The Foreign Correspondents’ Club of Japan |
わたしの観察眼
On My Watch
On My Watch
島渡り~韓国旅行会社の竹島ツアーに参加した筆者。
このため、外務省に呼び出された。
このため、外務省に呼び出された。
5年にわたり東京から報道してきた
外国特派員からドイツの読者の
みなさんへの打ち明け話
外国特派員からドイツの読者の
みなさんへの打ち明け話
カーストン・ガーミス Carsten
Germis
歌
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が終わるように、荷造りは終わった。ドイツの日刊紙、フランクフルター·アルゲマイネ·ツァイトゥング紙の東京特派員として5年間以上にわたり過ごしてきたわたしは、まもなく東京を発ち、帰国する。
わたしが離れようとしている国は、わたしが2010年1月の当時、到着した国とは別物である。表面のものごとは同じように見えるが、社会的風土は――過去12か月、わたしの仕事にますます影響をおよぼし――ゆっくりだが、目について変わりつつある。
日本のエリートたちの見識と外国のメディアで報道されていることのギャプが拡がっており、それが当地で仕事するジャーナリストにとって問題になりかねないとわたしは心配している。もちろん、日本は報道の自由をともなう民主主義の国であり、日本語の腕前がおぼつかない特派員でさえ、情報の入手は可能である。だが、安倍晋三首相の統率力のもとで、明白な変化――正しい歴史から糊塗した歴史への転換――が生じている。日本の新興エリートが対立見解または批判に対処するのに苦しんでおり、この状況が外国メディアでつづく可能性が非常に大きいので、これは問題になりかねない。
日経新聞は、ドイツのアンゲラ・メルケル首相による1月の訪日について、同紙のドイツ特派員による論説を掲載した。記者はこう書いた――「メルケルの訪日は友好よりも対日批判に終わった。学識経験者らと脱原発を議論し、朝日新聞社を訪れ、首脳会談で歴史認識に言及した。民主党の岡田克也代表とも会った……友好のシンボルと呼べるのはせいぜいドイツ系企業の工場や二足歩行ロボットASIMO(アシモ)の視察などにとどまった」。
わたしが離れようとしている国は
わたしが2010年1月の当時
到着した国とは別物である
わたしが2010年1月の当時
到着した国とは別物である
これは手厳しく思える。だが、たとえ言い分を受け入れたとしても…友好とはなんだろう? 友好とは、ただの合意だろうか? 友好とは、友が自分の害になりかねない方向転換をしているときに、みずからの信じることを語る能力ではないのだろうか? そして、メルケルの訪問は、単に批判的である以上に複雑だった。
わたし自身の立場をはっきりしておこう。5年たって、この国に寄せる、わたしの愛と好意は破れていない。じっさい、わたしがお会いした沢山のすてきな人たちのおかげで、わたしの思いはこれまで以上に強くなっている。わたしの日本の友だちとドイツにいる日本人読者のみなさんはたいがい、わたしの書いた記事に愛を感じるとおっしゃり、特に2011年3月11日のできごとからはなおさらである。
残念なことに、日本の外務省のお役人はものごとをまったく違ったふうに見ており、日本のメディアの一部の人たちも同じように感じているようだ。わたしは彼らにとって――ドイツのメディアで働くわたしの仲間たちのたいがいと同じく――辛辣な批判を加えるだけの日本叩きだった。ベルリンの日経マンは、わたしたちのことを、二国間関係に「友好が損なわれている」のも彼らのせいだとおっしゃる。
変転する関係
フランクフルター·アルゲマイネ·ツァイトゥングは政治的に保守、経済的にリベラルであり、マーケットに主眼を置いている。それでも、安部首相の歴史修正主義に関する記事がいつも批判的であると主張する向きは正しい。ドイツでは、自由民主主義者にとって、侵略戦争であったものを否定することは考えられない。ドイツで日本の評判が損なわれているとすれば、メディア記事のせいではなく、ドイツの歴史修正主義嫌いのためなのだ。
わ
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たしの日本勤務は非常に違った問題ではじまった。2010年には、日本の民主党が政権を握っていた。わたしが取材した3代――鳩山、菅、野田――の政権はすべて、自分たちの政策を外国メディアに説明しようと努めていたし、わたしたちは度々、政治家が「わたしたちは、国を運営するのにもっと多くのことをなし、さらにうまくならなければならないとわかっています」という風にいうのを聞いた。
たとえば、外国人ジャーナリストらは意見交換のために岡田克也副総理によく招かれた。首相官邸で週例会合が開かれ、当局者たちは目下の問題について――多少なりとも率直に――議論する意欲があった。わたしたちは特定の問題について、政府の姿勢をためらうことなく批判していたが、当局者たちはみずからの立場を理解してもらおうと努めていた。
2012年12月の選挙のあと、即座に巻き返しにみまわれた。たとえば、フェースブックなど、首相のニュー・メディア好きにもかかわらず、彼の政権のどこにも率直さを評価する証拠がない。麻生太郎財務相は金輪際、外国人ジャーナリストに語ろうとしないし、巨額の国債残高について質問されても答えようとしない。
じっさい、エネルギー政策、アベノミクスのリスク、憲法改定、若年世代の機会、地方の人口減少…外国人特派員が官僚の論じるのを聞きたいことは山ほどある。しかし、政府代表の外国人記者と話す意欲は、ないに等しかった。それでも同時に、素晴らしき新世界を批判するものはだれでも、総理大臣に日本叩き呼ばわりされる。
素晴らしき新世界を
批判するものはだれでも
総理大臣に日本叩き呼ばわりされる
批判するものはだれでも
総理大臣に日本叩き呼ばわりされる
5年前に比べて、新しいこと、また考えられなかったことは、外務省による――直接的なものだけではなく、ドイツにいる新聞の論説委員に仕掛けられるものも含めた――攻撃に見舞われることだ。わたしが書いた安倍政権の歴史修正主義に批判的な記事が掲載されると、新聞の外交政策編集幹部が日本の在フランクフルト総領事の訪問を受け、「日本政府」の異議申立てを伝えられた。総領事は、中国がその記事を対日プロパガンダの材料に使ったと苦情をいった。
も
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っと酷いことになった。冷え冷えとした90分間の面会で後ほど、記事のどの事実が間違っているか、わかるような情報を教えてほしいと編集幹部は総領事に頼んだが、糠に釘だった。「金が絡んでいると思うしかないですな」と、外交官はいって、わたしを侮辱し、編集幹部と新聞全体を侮辱した。彼はわたしの記事の切り抜きフォルダを取り出し、おそらくわたしがヴィザ申請の承認を受ける必要があって、親中国プロパガンダ記事を書かなければならないのだろうと同情心を開陳した。
わたしが? 中国に雇われたスパイ? 中国に行ったこともなければ、ヴィザを申請したことすらない。これが日本の目標を理解してもらうために新政権が採用した攻め手であるなら、やるべき仕事はどっさりある。もちろん、親中国の言いがかりは、わたしの編集幹部に功を奏しなかった。なにか効き目があったとすれば、わたしの報道記事の編集の切れ味がよくなった。
これまでの数年間、高圧的な姿勢が目立ってきた。まだ民主党が政権与党だった2012年のこと、わたしは韓国の旅に出かけ、元慰安婦に取材し、紛争中の島、竹島(韓国人にとっては、獨島〔独島・トクト〕)を訪問した。もちろん、ツアーは宣伝目的だったが、わたしにとって、自分の目で紛争の核心地を見る、またとないチャンスになった。わたしは外務省から食事と議論に呼ばれ、この島が日本領であると証明する数十ページの資料を受け取った。
2014年には事情が変わってしまったようであり
外務官僚たちは批判的な報道を
公然と攻撃するように見受けられた
外務官僚たちは批判的な報道を
公然と攻撃するように見受けられた
安倍政権に交代してからの2013年、わたしは、3人の慰安婦を相手にしたインタビューについての記事を書いたあと、またもや呼び出された。今回もランチの招待付きであり、やはりわたしが首相の考えを理解するのに役立つ資料をいただいた。
だが、2014年には事情が変わってしまったようであり、外務官僚たちは批判的な報道を公然と攻撃するように見受けられた。首相のナショナリズムが対中貿易におよぼす影響に関する記事を書いたあと、わたしは呼び出された。わたしが引用したのは公式統計だけであると告げると、先方は数字が間違っていると反論した。
わたしの惜別のメッセージ
総領事とわたしの編集幹部が叙事詩的な面会をしたときの2週間前、わたしはまたもや外務省の職員たちとランチを共にし、そのさい、わたしが「糊塗された歴史」といったことばを使っているとか、安部首相の国家主義的な傾向が「東アジアだけに限らず、日本を孤立させる」と考えているなどと抗議された。口調は凍りつくようであり、彼らの態度は、説明したり、納得させたりしようとするものではなく、怒りだった。なぜドイツのメディアが歴史修正主義に対して特に敏感なのか、わたしが説明しようとしても、だれ一人として聞く耳を持たなかった。
わたしは、外国人特派員に対する政府職員による昼食会の招待の数が増えているとか、第二次世界大戦に関する日本の見解を拡散するための予算が増額されているとか、あまりにも批判的にすぎると目された外国人特派員の上司たちを(もちろん、ビジネス・クラスで)招待するのが新しいトレンドであるとか、聞いている。だが、最高の手練手管とがさつな努力を尽くした政治宣伝にさらされた――そして、慣れっこになった――こういう編集員らには、えてして逆効果になるので、わたしなら、提案者たちが慎重に事を運ぶように忠告するだろう。わたしが中国から資金を受け取ったという総領事のこめんとについて正式に苦情を申し立てると、それは「誤解」だったといわれた。
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こで、わたしの惜別のメッセージを告げておく――わたしの記者仲間の一部と違って、わたしは日本で報道の自由に対する脅迫を目にしていない。民主党政権の時期に比べて、多くの批判者の声が沈黙しているが、とにかく批判者はいる――そして、たぶん以前よりも増えている。
日本の政治エリートの仲間内意識、ならびに現在の政権指導者たちに外国メディアと公開討論をするリスクに賭ける能力が欠けていることが、ほんとうは報道の自由に影響しない。情報収集源は他にも沢山ある。だが、このことは確かに、政府が――民主主義国において――政策を国民に対して説明しなければならないことを、ほんの少ししか理解していないことを明らかにしている。世界に対してもそうだ。
英語で話そうとする、あるいは外国人ジャーナリストに情報を提供しようとするスタッフを、自民党は広報本部に抱えていないと記者仲間たちが告げても、もはやわたしは変だと驚かない。現在の総理大臣がたっぷりと旅慣れていると自慢するものの、外国特派員協会でわたしたちに話しかけるために小さな旅をすることを辞退してきたという事実にも驚かない。じっさい、外国の報道機関に対してだけでなく、自国民に対しても政府が秘密主義で押し通すありさまだけが、わたしを悲しくさせる。
英語で話そうとするスタッフを
自民党は広報本部に抱えていないと
記者仲間たちが告げても
もはやわたしは変だと驚かない
自民党は広報本部に抱えていないと
記者仲間たちが告げても
もはやわたしは変だと驚かない
これまでの5年間、わたしは日本列島を北へ南へと旅してきたが、北海道から九州までどこへ行っても――東京と違って――わたしの記事が日本に敵対的だとして、わたしを責める人は一人もいなかった。その反対に、どこへ行っても、わたしは面白い話と楽しい人たちに恵まれた。日本は、いまでも世界有数の裕福で開かれた国である。日本は外国特派員にとって、住むにも、報道するにも愉快な国である。
わたしが希望するのは、外国人ジャーナリストが――さらにもっと重要なことに、日本の国民が――胸の内を語りつづけることである。わたしは、人の和が抑圧や無知によって到来するはずがなく、新に開かれた健全な民主主義の国が、わたしのすばらしい、これまで5年間のふるさとにふさわしい目標であると信じている。
【筆者】
カーストン・ガーミスCarsten
Germisは2010年から2015年まで、フランクフルター·アルゲマイネ·ツァイトゥングの東京特派員、日本外国特派員協会の理事だった。
【本稿原文掲載紙】
“NUMBER 1 SHIMBUN,” 2015年4月号
April, 2015
by Carsten Germis
【関連報道】
「安倍政権はメディアに圧力をかけている」――。4月2日、日本外国特派員協会(FCCJ)のウェブページにドイツ高級紙「フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング」で東京特派員を務めていた、カーステン・ガーミスさんのコラムが掲載された。
ガーミスさんは民主党政権下の2010年に来日、特派員として2015年まで東京特派員として滞在。2011年の東日本大震災も取材した。2012年末に第二次安倍政権が発足した後に、圧力を受けるようになったという。
…つづきを読む
【反響】
ここまでやるか、という思いだ。
しかし、私がこのメルマガで言いたい事は、この告発記事の衝撃的な内容ではない。
外国メディアにまで恫喝まがいの圧力をかけている安倍政権について、しかもそのことがネット上で公開されて10日以上もたつというのに、日本のメディアは、テレビも大手新聞も、一切そのことを報じないという事実だ。
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