2016年9月27日火曜日

集会「虹の彼方へ」【たたかいの現場から】暗闇のなかに希望を見つけていきたい

2016924
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支援連ニュース
東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議

5年連続集会「虹の彼方へ」
第4回 「直接行動」という「暴力」をめぐって

〈たたかいの現場から〉発言要旨

暗闇のなかに希望を見つけていきたい
井上利男

きょうの酒井さんのお話を聞いていて、ずいぶん懐かしいなと思いました。向井孝さん、松下竜一さん、このお二人を懐かしいと言うと歳がばれるというものですけど、向井さんは、わたしが奄美大島の宇検(うけん)村というところで、石油基地反対運動をしていたときに出会っているんです。1973年、奄美の枝手久(えだてく)島という小さな島に、東亜燃料工業というエクソン系の石油会社が巨大石油備蓄基地を計画しました。枝手久島の小さな山を均して、その土を海面に埋め立てて石油基地を造るというものでした。

故・向井孝さん
松下竜一『五分の虫・一寸の魂

その反対運動にわたしたちが加わったとき、枝手久島現地に開墾小屋を造って、そこでサツマ芋を植えたり、漁業に参加したりするという運動をしていました。これも一種の直接行動ですね。そして、海面を埋め立てるために漁業権の放棄を漁協に迫るとなれば、漁協の協力が必要ですから、その工事を阻止するためには漁協の組合員になる必要があって、反対派が3分の1いれば漁業権放棄が成立しません。そういう闘い方をしていました。

枝手久島・鈍の浜にて。右端は(若き日の)筆者
 枝手久島の開墾小屋には「無我利道場」という名前をつけたんですね。我々の利益はないという意味合いの漢字になりますけど、ムガリというのは奄美の方言で「偏屈者」とか「なにかにつけて逆らう者」という意味があるんです。だから、ピッタリの名前だと思いました(笑)。そこに向井さんが見えられたんですね。わたしたちはヒッピーですから、マリファナとかLSDなんてのをやっていたわけです。マリファナを向井さんも試してみて、「効かないなあ、効かないなあ」って一晩中言っているんですよ。それを見ながら、「効かないと言うトリップに入っている」って冷やかしていたんです(笑)。

そういうことで向井さんとの交流が始まりまして、わたしは出身が阪神大震災の現地の神戸なんですけど、神戸に里帰りしたついでに、大阪の旭町の向井さんのアパートに遊びにいったんですね。そこで、「これから女たちの反原発のデモがあるから、井上さんも行ってみますか?」と誘われて行ってみました。そうしたら非常に面白いデモで、乳母車も5、6台参加しているんです。機動隊は「速く歩け」という感じでせかすけど、ときどき先導車のスピーカーから「おむつタイム!」って聞こえてきて、そうしたら一斉に乳母車が止まっておむつ交換が始まるんです(笑)。そういう感じのデモで、大阪という街は面白いし、また、向井さんは柔らかい精神の人たちと付き合いがあるんだなと感心しました。

それでわたしは現在、福島県の郡山に住んでいるんですけど、「原発いらない金曜日!郡山駅前ひろばフリートーク集会」というものの世話人をやらしてもらっていますので、のぼりとかスピーカーを自転車に積んで、毎週1回、金曜日に郡山駅前に出かけています。


そこでいつもしゃべっていることは、「放射能は物理的に目に『見えない』だけではない。社会的、政治的に『見えなくしている』。そして、わたしたちとしても、心理的に『見たくない』。この一種の被曝地戒厳令状況が成立している」ということなんです。放射能は実際に見えないけれど、モニタリングポストを見れば通常の線量よりも高いから、放射能があることはわかる。おまけにいま166人ですか、福島県内の子どもたちに甲状腺がんの疑いが持たれています。疑いといっても、99・9%までは確定と言っていいんです。手術が終わるまでは疑いと言われるだけのことです。しかも、いままで167人のうち、手術して良性だとわかったのは一人だけでした。

かなりの高率で甲状腺がんが発症して、「放射能との関連性は考えられない」と最初は発表していたんですね。それが段々症例数が増えてくるにつれて、最近は「考えにくい」に替わったんです。だれが見ても、これは放射能の歴然たる影響としか考えられないのに、それでもものが言えない。そういう状況ですから、これは戒厳令そのものだと思います。

またこの戒厳令は、警察力とか軍事力という形では目に「見えない」んですね。そして、戒厳令が敷かれていたとしても、メディアが総力を挙げてそれを「見させない」んです。例えば、この4月に、基準値よりも線量が下がったということで、金山町というところでヒメマス釣りが解禁になりました。NHKはうれしそうに「ようやく解禁になりました」と報道したんですけど、ところが、計った数値を全然教えてくれないんです。そういう形で、一切見させません。そして、こういううっとうしい戒厳令状況に自分たちがまさか生きているとは思いたくないですから、心理的にも「見たくない」。ですから、被曝地の戒厳令と放射能の放出とがまったく表裏一体となっているわけです。
 それと、今年に入ってから、春先にかけて伊達市というところで大規模な山火事がありました。阿武隈山地で2日間燃えたんです。ところがチェルノブイリの場合も、いま火事が起こりやすい条件が整っていて、ヨーロッパでは大変心配されています。というのは、放射能で微生物の働きが不活発になるからで、そうすると倒木が腐らなくなってしまうんです。あるいは落ち葉がそのまま残る。立入禁止区域とかでそういう山火事が起これば、林道とかも全然管理されていませんから、消火も難しくなります。そうなれば、沈着している放射能が煙と一緒に舞い上がって、再び拡散するんじゃないかと、それがヨーロッパでも恐れられているわけです。福島の山火事のニュースは県内でも報道されましたけれども、放射能の拡散についてはまったく触れていませんでした。




ひどい例では、除染したあとの枝葉とか表土はフレコンバッグに詰めて保管するんですけど、ところがフレコンバッグにも詰めないでその草木が積まれていたんですね。しかも、それが自然発火してしまったわけです。それも福島県内のニュースで報道していましたけれど、見ていたら、消火に当たっている消防隊員はだれもマスクをしていないんですよ。放射性廃棄物の噴煙ですよ、そこに放射能が含まれていることは明らかですよね。ところがだれも気にせず、マスクを付けずに消火に当たっている。これがまさに、目に見えない被曝地戒厳令の状況なんだと思います。

そういう状況と日々向き合っているんですけれども、郡山駅前で毎週金曜日にフリートーク集会を開くことになったきっかけは、2012年の野田内閣のときに、大飯原発を再稼動するというのに対する反対運動ですね。その反対の機運が盛り上がったときに、「郡山でもやろうじゃないか」ということで始まったんです。始まったときは勢いがありますから、30人くらいのこじんまりとした人数でやっていたんですけど、ところが毎週毎週何年も続けていくというのは精神的、肉体的にもエネルギーが必要ですから、段々人数は減っていって、いまの参加者はわたしを含めて2人か3人(笑)。それでもとにかくやっています。だけど、今年の6月で始めてから満5年になるわけですよね。そうすると、これは簡単にはやめられないなと思っています。

わたしが翻訳した本で、レベッカ・ソルニットという人の『暗闇のなかの希望―非暴力からはじまる新しい時代』(七つ森書館)というのがあります。レベッカさんは反戦運動や環境運動などオールラウンドで活躍している非暴力直接行動の人なんですけど、「作家の仕事は、その結果は自分ではわからない。ひょっとしたら書いた本が、その作家が亡くなったあとにだれかに影響を与えるかもしれない。それが作家の仕事だ」と語っているんですね。


『暗闇のなかの希望~非暴力からはじまる新しい時代』
彼女の挙げている例を紹介すると、スポック博士(小児科医師)がホワイトハウスの前を歩いていたら、女の人たちが「大気圏内核実験を中止せよ」と訴えていたそうです。それを見てスポック博士は、「わたしも核実験に反対しなければだめだ」と思います。ところが、抗議していた女の人たちは、スポック博士が見ていることに全然気がつかなかったわけですね。何年かあとに、その抗議に参加していた人が、たまたまスポック博士の講演でそれを知ることになります。これが運動というものなんです。自分がいま、なにかをむきになってやっていれば、だれかが見ている。だけど、見ているということは自分にはわからない。明日のこともわからない。それがいいんだ。暗闇のなかに希望を見つけていきたい、とレベッカさんは語っています。

わたしもそういうつもりで細々と諦めず、子どもたち、孫たちを守るために、「見えない放射能を自分の目で見てください」「見たものはなにかを自分の頭で考えてください」、そして「自分の声で叫び声を上げてください」と、毎週これからも伝えていきたいと思います。

ありがとうございました。

(井上利男。「#原発いらない金曜日!」郡山フリートーク集会世話人。ブログ「#原子力発電_原爆の子」。ツイッター:@yuima21c

【付録】

レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望
1.「暗闇を覗きこむ」からの引用――

いつも家に帰るのが早すぎる。いつも成果を計算するのが早すぎる。「女性のためのストライキ運動(WSP=the Women's Strike for Peace)」は、アメリカ初の大規模な反核兵器運動であり、母乳や乳歯から検出される放射性降下物の放出源となる地上核実験の終結を実現した一九六三年の大勝利に寄与している。(WSPは、当時の上院非米活動委員会の場で、みずからを家庭の主婦と位置づけ、ユーモアを武器として反共尋問をあざけり、委員たちの権威を失墜させるという貢献もした) 

ひとりのWSPの女性は、ある朝、ケネディ大統領が執務するホワイトハウスの前で行われた抗議行動に加わり、雨のなかに立っていて、ばかばかしくなり、なんというくだらないことをやってるんだろう、と思ったという。ところが何年もたってから、核兵器問題の活動家たちのなかでもっとも著名で重要な存在だったベンジャミン・スポック博士が、「わたしにとっての転機は、女性たちの小さなグループが、ホワイトハウスの前で雨に打たれながら、抗議しているのを見かけた時であり、あの人たちがあんなに熱心にやっているのなら、わたしも問題をもっと真剣に考えなければならないと思ったのです」と語るのを、彼女は聞いたそうである。

因果の法則は、歴史をとうぜん前進するものであると仮定しているが、あいにく歴史は軍隊の行進ではない。歴史は急ぎ足で横這いするカニ、あるいは石を穿つ、やわらかな水の滴り、数世紀かけて蓄積した地殻の歪みを解き放つ地震なのだ。たったひとりの人がある運動に活気を与えることもあれば、ひとりの人の言葉が、数十年も後になって実を結ぶこともある。時には、少数の熱烈な人びとが世界を変え、大衆運動を先導し、数百万の人びとの行動を招きよせる。時には、その数百万の人びとが、憤りや理念を共有し奮起することで、あたかも天気が変わるように、世界が変わることもある。すべてに共通していることとして、想像することや、希望を育むことで、変化は始まるということ。希望をもつということはギャンブルである。希望は、未来や欲求に賭けることであり、開かれた心や不確かなものが、沈んだ心や安全なものに勝るかもしれないという可能性に賭けることだ。生きることじたいが冒険なのだから、希望をもつということは、危険であり、それでいて希望は恐怖の対極にある。

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