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ソフィー・シュワルナゼの番組にようこそ!
悲劇的な地震と津波が日本を襲ってから3年余り経過しましたが、被災された方がたにはいまだに平安が訪れていません。大惨事のあと、町全体が抉り取られており、いまでも帰還の見込みが立ちません。このような規模の大惨事に、どのように対処すればよいのでしょうか?
今日は、福島第一原子力発電所の立地する双葉町の前町長、井戸川克隆さんにお話を伺います
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レポーター:
2011年3月11日、強力な地震と津波が日本を襲い、商用原発史上で最大級の核惨事を引き起こしました。復旧活動がなされていますが、いまだに福島原発の事故現場から放射性物質が周辺環境に流れこんでいます。
かつては人の住んでいた地域も、いまはゴーストタウンに変わり果てています。いつの日か、帰還しても安全であるようなときが来るのでしょうか? 政府は危機の被災者を憶えているでしょうか?
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SS:井戸川さん、本日はご出演いただき、ありがとうございます。双葉町は原発がもたらすお金に大きく依存しておりました。あなたご自身も、原子炉の増設に同意しておりましたが、その当時でも、なにかまずいことが起こりうるとお考えでしたか?
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1:28
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井戸川克隆:ええ、想像してはいました。でも、これほどの規模の事故が起こりうるとは思っておりませんでした。
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1:32
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SS:あなたは以前、政府と原発操業企業・東京電力が事故の重大さについて嘘をついていると気づき、たちまち信用できなくなったとおっしゃいましたが、これは正確には、まさに事故の起こった、その時のことですか? あるいはその後、彼らの対応を見てから、そう判断したのですか?
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1:55
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IK:それはですね…最初にたまたま福島原発の幹部に面会したとき、わたしはなにも知らないふりをして、事故の可能性について質問しました。すると、彼らにはわたしの質問事項の多くに答えられないことがわかりました。率直にいって、彼らには不測事態に対処するプランがないのだという思いがよぎりました。原発が危険になっているのかもと悟ったのは、その時のことです。
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2:18
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SS:井戸川さん、話を2111年3月11日の衝撃的な地震と津波が日本を襲った時点に戻したいのですが、そのとき、あなたはどこにおられましたか? なにをご記憶ですか?
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IK:双葉町を離れて、公務で近くの町に出かけておりました。そこで地震に出くわしました。
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SS:そのとき、あなたの周囲になにをご覧になりましたか?
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IK:地震のあとにしては、倒壊した建物や他の瓦礫も見あたりませんでした。でも双葉町に戻るとき、そういうのを嫌というほど見ました。事が起こってすぐ、町に戻るために車に飛び乗り、走らせました。そして、大津波が来る前に帰り着くことができました。後になって、大波が到来する前に、そこへ到着できたと気づきました。
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3:14
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SS:これほどの大惨事が発生すれば、気持ちを落ち着け、沈着に振る舞うのは難しいと理解しますし、では、どうするかと考えるのも難しいでしょうが、あなたの最初の行動は、どのようなものでしたか?
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IK:地震の最中に非常に大きな揺れを感じましたので、原子力発電所が壊れてしまうのではないかとばかり考えていました。放射能が漏れていれば、町としてなにをするか? 町長として、わたしはなにをすればいいのか? そういうことを考えるだけで、精一杯でした。
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3:50
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SS:そのときは大変な思いをなさったことはわかりますが、災害が勃発した直後になにをなさったか、憶えておられますか?
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IK:役場に帰り着くまで2、30分かかりました。渋滞していましたので、海岸沿いの迂回路にまわりました。そのときは、早く帰らなければと思うばかりで、他になにも考えていませんでした。カーラジオで津波警報を聞きました。その土地では、それまで津波の最高潮位は60センチメートルでした。いくら高くても、最大限60センチメートル程度にしかならないだろうと考えていました。いま走っている道路が、津波に水没するとは思いも寄りませんでした。運がいいことに、津波が到達したのは、わたしが役場に帰り着いた後のことでした。双葉町役場に着くと、被害をチェックしはじめました。すべての階を見てまわりました。4階まで来ると、窓から外を見ました。普段、そこから海は見えません。だがそのとき、300から500メートル向こうに、ほんとうに恐ろしい光景が見えました。原子力発電所の事故が頭によぎり、わたしはどうすればよい、町民の避難をどうするか、逃げるにはどうするか、助かるにはどうするか…原子力発電所の事故のことで頭がいっぱいでした。思い返せば、危機管理ができていたかどうか、わたしは自問しなければならない…そんなふうに思っております。
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5:22
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SS:わたしの理解では、あなたはただちに町民の避難命令をだされました。
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5:28
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IK:はい。その夜、まったく眠れませんでした。テレビが唯一の情報源でしたので、観つづけていました。フクシマの放射能に対して、どうしたらよいのか、わかりませんでした。どのように住民に伝え、避難させるか…このようなことばかり考えておりました。信号がありませんでしたので携帯電話は使えず、ラジオだけが唯一の情報源でした。3月12日の朝、緊急避難をアナウンスしました。山の中に逃げ込めば、放射能が届かず、安全だと考え、50キロメートル離れた川俣町を目指しました。しかし、1本しかない道に車がぎっしり渋滞していました。後になって、双葉町住民の全員がわたしの放送を聞いたわけではないと知りました。そのことで大変申しわけなく思っております。その当時、川俣に行けば、住民は安全だと考えていました。原発からずいぶん離れていて、政府は10キロから20キロ圏の避難を勧告していました。後になって、福島県がたくさんの情報の公開を差し控えていたことに気づきました。政府は放射線に対する住民の安全を保証する措置をとっていませんし、議事録も作成していませんでした。非常に悲しく思っています。
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6:43
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SS:できるだけ遠くまで住民を避難させると決定なさったとき、どなたにもご相談なさらなかったのでしょうか? 全面的に責任を感じておられるのでしょうか?
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6:56
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IK:わたしたちの町には常に原発の火災や事故のさいの緊急対策があり、毎年、原発火災に備えた特別訓練をしていました。原発になにかあったとき、政府と福島県が責任を担うべきだと思います。そして、わたしの町の町長として、町の住民の世話をするのがわたしの責任です。わたしには助言を求める時間がまったくありませんでした。福島県庁と連絡しようとしましたが、県は完全に混乱していました。会合を持つのは、とても不可能でした。ですから、わたしは自分で選択して、放射能からできるだけ遠くまで避難しようと決めたのです。
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7:37
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SS:あなたの町は近くのいわき市に移りました。住民が再出発する新天地になりましたか?
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7:52
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IK:放射線レベルの表をお見せしましょう。ご覧のように、避難基準はフクシマがチェルノブイリの4倍になっています。ですから、福島県では住民が帰還するのはまだ早すぎると思います。ここ、いわきも入っています。
年間放射線量
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フクシマ区分
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チェルノブイリ区分
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≧50mSv
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帰還禁止区域
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強制移住区域
(強制避難区域)
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50~20mSv
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居住困難区域
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≦20mSv
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避難指示解除区域
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>5mSv
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(居住可能)
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5~1mSv
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(居住可能)
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選択移住区域
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1~0.5mSv
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(居住可能)
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放射線管理区域
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8:10
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IK:これは東北の放射線分布図です。
これが放射能汚染の曝心です。放射能汚染は60キロから100キロ、さらにじっさい200キロまで拡散しています。福島県はこのど真ん中です。双葉町の住民が移ったいわき市も福島県内に位置しています。政府がなにをいおうと、これはまったく安全ではありません。現在の放射線量にフクシマの人びとを被曝させるのは人権侵害です。恐ろしいことです。
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8:52
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SS:フクシマのいくつかの町村の避難指示を解除しようとしていますが、あなたは、放射線の危険があるにもかかわらず、政府がこの動きを許しているとお考えですか?
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IK:福島県は帰還促進キャンペーンを開始しました。ここに福島県の地図があります。線量レベルの高い箇所は黄色で表示されています。これは医療問題でもあります。ご覧のように、黄色の点がほとんど地図全体を覆っています。空間放射線量は少し落ちました。しかし、土壌の汚染度は高いままです。いま約200万人が福島県で生活しています。[脚注]
ありとあらゆる医療問題を抱えていますが、政府はこのような健康状態がフクシマ事故の放射性フォールアウトと関係ないと主張しています。政府にあなたがたの主張を文書にしてほしいと要請しましたが、音沙汰なしです。
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9:50
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IK:フクシマで恐ろしい事態が進行しています。わたしはチェルノブイリの被災者グループと触れ合ったときのことを思いだします。彼らのすさまじい悲劇の報告を聞くと涙を禁じえません。同じことがフクシマで繰り返されているいま、だれもわたしたちを助けてくれません。わたしたちはチェルノブイリの教訓を忘れてはなりません。わたしたちの子どもたちを守らなければなりません。
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10:12
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IK:わたしは福島県内のさまざま自治体の首長に呼びかけましたが、どれもわたしに聞く耳を持っていません。彼らは政府のいうことを信じているのです。ところが、現実にまだ放射能は存在し、わたしたちの子どもたちを殺しています。子どもたちは、心臓疾患、喘息、白血病、甲状腺炎などや合併症で死んでいます。大勢の子どもたちが放課後に極端な疲れを覚えていますし、体育の授業にまったく出席できない子どもたちもいます。それでも関係当局はわたしたちから真相を隠しており、わたしにはなぜなのかわかりません。彼らには自分の子どもがいないのでしょうか? 彼らに子どもたちを守ることができないと知るのは、たいへん痛ましいことです。
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10:50
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SS:わたしの理解では、避難していた多くの子どもたちが福島県に戻ってきて、学校に通っています。学校が再開されているのです。あなたは、子どもたちが学校で放射線被曝に直面しているとおっしゃる。放射性フォールアウトに対処するために、なにか効果的なことが実施されていますか。
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11:11
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IK:放射線の影響がないということを日本政府も福島県当局も公式にいっています。彼らはなにもやっていません。これからも、やろうとしません。彼らは「福島県は安全だ!」というのです。だから、彼らは他のどこよりもフクシマの人たちは避難をためらうのです。そのため、わたしたちに対話をさせないようにしております。
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11:38
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SS:井戸川さん、ありがとうございます。一時、休憩させていただきます。ほどなく再開しますのでよろしくお願いします。
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12:15
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SS:フクシマ核惨事に被災した双葉町の前町長、井戸川克隆さんをお迎えしております。井戸川さん、ご出演、改めてありがとうございます。
惨事のあと、政府は双葉町内に放射性廃棄物貯蔵施設の建設を目論んでおりまして、あなたは強硬に反対なさっておいでですが、わたしの理解では、結局、建設されることでしょう。あなたは、この施設が住民帰還の妨げになるとお考えですか?
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12:45
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IK:決まっているとばかりにメディアはしきりに報道しますが、それは嘘で、まだなにも決まっていません。問題は決定手続きにあります。それが、わたしがダメだといいつづける理由です。政府はいつも勝手にものごとを決めてしまいます。わたしたちの国では、国民の意見を考慮しなければ、なにも決められません。政府はこれを無視して、なんでも自分がよかれと思うように決めてしまいます。結局、地主が同意しなければ、なにもできません。それが日本での物事の進めかたであり、いくら推測が先走っていても、まだだれも地主に申し入れておりません。だから、メディア報道はすでに決定ずみだとほのめかしますが、それは時期尚早です。現実には、なにも決まっていません。福島県は30年後には県外に放射性物質は搬出されるといっていますが、これもどうなるかわかりません。実に理不尽なことです。人気のない決定は、すべてわたしたち抜きで進められるのです。だから、今回のわたしたちの答えは、ノーです。これは、選択の余地がありません。
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14:20
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SS:番組の冒頭で東京電力の原発の状況に対処する能力が話題になりました。すでに3年間、状況を封じ込めるために四苦八苦してきました。東京電力が失敗しているのは、なぜでしょう? どこが間違っているのでしょう?
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14:40
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IK:これはですね…東京電力の組織の問題です。本社で働く人たちは特権的な立場にあります。現場で働く人たちは大変な目にあっていると聞いております。事故の起きる前でさえ、事業者の操業ぶりは、そういう実態にあったのです。事故が起きたとき、東京電力はわたしたちに、それどころか社員らにさえ、事故責任者の名前を告げることができませんでした。本物のプロがいなかったからです。事故の前に時おり、わたしは町長として現場の事務所を訪問し、訓練をどのようにしているか、すべて順調か、古い危機が不具合を起こすようなことはないか…などと質問をどっさりしました。模範回答を返してくれるのですが、言動が一致していないのです。請負業者に任せきっていますので、それしかできない会社なのですね。だから、なにかことがあれば、説明責任を果たせる人がいないのです。おまけに、最高幹部が現場に通じておりません。今日でさえ、やれ間違いをしでかした、間違ったポンプを動かしたので、間違った先に汚染水を送ってしまったなどと聞かされる始末です。そういう類のニュースがいまだに届きます。町の復旧について聞かれますと、わたしの故郷の町の将来、双葉の将来がどうなるかわからないとわたしは非常に心配しております。
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16:12
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SS:近ごろ大規模な除染作業に集められている方がたのなかにホームレスが混じっているという情報がありますが、この場合、作業員が不足していることから、きちっとした労働力と認められているのでしょうか? それとも、単に使い捨ての類いと考えられているのでしょうか? この情報自体、本当ですか?
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16:35
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IK:はい、残念ながら、事実です。彼らは日雇いで使われています。放射線のことを気にする必要もないですし、健康を気づかうこともありません。わたしたちは人間を尊重すべきですし、健康に注意しなければなりません。安倍首相は2020年東京オリンピックについて話したとき、日本の温かいこころについて好んで口にし、日本語の「オ・モ・テ・ナ・シ」を使いました。これは、「開いたこころで人に接しなければならない」という意味です。しかし現実には、実現していません。野田首相が自己宣伝で忙しかったころ、関係当局は福島原発で働いている人たちへの関心をなくしはじめました。装備は貧弱になり、準備は疎かになりました。人びとは自分の安全第一を考えなければなりません。だから、放射能のほんとうの恐ろしさを知っている人たちから仕事をやめはじめたのです。いまでは、プロとはいえない人たちが現場で働いています。彼らは、自分のやっていることをほんとうの意味ではわかっていません。たとえば、間違ったポンプを動かすとか、そんなことをしているのです。わたしは特に指導的な立場の人たちについて心配しています。わたしには、真のプロとは思えません。彼らは自分のやっていることをわかっていないのです。わたしは自分の国がほんとうに恥ずかしいです。だが、わたしたちの惑星の未来をクリーンに保つためにも、真実を話さなければなりません。
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18:02
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SS:政府がこれほど長いあいだ、事故の真の規模を隠蔽してきたという事実を考えますと、これは日本人の昔ながらの恐れ、面目を失うことと関係していますか?
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18:14
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IK:自分たちの責任が問われることがないようにするためでしょう。
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18:20
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SS:わたしの理解しているところからいいますが、どうしてみなさんはこれほど長く沈黙を守ってきたのでしょう? なぜ世界に事態がこれほど酷いと訴えないのでしょう?
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18:30
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IK:日本の歴史には悲しいできごとがいくつかあります。同じことが、ヒロシマ・ナガサキでもありました。大本営は全国民にウソをつきました。安全だといったのです。彼らは真実を隠しました。それこそ、わたしたちの生きている状況なのです。単にフクシマだけではありません。日本には、暗黒の歴史がどっさりあります。これは、ある種の過去への捧げ物なのです。
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18:55
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SS:フクシマの放射性フォールアウトに関する国連報告では、原発作業員や一般国民に放射線関連の死亡や被曝による急性疾患は観察されなかったとされています。結局、危険はなかったのでしょうか? 適切な評価のために必要な情報がじゅうぶんあるのでしょうか? どのようにお考えですか?
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19:20
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IK:UNSCEAR(放射能の影響に関する国連科学委員会)で発表された、その報告は、虚偽です。早野(龍五)という教授が日本を代表して、その報告を作成しました。全世界に向かって、国連の演壇からウソをついているのです。わたしが町長だったとき、大勢の人たちが心臓発作でなくなりましたし、その後も、福島県の大勢の人たちが突然死し、若い人たちでさえ亡くなりました。関係当局が真実を世界全体に、国連に隠しているのは、ほんとうに恥ずかしい限りです。わたしたちは、じっさいに多くの人たちが死んでいることを認める必要があります。わたしたちは口を封じられていますが、東京電力の従業員も死んでいます。だが、みなが黙して語りません。
(訳注:早野教授が報告書を作成したというのは、勘違いのようである。国連科学委員会の権威に乗っかって、盛んに安全論を吹聴が正しいはず)
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20:03
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SS:死亡者数見積もりがありますでしょうか?
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20:07
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IK:いま、手元にはありません。
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20:10
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SS:お話になっていることの規模を把握したいだけですので、大雑把な数でよいのですが。
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20:18
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IK:具体的な数を上げれば、大きな責任になりますので、なんともいえないです。わたしは勉強していないので、むつかしいですが、このように亡くなったのは一人や二人でなくて、10人とか20人の話です。
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20:31
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SS:フクシマ核惨事にもかかわらず、日本はもっと原発を造って、やがて電力需要の少なくとも半分は原子力エネルギーで賄うようにする計画を立てていると聞きます。いつも聞かされることですが、日本には他のエネルギー選択肢がないのではありませんか?
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20:48
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IK:ありますね。日本列島にはたくさんの川と潮流があります。しかし、水力はあまり使われておりません。なぜか? 大企業の儲けにならないからです。じっさい、ある程度の投資だけでも、多数の人びとに電力を供給することができますし、税金もかかりません。重力を活用するだけで、原子力発電の必要がなくなるほど、たっぷりと電力を供給することができます。
法律を改正する必要があります。日本には法律がどっさりあり、たぶん多すぎます。河川法があり、その利用を規制しています。農業用水の利用法を参考にして、法律を改正し、河川を発電に活用することができるようになるでしょう。この法律を改正するだけで、たくさんのエネルギーを生産することができるでしょう。自然エネルギーを活用することで、地球を汚さずに、問題を解決することができます。
しかし、これは企業にとって、魅力がありません。この場合、高額の投資が必要でないし、大規模な発電所も必要ありません。投資家のためにも、資本家のためにも、儲けにはなりません。
しかし、日本国民は核惨事を避ける必用があると理解しはじめています。国民の60から70パーセントが自然エネルギーに賛成しております。時間はかかるでしょうが、いつの日か、わたしたちはヨーロッパの例、ドイツの先例を追うことでしょう。
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22:22
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SS:井戸川さんは個人的に、核惨事による健康への影響を感じていらっしゃるでしょうか?
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IK:はい。風邪ひきやすい、疲れやすい、話すのが億劫(おっくう)になる、眼が見えにくくなる、白内障になる、胃が痛む…いろいろあります。わたしの皮膚が乾燥し、筋肉が弱るなど、わたしの体のさまざまな部分がすべて、核惨事の影響をこうむっています。
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22:55
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SS:なにか治療は受けておられますか?
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23:04
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IK:治療は受けておりません。いま治療を受けられるところは、ないのですよ。いま、わたしは埼玉に住んでおりますが、最寄りの病院にわたしの受け入れを断られました。体にいいものを食べています。
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23:30
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SS:井戸川さん、まずご出演いただいたことに感謝を申しあげます。ご洞察をシェアしていただき、ありがとうございました。ご記憶を語ってくださり、ありがとうございます。
井戸川さんのご体調がよくなり、被災なさった日本のみなさまがよくなられるよう、こころから祈っております。被害が修復に向かい、惨事が克服されますように。そして、日常どおりの生活がつづきますように。
時間をいただき、真摯にお話いただき、ありがとうございました。
フクシマ核惨事に被災した双葉町の前町長、井戸川克隆さんにご出演いただき、惨事の影響や被災地への帰還の安全性などについて、お話いただきました。それでは、またお会いしましょう。
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