、だれもチェルノブイリのことを話したがらなかったのです。もちろん平和部隊の隊員たちは話していました。彼らは、水泳に行ってはならない、野生のベリー類やきのこ類を食べてはならない、水を飲んではならないなど、ありとあらゆる事前注意です。それに、もちろん別の問題もありました。チェルノブイリを措いても、別の産業汚染がどっさりありましたが、もちろん最悪のやつです。そこで――また今でも、ウクライナで新たな核反応炉の設置計画に対する関心が浮上しています。
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3:05
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MG:いま新たに建造しようとしているのですか?
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SS:そうです。エネルギー問題のせいです。彼らは脱天然ガスを欲しています。ところで、原発はヨーロッパのいたる所にあります。もちろん、フランス人たちが先頭を走っています。彼らはそれをクリーンだと信じています。昨夜、インタビューをちょっと観たのですが、彼らが言うには、そうですね――なにかの広報係がご立派なことを言って、少なくともわが国フランスにはクリーンなエネルギーがあります――ご存知でしょうが――彼らの原子力は何パーセントでしたかしら。
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3:36
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MG:わが国では19パーセント内外です。
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SS:この国ですか?
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MG:そうです。フランスではそれより高いですが、いま彼らの原子炉が何基かトラブルを抱えています――わたしの頭から抜けて、よく憶えていませんが。あの国の汚染もひどいものです。再処理システムが正常に動いていなくて、大量の放射能が漏れています。それになにが他にあるか――彼らはあの廃棄物をそっくり、どうしたらよいのかわからず、シベリアで投棄しています。だから、彼らのシステム全体がうまくいかず、そこで今…
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SS:シベリアで捨てているのは、フランスなのですか?
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MG:フランス人が捨てています。
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SS:ロシア人はラッキーなこと。
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4:10
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MG:ロシア人はなにを再処理すると考えられているのでしょう。
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SS:どこでも、ひどいニュースばかり。さて、あなたはチェルノブイリについて、またわたしがあちらにいたとき、なにを知っていたか、お訊ねです。そうですね。わたしが帰国したとき、この本が1997年にロシア語で出版されました。別のタイトル――Molitva Tchernobylskaia、これは『チェルノブイリの祈り』という意味ですが、英語翻訳版は『チェルノブイリからの声』というタイトルで出版され、著者はスヴェトラーナ・アレクシエヴィッチ、この人は知名度の高いソヴィエトのジャーナリストですが、ただ彼女は亡命者――亡命者ではないですが、身の安全のために国を離れました。
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4:54
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MG:では、その方にお会いになったのですか?
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SS:お会いしたことはありませんが、その本が翻訳されたとき――たぶん2005年に翻訳され、2006年にそれを見たとき――わたしは虜になりました。ウクライナを再訪した直前か直後のことだったと思います。その後、モントピーリア[ヴァーモント州の州都]に住んでいたころ、わたしはヴァーモント・ヤンキー原発解体同盟にかかわるようになりました。3月末か4月初め、ねえ、チェルノブイリ記念日は1か月後よ、とわたしはいいました。21周年だったと思います。そこでわたしは、人びとの注目を促すために、なにかすべきだと持ちかけたのです。するとみなさんは、そうだ、それはいい考えだ、なにをするとおっしゃるのです。そこで、わたしはこの本を読んだばかり、たぶんこれを材料に朗読劇を書けると考えました。
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5:42
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MG:あなたは映画や演劇の脚本家なので、いい答えですね。
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SS:わたしは書きあげました。実に2日前のことでした。ナレーターを創作し、本から6人の登場人物を借用しました。実際には本の登場人物は100人います。でも、わたしは6人を採りあげ、ナレーターを創作して、まとめあげたのです。非常にうまくいき、まずモントピーリアで2回、その後、バーリントンとシェルバーンで上演しました。
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6:09
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MG:わたしがあなたに初めてお会いしたのは、実にバーリントンの初演日のことでした。
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SS:そうでしたか。バーリントン大学での公演かしら? それとも、ヴューU教会だったのでしょうか? 2か所で上演しました。
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MG:わたしは両方とも観ました。とても感動し、ただただ胸を打たれました。涙を誘い、感情に訴えました。人びとのために、とても悲しみを感じました。
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SS:そうですね。人びとはみずからのことばで自分の物語を紡いでいますので、それはすごいことです。彼女は明らかにとても腕の立つインタビューアであり、質問を本文に差し挟まず、あの人びとのみずからの物語の独白として提示しています。そこでわたしはさまざまな人、無学の百姓女性、防護もなく現場に送り込まれ、2週間後には亡くなる消防隊員の妻を採りあげました。さらにわたしは、ベラルーシの上層部――だと思いますが――よく知りませんが、核の――とにかく、ベラルーシのトップ科学者を登場させました。
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7:08
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MG:わたしはその人物がとても好きでした。
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SS:そして後ほどにもうひとりの科学者が登場し、250,000人の兵士が犠牲になるのがどんなものか、語ります。また、もちろん何トンもの放射性物質が放出されていますので、彼らは閉じ込めようとしておりますが、そのためのお金の持ち合わせがありません。ヨーロッパは――これに何十億ドルもの――資金を注ぎこんでいますが――まだ安全になっていません。
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7:30
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MG:さて、だれもが尻込みし、わたしの理解では、あの石棺は2018年までに再封印されなければなりません。しかし、いま――目下のところ、そのための資金が得られません。わたしたちが観るに、つまり来年には――2016年には、この完全メルトダウンの――この悲劇の30周年になります。ですから、このことについて話すのは、実に意識的なことだと思います。
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SS:さて、また別のことがあり、わたしたちはこれをお話したと思いますが、あの地域には森林がたくさんあります。森林の部分がありますが、たいがいかつて農地だったのであり、人びとが――そこにはいくつか小さな町があったのです。だが、放棄されて、人びとはもはや安全に生活できなくなりました。森林が生い茂り、いま森林火災が勃発しています。ですから、あの放射性物質がすべて燃えあがり、放射能を送り出しています。
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MG:あれが再発するのは実に大変なことですので、わたしたちはウェブサイトで話題にしましたし、Twitter
IDでいくつかツィートしました。また、このビデオがサイトに掲載されるさい、その記事にリンクを貼るつもりです。わたしは、あなたが以前に言及なさった、あのベラルーシの人物――科学者――にとりわけこころ打たれたのですね。
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SS:それが勃発したのはウクライナでしたが、ベラルーシとのまさに国境線でしたし、風がたいてい北方のベラルーシへと放射能を吹き流しましたので、あそこの人の大方はベラルーシから来ていました。後ほどわたしがベラルーシにいたころ、ジョークがあり、雲が北方に流れてきたとき、ミンスクを迂回して通ったので、ミンスクのわれわれは被曝していないと大統領が述べました。おわかりでしょうが、ソヴィエト流のユーモアです。
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9:14
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MG: フェアーウィンズ・エネルギー教育の閲覧者のみなさんはご存知でしょうが、わたしたちはスリーマイル・アイランドに関する大量の資料を仕上げたばかりです。スリーマイル・アイランドにいた人が話したことのひとつは、あなたの劇でベラルーシの科学者が話したことであり、金属の味、そして静けさ、鳥たちはすべてさえずりを止め、音がなかったこと、そしてその意味することです。プルームの問題も私たちが話題に上げたことであり、イグナズ・ヴァージナー博士がスリーマイル・アイランドのそばの川をさかのぼったとき、博士はすべてを学びました。それは、あなたがここでおっしゃてることと同じです。プルームは気象学にもとづいて動きます。そして、このことがスリーマイル・アイランドで完全に研究されておりません。博士の証言は削除されました。それに、あなたのおっしゃる一部の人たちが主張いていることは、ミンスクではプルームがわれわれを避けて周りを通ったので、われわれに届かなかったというようなもの。ところで、福島第一の日本で起こったことといえば、気象学者たちが避難施策で役割を求められなかったので、人びとはプルームのまっただなかへ避難しました。
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SS:そうですね。もしもプルームがほんの少し違った方角に向かっていたなら、彼らは東京の人びとを避難させなければなりませんでしたが、それは――ニューヨーク市を考えてもわかるように――考えても信じられないことですし、もちろん、ニューヨーク市の北方64キロには原発があります。
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10:55
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MG:そうです。インディアン・ポイントですが、避難計画は…
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SS:立てようもない。
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MG:そうです。避難する方法はありません。望みはまったくなし。
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SS:ですから、これは実にいい本です。わたしは推薦します。劇が題材を採った原典です。その劇はテキスト形式でオンライン化されると思います。あなたがたはオーディオ版を公開なさっておられますが、劇を上演なさりたい人たちがいるなら、テキスト版も使えますし、ダウンロードして、地域で朗読会を開くこともできます。
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11:22
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MG:あなたにお聞きしたいことがひとつありました。誰に連絡すればよいのでしょう? メールすべきですか? メールで許可をお願いするか、あるいは…
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SS:必要ありません。あなたがたにお送りしたテキストの冒頭に、入場料を徴収しない条件であれば、どなたでもこの劇を上演できますと記しておきました。それに、少額であれば――入場料ではなく、上演なさるのに会場を借りなければならないとか、その類いのことで寄付をお願いするのはかまいません。
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MG:すばらしい。
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SS: ええ。それに、アメリカ版の実務を取り仕切ったのはダルキー・アーカイヴ出版なのですが、わたしたちのグループに弁護士がいて、 そのベン・スコッチが同社と契約し、わたしたちが金を稼ごうとするのでない限り、 私たちに利用権があるというのが契約条件であると同社も申しています。
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12:06
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MG: それはすてき。とても重要なことと思います。わたしが言ったように、あなたはいまでも現地のたくさんのみなさんと接触なさっておられ、6月に戻られますね。あちらに戻ったら、なにをなさりますか?
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SS:そうですね。わたしの友人たちに会いにいきます。そして、たぶん――地域図書館で、わたしの著作の朗読をします。わたしの友人である大学の外国語学部長が無料滞在を可能にしてくれましたので、もちろんのこと――たぶん2009年のことですが、わたしは大学に1か月間滞在し、1か月丸まるで100ドル使ったと思います。あの地へ行き、お金の節約です。それが、肝心な点ではありませんが。ああ、それに、スウェーデンに高校生のときから知り合っている友人がいるのですが、ウクライナで見たことから回復するために会いに行きます。
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13:03
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MG:こころ痛むのですね。
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SS:ええ。とても気が滅入るのですが、それも――ロシア人が――プーチンが突きつけている、このすさまじい戦争のせいなのです。プーチンがクリミアを併合しましたので、彼らは非常に心配しているのですが、もしだれかが――いまではたぶんウクライナの地図を見て、周知のことになっていますが、クリミアはウクライナの南部から突き出た半島なのです。そして、ロシア人たちは、分離主義者を通してですが、じっさいはロシアの主導で、東部を通じて活動し、わたしがやがて行く街、ムィコラーイウを狙って、南進し、南部全体を併合しようとしているのですが、というのも、そこに唯一、暖水海域に立地する造船センターがあるからです。もう一つの造船センターはムルマンスクにあり、そこは北極圏の内側です。
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13:47
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MG:さて、戦争ばっかりで、石棺を覆う資金はないという事実がある。コンクリートが劣化しており、その作業をする必要があります。それを踏まえたうえで、人びとの暮らし向きはいかがですか? 家計の状況はいかがですか? 閲覧者のみなさんに説明していただけますか?
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SS:事実を考えれば、一般人には非常に困難な状況です。わたしはあの国で2年間過ごしたあと、2003年に出国しました。為替交換レートは5対1でした。1ドルで5フリヴナに交換できました。2009年に再入国したとき、10対1でした。いま――ふらつく変動相場で――25から35対1です*。国民の年金や給料は増えていません。わたしの友人の学部長がいうには、起こっていることとして、国の民生再建のために驚異的なエネルギーが注ぎ込まれていますが、彼のことばによれば、すべて停滞しています。つまり、例の腐敗したエリートと例の寡頭制支配者が万事を取り仕切っており、旧弊を打破するのも彼らしだいなのです。加えて、ロシアのKGBがウクライナの軍隊とそれに諜報機関にずいぶん浸透しています。ウクライナとロシアが絡みあった長い歴史がありますが。西部がロシアの一部だったことはほとんどなく、東部は1800年ぐらいからロシアの一部でした。
*現時点で、1プリヴナ=5.7円
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15:20
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MG:わたしはちょうど今日、ビデオ、若い女性のTVビデオを見ましたが、20歳代でカンサス・シティのハーフ・マラソンで走っていました。そして、彼女はチェルノブイリ事故の子どもなのです。もともと医者たちのグループが彼女を米国に連れてきました。
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SS:ああ、子どもたちにそういうことをする全体プログラムがありますね。
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MG:彼女は――彼女の両脚は膝で生育が止まっており、医者たちが彼女の人工装具の両脚を造りましたが、彼女には足がないのです。ですから、彼女は走る練習をしていました。チェルノブイリ――彼女の母親が放射線被曝をこうむった影響で、彼女の手は指がたくさん欠けていました。
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SS:とても多くの子どもたちが――そう、恐ろしいことです。
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16:10
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MG:彼女はいまもご自分の家族と連絡しあっていますが、彼女は通常のシステムでやっていけませんので、試行錯誤しながら支援してくれる特別学校に入学させなければなりませんでした。でも、医者たちが――米国の医者たちがあの地域に行き、他の子どもたちを手術で助けられないか、検査しはじめ、わが国に連れ帰るのです。彼女は7夏か8夏、わが国で過ごし、実に多くのことを学びました。彼女はホームステイ先に落ち着き――3家族のホームステイ先がスポンサーになって、彼女をわが国の大学へ通わせました。彼女はカレッジを卒業し、いまカンサス・シティに住んでおり、このハーフ・マラソンを走っているのです。彼女がいうには…
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SS:彼女はベラルーシからか、それともウクライナからか、ご存じですか?
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16:55
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MG:番組は――ウクライナといっていました。そういっただけです。でも、それ以上に詳しいことはわかりません。一般チャンネルのメディア、ニュース番組でした。
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SS:わたしがベラルーシにいたとき、ベラルーシ国内の外れに巨大な癌センターがありました。永久にバスで通わなければならないのです。基本的にあれを人びとに見せたくなかったのだと思います。わたしの目に小さな腫瘍ができて、地元の医者が、おやまあ、あなたはたぶん癌にかかっているので、癌センターに行きなさいというので、行ってみました。そこの女性、医者が、明日、切ってあげることができるといいました。わたしは、帰国するまで待ちたいといいました。もちろん、それはひとりでに消えました。でも、そこには非常にたくさん――ほんとうに気落ちするような外観の場所です。ところが、そこには数台のヴァンが停めてあり、明らかに子どもたちを連れ帰る他の国ぐにのものでした。国名までは思い出せません。西欧の数か国が、やはり夏ごとに子どもたちを連れてきて、放射能から疎開させていました。いまだに放射能がベラルーシにあるからです。
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17:51
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MG:近ごろ、そういうことをしていますね。福島県には非常に大量の放射能がありますので、子どもたちを助けるために、日本から大勢が世界の諸国に連れてこられています。大きな課題です。調べ物をしたあと――あなたに後ふたつ、質問します――この資料を調べ、朗読劇を執筆なさったいま、原子力に対して、あなたのご意見はどのようなものでしょうか?
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SS:そうですね。とてもはっきりしていると思います。つまり考えかた全体――原子を分裂させるのは、まさしくよくない考えだったとわたしは思います。核分裂は単に軍事目的で実施され、彼らはこの代物をやたらと配備しまくっています。こんなもので、なにをするのでしょう? あら、お湯を沸かせましたね。
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18:36
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MG:アインシュタインは、お湯の沸かしかたにしては、最悪の考えだと述べました。ヴァーモント・ヤンキーで起こっている事態について、どのように感じておられますか? あなたはヴァーモント解体に関わっているとおっしゃいましたので…
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SS:彼らは閉鎖を命じられ、熱を生産せず、もはや電力を生産していないことは知っています。だけど、あの代物はまだあそこにありますし――閉鎖の前に修理しておくべきだったものがどっさりあり、それがいま問題を引き起こしているかもしれません。たぶんわたしよりあなたのほうが、最新情報を掴んでいるでしょう。でも、あなたがおっしゃった――たぶんあなたがさらに言及できた――なんだったかしら――あなたがお話していたこと…
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19:22
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MG:さあ、わたしたちの閲覧者と聴取者にとって、連邦政府が解体政策に変更を加えようとしていると理解することは、実に重要です。電力会社とエネルギー企業が実行しない場合、地域社会が廃棄物を保管しなければならず、さらなる浄化の責任を負うことを彼らは明確にしようとしているのです。それは地域社会なり諸州なりが引き受けたことではありません。企業は大金を稼いだのであり、解体と浄化全般のコストを負担する完全な責任を負うべきなのです。法規――連邦規制基準――は明解です。
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SS:だから、法律ははっきりしています。
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20:07
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MG: 法律は明解です。これは連邦規制基準…
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SS:たぶん訴訟の必要があるでしょう。よく知りませんが、州は提訴することを考えているのですか?
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MG:わかりません。そこまでわたしは知っていません。わたしたちは実に深く入れ込んだ調査を実施し、その結果を原子力規制委員会(NRC)と州に提出しました。リンティルハク財団の助成金をいただいて、1年間かけて実施した調査です。目下、米国で7か所の原発が解体されようとしていますので、ヴァーモント州が資料を提出し、わたしたちが資料を提出し、国中さまざまな仲裁人が資料を提出し――あれやこれやの集団がすべて関与していますので、いま実に由々しいありさまです。彼らなりのルールを仕上げるためにNRCに提出するのですが、彼らはさっぱりウェブサイトに掲載しようとしないのです。彼らは、見解がどんなものか、だれもが観ることを許さず、舞台裏で、業界が助かるようにルールを変えようと、業界とともに動いているのです。ですから、まったく驚くべきことです。
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SS:実に不道徳。
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21:07
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MG:そうです。わたしも不道徳だと思います。
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SS:スヴェトラーナ・アレクシーヴィッチから短い引用を読んでさしあげたいと思います。本を執筆した女性、実に献身的なジャーナリストであり、わが身を危険にさらしてゾーン入りし、人びとにインタビューしました。彼女はいいます――「ソヴィエト時代と脱ソヴィエト時代の両方、わたしたちの歴史の全体を振り返ると」――彼女はソヴィエト期のジャーナリストでした――「これは人間の共同墓所であり血の洗礼、死刑執行人と被執行人の永遠の問答、執行すべきことはなにか、責めるべきはだれか、憎むべきロシアの詰問。革命、矯正労働収容所、ソヴィエト・アフガン戦争は人民から隠され、大帝国は破綻、巨大社会主義本土、大地のユートピアは破綻し、いま宇宙次元の課題――チェルノブイリ。これが、地球上の生きとし生けるものすべてに突きつけられた課題である。このようなものが、わたしたちの歴史なのだ。そして、これがわたしの本のテーマ。これが、わたしの道、地獄巡り」。重たい内容です。
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22:07
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MG:非常に重たい。スペンサーさん、引用の分かち合い、そして本日は参加していただき、ありがとうございました。ご一緒できて、とてもよかったです。
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SS:こちらこそ、ここに来て、とてもよかったです。
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MG:終わりにあたって、閲覧者のみなさんにお願いしたいのですが、わたしたちのサイトの資料をぜひご覧ください。わたしたちは福島第一原発惨事を回顧し、追憶する作品を仕上げ、またスリーマイル・アイランドに関して、大きなスペースの2ページと大量の読み物を仕上げました。いまスペンサーさんにご親切にもお越しいただき、チェルノブイリについて語っていただきました。スペンサーさんはあの地に赴かれて、ウクライナの人たちに会い、ご自分の目でお知りになり――すばらしい朗読劇を執筆なさったので、どうかお聴きになるようにお願いします。オーディオがわたしたちのサイトにアップロードされています。より維持可能なエネルギーの未来を見つけるために、みなさんがわたしたちとともに活動なさるように願っています。
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原文:
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