当ブログ管理者は、福島に手を伸ばしつつあるエートス・プロジェクトに着目し、その実態を探ろうと決意しましたが、「ふくしま集団疎開裁判」の会MLに重要な論考資料が投稿されましたので、ここに謹んで転載させていただきます。
情報提供者もおっしゃっておられるように、この資料は転載など自由にご活用ください。ただしクレジット明記は当然であり、また商業出版の場合、著作権者との相談が必要であることはいうまでもありません。
以下、転載――
みなさま
6月7日にこのMLでフェルネックスさんから伺った、ベラルーシにおけるエートス・プロジェクトの真実についてお知らせしましたが、その後、更に情報をいただき、また、私自身も調査を重ねてきました。まだ途中経過ですが、とりあえず添付のものにまとめてみましたので、ご参考になさってください。医療面についてはフェルネックスさんの方で追跡中ですが、暫くかかりそうとのことなので、現時点での情報をお送りします。拡散してください。
また、できるだけ出典を明記して、多くの方に利用していただきたいと思い、最初は17ページにもなってしまいました。見ていただいた方々からダイジェスト版がほしいと言われたので、13ページに収めましたが、ベラルーシの母親達の声などもご紹介した方がいいと思い、これ以上は削りたくないと思いました。井上さんの資料と重なる点もあるかもしれませんが、とにかく、多くの方がいろいろな場で広めた方がいいと思いますので、これらの資料をご自由にお使いくださって結構です。最終目標は子どもと市民を放射能汚染から救うことですから。
また、この情報をもとにフェルネックスさんに直接インタビューしたコリン・コバヤシさん(フランス在住ジャーナリスト)が日本語字幕をつけてアップして下さったので、ご紹介します。
ミッシェル・フェルネッックスのインタヴュー映像(日本語スーパー付き):
<エートス・プロジェクトについて>
http://youtu.be/2_oKtjnh52c
<エートス・プロジェクトについて>
http://youtu.be/2_oKtjnh52c
フェルネックスのクリラッドに寄せた10年前の論考で、<エートス・プロジェクト>を糾弾するテキスト
http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2012/07/blog-post_16.html
http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2012/07/blog-post_16.html
【資料本文】
エートス・プロジェクトについて
市民と科学者の内部被曝問題研究会
牟田おりえ
牟田おりえ
はじめに
昨年末から「エートス・プロジェクト」あるいは「ダイアローグ・セミナー」「ステークホルダー」などの言葉が福島をめぐって飛び交っています。そして、中心人物であるICRP(国際放射線防護委員会)第4 委員会委員長のジャック・ロシャール氏(Jacques Lochard)が日本政府・福島県、そして市民に精力的に働きかけを始めているようです。
ロシャール氏が福島で始めようというエートス・プロジェクトとは何か、その原点であるベラルーシにおけるエートス・プロジェクトについて、ミシェル・フェルネックス教授1に伺い、自分でも調査を進めたので、現時点で判明したことをお知らせいたします。まさに「国際原子力ムラが企んでいること」を知らなければ、餌食にされてしまうという危機感を持ちました。
フェルネックスさんも、犠牲者はいつも子どもである、ベラルーシのエートス・プロジェクトは医学的「惨事」で、それを福島で繰り返してはならないとおっしゃっています。
以下の要点に沿って、述べていきます。
1. エートス・プロジェクト主導者のジャック・ロシャール氏と福島のエートス・プロジェクトの関係について。また、ロシャール氏と共同でプロジェクトを進めてきたテリー・シュナイダー氏(Thierry Schneider)の所属母体CEPN(Nuclear
Protection Evaluation Center 放射線防護評価センター)が国際原子力ロビーの中心にあること。
2. プロジェクトの究極の目的が「コスト・ベネフィット(費用効果)」にある点。住民を安全地帯に移住させるコスト、賠償コストと、汚染地域に残して、住民主導とみせかけた「放射線防護教育・ダイアローグ」をする場合のコストとを比較して、エートス・プロジェクトを始めたという経緯が見られること。つまり、プロジェクトの主目的が「政府が住民を汚染地域から出さないために、住民自らが残ることを選択したように見せる」ことである点。
3. モデルとされるベラルーシのエートス・プロジェクトが子どもの健康面を無視し、現地の小児科医の訴えと報告(プロジェクトが進む中で子どもたちの症状が悪化し続けた)を公式報告書から削除したこと。福島のエートス・プロジェクトも汚染地に子どもを残し、健康面と医療面を無視する可能性が大きいこと。
1.ジャック・ロシャール氏と福島のエートス・プロジェクトとの関係
ロシャール氏が関与したICRP(国際放射線防護委員会)主導、福島県庁・日本政府その他主催の「ダイアローグ・セミナー」については「ETHOS IN FUKUSHIMA」ホームページその他で知られているので、あまり知られていない動きに焦点を当てます。その上でロシャール氏とICRP の関係、彼が所長、テリー・シュナイダー氏が副所長を務めるCEPN(Nuclear
Protection Evaluation Center 放射線防護評価センター)という組織と国際原子力ロビーとの緊密な関係について述べます。
1.1.福島とエートス・プロジェクト
a. 2011 年11 月28 日:ジャック・ロシャール氏が11 月28 日に内閣府「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」委員会で、「チェルノブイリ事故からのいくつかの教訓:生活環境改善に向けたステークホルダー関与の2つの事例、福島に向けた提案」を発表。
ロシャール氏がベラルーシで行ったエートス・プロジェクトを勧めるという内容は、ICRP・福島県主導のダイアローグセミナーと同じであり、日本政府・県庁レベルと市民レベル(ETHOS IN FUKUSHIMA)を巻き込む運動をICRP, OECD などが積極的に進めていると読めます。内容は内閣府からアクセス可:
Rehabilitation of Living Conditions After a Nuclear Accident : Lessons From Chernobyl
Rehabilitation of Living Conditions After a Nuclear Accident : Lessons From Chernobyl
ロシャール氏プレゼンの要点
* ICRP作成の2011/4発行ICRP Publication111(第一執筆者がロシャール氏)について
* 汚染地域で住み続けることを前提にしている。
* 住民が自発的に放射線防護にあたること、そのための勉強会をサポートすること(放射能測定、正しい情報提供等)、あくまでも住民主体というスタンスを強調していますが、高濃度汚染地域に住み続けさせることを目的とし、押しつけではなく住民主体の放射線防護運動に見せかける提言と読めます。
* ICRP作成の2011/4発行ICRP Publication111(第一執筆者がロシャール氏)について
* 汚染地域で住み続けることを前提にしている。
* 住民が自発的に放射線防護にあたること、そのための勉強会をサポートすること(放射能測定、正しい情報提供等)、あくまでも住民主体というスタンスを強調していますが、高濃度汚染地域に住み続けさせることを目的とし、押しつけではなく住民主体の放射線防護運動に見せかける提言と読めます。
b. 2011年11月8日:ロシャール氏の相棒的存在のテリー・シュナイダー氏も同時期にヨーロッパでプレゼンを行っていましたが、彼の発表の方が世界原子力ロビーの企みをはっきり述べていて、わかりやすいです。
シュナイダー氏プレゼンの要点
* 当局(福島県・日本政府)は住民に汚染地域に住み続けるよう提案すべきである。しかし、この決定は住民とのダイアローグ(対話)を通じて生まれる必要がある。
(つまり、住民が自主的に残ると決めたように見せなければならない)
* 住民が自分たちの(放射線)防護を自分たち自らで行うこと。
* その地域(福島)の発展を求めるようにするための、経済対策を立ち上げること。
* ベラルーシでのエートス・プロジェクトとコア・プログラム(CORE: Cooperation for Rehabilitation/復興.回復への協力)から生まれた経験を活かすこと。
* 結論:チェルノブイリ事故の経験から得た上記の点は、福島事故の管理/対処に役立つ。
* 当局(福島県・日本政府)は住民に汚染地域に住み続けるよう提案すべきである。しかし、この決定は住民とのダイアローグ(対話)を通じて生まれる必要がある。
(つまり、住民が自主的に残ると決めたように見せなければならない)
* 住民が自分たちの(放射線)防護を自分たち自らで行うこと。
* その地域(福島)の発展を求めるようにするための、経済対策を立ち上げること。
* ベラルーシでのエートス・プロジェクトとコア・プログラム(CORE: Cooperation for Rehabilitation/復興.回復への協力)から生まれた経験を活かすこと。
* 結論:チェルノブイリ事故の経験から得た上記の点は、福島事故の管理/対処に役立つ。
主催者のユーロセイフ・フォーラム(EUROSAFE Forum)は、ヨーロッパの原子力の技術的安全使用の一体化を促進するために、1999年に設立され、ヨーロッパ各地の原子力に関する省庁、研究機関、原子力産業などが参加しています。なぜヨーロッパで同時期に同じ内容を発表したのか、原子力ロビーの理由と論理がありそうです。
1.2. ジャック・ロシャール氏について
写真出所:ICPR資料 |
ETHOS IN FUKUSHIMA(福島のエートス)の理論的支柱となっているロシャール氏の現在の肩書きは「ICRP 第4委員会委員長」と「CEPN 所長」です。ICRP 第4 委員会は放射線防護システムの応用について助言をし、また、防護に関する国際組織との連絡役を果たすとされています。オブザーバーとしてEC(欧州委員会放射線防護ユニット)・IAEA(国際原子力機関)・ILO(国際労働機関)・UNSCEAR(原子放射線の影響に関する国連科学委員会)・WHO(世界保健機関)などがあがっています。(ICRP のHP 参照)
b.CEPN(Nuclear Protection Evaluation Center 放射線防護評価センター)長という肩書きCEPN センター長のロシャール氏にならんで、ETHOS IN FUKUSHIMA ホームページには、同センター副所長のテリー・シュナイダー氏もたびたび登場します。ベラルーシにおけるETHOS プロジェクトでは、この二人が重要な位置を占めていました。
二人が所属するCEPN のホームページによると、1976 年に設立されたNPO(非営利組織)で、目的は放射線防護の最適化原則を開発し応用することだったが、最近の研究プログラムは放射能評価とリスク管理にステークホルダー(市民・専門家を含めた当事者の意味で使われる)を取り込み、放射線防護の文化を広めることに焦点が移っていると述べられています。
c.CEPN の協力組織
CEPN のホームページには「メンバー」として、4組織があげられています。EDF(フランス電力公社)・IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)・CEA(フランス原子力庁)・アレヴァ社です。
CEPN のホームページ参照:
http://www.cepn.asso.fr/spip.php?lang=en
CEPN のホームページには「メンバー」として、4組織があげられています。EDF(フランス電力公社)・IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所)・CEA(フランス原子力庁)・アレヴァ社です。
CEPN のホームページ参照:
http://www.cepn.asso.fr/spip.php?lang=en
ロシャール氏とCEPN の関係は、このセンターが設立された翌年の1977 年に、経済学部卒のロシャール氏が研究助手として入り、10 年後の1989 年に所長になったとOECD
の履歴紹介文書に書かれています(http://www.oecd-nea.org/press/press-kits/lochard.pdf)。
世界一の原子力企業と言われるアレヴァ社とフランス原子力庁、フランス電力公社を「メンバー」として持つということは、世界原子力ムラの中心にいると言ってもいいと思います。3.11直後にアレヴァ社とサルコジ前大統領が乗り込んできたことと、その1年後にロシャール・シュナイダー氏が乗り込んできたことは無関係ではないと思います。
2.ロシャール氏の原点
ロシャール氏とは何者か追跡していて、原点とも言えるIAEA との関係、原発事故後の社会の沈静化のメッセンジャーとしての役割などが浮上してきました。「沈静化」には2つの側面があり、1つは汚染地域から移住させないため、賠償金を要求させないために「汚染地域でも楽しく生きられる」というメッセージを植え付けること、もう1つは、原子力ムラ(政府・行政・専門家)への市民の不満・不信感をそらすためです。
ベラルーシのエートス・プロジェクトの前段階の動きが1990-1991 年のIAEA(国際原子力機関)「国際チェルノブイリ・プロジェクト」に見られますが、ロシャール氏はこのIAEA のプロジェクトに大きく関わっています。彼の役割がその後のエートス・プロジェクトにつながっていると思われます。ちなみに、シュナイダー氏もこの報告書に名前が記載されています。
2-1.「国際チェルノブイリ・プロジェクト」について
チェルノブイリ事故から3 年半後の1989 年にソ連政府は、事故対策や今後の防護対策について評価してほしいとIAEA に依頼し、IAEA やWHO(世界保健機関)は調査団を派遣して、少数の被災地を短期間まわり、市民や当局者との対話を行い、ソ連当局から提供された資料をもとに、1991 年に報告会議を開催して、報告書(全750ページ)を公表しています。
その結論は「放射線と直接に関係がある障害はみられなかった。事故に関連する不安が高レベルで継続し、心配やストレスといった形で多大な負の心理的影響を及ぼした」とし、現地(ベラルーシやウクライナ)の科学者たちが汚染地域の発症率の増加を認めているのに、「放射線によるとされた健康被害は、適切に実施された地域調査、およびプロジェクト(注:IAEA の国際チェルノブイリ・プロジェクト)による調査のいずれによっても、証拠づけられなかった」2としています。このプロジェクトに参加したベラルーシやウクライナの専門家は、この結論に対し、反対声明を出しています3。
2-2.国際チェルノブイリ・プロジェクトにおけるロシャール氏の役割
このプロジェクトにおけるロシャール氏の役割はCEPN 所属のコンサルタントで、「移住に関する評価」のセッションで、「コスト・ベネフィット(費用効果)分析」と題した報告を行っています。つまり、汚染地域から市民を移住させるべきか、残すべきかの決断をソ連政府がするための助言的役割と言えるのでしょうが、IAEA の結論は最初から「放射能被害はない」というものですから、その答えにあうような「分析」を行うのがロシャール氏の役割だったと言ってもよいと思います。
この会議でなされた報告についてコメントする役割の審査官(K. Duncan,ダンカン)がロシャール氏の分析について述べていますから、その一部を翻訳紹介します。このコメントはロシャール氏の報告についてだけでなく、IAEA の「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の本質を突いていること、その「非道さ」を正当化しようと必死になって支離滅裂なコメントをしていることがわかると思います。
さて、ロシャール氏の報告、コスト・ベネフィット/費用効果の問題ですが、多くの人の耳には、この言葉(コスト・ベネフィット/費用効果)が冷たく響くでしょう。残念な言葉の選択ですが、決して非道な方法に使われるのではないのです。決して非道なつもりではなく、この分野全体も非道ではないのですが、確かにそう聞こえてしまう。人というものは感情的に発言するもので、この問題にも感情が入りすぎています。人の命をお金に換算することはできないと。ある意味では、できませんが、ある意味では、そうしなければならない。なぜなら、健康にお金を使いすぎるべきではないという人もいるからです。全くばかげています!
国家予算すべてを健康にかけた結果、以前よりも悪くなることもありえるのです。医者だけが金儲けをする結果になります。(p.55)
出典:The International Chernobyl
Project: Proceedings of an International Conference held
in Vienna, 21-24 May 1991 for presentation and discussion of the Technical
Report (1991):
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub894_web.pdf
http://www-pub.iaea.org/MTCD/publications/PDF/Pub894_web.pdf
2-3.ロシャール氏の報告「移住のコスト・ベネフィット/費用効果の分析」
上記のダンカン審査官が必死でかばったロシャール氏の報告には何が強調されていたのか、いくつか拾ってみたいと思います。ロシャール氏担当と思われる箇所はテクニカル・レポートの第4 章「ソ連邦で取られた防護対策の評価」の「移住」の節です。
出典:The International Chernobyl Project Technical Report: Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures, Report by an International Advisory Committee (『国際チェルノブイリ・プロジェクト テクニカル・レポート̶̶放射能の影響と防護策の評価̶̶国際諮問委員会報告』)
http://www-pub.iaea.org/MTCD/Publications/PDF/Pub885e_web.pdf
出典:The International Chernobyl Project Technical Report: Assessment of Radiological Consequences and Evaluation of Protective Measures, Report by an International Advisory Committee (『国際チェルノブイリ・プロジェクト テクニカル・レポート̶̶放射能の影響と防護策の評価̶̶国際諮問委員会報告』)
http://www-pub.iaea.org/MTCD/Publications/PDF/Pub885e_web.pdf
この報告書で繰り返し強調されているのは、住民を汚染地域から移住させるべきかどうかの決め手とされる放射線量について、ソ連で受け入れられている線量は低すぎる、現実的ではないという点と、移住にかかるコストです。最初の点について、ソ連側が設定していた1990 年(事故後5年目)の線量は「生涯350mSv」で、それに対しIAEA は「2~3mSv/年~100mSv/年」という驚くべき線量を示しています。しかも、譲歩したのだと言わんばかりに、注をつけて、以前は「年50-500mSv」だったと書いています(p.433)。この350mSv はICRP とWHO から派遣された専門家によってソ連政府に提案されたもので、ソ連の科学者は年1mSvを限度にして全員の移住を求めたそうですが、ICRP の専門家は「資金がない、ということは問題がないということだ」と答えたそうで、これが最近日本でも聞かれ始めているALARA(as low as reasonably achievable=合理的に達成可能な限り低く)という概念とoptimization(最適化)の始まりのようです。いずれも健康よりも、経済を優先する考え方です。
ソ連側の設定した線量が低すぎると報告書の中で何回も強調して、「被曝した住民のためにという善意から出たとしても、間違っている」(p.438)とまで言っています。その上、ソ連側が設定した生涯350mSv を、年5mSv だと理解する人が多いが、これも間違っているというのです(p.439)。だからといって、どう理解するのが正しいのかは言っていません。
この後、いくつかの計算式が出され、線量にかかる移住コストの計算を5組織がそれぞれ出し、その1 組織がロシャール氏とシュナイダー氏が所属するCEPN です(p.449)。そして、コスト・ベネフィット分析の結論として、「汚染地域に住んでいる住民のこれ以上の移住は正当化できない」(p.449)と断定しています。
奇妙なことは、この移住のメリット・デメリットを検討する40 ページ以上の報告の中に、子どもや妊婦については一切言及がなく、1987 年あたりから顕在化していた放射能による健康被害についても言及されていません。「放射能被害はない」というIAEA のスタンスに忠実なロシャール氏の報告だと読めるわけです。
IAEA, ICRP などの国際組織とロシャール氏たちが日本政府と福島県と共に、福島で進めつつあるエートス・プロジェクトの理由がコスト面だけではないことが、この報告書の随所から窺い取れます。国際原子力ロビーの本音とも言えると思います。たとえば、移住の決め手となる放射線量の基準設定に関して、「多くの要素を考慮しなければならない複雑」なものだと言った上で、1国が設定したレベルは近隣諸国にも影響を与えるから、1国だけで決めるべきではない、また、「社会的政治的プレッシャーによって、他国より低い線量レベルを導入して、自国の世論の信頼を増そうとする場合、それはとめどもない影響を及ぼして、究極は世論の信頼を失うだけという結果になるから、断固として阻止すべきである」(p.458)と述べています。
これがIAEA
と世界の原子力ロビーの本音だろうと思います。つまり、ソ連政府が住民の安全のために設定しようとした「低い線量レベル」を「断固として阻止すべき」だというIAEAの本音は、将来の原発事故のモデルにされて、原子力産業が衰退することにつながるから「断固として阻止」すべきだということだと読めます。この点で、ロシャール氏が2012 年1 月に「福島のエートス」に送った手紙にある文言(「20mSv/年を基準にするという決断は良い知らせです。これで、多くの人が早期に家に帰る事ができる」4)とつながってきます。
このIAEA「国際チェルノブイリ・プロジェクト」の諮問委員会委員長は公益財団法人放射線影響研究所の所長(当時)の重松逸造氏です。このプロジェクトの中心人物の一人として日本人が関わっていたこと、そして今、IAEA のトップが日本人であることは皮肉な巡り合わせと言ってばかりはいられないと思います。日本人として被害者であり、加害者でもあることを頭に置きながら、25年後の現在チェルノブイリ被害が甚大であることと、福島で繰り返してはならない健康被害を食い止めることに対応していかなければならないと思います。
3.ベラルーシのエートス・プロジェクトとロシャール氏について
3-1.エートス・プロジェクト
2000 年5 月18 日にシュナイダー氏が広島で発表した「汚染地域における生活条件の回復̶エートス・アプローチ」(国際放射線防護学会主催)で、なぜETHOS
プロジェクトが必要とされたかについて述べているので、ご紹介します。現在の日本の事情と似通っています。
チェルノブイリ原発事故から10 年後の1996 年4 月に始まったこのプロジェクト(CEPN主導)の達成目標は、汚染地域の住民が回復プロセスにおいて、自主的な自治能力をもった行動者となるための条件作りで、住民の自信と社会の信頼を取り戻すことだと言っています(p.5)。この実験的プロジェクトの対象として選んだのが、年間線量1~5mSv、土壌中のセシウム量が185~555kBq/㎡の所、ベラルーシ法(1991)によると、「移住権利地域」(voluntary relocation zone)であり、かつ、地域コミュニティーがプロジェクトに参加してくれることが条件で、チェルノブイリの西に位置するブレスト(Brest)地方のストリン(Stolyn)地区の中の人口1,265人のオルマニー(Olmany)村を選びました。理由は強制的移住地域ではないため、残っている人の生活条件の回復が必要とされたからです。
日本と比較した場合のご参考までに、2012 年5 月22 日に市民放射能測定所理事の丸森あやさんに連れられて、フェルネックスさんとご一緒に福島市内をまわり、渡利地区の公園で撮った写真をフランスの放射線専門家に送った時の反応をご紹介します。「この公園は除染作業が完了しました」という立て看板の隣のモニタリング・ポストの値が0.479μSv/h を示している写真です。早速驚きの返答がきて、「除染後でも年間線量が4.2mSv になる!ICRP の非科学的限度値でも、一般市民が受けていいとされる線量の4 倍以上だ。土壌の表面のセシウム量は240,000Bq/㎡だろう」とのことでした。そして、そこでの生活は勿論、子どもを決して近づけてはならないと忠告しています。
セシウム量だけに関していえば、エートス・プロジェクトが対象とする「移住権利地域」に相当するわけですが、ベラルーシ法の基本は「年間被曝量が1 ミリシーベルトを越えなければ、人々の生活および労働において何の制限措置も必要としない」5というものです。日本政府は20mSv まで子どもが普通に暮らしていいとしていますし、ロシャール氏も、日本政府の20mSvを支持しています。
ロシャール氏・シュナイダー氏ら、ヨーロッパから来たプロジェクト・チームがベラルーシで最初に遭遇したのは対話集会における村人、特に母親たちからの質問攻めでした。
* 子どもたちとここに住み続けても大丈夫でしょうか?
* 健康被害があるでしょうか?
* 移住したほうがいいか、残っても大丈夫か?
* 健康被害があるでしょうか?
* 移住したほうがいいか、残っても大丈夫か?
村人の「専門家」に対する不信感は強く、プロジェクト・チームが倫理的観点から村人の質問に答えられないのだというと、別の形で聞いてきました。
* あなただったら、ここに子どもを連れてきて、住みますか?
村人は科学者が自分たちをモルモット扱いしているように感じること、このプロジェクトに参加することで、どんなメリットがあるのかという懐疑的な質問も多かったそうです。
プロジェクト・チームがしたことは、母親たちに線量計を渡して、自分たちで計測し、内部被曝についても、子どもたちが何をどのくらい食べれば、線量がどの程度になるのかを自ら計測して知ることで、その結果、母親たちはむやみに心配しなくなったといいます。
プロジェクト・チームは、校医である小児科医に対して、子どもたちの検診と放射線防護とを結びつけるために、定期的なホールボディーカウンターによるモニタリングと健康診断をさせました。その結果、2、3ヶ月後には子どもたちの内部被曝量が下がり、1997 年7 月から1998年12 月の間の減少率が30%以上だと報告しています(p.10)。
この報告書に対する疑問は、特にこの箇所で強くなりました。成果報告なのに、子どもの内部被曝量が数値で示されず、検査方法も検査者も明記されずですから、口から出まかせの数字と批判されても仕方のない杜撰な報告書です。次節3-2 でご紹介するように、フェルネックスさんからの情報では、数値を発表できない理由があったわけです。「成功」どころか「惨事」だったわけですから。
最後に気がつく点として、しきりに「放射能文化」(radiological culture)という言葉を使い、子どもたちにもこの文化を学ばせると強調しています。しかも「汚染地域に住む子どもたちの教育」という章では、最初にすることとして、プロジェクト・チームと学校側との「ロマンス」をあげています。この場合の「ロマンス」は単にいい関係と理解するのでしょうが、このプロジェクトが母親や学校側に対して、情緒に訴える方法を重要視しているようで、非常な違和感を覚えます。特に「放射能文化」という語を使い始めたロシャール氏とシュナイダー氏らがなそうとしていることを考えると戦慄を覚えます。20世紀後半まで市民生活の中には存在しなかった放射能(ここで言う放射能は広島・長崎の原水爆投下に始まり、核実験や幾多の原発事故から放出された放射性物質)との共存生活を正当化し、受け入れるための新たな「文化」創出だと理解するからです。人類と自然界を滅ぼす「文化」の創出だと理解できます。
出典:ロシャール氏とシュナイダー氏を含む10人の執筆者”The ETHOS
Project in Belarus 1996-1998: Synthesis of the major outcomes of the ETHOS
research project on the rehabilitation of living conditions in contaminated
territories affected by the Chernobyl accident”, May, 10th International
Congress of the International Radiation Protection Association:
http://www.irpa.net/irpa10/pdf/E11.pdf
http://www.irpa.net/irpa10/pdf/E11.pdf
3-2.エートス・プロジェクトによる子どもの高い罹患率の隠蔽
ロシャール氏・シュナイダー氏らによるエートス・プロジェクト成功報告会は、この後、現在に至るまで22年間続くわけですが、2001年11月15、16日に実験地であったベラルーシのストリンでも第1 回エートス・プロジェクトの国際セミナーが開かれました。
この会議にはミシェル・フェルネックスさんご夫妻も、ドキュメタリー映画『真実はどこに?――WHO とIAEA~放射能汚染をめぐって』の監督のウラジーミル・チェルトコフさんも出席していらしたそうです。フェルネックスさんはエートス・プロジェクトを計画している福島の人々に以下の事実を知らせてほしいと書いて下さいました。
この国際セミナーで最後に発表したのは、この地区を担当する小児科医でした。いろいろなデータを示してくれましたが、医学のどの分野でも、壊滅的な状態を示すものでした。
* 誕生時からの恒常的な健康悪化
* 深刻な症状の急激な増加
* ブレストでは入院を必要とした子どもが1986-87 年の10 倍に増加。
(注:ブレストはオルマニーから西へ400km ほどの位置にある人口31 万人の都市で、放射能汚染の点では、オルマニーほど高くない所のようです)。
* 深刻な症状の急激な増加
* ブレストでは入院を必要とした子どもが1986-87 年の10 倍に増加。
(注:ブレストはオルマニーから西へ400km ほどの位置にある人口31 万人の都市で、放射能汚染の点では、オルマニーほど高くない所のようです)。
この小児科医以外のプレゼンテーションはすべて主催者が準備し、配布資料がありましたが、小児科医の発表については主催者側は何の用意もせず、配布資料もなく、セミナー後に公刊された長い報告書には彼女の報告は削除されていました。
エートス・プロジェクトの目的はなんだったのでしょう?
エートス・プロジェクトの医学的失敗は、子どもたちの健康の改善が見られなかったどころか、子ども達の症状が恒常的に悪化していったことです。特に重篤な症状で入院する子どもたちが10倍にも増えたことです。これは誰もが最も知りたい情報のはずです。
報告書の中で「汚染地域における健康問題に関する研究は続けられなければならない」とされていますが、この報告は真実ではありません。このセミナーでは小児科医が報告したのですから。
私(牟田)の「ふくしま集団疎開裁判」ML 宛の6月7日付けメールでお知らせした内容をお読みにならなかった方のために、付け加えておきたいと思います。この国際セミナーでフェルネックスさんはプロジェクト・チーム内の専門家に実際のところはどうだったのか聞いたそうです。
状況について、小規模農業の専門家として知られているオラニョン教授の言葉を借りて要約します。この人物とは会議で会ったのですが、そこにはロシャール氏もいました。
オラニョン教授にエートス・プロジェクトの結果を聞くと、「上出来でしたよ。…子どもたちがどんどん悪くなっていきましたからね!」と言うのです。
オラニョン教授は真実を語っていました。私はエートス・プログラムの最終段階の頃に、ベラルーシのストリンにいましたから、よく知っています。[会議では]報告者すべてが、いかにすばらしいプロジェクトか、市民といかにうまくやったかを説明していました。汚染が深刻な地域ほど、[放射線]防護がうまくいったと。母親の[放射能]教育について、そして、最後にじゃがいもの生産について、セシウム137 が以前より少なくなっていたので、ミンスクでもこの汚染野菜が販売できる程度に、ぎりぎりだけれど、下がっていたことなど。このように、会議全体は見事にまとめられ、発表者はみなパワーポイントでスライドを見やすいスクリーンに映すなど、見事でした。
最後にこの地区を担当している小児科医が登場しました。彼女はパソコンも持たず、パワーポイントのスライドもなく、手書きの紙原稿と、複雑な表を持って現れ、それを手で示しながら話すのです。最後の発表者でした。彼女の話は私にはよくわかり、表も見せてもらいました。
エートス・プロジェクトが行われた5 年間[注:第2回エートス・プロジェクトを含めてだと思われます]、状況はどんどん悪くなっていきました。呼吸器感染が頻度だけでなく、深刻度の点でも増えていき、異常な合併症を伴い、心臓病もずっと深刻化し、どの症状でも同様でした。[チェルノブイリ原発]爆発の年は、入院が必要な事例は年間100だったのに(1986—88 年は変化がなく)、その後、極度の感染症による入院者数は年々上昇し、最後の年は1200事例でした。エートス・プロジェクトが始まって、この増加線は安定するどころか、落ち着く筈の年にまで上がっていたのです。[学校の]学期中の欠席者数は増え、尿管の感染症がぶり返し、慢性化しました。問題は生まれると同時に始まり、新生児のほとんどが治療を必要としていました。
エートス・プロジェクトは医学的に見れば「惨事」です。この小児科医のデータは出版されることなく、忘れ去られています。エートス・プロジェクトは次のコア(CORE)・プログラムのモデルとなって、これは今も続いています。ロシャール氏のこのような許されない行為をどうやって阻止できるかという点について。日本の医者のみなさんが、この現実に目を覚まし、現状を正しく研究してくれることを今でも[遅すぎるけれど]願っています。この放射能事故によって、市民全体の健康がとてもゆっくりとしたペースではあるけれど、悪化し続け、それは一番幼い子どもから始まり、次に原子炉で働く作業員、そしてその子どもたちというように、ただし、被曝した父親よりも子どもの方が先に悪くなる場合が多いということに、日本の医者はもっと関心を払うべきです。
注:この内容をパリ在住のジャーナリスト、コリン・コバヤシさんが6月28日にフェルネックスさんの自宅を訪ねて、インタビューし、日本語字幕つきのユーチューブにして下さいましたので、ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=2_oKtjnh52c&feature=youtu.be
http://www.youtube.com/watch?v=2_oKtjnh52c&feature=youtu.be
また、当時フェルネックスさんが書かれた投稿記事も日本語訳して、アップして下さいましたので、あわせてお読みいただければと思います。
http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2012/07/blog-post_16.html
http://echoechanges-echoechanges.blogspot.fr/2012/07/blog-post_16.html
3-3. エートス・プロジェクトのもう一つの顔
フェルネックスさんが福島のみなさんに是非伝えてもらいたいというもう一つの点は、エートス・プロジェクトがベラルーシに入ってくる6年以上前から住民の放射線測定や放射線被害防止のための研究と活動を続けていた民間組織「ベルラド研究所」の計測機を使用し、研究所の技師を使って、地域の生産物の放射線量を計測したのですが、その結果を研究所長のワシーリ・ネステレンコ博士に渡さずに隠蔽したのです。現実は、計測結果が期待したものではなかったからです。世界銀行なども関わる世界的なプロジェクトですから、資金も潤沢だった筈ですが、ベルラド研究所の技師と機具を使い、その分の給料を要求しても認めず、また、研究所が開発したペクチンを3週間子どもに与え、セシウムの蓄積を減らすプログラムへの資金援助も断り続けていました。エートス・プロジェクトが得た情報の提供と、研究所の活動に対する支援を依頼すると、「ストリン地方で追跡調査する予算はない」と一蹴されたそうです。
ワシリー・ネステレンコ博士(1934-2008)はベラルーシの核エネルギー研究所所長で、原子炉開発で著名だったそうですが、チェルノブイリ事故に衝撃を受け、事故直後にヘリコプターで上空を飛んで視察をし、その後は亡くなるまで住民を放射線被害から守るために研究と活動を終生続けた方です。また、バンダジェフスキー博士と共に、内部被曝の研究をして、目下チェルノブイリの放射能被害に関する研究書としては最高と評価されているニューヨーク科学アカデミー刊『チェルノブイリ――大惨事が人びとと環境におよぼした影響』(ネットで閲覧可:
http://www.strahlentelex.de/Yablokov%20Chernobyl%20book.pdf
翻訳は岩波書店から刊行予定とのことです)の編著者の一人です。
http://www.strahlentelex.de/Yablokov%20Chernobyl%20book.pdf
翻訳は岩波書店から刊行予定とのことです)の編著者の一人です。
おわりに
4月21日に東京大学で内部被曝問題研究会・東京大学講演会実行委員会・北海道大学GCOE境界研究の拠点形成共催で行われた「低線量被ばくに向き合う――チェルノブイリからの教訓」講演会でウクライナ国立放射線研究所小児放射線部長のエフゲーニアヤ・ステパーノヴァさんがなさった報告内容は衝撃的でした。
慢性疾患を持つ子どもの割合が1986~87年の8.4%から、2005年の77.8%に増加したという研究データ、その他、ありとあらゆる疾患に苦しむ子どもの割合が年を経るごとに増加している現実は、日本の放射能被害のこれからの発症率を想像させます。
更に悲惨なのはベラルーシの子どもたちです。ガリーナ・バンダジェフスカヤ(小児科医、心臓専門医、バンダジェフスキー夫人)さんが2012年5月12日にジュネーブで開催された「WHO 独立を求める会」(Independent WHO)主催の「放射能防護に関する科学者と市民フォーラム――チェルノブイリからフクシマまで」で報告なさいました。
2009年のベラルーシ全土の就学児童のうち、58.1%が機能障害と慢性疾患リスクを抱え、13.8%が慢性疾患を発症しており、2007年のデータと比べると、健康な子どもの数は減少しているそうです。2002年から2010年のデータでは、先天性心臓病の率が3倍以上に増加していること、先天性心臓奇形の頻度も上昇し続けていること、悪性腫瘍だけでなく、眼疾患、循環器系疾患等々、25年後の今子どもたちに何が起こっているかを詳細に報告なさいました。そして最後に悲痛な叫びに近い訴えをなさいました。「政府はこの国の未成年者の健康が悪化したことを認め、子どもたちの健康にとって有害な状況は政府・放射線防護専門家・科学者が改善し、治療に対して、具体的な行動を起こすことが不可欠です。政府がすべき最も重要な義務は、子どもと青少年の健康を守ることです。これらの子どもたちが国の経済の可能性を決定し,その国の人口増加能力があるかどうかを決めるのです」。
4月21日の講演会のDVD がようやく完成したので、ご紹介します。講演会ではわかりにくかった部分を字幕で補い、翻訳・通訳の間違いも専門家に念入りなチェックをお願いし、コメンテーターの今中哲二さんにも内容チェックなど、緻密な編集をなさったので、講演会よりもわかりやすいものになりました。ご注文は牟田(muta.orie@gmail.com)までお願いします。2枚1組セットで送料込み¥2,000
です。
ジュネーブ・フォーラムの報告集は目下、各国言語に翻訳中で、近いうちに公刊される予定です。
最後に、エートス・プロジェクトの背景を知る意味でも、なぜ世界の市民の健康を守る役割である筈のWHO が核推進のIAEA と一緒に放射能被害に眼をつぶっているのか等の背景も知っておく必要があると思いますので、是非以下のDVD をご覧ください。
* ウラジミール・チェルトコフ監督『真実はどこに:WHOとIAEA~放射能汚染をめぐって』(2004)のDVD(YouTube)をご覧ください。フェルネックスさん、ネステレンコさん、その他、チェルノブイリの子どもたちを救うために長年闘ってきた方々がIAEA, WHO と激論する会議の様子や、放射線被害に苦しむ子どもたちの話を追求しています。
* ウラジミール・チェルトコフ監督『サクリファイス』(犠牲)はチェルノブイリ事故処理にあたった作業員たちの記録とインタビューです。
【脚注】
1 ミシェル・フェルネックス(Michel Fernex):スイスのバーゼル大学医学部名誉教授。長年WHO の委員として感染症研究に携わった。チェルノブイリ事故後になぜWHO が援助しないのかに疑問を持ち、1957 年のIAEA とWHO の協定にいきあたった過程が『真実はどこに?』で描かれている。2012 年5 月12 日のジュネーブ・フォーラムでは「福島の失われた時間」という発表をし(フクシマ集団疎開裁判ブログに掲載)、福島の子どもたちが心配だと、その直後に自費で日本に向かい、広島・京都・浦和(肥田舜太郎先生との講演会)・福島・東京で講演会+上映会(『真実はどこに?』)、そして福島の市民や医師、農家の人々との交流会でアドバイスをなさいました。市民の心配の声に真摯に耳を傾け、一人一人に向き合う姿には感銘を受けました。フェルネックスさん他の『終わりのない惨劇̶̶チェルノブイリの教訓から』(竹内雅史訳、緑風出版、2012)もあわせてお読みいただければ、かなり問題が見えてくると思います。
2 ミハイル・マリコ「チェルノブイリ原発事故:国際原子力共同体の危機」、今中哲二(編)『チェルノブイリによる放射能災害̶̶国際共同研究報告書』、技術と人間、1998、ネットで閲覧可:
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Malko96a-j.html
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/saigai/Malko96a-j.html
3 V.G.バリヤフタル他、今中哲二(訳)「IAEA 報告への反論」、『技術と人間』1992 年9 月号所収、ネットで閲覧可:
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/GN1992-9.pdf.
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/etc/GN1992-9.pdf.
4 出典:ETHOS IN FUKUSHIMA ブログ
http://ethos-fukushima.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html
http://ethos-fukushima.blogspot.jp/2012_01_01_archive.html
5 ウラジーミル・P・マツコ、今中哲二「ベラルーシにおける法的取り組みと影響研究の概要」、今中哲二(編)『チェルノブイリによる放射能災害̶̶国際共同研究報告書』、技術と人間、1998、ネットで閲覧可:
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/J-Version.html
2012年7月17日
© Orie Muta, 2012
© Orie Muta, 2012
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