2016年1月26日火曜日

エリン・オフラハティ【海外論調】フクシマ☢放射能被曝のタブー @activistpost

ACTVIST POST


日本における放射能被曝のタブー:
フクシマの社会的影響
20151210

エリン・オフラハティ Erin O’Flaherty

放射能が被曝する人の体に有害であることは、よく知られている。だが、放射能は社会的にも有害なのだ。被曝してしまった人びとは、社会のなかで新しい階級を形成し、多くの一般人に差別され、恐れられさえしているのである。フクシマ核事故にともなって生じた事態は、この明確な事例である。この差別は、政府と主流メディアの事故に対する姿勢によって一層ひどくなる。本論考では、フクシマ事故の社会的影響をヒロシマとナガサキの被爆者と対比することによって考察する。筆者はまた、メディアがこの差別に関わっている様相を説明し、日本社会がこのような反応を示している理由を理解しようと努めるつもりである。

「ヒロシマとナガサキに投下された原爆」によって、「人間の新しい集団――被爆者、つまり『原爆攻撃を受けた人たち』――」が形成された[1]。被爆者は、放射線疾患、その他の原爆による健康関連の影響に向き合わなければならなかったのみならず、多大な社会的差別をこうむった。彼らは「教育と就業の機会」を失い、「結婚と職場における差別」を受け[2]、「いじめの標的」になった[3]。彼らは職を得ることができなかったので、貧困に陥ることもありふれたことであり、多くの人たちが被爆者スラムに住み、物理的に一般社会から隔離された。この差別の原因は、「汚染された者」という認知にあった[5]。彼らは、就業に適さず、奇形の子どもを生む恐れがあるとみなされた(被爆者自身が奇形児出産の恐れを背負わなければならず、子どもを持とうとしなかった人も多かった)。だが、それ以上に、おそらく放射能の「いまだに『謎めいた』」性質のために自然な反応なのだろうが[6]、被爆者に接触すれば、穢されるという恐れがあった。さらにまた、放射能の「目に見えない」性質のせいで、放射能中毒の兆候が現れていない人たちでさえ、まさしく同じように差別されていた。

本論考で以下、60年あまりの時間差があるものの、フクシマ事故の被害者たちが同じような社会的影響をこうむってきた様相を見ていくことにする。多くのフクシマ被害者たちが放射能汚染のために家からの退去を余儀なくされた。これは多くの場合、一家が幾世代にもわたり住み継いできた土地、つまり「人間としての存在が家と家の周囲の地所に深く結びついている」土地から離れることを意味していた[7]。彼らは先祖とのつながりを断ち切られてしまった。愛する人たちの墓にお参りすることもかなわず、お盆のような祈念行事を相応しくおこなえなくなった[8]。彼らはまた、地域社会の連帯感を失い、地域に根ざした社会生活に参加する能力を失った。そして同時に、生計手段を失った。「東北は日本で最も貧しい地方のひとつであり、西日本の多くの地域ほど急速には産業化されたり、都市化されなかった。農漁村集落の存在が目立つ地方であり、その一部は地震と津波の襲来の前からすでに過疎化し、人口が減少していた。追い立てられた人びとの多くは、幾世代にもわたって、同じ土地を耕し、同じ集落で暮らしてきた家系の出身者だった」[9]。このように、フクシマの避難者たちは唯一の生計手段を失った。つまり、国の支給金に頼るようになり、たいがい「粗悪で窮屈」な仮設住宅に入居させられたのが通例である[10]。しかし、仮設住宅とはいえ、自力で退去する現実的な手立てがないことから、これが恒久住宅になっている。フクシマの被害者はヒロシマ・ナガサキ被爆者と同じように、貧乏暮しをしていることが多い[11]

おまけに、フクシマ被害者は新しい住処で社会的差別を受けてきた。子どもたちが新しい学校でいじめを受け、福島ナンバーの車が傷をつけられたり[12]、給油を拒否されたりした[13]。(穢れから離れていたいという欲求に根ざしている)原爆攻撃にまつわる汚染を恐れるのと同じ態度が、ここにも見受けられる。

日本のメディアによるフクシマ事故の扱い方が、フクシマ被害者に対する悪影響をなおひどいものにしている。原爆投下――その歴史は「米軍の監視とプロパガンダの歴史そのもの」[14]――とまさしく同じように、メディアによるフクシマの取り上げ方は、秘密主義と隠蔽の気配に満ちていた。政府はフクシマの危険地帯にいる人びとのほとんどを避難させるのに何か月もかかり(つまり、大量の放射能に被曝させて)、「パニック」の醸成を避けるためにそうしたと言い張った[15]。その後、放射能について意見を交わすことを拒み、放射能の有害性に関する情報を出さず、放射線は体にいいとまで言い出すようにまでなった。山下俊一博士は、「低線量の放射線はみなさんの健康によいのです」と結論づけて、講演を終えた――

彼は、「皆さん非常に重苦しい雰囲気でした。ラットを使った動物実験からは、ストレスを感じやすいラットほど放射線の影響を受けやすいことが明確にわかっています。放射線の影響下にある人たちにとってストレスは百害あって一利なしです。しかも精神的なストレスは免疫系の働きを抑制するため、ある種の癌や、癌以外の疾患の発症につながるおそれがあります。だからリラックスも大事だと話したのです」と言い切って、自分の弁舌が住民の健康を支える努力の一環であるかのように装った[16]

放射能被曝にまつわる悲観的な議論は、金輪際、主流メディアに取り上げられることがなく、記事で放射能被曝をあえて論じるようなら、その記者は解雇されるリスクを冒していることになるほどであり、リベラルな新聞でさえ、このトピックを論じる記事の掲載を拒否している[17]。この抑圧と虚偽情報がおしなべて、事故被害者に不安を著しく多大に植えつけている。彼らは、放射能被曝の程度、みずからと子どもたちに対する放射能の影響の実態、その影響が現れはじめる時期について、確信がもてないでいる。チェルノブイリによって、精神的苦痛が核事故の深刻な影響であることが知られている――

2006年のこと、国連チェルノブイリ・フォーラム報告は、事故による最も深刻な公衆衛生問題は、精神衛生的な悪影響、すなわち報告されている放射能レベルにともなう健康リスクにまつわる情報の不足によって悪化する影響であると結論づけていた[18]

さらに、被害者らは間違いなく政府に対する信頼感をすべて失い、その結果、自分たちを取り巻く世界に対して確信をなお一層もてなくなった。ロバート・ジェイコブズ氏がいうように、「3基もの核反応炉の溶融炉心が放出する高レベル放射能が、さらに大きく被曝させる場所に残されて、原発の近くで暮らしていた住民たちが、自分たちの被曝は人びとに『パニックを起こさせない』ために必要な措置だったと思って、気休めにすることができると考えられるだろうか?」[19]

メディアもまた、放射線量は、現実的な脅威ではない、想像の産物であると見せかけるために「放射能恐怖症」を言いたてるテクニックを駆使している。この手法は、「危機に起因するいかなる健康問題も、被害者と反核論者の過失責任」に偽装するものであり[20]、彼らは「放射能恐怖症」――基本的に、放射能被曝に対する非理知的な恐怖――に病んでいるとほのめかす。この恐怖を「非理知的」と決め付けることによって、放射能を恐れる理由はないと暗示をかけ、悪いことはなにもないと吹きこむのである。「被害者たちを、道理のわからない、あるいはヒステリックな人間として描く」[21]。彼らは「いわれのない放射能恐怖の持ち主として片づけられ、多くの場合、健康問題は彼ら自身の不安の結果であると告げられる」。基本的に「彼らの不安は見くびられ」、また「医療と行政の当局者らによる彼らの不安の門前払いは、彼らの不安をさらに募らせるだけである」[22]。これはまた、原爆投下の被爆者にも起こったことであり、この場合、彼らの病気と不安は「原爆神経症」、すなわち「原爆にまつわる」不健全な「固定観念であり…ありもしない問題をでっちあげている」として片づけられた[23]

政府とメディアによって提示される放射能被曝に関する情報が不足しているので、被害者らに不安が醸成されるだけでなく、彼らが受ける差別がなおのこと助長される。この差別は、事故の影響を受けなかった人たちが、被害者と接触することによって、理由はどうであれ、汚染されるかもしれないと怖がり、被害者を恐れるので発生する。恐怖は未知のものから生じる。理解できないものを恐れるのは、人間の性である。情報不足が恐怖を募らせ、慈悲心を妨げるのは、このためである。被害者を「他者」として見させ、彼らに社会的不名誉の烙印を押させるのだ。

原爆投下があれほど恐ろしい記憶を日本国民のこころに刻みこんだことを考えると、日本社会が極めて類似した形でフクシマ事故に対応しているのが奇妙に思える。そこで、社会がこのように対応しているのは、なぜだろう? この疑問に答えるために、社会をふたつの集団、政府・電力事業体と一般日本国民にわけて考えてみよう。前者の場合、(パニックを回避して)国民の福利、「放射能恐怖症」、そして想定される放射能の無害さをアピールすることによって――事故の苛酷さを矮小化し、彼らに向けられる非難の矛先をそらそうとする意図が強くて、かえって彼ら自身の利害関係を守るために行動しているという結論が明確になる。東京電力などの企業は、原発の稼働を継続し、金儲けをつづけたいと願っている。政府はまた、原子力の利用をつづける意向のようである。これは、原子力が核兵器と結びついているので、戦争と軍事力と緊密に関連しているからなのかもしれない。現政権が日本の軍事的地歩の回復を志向していることは、だれの眼にも明らかであり、憲法第九条の解釈を変更し、基本的に無意味なものにしてしまったことからもわかる[24]

フクシマ破局事故の矮小化は、経済的理由(残りの核発電炉54基の稼働を継続する問題)から必要であるのみならず、今後、国家の軍事計画を実行するためにも不可欠である[25]

軍事計画を保持するには、原子力、あるいは政府の核政策にはなんの疑問もない、すべて正常であるといった状況を醸成することが必要である。放射能被曝にまつわる情報は、フクシマの被害者に共感する世論を巻き起こし、個人的なレベルで問題視されるようになりかねない。この同情心が、政府に怒りの矛先を向け、原子力発電企業が責任を負うべきだと望む世論の割合を大幅に増大させる要因になる可能性がある。日本の主流メディアが放射能被曝問題を意図的に論じないのは、このような状況を避けるためである。

一般日本国民はどうなのだろう――多くの人びとがこれほど早々とフクシマ被害者を差別するようになったのは、なんのせいだろう?(筆者はもちろん、この問題を一般化しているのであって、日本国民の各個人が差別的であると言いたいのではない)。ひとつの要因は上述したように、もちろんのこと、認識不足の申し子、恐怖である。もうひとつの要因は、歴史的に長く日本社会に根づいた穢れに対する恐怖なのかもしれない。トデシーニは、原子爆弾の被爆者に対する差別が「神道と仏教の諸概念に根ざし、日本社会で高度に発達し、組織化された潔〔いさぎよ〕さと穢れに関する信念体系という、より広範な枠組み」に組みこまれていった様相を論じている。この考えかたから、被爆者(および今日のフクシマ被曝者)は、部落民、つまり「古来『忌むべき』生業に携わっているので、『穢れ』とされた民」と同然視されるようになった[26]。第三に、第三者効果という要素、そして「わが家の裏庭だけはイヤ」流儀の考えかたがある。社会的不名誉の烙印のしがらみを打破し、政府の原発企業の行為を問題にするために、民衆は声を張りあげなければならない。しかし、とりわけ放射能被曝を論じるジャーナリストらが直面するかもしれない処遇を踏まえると、発言することは、極めてリスクが高く、怖気づく行動である。日が暮れると、生計を立て、食卓に皿を並べて、家族を守らなければならない。だから、頭を垂れ、並の生き方をしたほうが、ずっと楽だ。

本稿で概観してきたとおり、フクシマ核事故の社会的影響は、強制退去、貧困、抑鬱〔よくうつ〕、不安、社会的差別など、数多い。こうした影響はすべて、メディアに見る事故の取り上げかたによって増幅されている――情報不足が恐怖の温床になり、差別を助長しており、被害者の恐れは非理性的の一言で切り捨てられ、まるですべて問題なしと思えるかのように仕組まれているので、政府と原発企業の行為は問題にされない。経済と軍事の両面で、政権と原発事業者が利権を守っているので、このような対応の理由はわかる。伝統的な汚れ概念もまた、日本社会全般に巣食う第三者効果と相まって、差別を助長し、現状維持を許している。このように見ると、フクシマ被害者に負わされた社会的影響は複雑に絡みあっており、彼らの人生は、おそらく不可逆的に変えられてしまっている――「その人たちの人生はふたつのパートに、フクシマ以前と以後に分断されるでしょう」[27]


【脚注】

[1] Maya Todeschini, ‘IIllegitimate Sufferers: A-bomb Victims, Medical Science, and the Government,’ Daedalus 128, no. 2 (1999): 67.
[2] Ibid., 68.
[3] Robert Jacobs, ‘Radiation makes people invisible,’ Simply Info: The Fukushima Project, accessed October 16, 2015 
http://www.fukuleaks.org/web/?p=12245
[ロバート・ジェイコブズ「放射線は人を不可視にする」
[4] Todeschini, ‘Illegitimate Sufferers,’ 68.
[5] Ibid., 94.
[6] Ibid.
[7] Jacobs, ‘Radiation makes people invisible.’
[8] Robert Jacobs, ‘Social Fallout: Marginalisation After the Fukushima Nuclear Meltdown,’ The Asia-Pacific Journal: Japan Focus, accessed October 25, 2015 http://japanfocus.org/-Robert-Jacobs/3562/article.html
[9] Ibid.
[10] Jacobs, ‘Radiation makes people invisible.’
[11] Ibid.
[12] Ibid.
[13] Jacobs, ‘Social Fallout.’
[14] Amy Goodman, ‘From Hiroshima to Fukushima: Japan’s Atomic Tragedies,’ Democracy Now!, accessed October 16, 2015
[15] Robert Jacobs, ‘Fukushima Victimisation,’ DiaNuke.org: Dialogue and Resources on Nuclear, Nature and Society, accessed October 25, 2015 
[16] Ibid.
[17] ‘Issues of Radioactive Exposure are Considered Taboo on Japanese Media,’ YouTube, accessed October 16, 2015 https://youtu.be/NHtbi1Q4aZ8
[18] Retry Chhem and Gregory Clancy, ‘From Hiroshima and Nagasaki to Fukushima: Long-term psychological impact of nuclear disasters,’ The Lancet 386, no. 9992 (2015): 405, accessed October 16, 2015, 
[19] Jacobs, ‘Social Fallout.’
[20] Jacobs, ‘Fukushima Victimisation.’
[21] ‘Radiophobia: A New Game of Blame the Victim,’ Simply Info: The Fukushima Project, accessed October 25, 2015, http://www.fukuleaks.org/web/?p=3566
[22] Jacobs, ‘Radiation makes people invisible.’
[23] Todeschini, ‘Illegitimate Sufferers,’ 72.
[24] Linda Seig and Kiyoshi Takenaka, ‘Japan takes historic step from post-war pacifism, OKs fighting for allies,’ Reuters, U.S. Edition, accessed November 30, 2015,
[25] ‘From Hiroshima to Fukushima: The political background to the nuclear disaster in Japan (Part Two),’ World Socialist Website, accessed October 16, 2015,
[26] Todeschini, ‘Illegitimate Sufferers,’ 71.
[27] Natalia Manzurova quoted in Jacobs, ‘Radiation makes people invisible.’

【参照文献】

Chhem, Retry and Gregory Clancy. “From Hiroshima and Nagasaki to Fukushima: Long-term psychological impact of nuclear disasters.” The Lancet 386, no. 9992 (2015): 405-6. Accessed October 16, 2015. 

Goodman, Amy. “From Hiroshima to Fukushima: Japan’s Atomic Tragedies.” Democracy Now! Accessed October 16, 2015.

Jacobs, Robert. ‘Fukushima Victimisation.’ DiaNuke.org: Dialogue and Resources on Nuclear, Nature and Society. Accessed October 25, 2015. 

——— ‘Radiation makes people invisible.’ Simply Info: The Fukushima Project. Accessed October 16, 2015. http://www.fukuleaks.org/web/?p=12245

——— ‘Social Fallout: Marginalisation After the Fukushima Nuclear Meltdown.’ The Asia-Pacific Journal: Japan Focus. Accessed October 25, 2015. 

Seig, Linda and Kiyoshi Takenaka. ‘Japan takes historic step from post-war pacifism, OKs fighting for allies.’ Reuters, U.S. Edition. Accessed November 30, 2015.

Todeschini, Maya. “IIllegitimate Sufferers: A-bomb Victims, Medical Science, and the Government.”Daedalus 128, no. 2 (1999): 67-100.

‘From Hiroshima to Fukushima: The political background to the nuclear disaster in Japan (Part Two).’World Socialist Website. Accessed October 16, 2015.

‘Issues of Radioactive Exposure are Considered Taboo on Japanese Media.’ YouTube. Accessed October 16, 2015. https://youtu.be/NHtbi1Q4aZ8

‘Radiophobia: A New Game of Blame the Victim.’ Simply Info: The Fukushima Project. Accessed October 25, 2015. http://www.fukuleaks.org/web/?p=3566

【筆者】

エリン・オフラハティ(Erin O’Flaherty)は、ニュージーランドのオークランド出身。オークランド大学で英語と日本語を専攻し、文学士号をめざして勉学中。だが、目下、1年間の学生交流プログラムに参加しており、東京に滞在、東京外国語大学で学んでいる。She can be reached at erin.oflaherty@xtra.co.nz.

【クレジット】

Activist Post, “The Taboo Of Radiation Exposure In Japan: The Social Effects Of Fukushima,” by Erin O'Flaherty, posted on December 10, 2015 at;

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アジア太平洋ジャーナル「日本政府が抵抗を踏み潰して核発電所を再稼働」
概要:本稿は、安倍政権が核発電に対する異議を踏み潰し、2011311日の核反応炉3基のメルダウンのあと、54基の核反応炉がすべて停止して以来、初めて核反応炉を再稼働させた動きを検証する。筆者は、安倍政権の再稼働政策の基礎に据えられている、311後における化石燃料輸入による経済危機という公的な主張のまやかしを突くつもりである。エネルギー・ミックスのなかで一定割合の核エネルギーを維持することが、気候危機を防止し、または軽減するために必須であり、不可欠であるという主張も同様である。筆者は最後に、日本独自の核戦力構築を目指している可能性のある政府の方針との密接な関係を考察する。

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