2012年2月27日月曜日

#世界市民法廷 シナリオ【法廷編】


                      YouTube 世界市民法廷(東京法廷・前半)

2012年2月26日、東京・日比谷コンベンション・ホール『世界市民裁判』で上演された法廷ドラマ・シナリオの法廷編です。あなたも陪審員として評決に参加できます。


1場 法廷 
●昨年6月24日、福島県郡山市の小中学生14人が郡山市を相手に、空間放射線量が年間1mSv以下の環境で教育を実施することを求めて緊急の救済手段である仮処分を、福島地方裁判所郡山支部に申し立てました。
 この14人は自分たちの避難だけを考えていた訳ではありません。自分たちと同じように放射能の危険な環境で教育を受けている全ての子どもたちが避難できることを願っていました。但し、それを裁判でいきなり実現することは困難でした。そこで、14人が先がけとなって、避難を求める裁判を起こしたのです。
●本日の世界市民法廷では、この疎開裁判を皆さんによりよく理解していただくために、皆さんがよくご存知の通常の訴訟手続に置き換えて、そして陪審員が議論をするという場面を盛り込みました。
ナレーター本日の市民法廷では、疎開裁判でどんな問題がどんな風に争われたかを、争点ごとに法廷のやり取りと陪審員の議論を通じて再現します。これは昨年10月末までの疎開裁判のやり取りを再現しています。
裁判官開廷します。(原告に向って)原告は、この裁判で何を求めているのか説明して下さい。
原告:はい、郡山市に対し、14人の原告が、空間放射線量が年間1mSv以下の安全な環境の地域に疎開させてくれるよう求めたものです。
被告裁判長。原告に質問があります。
裁判官はい、どうぞ。
被告はい、原告の訴えは14人の避難ではなくて、郡山市全員の小中学の避難を求めるものです。そのような訴えは民事裁判として認められないのではないですか。
原告:いえ、それは被告の誤解です。私どもの気持ちとしては、いま放射能の危険な環境で教育を受けている全ての子どもたちの避難が実現することを願っています。しかし、この裁判ではあくまでも14人の避難を求めるものです。
裁判官(被告に向って)ということだそうです。
被告はい、分かりました。

第2場 法廷
裁判官(原告に向って)原告は、どういう理由で申立をしたのか説明してください。
原告:まず外部被曝について主張します。原発を推進するICRP(国際放射線防護委員会)ですら年間1mSvを一般市民の被曝限度としています。放射線感受性がずっと高い子どもであれば年間1mSvが限度なのは言うまでもありません。
●原告らは既に、昨年3月12日~8月31日までで、7.8~17.16mSv被曝しています。
●3.11以来今年3月10日までの1年間では、12.7~24mSv被曝すると推定されます。
●その上、本裁判の審理の最終日である昨年10月末でも、原告らは依然、その時点から1年間で1mSvを超える危険な環境で教育を受けています。
●さらに、チェルノブイリ事故で、旧ソ連とロシア・ウクライナ・ベラルーシ3国が定めた住民避難基準を郡山市に当てはめると、原告らが通う学校周辺は、昨年10月末の時点でも、全て移住義務地域、住民は強制的に移住させられる地域に該当します。スクリーンの地図の赤丸がそれです。
スクリーン汚染マップ

原告:結論として、原告が通う学校の空間放射線量は3.11以後の1年間で、年間被曝限度1mSvの12~24倍であり、チェルノブイリの避難基準と対比しても極めて危険な状態であることが明らかです。郡山市は,直ちに原告らを避難させるべきです。
裁判官(被告に向って)被告の答弁はどうですか。
被告福島県内の小中学生が311日以来、放射線による被曝の危険に置かれている事実は認めます。それ以外は不知です。
裁判官原告が主張する、14人が3月11日以来8月末まで1年間に外部被曝する積算値、チェルノブイリの避難基準との対比の主張について郡山市は全て「知らない」ということですか。
被告はい。
裁判官(被告に向って)外部被曝について、被告から何か主張はありますか。
被告あります。
裁判官では、説明して下さい。
被告第1に、平成23年6月と7月に実施した、原告が通う学校で積算線量計で測定した結果によれば、空間放射線量は毎時0.08~0.2μSvにすぎません。
裁判官(原告に向って)これについて、原告の反論は?
原告:積算線量計を携帯したのは子どもでなくて、教職員です。子どもが校庭で過ごす時、「教職員」はコンクリートの校舎内で過ごすことが多いのが実態であり、測定結果がイコール子どもの被曝線量ではありません。
被告第2に、学校滞在時間を1日8時間、年間200日と仮定した年間推定被曝線量は、0.13~0.32mSv、いずれも1mSv以下です。
裁判官(原告に向って)これについて、原告の反論ありますか。
原告:子どもの健康を守る立場からは、被ばくは24時間で捉える必要があります。子供は,コンクリートの校舎内よりも,登下校中や,木造の自宅内で高い被ばくをします。学校での被ばくは被告が主張する程度であっても,24時間の被ばく量を計算すれば,1mSvをはるかに超えます。
裁判官(被告に向って) この点、どうですか。
被告不知です。
原告:裁判長、(首をかしげながら)被告の主張がどうもよく分かりません。原告は3.11以来8月末日までで既に最大17.16mSvもの大変な被曝しているという主張です。これに対し、被告は反論として、6、7月の空間放射線量の値から年間の積算値を計算していますが、その計算では3.11以後大量被曝した事実はなかったかのように扱われています。それで原告の主張をつぶせるのですか。
裁判官(被告に向って) どうですか。
被告被告は、3.11以後大量被曝した事実は考える必要はないという立場です。過去の被曝はこの裁判によって防止できるものではないからです。
裁判官(原告に向って)これについて、原告の反論ありますか。
原告:もちろん原告もこの裁判で過去の被曝を防止しろとは言っていません。しかし、原告の現在の被曝の危険性を正しく評価するためには、3.11以来の過去の被曝の経過を考えなければ意味がありません。さもなければ原告をあたかも3.11以来大量被曝してこなかったとして取り扱うことになるからです。
第4場 法廷
裁判官(原告に向って)続いて、原告の次の主張を説明してください。
原告:次に内部被曝について主張します。チェルノブイリ事故で郡山市と同レベルの放射能汚染地域で生じた健康被害のデータがあります。そのデータは郡山市の未来です。郡山市に住む原告の未来です。まず、子どもの甲状腺疾病について明らかにしたのが矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授の意見書です。
スクリーン:矢ヶ崎氏の解説を映像により上映。


原告:次に、甲状腺疾病以外の様々な健康障害について明らかにしたのが松井英介岐阜環境医学研究所所長です。
スクリーン:松井氏の解説を映像により上映。

原告:ウクライナ政府の公式報告書もこう述べています。
《被曝した子どもたちの中の健康な子の割合は減少しています(19861987年の27.5%から2003年の7.2%)。一方で、被曝して慢性疾患を抱えた子どもたちの割合は増加しています(19861987年の8.4%から2003年の77.8%)》
裁判官(被告にむかって)原告の主張に対する被告の答弁はどうですか。
被告不知です。
裁判官チェルノブイリ事故による健康被害と対比して原告にどのような健康被害が生じるか、という主張についてすべて「知らない」ということですか。
被告はい。
裁判官(被告に向って)内部被曝について、被告の主張を説明して下さい。
被告ありません。

第6場 法廷
裁判官(原告に向って)最後に、原告の法律上の主張を説明してください。
原告:かつて最高裁判決は「一人の生命は全地球よりも重い」と言いました。この言葉は未来を担う子どもの命については無条件に妥当します。ましてや本件の子どもたちは、彼らには何の責任もない人災に遭った被害者です。正義・公平という法の究極の理念に照らしたとき、被害者の子どもたちが避難が認められず危険なまま命を奪われ、粗末にされることを正当化できるいかなる根拠もありません。
●被曝による被害は最先端の科学でも未解明な部分が多く、他方で健康障害が発生してからは取り返しがつかないものです。このような予見不可能性と回復不可能性を有する事故については、「疑わしきは保護する」という予防原則が採用される必要があります。ましてや未来を担う子どもの場合、無条件に妥当します。
●原告はこの裁判で、甲1号証から101号証まで証拠を提出しました。
●これによれば、本件の原告の空間放射線量は3.11以来年間12.7~24mSvであり、チェルノブイリ避難基準に照らしても、またチュルノブイリ事故による健康障害との対比からも、被告には原告を避難させる義務があることは明らかです。
裁判官(被告に向って)被告の法律上の主張を説明してください。
被告原告は被曝が危険だと思うなら、自ら転校すればよいのです。郡山市は転校を妨げていません、原告に転校する自由がある以上、郡山市は原告の権利の侵害者に当たりません。
裁判官(原告に向って)これについて、原告の反論は?
原告:原告には転校する自由があるかもしれません。しかし同時に原告は教育を受ける権利を持ちます。原告が郡山市に対し教育を受けることを希望するとき、この要求に応え公教育を実施することは郡山市に課せられた憲法上の責務です。その責務の一環として、安全な環境で郡山市の公教育を実施することも当然含まれるもので、本件はその責務が問われています。郡山市に課せられたこの憲法上の責務は転校する自由があるからといって免れるものではありません。
●のみならず、郡山市が口にする転校の自由を実際に行使することがどれほど困難を伴うものであるか、今から原告のお母さんたち語るように、この自由は多くの勤労市民にとって「絵に描いた餅」にすぎません。
スクリーン:原告のお母さんたちの証言(なぜ、転校しないか)
裁判官(被告に向って)続けて、被告の次の主張を説明して下さい。
被告郡山市は福島原発事故の被害者ではあっても加害者ではありません。加害者は東京電力です。原告の権利を侵害したのも東京電力であって郡山市ではありません。
裁判官(原告に向って)これについて、原告の反論は?
原告:たとえ郡山市が福島原発事故の被害者だとしても、原告が教育をうける権利を行使したときこの要求に応える憲法上の義務を負っています。郡山市に課せられたこの憲法上の責務は。郡山市が福島原発事故の被害者であるからといって免れるものではありません。


さて、あなたが陪審員であるとすれば、あなたの評決は?

◎世界市民法廷:いま世界中の市民が陪審員として「疎開裁判」の裁きを表明して下さい
http://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/03/blog-post.html
◎世界市民法廷:世界中から寄せられた陪審員の声・声・声‥‥
http://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/03/blog-post_03.html
◎The World Citizens’Tribunal:Please express your judgment as a jury
http://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/03/world-citizenstribunalplease-express.html

Opening Remarks for the #World_Citizens_Tribunal


“WORLD CITIZENS TRIBUNAL” 
In Tokyo on Feb. 26, and in Kohriyama, Fukushima, on March 17
Hosted by “Fukushima Evacuate Children Lawsuit” Group

Tokyo Trial

February 26 (Sunday) 13:00-17:00 JST
Hibiya Convention Hall (Chiyoda Municipal Hibiya Cultural Center Library) 1st basement

Opening Remarks
Ladies and gentlemen, I thank all of you for joining the World Citizens’ Tribunal.
Many of Fukushima residents are forced to live as San-zaru, or Three-Apes, of “Mi-zaru, not seeing”, “Kika-zaru, not hearing” and “Iwa-zaru, not speaking”, under the three conditions; the physical fact of the radioactivity “unseen to human eyes”, the political propaganda making it “unseen to the public eyes” and human weakness making it “unseen to my eyes”. In Kohriyama City, sights of streets with children going to school without any mask, or shopping with parents have been everyday landscapes.
Although the last resort for the Fukushima parents desperately wishing to save human lives and health of their children was the Fukushima Evacuate Children Lawsuit, the judges at the Kohriyama Branch of Fukushima Local Court have thrown out the tribunician position of law keepers, and joined the nuclear power advocates besieging exposed residents.
Ladies and gentlemen, let us be the “World Citizens besieging the nuclear mafia”, today! Before the people of the world, let us proclaim the inviolability of life and the dignity of humanity! Let us be sure that we take the first step in a Long March for saving human lives and health of our children and grand-children, today at this World Citizens’ Tribunal. Thank you very much.
February 26, 2012
Toshio Inoue
Panelists
The longer version omitted to save time:
Ladies and gentlemen, I thank all of you for joining this World Citizens’ Tribunal on the Fukushima Evacuate Children Lawsuit. I am now standing here on the platform as a representative of the lawsuit group, but I would like to say my short greeting as one of citizens of Kohriyama, Fukushima Prefecture, without such a title of my own so much exaggerated.
As you already know well, it is no exaggeration to say Japanese society had been covered with so-called "nuclear mafia" fascism. ever since the nuclear complex accident at Tokyo Electric Company’s Fukushima the 1st Nuclear Power Plant triggered by the great Tohoku off-shore earthquake and tsunami on March 11, 2011. Particularly in vast highly-radioactivity-contaminated areas in Fukushima Prefecture, where the disaster took place, many of the people are forced to live as san-zaru, or three apes, of “mi-zaru, or do not see”, “kika-zaru, or do not hear” and “iwa-zaru, or do not speak”, under the three conditions; the physical fact that the radioactivity is “unseen to human eyes”, the political propaganda to make it “unseen to the public eyes” and human weakness to make it “unseen to my eyes”.
Still now, under such a masked marshal rule regime covering the radioactivity-contaminated land, sights of streets with children and infants going to/from school or daycare without any mask, or playing outdoors defenselessly, or shopping with parents  has became everyday landscapes.
The grounds for safety and security campaigns, raised by public and private bodies, are the Ministry of Education’s notification to make the 20 mSv/y standard the criteria for the school life safety, 100 mSv acceptance talks made by Shun-ichi Yamashita and other I-help pundits and so on; and needless to say, all of them violate Japanese laws such as the 1 mSv/y public acceptable standard rule, radiation controlled area standard.
The last resort for the Fukushima parents desperately wishing to save human lives and health of their children was the first instance of the Fukushima Evacuate Children Lawsuit. However, on December 16, 2011, the judges at the Kohriyama Branch of Fukushima Local Court trampled on such wishes, throwing out the position of law keepers, and dropping down themselves to the status of watchdogs guarding the administration linked to the “nuclear mafia”.
Once Mao Zedong boasted "the rural surrounds the urban", and a beatnik poet said “the wilderness surrounds the civilization”. Ladies and gentlemen, today, let us become “World Citizens surrounding the nuclear mafia”!  Let us mobilize good senses and wisdom and spirits of the law ruling the world! Let us siege the pentagon ruling system of politic, bureaucratic, industrial, academic and journalistic circles! Let us expose the deception of the judiciary wearing a robe! Let us proclaim to the world laws for world governance, inviolability of life and the human dignity!
In our law, what should be considered first and foremost is the well-being of children living in the future. Now I am sure that we take the first step in a grand struggle for saving human lives and health of our children and grand-children living in future, today at this World Citizens’ Tribunal, and now as closing my greeting, let me wish your health. Thank you very much.
February 26, 2012
Toshio Inoue
The girl from Kohriyama giving a message




2012年2月26日日曜日

#世界市民法廷 2.26東京会場オープニングあいさつ





東京会場
20122261300
千代田区立日比谷図書文化館 地下1F 日比谷コンベンション・ホール
オープニングあいさつ


みなさん、「世界市民法廷」にご参加くださり、ありがとうございます。
福島県民の多くは、放射能について「目に見えない」物理的事実、「見させない」安全宣伝、「見たくない」人間的弱さがあいまって、「見ザル、聞かザル、言わザル」の三猿状態を強制されています。郡山の街では、子どもたちがマスクもせずに通学したり、親子連れでショッピングに出かけたりといった姿が日常風景となっています。
子どもたちの命と健康を守りたいという福島の親たちの必死の願いの最後の拠り所が「ふくしま集団疎開裁判」でしたが、福島地裁郡山支部の判事たちは法の番人たる護民官の地位を投げ捨て、被曝民を閉じ込める原発推進勢力の包囲網に加わりました。
みなさん、わたしたちは「原発ムラを包囲する世界市民」となりましょう! 世界の人びとを前に、命の不可侵、人間の尊厳を宣言しましょう! 今日の世界市民法廷が子どもたちの命と健康を守るための壮大な闘いの第一歩となると確信しようではありませんか。ありがとうございました。

ゲスト・パネリストのみなさん

■ 下記は、時間の節約のためにボツになった、いわばロング・バージョン

みなさん、本日の「ふくしま集団疎開裁判」に関する「世界市民法廷」にご臨席くださり、ありがとうございます。いま、わたしは「ふくしま集団疎開裁判の会」代表としてここに立っておりますが、そういう大層な肩書きは抜きにして、福島県郡山市の一市民として、会場のみなさん、世界市民のみなさんにご挨拶を申し上げたいと思います。
みなさん先刻ご承知のように、昨年311日東北沖大地震と津波に端を発した東京電力福島第1原子力発電所における史上未曾有の核施設複合事故のあと、わたしたちの日本社会はいわゆる「原発ムラ」ファシズム体制に覆われてしまったといっても過言ではありません。とりわけ事故現地である福島県内の広大な放射能高度汚染地域では、放射能は「目に見えない」という物理的事実、放射能を「見させない」という政治的プロパガンダ、放射能を「見たくない」という人間的な弱さ、これら3条件のもと、多くの人びとは「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿状態を強制されています。
このような隠された放射能汚染地戒厳令体制のもと、いまもマスクもせずに通園・通学したり、戸外で遊んでいたり、親に連れられてショッピングに出かけたりといった子どもたちの姿が日常風景となっています。
官民の安全・安心キャンペーンの根拠は文部科学省の年間20ミリシーベル基準通知、山下俊一氏はじめ御用科学者たちの100ミリシーベルト容認発言などですが、いずれも一般人の年間許容基準1ミリシーベルト、放射線管理区域基準・年間約5ミリシーベルトなどの日本国法令に違反しているは言うまでもありません。
子どもたちの命と健康を守りたいという福島の親たちの必死の願いの最後の拠り所が「ふくしま集団疎開裁判」第一審でした。ところが昨年1216日、福島地方裁判所郡山支部は親たちの願いを踏みにじり、法の番人たる地位を投げ捨て、あえていえば原発ムラに連なる行政府の番犬の地位に身を落としました。
かつて毛沢東は「農村は都会を包囲する」と豪語し、ビートニック詩人は「野生は文明を包囲する」と喝破しました。みなさん、今日わたしたちは「原発ムラを包囲する世界市民」となりましょう! 世界の良識と叡智と法の精神を結集して、政・官・業・学界・メディア、ペンタゴン支配体制を包囲するとともに、法服を着た司法の欺瞞を暴き、世界を律すべき法の普遍性、いのちの不可侵、人間の尊厳を世界に向けて宣言しましょう!
わたしたちの法において、真っ先に考慮されるべきは、未来に生きる子どもたちの福利です。今日の世界市民法廷が子どもたちのいのちと健康を守るための壮大な闘いの第一歩となることを確信し、みなさんのご健康を願って、ご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。
郡山市出身、高校3年生のあいさつ

2012年2月24日金曜日

World Citizens’ Tribunal for Fukushima Evacuate Children Lawsuit

February 24, 2012
Press release for immediate release


World Citizens’ Tribunal for
Fukushima Evacuate Children Lawsuit


 In June 2011, the parents of 14 elementary and junior high school students in Koriyama City, Fukushima filed a lawsuit to Koriyama District Court seeking provisional disposition to have school education in lower radiation level areas.  However, on December 16, 2011, the Court dismissed the case.  
Was this ruling a reasonable one?  Now, the Japanese concerned citizens will hold the World Citizens’ Tribunal in Tokyo (February 26) and in Koriyama City (March 17) inviting internet jury from all around the world. 
To participate in the internet jury, please go to the URL below.
We would also like to invite foreign media to cover this important and unprecedented story which could affect the future of Fukushima children. 

The World Citizens Tribunal in Tokyo
Date and Time: 1:00 pm to 5:00 pm, February 26, Sunday
PlaceHibiya Convention Hall (Hibiya Library B1, Hibiya Park, Tokyo)

The World Citizens Tribunal in Fukushima
Date and Time: 1:00 pm to 5 pm, March 17, Saturday
PlaceKoriyama Danjyo Kodo Sankaku Center (Sankaku Plaza) 2F Assembly Room

Message from Noam Chomsky
It is a privilege to be able to lend personal support to the Fukushima Evacuate Children Lawsuit. There is no better measure of the moral health of a society than how it treats the most vulnerable people within it, and none or more vulnerable, or more precious, than children who are the victims of unconscionable actions. For Japan, and for all of us, this is a test that we must not fail.

Contact: Mari Takenouchi, media contact of the World Citizens’ Tribunal
Mobile: 090-4002-3959 (domestic) 81-90-4002-3959(overseas) mariscontact@gmail.com


Additional Information:

The World Citizens’ Tribunal English relay net

The World Citizens’ Tribunal can be watched on time through a live internet coverage on February 26th 
Sunday, 1 pm at Japan standard time in the following internet channels.
OurPlanetTV
IWJ Ch6

The recorded video can also be watched at the following URL(Please wait a moment)

Court documents (excerpt)

A Statement of Facts by Katsuma Yagasaki, Emeritus Professor at the Ryukyu University (8 September 2011)

A Statement of Facts by Eisuke Matsui, Director, Gifu Environmental and Medical Institute (28 October 2011)

The Court Judgment (16 December 2011)

Click to read, with links
on Fukushima, Okinawa,
Homelessness, N. Korea
and more...


飯舘村の酪農家 長谷川健一さんの告発

2012年2月22日付け日刊ゲンダイ



ブログ『ネタりか:今日と明日をつなぐネタのかけ橋からの転載


飯舘村のアキれた実情 酪農家はミタ 放射線量改ざん

2012/2/24 10:00

「飯舘村は原子力ムラのコントロール下に置かれている」――。福島原発事故で高濃度の放射能汚染に見舞われた飯舘村の酪農家、長谷川健一氏(58)が「原発に『ふるさと』を奪われて」(宝島社)を出版。20日、都内で会見を開いた。著書は原発事故直後から現在に至るまでの村の日々をつづったルポだが、驚くのは村民の被曝の影響を無視し、今も汚染の実態をヒタ隠しにし続ける村や国の対応である。

「強制的に下げられた放射線量の数値が全国に公表されている」――。20日の会見で、長谷川氏は、仰天の「放射線量改ざん」疑惑を暴露した。
「昨年11月末ごろ、国の除染モデル事業を請け負った大成建設の作業員とみられる10人ほどが、村のモニタリングポストを高圧洗浄機で洗い、土台の土をソックリ入れ替える作業を行っていた。その様子を複数の村民が目撃していたのです」
文科省が20日夜に公表した飯舘村の放射線量は、毎時0.755マイクロシーベルト。長谷川氏によると、村内に設置された別のモニタリングポストだと、最近も平均毎時3マイクロシーベルトだ。
国は「改ざん」数値を根拠に「飯舘村の線量は下がった」と喧伝したいのだろう。フザけた話だ。
長谷川氏は、国の主導で進む除染事業の効果にも疑問を投げ掛ける。飯舘村の75%は山林だ。しかし、除染の実施範囲は農地や住宅地ばかり。
「どんなに除染しても、山から(放射性物質が)浮遊してくれば意味がない。彼ら(請負業者)にとって、除染はビジネス。線量が下がろうが、下がらなかろうが関係ないのです」

そもそも、飯舘村の放射能汚染への対応は最初からデタラメだった。
長谷川氏の著書によると、3号機が爆発した昨年3月14日当時、役場にあった線量計は「毎時40マイクロシーベルト超」を計測した。平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余りで超える危険水域だ。驚く長谷川氏に、村職員は「この数字、公表しねえでくれよ。(菅野典雄)村長から『絶対人に言うな』と止められている」と“口止め”した。
京大原子炉実験所の今中哲二助教が3月下旬に村内各地で計測した放射線量を菅野村長に伝えた際も「とにかくこのデータは公表しないでほしい」といった問答が、しばらく続いたという。
村にはその後、山下俊一長崎大教授(当時)ら放射線専門家が入れ代わり立ち代わり訪れ、「安全だ」「大丈夫だ」と吹聴し、やがて〈放射能をことさら危険視するほうがおかしいという雰囲気さえ漂い始めた〉。
長谷川氏は、村の復興計画会議の委員に原発推進派の識者が含まれたことを挙げて〈すでに飯舘村は原子力ムラの御用学者たちに牛耳られている〉と強調。20日の会見では、菅野村長を操る黒幕の存在についてこう言及した。
「実は今、菅野村長の行くところすべてに付いて回っている経産省の官僚がいるのです。村役場でも、常に村長のそばにいる。そして、マスコミの取材の際もその彼が出張ってきて、あれこれと指示を出しているんですね。今では彼がマスコミ取材対応の窓口となって取材をさばくようになった」
これでは、村長が村民無視で経産省の操り人形になっていても不思議はない。やっぱり国の放射能対策を信じてはダメだ。

(日刊ゲンダイ2012年2月21日掲載)
2012/2/24 10:00 更新




【amazon.co.jp】からの転載


原発に「ふるさと」を奪われて~福島県飯舘村・酪農家の叫び 
長谷川 健一  


  • 単行本: 220ページ
  • 出版社: 宝島社 (2012/2/20)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 4796688757
  • ISBN-13: 978-4796688758
  • 発売日: 2012/2/20
  • 商品の寸法: 19.2 x 13.1 x 2.1 cm


内容紹介
飯舘村で福島原発事故に巻き込まれた酪農家・長谷川健一さん(福島県酪農業協同組合理事・飯館村前田地区区長)の手記です。長谷川さんは現在、各地で開かれている脱原発の集会で講演をして回っています。事故直後、原発周辺では何が起こっていたのか? 国や行政は周辺住民にどれだけの嘘をついてきたのか? 牛を失い、仕事を失い、家族が離散し、そして「ふるさと」を奪われる。長谷川さんの体験は、涙なくして語れません。

  内容(「BOOK」データベースより)

子どもや孫を被曝させた苦しみ、家族同然の牛との別れ、酪農仲間の自死。除染したって村にはもう戻れない―。放射能事故の被害者にしか語れない、3・11後の壮絶な葛藤、人間ドラマ。
最も参考になったカスタマーレビュー
4 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 原発被害とふるさと崩壊という「不条理」と、人はいかに戦うか2012/2/23
By 
閑居人 (福島県) - レビューをすべて見る
(トップ500レビュアー)   
レビュー対象商品: 原発に「ふるさと」を奪われて~福島県飯舘村・酪農家の叫び (単行本)
阿武隈山地の高原にある飯舘村は、小高い山々に囲まれた水田の稲穂が風になびき、牛が草地に寝そべる美しい村だった。三世代同居の多い家は、門構えも立派で、道路のわきの草地も整然と刈られていて、清潔な村をつくっていた。
著者は、飯舘村前田地区の区長であり、村長の菅野典雄とはともに酪農農家として農業経営に励み、菅野村長の選挙にあたっては「出納責任者」を務めるなど、いわば「刎頸の友」として村作りに努力してきた。
しかし、著者は、今、「美しい村に放射能が降った」(菅野典雄ワニブックス)に書かれたような菅野村長の「二年で帰る」復興案に反対する。著者にとっては、昨年3月11日の大震災に続いて起きた「福島原発被害・放射能汚染」の実態を隠し立てや誤魔化しなしに捉え、問題に直面化していくことによって見えてくるものを、しっかり把捉することの方が重要なのだ。
菅野村長は、遅きに失した「スピーディ」の公表をあげつらうよりも、むしろ経産省と一緒に村の振興に必要な「実利」を確保し、それを早期の「飯舘村帰還」に役立てようとしているように見える。十数年前、選挙に出るために全ての乳牛を処分してしまった村長には、もはや酪農家や農家の生活感覚は薄れているかも知れない。
しかし、著者は、酪農家・農家の立場に立って、牛やイノシシ牧場の処分、汚染された農地や山林をどうするか、前田地区を始め飯舘村の人々と議論して役場や農林水産省・経産省の役人に掛け合わなければならない。
南相馬(原町)市から放射線を逃れて難民が押し寄せた直後、3月14日の時点で、役場職員の一人がガイガーカウンターの異常に気がついていた。40μシーベルトを超える線量を示していたのである。後に、菅野村長は否定しているが、役場職員は「村長から箝口令がしかれている」と著者に言う。著者は、「隠すことなどできない」と言って、翌日、前田地区の公民館で雨の中を集まった住民に、飯舘村が放射能に汚染されている状況を説明する。しかし、その日、放射線量は100μシーベルトを超えていた・・・。
著者は、問題に正直に直面化し、その中から、実現可能な最も良い対応策を考えていくプラグマティストであるように見える。口蹄疫被害を受けた宮崎の酪農家から賠償の実態を訊き、賠償請求資料を作成するなど現実的な行動力に優れているのはそのためだ。
読者は、突然、不条理な「ふるさと崩壊」に直面した人間の、しかし、諦めることのない努力に感動させられることだろう。飯舘村が、今後、どのようになるかは分からない。しかし、著者が決して戦うことをやめないことは信じていいように思えるのである。

Eisbergの日記からの転載
今日、ベルリンにて、ブント(ドイツ自然•環境連盟)、ドイツ放射線防護協会、ベルリン日独平和フォーラムという三つの団体が共同で「福島県の人びとによる報告」と題する講演会を行った。
参加者は120人ほど。日本人もたくさん来ていた。非常に濃い内容だったので、そのすべてをここに記したいところだが、ひとまずは講演者の一人、福島県飯館村前田区区長である長谷川健一氏のスピーチ内容を紹介したい。大変印象深く心を打つスピーチであった。録音機などは持参しなかったので必死にディクテーションした。そのため、100%長谷川氏の言葉通りではないことをあらかじめお断りした上で、内容をできるだけ忠実に書き留めたものを以下に転載する。
 私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。私の住む飯館村プルトニウムが降ったのです。放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。
 事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ」
 しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。翌朝、3月15日の朝、6時半に地区の人が続々と集まって来ました。そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。私は、地区の住民に言いました。「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。そのとき、北西の風が吹いていました。飯館村原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。
 私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。しかし、それはかないませんでした。避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。ですから、一部の人しか避難しませんでした。
 これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。44.7マイクロシーベルト/時と書いてあります。ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。
 そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。しかし、その少し後に、今度は別の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。
 そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。その後、村は計画避難区域に指定されましたが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」と突然言われ、村民は怒りました。 

私は酪農家です。この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。毎日、牛乳を捨てました。村が避難の対象となったとき、牛は連れて行ってはいけないと言われました。私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言いながら追いかけました。そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。彼はそれが悲しくて泣いているのです。飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。

 そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。「原発さえなければ」と書いてあります。「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。
 これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。27,62マイクロシーベルト/時と出ています。現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。
 私は、国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。ところが、事故が起こって、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。
 今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。そんなことは絶対に阻止しなければなりません。これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。

飯舘村公式HPより

凍み大根づくりは飯舘村の冬の風物詩です


2012年2月23日木曜日

毎日新聞福島版『疎開の現在 '12 冬・山形』シリーズ

2月23日『疎開の現在'12山形 ▶ 1』


2月25日 『疎開の現在'12山形 ▶ 2 

Twipic


2月28日 『疎開の現在'12山形 ▶3』


Twitpic