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「ここには希望があります」――核メルトダウンのあと、ツーリズムに向かうフクシマ
この地域には永久に破局的事態がつきまとうかも知れないが、一部の住民は、暮らしがつづくことを世界に知ってほしいと願う
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ジャスティン・マッカリー【福島発】
2018年10月 17日
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常民の暮らしの装いが地域の一部に戻りつつある。Photograph: Justin McCurry for
the Guardian
福島ブランドには、いつまでも核の破局的事態がつきまとうかも知れないが、一部の住民たちは、この地域を短期訪問するだけでも危険だという根強い風評に怒り、一部の人間にとって、フクシマの暮らしはつづくことを世界に発信するために、ツーリズムに向かっている。
県の職員で、少人数の訪問客にツアーを提供している団体のひとつ、Real Fukushimaのガイドとしても働くShuzo
Sasaki*は、「この辺の人間は、あの人たちは『ダーク』な場所で暮らしているという考えに、いい気がしません」という。
*[訳注]ご本人のものと思われるFBアカウントの表記に従う。
ジョージア工科大学の学生グループのガイドを務め、来年はデンマークの高校生グループを引率することになるSasakiは、「これは福島なのだから、危険に違いないという考えは、完全に間違っています」と付け加える。
フクシマの風評を変えたくてたまらない住民が直面する課題が今年の夏、ニュージーランドのジャーナリスト、デイヴィッド・ファリアが主催するネットフリックス*動画シリーズ『ダーク・ツーリスト』が公開されるに及んで浮き彫りになった。
そのエピソードの1本で、ファリアをはじめ、数人の外国人ツーリストがミニバスで地域を周回し、目がガイガーカウンターに釘付けになっていると、放射線計測値が跳ね上がり、何人かは目に見えて苦悶の表情を浮かべた。
ツーリストらが嫌々ながらレストランで昼食を食べていると、福島産食品に含まれる放射性物質の公式限度値*がEUと米国のそれより大幅に低いにもかかわらず、ファリアは自分が食べているものは汚染されているかもしれないと思った。
*ふくしま復興ステーション“Japanesestandards on radioactive substances in food and overseas indexes”(食品含有放射性物質の日本の基準および海外の指標)。日本語版サイトには同内容のページは見当たらない。
フクシマの除染済み地域の一部では、政府目標の1時間あたり0.23マイクロシーベルトまで放射線値が下がり、個人が1日のうち、屋外で8時間、屋内で16時間を過ごすと仮定すると、年間1ミリシーベルトになる。ちなみに比較すれば、人間の電離放射線被曝レベルの世界平均値は年間2.4ないし3ミリシーベルトである。
南相馬市小高区の民宿「ランタンハウス」を経営するリアルフクシマのガイド、Karin*は、ネットフリックス実録動画は放射線リスクを誇張し、地域の否定的な光景に固執して描いていると断言する。彼女は、「この場所は絶望的だという印象を与えます。でも、ここには希望があります」という。
*宿泊所紹介サイトAirbnb(エアビーアンドビー)の表記に従う。
しかし、津波と核メルトダウンがもたらした荒廃を思い起こさせるものもある。
フクシマの放置された住宅。Photograph: Justin McCurry for the Guardian
太平洋を眺望する丘の上で、慰霊碑が浪江町で津波に流されて死亡した182名の名前を連ねて刻印している。津波の壊滅的な到達範囲のすぐ外側、内陸部には別種の悲劇の形跡が見受けられる。損壊した原発からほんの2キロ、熊町小学校では、教室に避難命令が発令された時に放棄された本、カバン、その他の私有物が残され、時の流れのなかで凍りついている。外では、イノシシ、タヌキが人間に邪魔されずにうろついている街路に野草や雑草が伸び放題にはびこっている。
三重メルトダウンの避難者150,000人のうち、少人数の人たちだけが、政府が安全と考えた地域に帰還した。一部の地域では、放射線レベルが政府の断言する数値より高いことを示す証拠に鑑みて、一部の親たちは子どもの長期放射線被曝を心配している。他にも、他の土地で新たな生活を築いて、災害で暮らし向きが台無しになった地域に帰還する是非ともない理由が見当たらない人たちがいる。
だが、津波の前に農産物や魚介類で知られた町や村の一部に、常民の暮らしの装いが戻りつつある。今年の夏、福島第一原発の40キロ北に位置する海水浴場が7年ぶりに再開された。農民は米や他の作物を作付けし、漁民は海に戻った。巨大な除染事業の期間中に地域から除去された放射性表層土を詰めた推定1600万袋が置かれているために規模縮小を余儀なくされてはいるが、放棄された農地にソーラー発電所が築かれた。
福島市は2020東京オリンピックの野球・ソフトボール競技開催地になり、Jヴィレッジは、メルトダウンの余波で何千人もの作業員やその装備品のために徴用されていたが、サッカーのトレーニング・センターとしての元の役割を回復した。
「わたしたちはツーリストに来てもらって、自分の目で見てほしい」
大熊町で役場職員の志賀秀陽は同僚らとともに、来年4月に予定されている町の新庁舎のオープン、避難命令解除後のアパートや店舗の開設に向けて準備をしている。また、伝統的な和風家屋を改装し、Airbnbを利用して宣伝するおおまかな計画もある。
福島県当局の数値によれば、県内に2016年、52,764人の観光客が訪れ、これは災害前年値の92%を超えている
志賀は、「初めてここに来る人たちは、実際に人が住んでいるのでビックリします」という。
「来る気になっていただくのは、まだ難しいですが、あえて来る人は、原子力発電所にこれほど近い場所に住んでいる人が再び当たり前の暮らしをしているのを見て、ビックリします」
夫のビリー、娘のシアラと一緒にこの地を旅しているオーストラリア人、ノラ・レドモンドは、放射線がもたらすリスクに関する「自分たちの宿題をすませた」のであり、福島第一原発に近接した土地で過ごした数時間、自分たちの健康に不安がないといった。
地元ツアーガイド、Shuzo Sasakiと来訪客、ビリー、シアラ・レドモンド。Photograph: Justin McCurry for the Guardian
レドモンドはいう――
「わたしたちはこの土地が人口減少で苦しんでいると聞きましたので、ここで幾ばくかの時間とお金を使うのは、いい考えだと思いました。
「人びとの歴史がそっくりなくなるなんて、わたしは荒廃の規模を理解していませんでした。わたしたちはあちこち車で回って、20軒の家が倒壊しているのを見たはずです。美しい木製のインテリアを見ることができました…それがガラクタに変わり果てようとしていたのです。それがわたしにとって最も胸打つことでした」
フクシマの住民は、彼らは被災者だという言われかた――放射線レベルが政府設定目標値まで引き下げられた地域社会で芽生える経済活動の余地を無視したレッテル貼りにがっかりする。原子力推進ロビー団体、世界原子力協会によれば、ヨーロッパの平均バックグラウンド放射線被曝値は、英国の1年あたり2ミリシーベルト以下からフィンランドの7ミリシーベルト以上までばらつきがある。
菅野は、次のように認める――
「この地区や他の地区が災害前の姿を取り戻すまで、何年もかかるでしょう。わたしたちはその間、旅行客がやってきて、自分の目で見て、この地の実情を学んでほしいのです。でも、これが出発点にすぎません」
Topics
【クレジット】
The Guardian, “'There is hope
here': Fukushima turns to tourism after nuclear meltdown,” by Justin McCurry,
posted on October 17, 2018 at https://www.theguardian.com/world/2018/oct/17/there-is-hope-here-fukushima-turns-to-tourism-after-nuclear-meltdown?CMP=share_btn_tw.
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2018年10月17日水曜日
政府は、住民に帰還を納得してもらうために被災地訪問を奨励している。ほぼ70,000人の人びとが今も仮設住宅に住んでいる。いまだに多くの住民は、帰還しても安全だと説得する当局者らに不信を抱いている。日本のダーク・ツーリズムは、別に目新しいものでもない。よく知られた観光サイト、青木ヶ原の森林は自殺願望者を惹きつけることで有名である。
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