2012年9月28日金曜日

急告! #ふくしま集団疎開裁判 アクション in 郡山 9.30講演会 10.1仙台行き弾丸バス


講演会『ふくしまの子どもを守れ!』
一疎開裁判がふくしまの子どもを守るー
日時 2012930日(日)18002100
会場 JR郡山駅西口 郡山ビッグアイ7F市民プラザ大集会室
1.演題 「子どもたちを内部被ばくから守ろう!」
講師 琉球大学名誉教授 矢ヶ崎克馬氏
1943年生。1982年理学博士。2003年より「原爆症認定集団訴訟」で内部被爆の証言。2011325日~31日福島市を初めとする8自治体の放射線測定を実施。チェルノブイリに酷似する環境に警鐘をならす。ふくしまの子どもたちの被曝による健康被害の危険を、疎開裁判で一貫して訴え続けてこられた。
2.演題 「子どもたちの甲状腺異常について」
  講師 深川市立総合病院内科部長 松崎道幸氏
 1950年生。1975年北大医学部卒。198410月より現職。「意見書」(今、福島のこども達に何か起きているか?)は、本裁判の科学的根拠に。世界で話題になっている(フクシマ・ヴォイス)、ふくしまの子どもたちに明らかとなった甲状腺異常について、科学的分析に基づいて警鐘を鳴らした。

ふくしま集団疎開裁判
101仙台アクション
仙台アクション・アピール
ふくしま集団疎開裁判とはふくしまの子どもたちが、郡山市に対し、放射能被害の不安のない地域で教育を受けられることを求めている裁判です。東京の文部科学省前や郡山で市民の運動が展開されていますが、ここ仙台・みやぎからも、ふくしまの子どもたちを支える活動を起こしてゆきましょう。実は、裁判は大詰め、裁判所に私たちの思いを伝えましょう!
10月1日()午後2時半から、仙台高裁で、仮処分事件としては異例の裁判(審尋)が開かれます。この日の裁判にあわせて、審理の行われている現地、仙台で、以下のアクションを起こすことにしました。疎開裁判を支持する大勢の市民がいることを示すとても大切な取組みです。是非、皆さんのご参加をお願いします。講演会を通じ、「いま、ふくしまの子どもたちが危ない」理由を、私たち市民が受け止めてゆかなくてはならないということを、一人でも多くの方が科学的に確信していただくことを願っています。
101日、郡山発・仙台アクション弾丸バス運行計画
0945 JR郡山駅西口バスロータリー西側一時停車スペース 集合
10
00 発車
↓   郡山IC ~ 東北道 ~ 仙台宮城IC
11
50 仙台市勾当台公園、到着
1200 仙台アクション集会 勾当台公園・野外音楽ステージ
13
30 デモ行進 勾当台公園 ~ 一番町 ~ 肴町公園
14
30 仙台高裁・審尋(法廷)
15
00 メディアテイク・シアターホール
    交流会と裁判報告会
18
30 矢ケ崎克馬、松崎道幸氏講演会
2030 バス到着
20
45 バス発車
↓   仙台宮城IC ~ 東北道 ~ 郡山IC
22
30 JR郡山駅西口到着
    福島市方面の方は福島ICで乗降車できます。詳しくは「子ども福島ネット」佐藤幸子さんにお問い合わせください。



2012年9月25日火曜日

ETV特集 シリーズ「チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告」

第1回 ベラルーシの苦悩


チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告① 投稿者 tvpickup

第2回 ウクライナは訴える


チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告投稿者 gomizeromirai

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被曝問題に関連する記事・情報リンク集

2012年9月24日月曜日

黒田節子「福島に生きる」(新刊書『福島と生きる』から)


【本稿出典】
新刊書『
福島と生きる――国際NGOと市民運動の新たな挑戦』新評論
 
2012924日刊、2625円、四六判上製、276  
amazon.co
福島の内と外で、葛藤も、軋轢も、矛盾も抱え込みながら「総被曝時代」の挑戦を受けて立とうとしている人々の渾身の記録
[編者]
藤岡美恵子(ふじおか・みえこ)
国際人権NGO反差別国際運動(IMADR)を経て、現在、法政大学大学院非常勤講師、〈NGOと社会〉の会代表。
中野憲志(なかの・けんじ)
先住民族・第四世界研究。首都圏で最高値の放射線量を示した「ホットスポット」近隣住民として本書の編集を決意する。
[執筆者]
猪瀬浩平(明治学院大学教員) 黒田節子(原発いらない福島の女たち) 小松豊明(シャプラニール=市民による海外協力の会) 菅野正寿(福島県有機農業ネットワーク) 竹内俊之(国際協力NGOセンター[JANIC]) 谷山博史・谷山由子(日本国際ボランティアセンター[JVC]) 橋本俊彦(自然医学放射線防護情報室) 原田麻以NPO法人インフォメーションセンター) 満田夏花FoE Japan) 吉野裕之(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)
お問い合わせ       sales@shinhyoron.co.jp

[内容紹介]
311」から丸一年を迎えた日本社会をさして、「無関心の暗闇」が支配していると評した人がいた。その通りだと思った。「暗闇」は、ロンドン五輪の興奮を経て、本書が書店に並ぶ秋口頃には一段と深まっているにちがいない。私たちはそのことを十分に自覚している。それでもなお本書を世に問おうとするのは、東日本大震災と原子力大惨事に見舞われた複合惨事後の日本社会が〈福島〉に試されていると考えるからである。 本書は「無関心の暗闇」に抗いながら、福島から各地へ向かい活動する市民・農民運動家と、各地から福島へと向かう国際NGOや個人の活動の記録である。そこに映し出されているのは、福島の市民・農民運動と国際NGOが交差する、十字路の風景である。「十字路」は南相馬、いわき、渡利(福島市)、郡山、二本松、三春にある。本書で取り上げることができなかった会津地方にも、もちろんある。 本書の第I部「福島の声」に耳をすませていただきたい。読者は〈福島〉の現実についてまだまだ知らない、知らされていないことがたくさんあることに息をのみ、驚くことだろう。第II部の「福島と生きる」では、今回の複合惨事を通じて初めて日本での支援活動を行うことになった国際NGOの葛藤と苦闘の軌跡とともに、現場で得た貴重な教訓などが紹介されている。NGO関係者必読である。 福島と生きることが、ある種の覚悟を強いることを私たちは知っている。と同時に私たちは、〈福島〉と向き合い続け、福島とどう生きるかを真剣に考える以外に選択肢がないことも知っている。それが「複合惨事後」社会を生きる私たちが未来世代に負ってしまった責任なのだと考えている。 「無関心の暗闇」の中で、「十字路」は確実に日本各地、世界へと広がっている。(なかの・けんじ)

原発いらない福島の女たち
黒田節子
(くろだ・せつこ)福島県郡山市在住。パート労働者。人権・女性・農業・労働・そしてフクシマ原発問題に関わる。農業に長く従事し、また土いじりを始めたいと思っていた矢先に311が起きた。1970年前後の「若者の反乱の時代」の影響をそれなりに受けてきたが、いつの間にか「年長さん」になり、今回の福島をめぐっては若い人と一緒に運動をしていく中で戸惑いを感じつつ、新旧の出会い・再開もあり。被曝し続けている子どもたちを何とか避難させたい。山登りが好きだったが、地元の名峰、安達太良山もホットスポットに…。

福島に生きる
『 親愛なる皆さんへ:
最大・最良の行動は、今、原発からなるべく離れることだと思います。私たちは、緊急に会津に逃げます。友人も南へ、西へ逃げています。電話が不通です。メール可能が多い。間もなく移動します。PCはいつもひらくことはできなくなります。携帯アドは○○○です。共に生きましょう!道を開きましょう!』

こんなメールを日頃世話になっている方々誰彼となく送ったのは、昨年3月13日の朝8時過ぎ。大地震からおよそ40時間。その後の15日が最も高い放射線値を出しているから、福島第一原発では危機的な状況に刻々と陥り始めていた頃だ。高崎に避難先を変えて10日ほど。このときに群馬県でもホウレンソウとカキ菜に出荷規制が出て、有機農業で安全な土造りに汗流して頑張っている妹夫婦のショックは、見ているのも辛いものだった。いったい、なんでこのようなことに。
間に合わなかった、力及ばずだった、美しい故郷と子どもの未来を汚してしまった。福島にはたくさんの子どもがいる、赤ちゃんが産まれる。これは悪夢ではなく、切迫した現実そのものだ。私たちのやらなくちゃいけないことは目前にある。

これは、事故の1ヶ月後に書いている文章の冒頭だ。切迫したあの時を思い出しては、今でも胸に迫るものがある。しかし「私たちのやらなくちゃいけないこと」は、その時に思った以上に実に多岐に渡っていることが分かってきた。
県内でも新旧の様々なグループが精力的に(必死に、というべきか)活動を始めた。まず、私が関わっているグループを簡単に紹介してみたい。
脱原発福島ネットワーク」――チェルノブイリ事故後から活動を続けていて、今日の運動体の基礎になる部分を長い間担ってきたといえる。その努力に対して、昨年末、多田瑤子賞が贈られている。
ハイロアクション福島原発40年実行委員会」――福島原発40年を機に生まれたもの。世代交代を意識的にはかった「脱原発福島ネットワーク」リニューアル版といってもいいかもしれない。
子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」――震災後に発足。その名の通り、子どもたちを放射能から守るためにめざましい活動を展開中。
原発いらない福島の女たち」――震災の年の10月末、経済産業省前のテントに福島の女たちが大挙上京して三日間の座り込みをしたことからデヴュー。共生の視点・やり方を大切にして、座り込み、リレーハンスト、ダイイン、かんしょ踊り(「会津磐梯山」の古式の踊り)等、果敢なアクションを起こし続けている。
これら四つのグループに呼応して、さらにまた新しい動きも活発に生まれているところだ。もちろん、全国のたくさんの心ある人たちの熱い支援がなければ、一日たりと現在の運動の展開はないことはいうまでもない。
 さて、そのような多岐に渡る動きがある中で、私からは特に三つの動き、福島集団疎開裁判(⇒世界市民法廷)や福島原発告訴のこと、それから「原発いらない福島の女たち」の運動について報告し、福島に生きる私たちの課題として、これからどのような方向性を求めるのか考えていきたいと思う。

2011年6月、郡山市の小中学生14人が市を相手に、年1ミリシーベルト以下の環境で教育を実施することを求めて、仮処分を申し立てた。14人が通う7つの学校では、3月12日~8月31日までの地上1mの放射線量の積算値はなんと7.8~17.2ミリシーベルトにも達する値を記録している。この現実を放置できるはずがない。
賠償金ではなく、単に「安全な場所での教育」を求めての裁判だった。ガンや白血病などの健康障害が発生してからではお金で償うことはできない。審理は異例の延長となった。審理終了の直前に文科省がセシウムの土壌汚染のデータ公表し、初めてチェルノブイリ事故との具体的な対比が可能となったことも、延長の大きな要因になったと考えられる。
矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授は意見書で、チェルノブイリ事故当時のセシウムの汚染度が郡山市と同程度であったウクライナ・ルギヌイ地区の事例を取り上げ、「チェルノブイリ事故以後、この地区では異常な健康障害が発生したが、郡山の子どもたちをこのままにしておくと今後同様の事態が予測される」と指摘。14人の申立人が通う学校周辺の測定地点を観察したところ、すべての学校がチェルノブイリの基準では住民を強制移住させた「移住義務」地域に該当していることが分かった。
しかし、郡山市は次のように言うだけだった。①その後、順調に学校での放射線量は下がってきた。②転校の自由がある。危険だと思えば転校すればよい。③郡山市は子どもの学校滞在時間以外は、関知しない。④安全な環境で教育を受ける権利、これを侵害しているのは東電であって、市ではない。⑤可能な限りの努力を尽くしている。だから、子どもたちの安全な環境で教育を受ける権利を侵害していない、と。
12月16日、「棄却」の決定。即座に当日夜、郡山で記者会見が開かれた。「これは人権宣言の正反対とも言うべき、人権“放棄”の宣言です」(柳原弁護士)。1227日、仙台高裁に即時抗告申立てがなされた。以後、舞台は仙台に移されることになる。今後は宮城・女川原発を抱える仙台市民と福島県民との、新たな交流が始まるだろう。
今、集団疎開裁判は「世界市民法廷」にも引き継がれている。世界市民法廷とは、ベトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を告発するために1967年に開かれた「ラッセル法廷」(ベトナム戦犯国際法廷)を起源とするもので、今回は当時の推進者の一人でもあるノーム・チョムスキーなど世界中の良心的知識人、平和運動家らの支援も得ながら、東京では2012年2月26日、郡山では同年3月17日に「開閉廷」された。東京200人以上、郡山100人以上と、満席の参加があり、会場は熱気に包まれた。当然ながら「原告勝訴」(申立容認)の意思表示のカードで会場は埋めつくされた。

 福島原発の事故によって被害を受けた人々が東電と国の原子力委員会、原子力安全委員会、経済産業省原子力安全・保安院などの責任者を刑事告訴する――この目的のもとに2012年の3月、福島原発告訴団が結成された。広く告訴人を募り、集団で告訴し、重要なポストにいる責任者には、個人的としてもしっかりと責任をとってもらいましょうというものだ。これだけの大惨事を引き起こしながら、総無責任体制がしかれていることに改めて怒りを感じる。この怒りを1324人の告訴団という形にし、福島地検に告訴状を持っていった。これは目標の1000人を大幅に超える数だ。告訴団は弁護団等を講師に迎え、刑事告訴のための勉強会を福島県内各地10カ所以上で開催、いずれも満員の参加者を得た。避難者が多い新潟県、山形県、北海道でも開催されている。七月現在、全国8カ所を拠点に県外事務局を設置中で、第二次告訴分として8月半ばから正式に全国からの告訴団参加を受け付ける。告訴人を1万人規模にしていく計画で、告訴状は11月半ばに提出予定だ。県内は引き続き募集をする。

事故が起きてしまった今、その責任の所在をはっきりさせ、謝罪と補償を求めていくことは脱原発の重要な闘いの一つである。震災後、日本を訪れたドイツの国会議員に、「ドイツではなぜ福島の事故後早々に脱原発宣言が可能だったのか」と尋ねてみた。彼女はその答えの一つにチェルノブイリの経験を挙げた。確かにヨーロッパは地続きで、ドイツも被曝国の一つであったのだ。もう一つとして彼女は、ドイツ市民によるその後の長い運動の歴史を挙げた。「ローマ」同様、「ドイツは一日にして成らず」ということだったと思う。彼女は自らを脱原発二世と呼んだ。反原発・脱原発の運動は親の世代から引き継がれ、以来「千ほどの」裁判・訴訟が起こされてきたという。「千」とは象徴的な言い方だったにしろ、なるほど、そういう運動の積み重ねの歴史がドイツには確かにある。
福島原発事故一周年では、郡山市の開成山球場に全国から1万6000人もの人々が集まった(「原発いらない!3・11福島県民大集会」後述)。それまで私たち市民派が地元郡山で行った2回の「原発いらない」デモは、500人規模のものが精一杯だったので、これはすごいことだった。もっとも、郡山で初めてのこの大集会が当然の流れと捉えつつも、ドイツと比べればまだまだ桁が一つ足りない。きっとこれぐらいの規模なら、これからは何回でも必要になるのだろう。
自然界に放出されてしまった途方もない量の放射能との闘いは、私たちが生きている間には解決しきれるものではまったくない。この現実から目をそらすわけにはいかない。今私たちが懸命にやっていることは、後に続く人たちへのほんのささやかな「種まき」に過ぎないだろう。
詩を一つ引用して紹介したい。                                        

「あとからくる者のために」(坂村真民「詩集・詩国」より)
あとからくる者のために
苦労をするのだ
我慢をするのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ
あとからくる者のために
しんみんよお前は
詩を書いておくのだ
あとからくる者のために
愛媛県砥部町サイトより
山を川を海を
きれいにしておくのだ
ああ後からくる者のために
みんなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みな夫々自分でできる何かをしてゆくのだ

(坂村真民『詩集 詩国』第1集、大東出版社、1997より)
*坂村真民(さかむら しんみん)19062006、熊本県出身の仏教詩人。伊予の僧侶、一遍上人の生き方に共感。1934年に朝鮮半島に渡り、46年愛媛県に引き上げ国語教師となる。62年、自作の月刊詩誌『詩国』を創刊。随筆集『詩集 念ずれば花ひらく』(柏樹社、1979)ほか。
3日間の座り込み「エンディング集会」2011年10月29日
(東京・日比谷公園かもめ広場、撮影:池脇聖考)
「原発いらない福島の女たち」のアクションとこれから
 福島の人はおとなしい。もっと怒ってもいいのに。そんな声がどことなく聞こえていた。私たちが怒っていないハズはないし、それどころか、悲しさと悔しさに日々気持ちがかき乱されている。いい加減な「風評」に抗すべく、何かやってみたい、それも目に見える形で――すでに原発事故から数カ月後にはそういう思いが高まっていた。
 「やっぱ、ハンスト?」「それもいいけど、多くの人が参加できるようなもんがいいんじゃない」「場所は、県庁前か東京か」「どうせなら国会前だよね」――女たちの会話は乗りも軽やか。トントン拍子にコトは決まっていった。2011年10月末の「経産省前座り込み」のわずか1カ月前のことである。その輪は日毎に膨らみ続け、県内女性100人の目標は優に超えていった。準備段階における実働スタッフは10人足らず。どんな組織に頼るわけでもなく、一人ひとりが得意分野を最大限に活かしながら、アクション直前には睡眠時間を削って奔走し、メールを打ち続けた。
     アクション――経産省への申し入れ・女性代議士全員へ面会申し入れ・首相官邸内で内閣補佐官との面談
・デモ行進・手編みチェーンを持って経産省を囲む人間の鎖・日比谷公園かもめ広場でのエンディング集会。
     座り込み延べ人数(10月27日~29日の3日間)――2371人(あの狭いテント前広場周辺の人、人、人の群れの中で、お金を払い受付をキチンとしてくれた人の数)
     29日(土)のデモ参加者――約1300人。
     同期間中、大阪・広島・富山・北海道・和歌山・ロス-アンジェルス・ニューヨークでも、「福島の女たち」に連帯する座り込みアクションがあった。
10月のこの「座り込み」で一躍有名になってしまった「福島の女たち」は、その後も立て続けにアクションを起こしてきた。「東電御用納めアクション」ではバスを貸し切って原発即時廃止と補償を求めて東電交渉に臨むとともに、「放射能は爆弾より怖い」と福島の私たちを励ましてくれた平和運動家の益永スミコさん(1923~)にもお越しいただき、「益永スミコさんを囲む集い」を開催。年が明け、震災と原発事故の一周年を期して行われた「原発いらない!3・11福島県民大集会」(同実行委員会)のプレ・イベント的な位置にあった「原発いらない地球(いのち)のつどい」では、たくさんの企画や分科会を大成功裏のうちに収めた。この「原発いらない!3・11福島県民大集会」というタイトルは、当初案では「原発いらない!」の文言はなく、まったく「復興」調そのものだったので、わたしたちが実行委員会事務局に「脱原発」の主張が明確に分かる文言を加えるよう強く迫り、実現させたものである。この文言がなかったなら、一体何のために、全国から大勢の人たちが福島に集まってくれるのか、まったく分からない集会になっていただろう。
その後、福井・大飯原発再稼働ストップを掲げて2012年3月25日から開始された若狭の住職、中嶌哲演さんのハンストに強く共感し、私たち「福島の女たち」もそこにつながる形で、3月30日からのリレーハンスト(全国に呼びかけて実施)へ進展していった。このハンストは国内50基の原発中、唯一稼働していた北海道・泊原発が定期検査で止まる5月5日まで続けられ(延べ参加人数約200人)、経産省前においては「女テント」に呼応して、「男テント」でも開始された。また、ニューヨークやイタリアなど海外でも行われ、5月5日の子どもの日以降、日本は「誰も犠牲にすることのないエネルギー」だけで動くことになった。
6月、毎週金曜日ごとに行われてきた首相官邸前での「再稼働反対」デモへの参加者は徐々にふくれ上がり、同月29日には20万人もの人々が官邸周辺を埋め尽くした。これを「紫陽花革命」と誰かが命名している。このとき野田首相は「大きな音だね」と、うそぶいたそうな。大多数の民意も官邸には届かず、7月1日21時、大飯原発では予定通りに、制御棒を引きぬく作業が開始されてしまった。
けれでも、紫陽花は根が強い花である。切花でどんどん増殖する紫陽花は、霞が関から確実に全国へと拡がり開花していくだろう。20万人の再稼働反対コールに、私たちは再稼働で落ち込むより、むしろたくさんの新たな元気をもらって福島に帰ってきた。これからだ。
「東電御用納めアクション」20111228日、東電本社ビル前
(『
POCO2120123月号取材時に撮影)
ともかくも、女たちの嵐のような1年半が過ぎていった。「福島の女たち」の名はアクション名であって、いわゆる組織名ではない。代表を置かず、どのような会則・会費もない。あるのは信頼関係とそれぞれの個性を生かした参加の仕方のみ。…このように言えば聞こえが良すぎるかもしれないが、近頃、女たちも既存の多様なグループから無縁ではなく、それぞれの背景、個人史を持って運動に参加していることを意識せざるを得なくなっている。これまで忙しすぎて見えなかったところだが、それは当然といえば当然のことだ。女たちは世界と歴史との中に自分たちの位置を自覚していけるか、分断されないでやっていけるか、男たちの内ゲバの歴史(70年安保闘争が高揚する中で、考え方を異にする党派同士が暴力で他者を排除した労働運動、学生運動の負の側面)にNO!をハッキリと突きつけることができるか、大事な2年目に入る。
科学は言う、多様性こそが自然界の力強さだと。人間界も同じではないだろうか。多様性とはつまり、違いを認め合うこと。経験が多いとはいえない「福島の女たち」にその力量が生まれるかどうか、試されるのはこれからだろう。
女たちの中にも体の不調を訴える人たち出てきている。これは見過ごせない。自分たちも保養を意識的に取らないといけないことに気づき始めている昨今だ。これから永い闘いになる。

最後に
2011年の夏はこれまで以上に広島・長崎を思った夏だった。広島で被爆しながら生き延びた人たちが、「原子力の平和利用」という言葉にだまされ続けたことを反省し、今、福島のことを心配してくださっている――そのことを知ったからだ。胸がつまる。広島と福島の今日的な視点からの共通項は何か? それは国策による「情報操作」にあるのではないだろうか。福島ではSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)が地震直後から稼働していたにもかかわらず、1カ月以上も公開されずに住民たちを無用に被曝させた。あれはブラックジョーク? 広島・長崎でも、最も必要なときに命にかかわる情報が公表されず、避難先でさらにたくさん被曝を強いられ亡くなった人たちがいる。自らも長崎で被曝していることを売りにして福島の大学に居座り、「安全・安心」と言い放っている御用学者の一群がいる。
個人的なことをいえば、娘と孫を郡山に呼ぶことはできなくなった。あの日から突然使われることのなくなった玩具や縫いぐるみが目に入る度に、悲しみが襲う。ザワザワとした毎日だ。「街では人々が買い物をしている。犬が散歩している。しかし、検知器で測ってみれば、人々が“見えない蛇”に咬まれ続けていることが分かる」。これは、講演で福島県入りしたクリス・バズビーさん(欧州放射線リスク委員会[ECRR]科学事務局長)の表現だ。
国が線引した補償額による重層的な地域の分断。放射線量の差はそのまま軒下を分け、親類縁者や隣近所の共同性を絶ち切ってしまった。すでに避難生活で親子が離ればなれになってしまったのに、またしてもだ。これらの地域の伝統的な共同体は、もうけっして元通りには再生できないだろう。フクシマの悲しみはここにもある。
稲ワラからの汚染牛肉に始まり、今ではがれき問題が全国を駆け巡るように、もはや私たちは総被曝時代を生きざるを得なくなっていることがいよいよ見えてきた。これからますます自覚的な市民による強力なネットワークが必要になってくる。あらゆる垣根を越えた、グローバルで弾力性のある市民運動が求められている。すべての原発の再稼働を押さえこみ、10年後ではなく「今すぐに」、原発を止めなくてはと思う。今なお原発をアジアに売り込もうとしている国策には、頭の回線がぶち切れるほどの怒りを感じる。
福島の悲劇が、そして私たちの叫びと行動が、世界の原発を止める大きな第一歩になること。そこにこそ、私たちの切実な望みと、福島に生きる意味があるのだと信じたい。
花は暗闇で育つ。「私は信じる」と、ソローも記した。「森を、草原を、トウモロコシが育つ夜の闇を」
(レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望――非暴力からはじまる新しい時代』
井上利男訳、七つ森書館2005210頁)
*ヘンリー・デイヴィッド・ソロー 181762、アメリカの詩人・博物学者。マサチューセッツ州にあるウォールデン湖の湖畔で2年にわたる自給自足の生活を送り、その経験をまとめた『ウォールデン 森の生活』(今泉吉晴訳、小学館2004ほか)はアメリカの文学の古典として広く知られている。
©2012 Setsuko Kuroda
筆者、経産省前女テント内で 20122

2012年9月22日土曜日

メッセージ「植物のセックスの覗き見で教えられたこと」


#ふくしま集団疎開裁判 #東京アクション
2012
921日(金)連続抗議集会メッセージ
「ふくしま集団疎開裁判の会」会員
筑波大学元教授・茨城県土浦市在住
生井兵治(なまい・ひょうじ
植物の性(セックス)の覗き見で教えられたこと
 お集まりの皆さん。どうもご苦労様です。
 私は、二〇〇一年三月まで40年間以上、植物の遺伝学や生態学や生殖学――平たくいえば、植物のエッチ(H)の総合的研究――をつづけたH爺さんです。
この間、植物たちの性(セックス)の覗き見をさせてもらいながら、たくさんのことを教えられました。
その第一は、植物たちのH行動がとても積極的で動的で、環境の影響を強く受けながら、多様に変動するということです。大地に根を張り移動できない植物たちのセックスの在り様(ありよう)は、どうにかして子孫(種子=たね)を残そうと、「所変われば品代わる」の諺(ことわざ)以上に、その場の様子次第で多様に変動します。
一例を示せば、生育環境があまり良くないダイコンの花の雌しべに、この花の花粉とキャベツの花粉を混ぜて受粉すると、花粉の混ざり具合次第で、ダイコンとキャベツの雑種種子が混ざって得られます。自然界には、ダイコンとキャベツの雑種植物はありませんが……。
しかし、ハクサイのご先祖とキャベツのご先祖の雑種・セイヨウナタネがあります。かつて、地中海の西岸で、比喩的にいえば、ハクサイとキャベツのご先祖たちの道ならぬ恋により雑種が自然にできました。きっと、ダイコンとキャベツの混ぜこぜ花粉の受粉実験と同じことが、地中海の西岸で昔起ったのでしょう。
植物たちが教えてくれたこのように動的な変動性は、学校教育が教える機械論的な生命観――遺伝子組換え(GM)技術を頂点とするバイテクの基礎――が、根本的に間違っていることを如実に示しています。私はこのことを、「あご・ほっぺ理論」と名付けて理論化しました。
現在、カナダから大量に輸入される遺伝子組換え(GM)カノーラは、ハクサイとキャベツのご先祖たちの道ならぬ恋の結果生まれたセイヨウナタネの末裔(まつえい)です。ただし、ただの末裔ではなく、機械論的なGM技術で無理やり改変されたGM植物ですから、問題です。
詳細は、時間が無くて語れませんが……。
さて、私は植物のHの研究をしながら、生命(生き物)の進化とヒトの在り方を、ずっと学び考えてきました。
一九六〇~七〇年代、植物遺伝学の世界では、どんなに低線量の放射線でも外部被曝の線量に応じて突然変異を起こすことは明らかでした。また、植物が気孔(空気の出し入れの孔で、葉っぱに多い)から空気と一緒に取り込む放射性物質による低線量の内部被曝でも、被曝線量に応じて突然変異が起きることも明らかでした。国内外のムラサキツユクサ等の研究論文によってです。
低線量被曝による突然変異や後代への遺伝的影響は、植物では早くから周知の事実でした。
放射線被曝の障害発現の様子も固定的ではなく、状況次第で容易に変動します。しかも、植物で見られる現象は、ヒトを含む動物でも見られます。生命の「からくり」は、微生物でも植物でも動物でも基本は同じで、分裂の盛んな細胞ほど放射線障害を受けやすいからです。
だから、三・一一以後、35%もの子どもたちの甲状腺に大きなしこりやのう胞が見つかっても、「チェルノブイリ原発事故では4、5年後に現れた」と平然と述べる福島県当局(山下俊一福島県立医大副学長を含む)は、誤った機械論に立ち、子どもたちの命を動的に見ません。万一、チェルノブイリでは発症が4、5年後だったとしても、福島も同じとは限りません。もっといえば、三・一一以前の山下氏は、チェルノブイリ原発事故で早期に甲状腺障害が出ることを正式に発表していたのです。
ふくしま集団疎開裁判に思を馳せ、チェルノブイリ原発事故と対比すれば、強制移住地域相当の郡山市の子どもたちを、意図的ともいえる行政の無為無策により、高線量の市内に留め置くことを、私は断じて許せません。
皆さん。ご一緒に仙台高裁と野田首相に強く働きかけましょう。もう、許せないノダ。
【リンク】
生井兵治 (POKOJICHAN) on Twitter
生態学・進化学・遺伝学・育種学が身に染みた爺さん。3.11で先鋭化した国の「大本営発表」体質と関連学会等々の「大政翼賛」体質に怒り。放射能関係の共著2種。日本科学者会議編『放射能からいのちとくらしを守る』(2012年5月、本の泉社)。歴教協編『中・高生と学ぶ 福島原発事故と放射能Q&A』(2012年6月、平和文化)。


2012年9月17日月曜日

【海外ニュース】IAEA、福島事故後の原子力を擁護/UPI





Energy Resources
IAEA defends nuclear energy post-Fukushima
エネルギー資源
IAEA
、福島事故後の原子力を擁護

2012917

ウイーン、917日【UPI】 IAEA(国際原子力機関)の天野之弥(あまのゆきや)事務局長は、核技術をエネルギー生産のために用いることは依然として最も平和的な活用法であるとウイーンで語った。
日本の福島第一原子力発電所のメルトダウン事故から1年以上経過して、天野は原子力の安全性を売りこんだ。
日本は、最後まで稼働していた原子炉を5月に点検整備のために停止し、40年以上にわたって初めて原子力なしで過ごすことになった。6月になって、野田佳彦首相が全国規模の抗議を押し切って大飯原発の再稼働を認可した。
(ふくしま原発)事故から18か月たって天野は、ウイーンで開催されている国際原子力機関の定例会で、原子力は多くの国ぐににとって今でも重要な選択肢であることが明白であると語った。
「われわれの最新の予測によれば、今後20年間で世界の原子力発電所の数は着実に増える」
原子力の伸びの大半はアジア諸国で達成されるだろうと、天野はいう。さらに、福島災害で学ばれる教訓は原子力政策を前進させるだろうと付け加えた。
「われわれが福島第一で学んだ最も重要な教訓は、原子力の安全性になお一層熱心に注目する必要があるということだ」と天野は語った。
ウクライナのチェルノブイリ原発で1989年に起こったメルトダウン以後で最悪の核災害をこうむった原発周辺では11マイルの立入禁止区域が設定されている。

2012年9月16日日曜日

緊急書名のお願い! #ふくしま集団疎開裁判


2012914日金曜日
子どもたちを福島原発事故による被ばくから守るため、
集団疎開の即時実現を求める署名のお願い
(※)署名用紙こちら ネット署名こちら 
(注記:申し訳ありません、現在のところ携帯からネット署名できません。お手数ですが、パソコンからお願いします
趣 旨
 本年9月11日、福島県の子どもの甲状腺検査で3万8千人の中から初めて1人が甲状腺ガンと診断されました。通常なら子どもの甲状腺ガンは百万人に1人と言われています(山下俊一「放射線の光と影」(2009)536頁1~2行目)。また、今回発表の4万2千人のうち43%もの子どもに「のう胞」が見つかりました。これは、福島県放射線健康リスク管理アドバイザー山下俊一氏が、2000年に長崎の子どもを検査した結果(0.8%にのう胞)や、事故から510年後のチェルノブイリの子どもを検査した結果(0.5%にのう胞)と比較しても、途方もなく高い数字です。明らかに福島の子どもたちに異変が発生しています。このままいくと、福島は健康な子供が2割しかいないという今日のベラルーシやウクライナのようになってしまいます。これは政策問題ではありません。危機に瀕している命を救うのか見殺しにするのかという人権の根本問題です。政府は,「命こそ宝」という政治の原点に立ち帰り、チェルノブイリの教訓から学んで、今すぐ、福島の子どもたちを安全な地域に逃がすべきです。
要求事項
子どもたちを空間放射線量が年間1ミリシーベルト以下の環境で教育を実施することを求めます。
仙台高等裁判所  佐藤陽一裁判長 鈴木陽一裁判官、小川直人裁判官 殿
日本国総理大臣  野田 佳彦 殿
呼びかけ人
ふくしま集団疎開裁判の原告の子どもたち
****************
いただいた署名は裁判所および首相への提出だけに用い、それ以外の用途に用いません。

【参照】
ブログ『きつねざるの落書き帳』

みなさんへ、協力要請!!人助けだと思って一つ二つ頼むわ~!! ☆その壱



2012年9月13日木曜日

被曝の国の福島県立医大訪問記 @yuima21c ツイート・ログ(12.09.13)









inoue toshio 子どもを守れ!
@yuima21c
フクシマ第一原発震災禍のもとにある街から、日々のつぶやきを発信します。#ふくしま集団疎開裁判 原子力発電_原爆の子 #Be_Sober_Now! #福島原発告訴団 
訳書:レベッカ・ソルニット『暗闇のなかの希望』七つ森書館 http://p.tl/DXRd
Kohriyama, Fukushima · http://besobernow-yuima.blogspot.com/
①福島県立医大、福島県を相手の交渉で、山下俊一副学長や佐藤雄平知事に会えるかもと誘われ、福島市まで出かけた。が、甘かった。簡単に会ってくれるはずはない。会えたのは、県立医大では放射能医学県民管理センター広報部門長の松井史郎特命教授、県庁では秘書課の役人3名だった。
②福島県立医大「放射能医学県民管理センター」…これは、すごい名称の機関だ。県民は、放射能医学のなんらかの目的で管理される対象なのか。そして松井史朗氏は、その広報部門長で特命教授…これも、すごい肩書きだ。医学者ではないようだが、どんな人物だろう。人当たりのよい紳士の風貌ではある。
③福島県立医大「放射能医学県民管理センター」広報部門長、松井史郎特命教授…広報畑のプロで、教授待遇…彼の正体が、電通マンであったとしても驚くことはないだろう。とにかく、今日の交渉相手はこの広報マンである。
④とにかく、わたしが一番聞きたかったのは、11日発表の「子どもの甲状腺検査結果」と「子どもの甲状腺癌」について http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/09/blog-post_12.html 新聞報道によれば、「福島医大は子どもを対象とする甲状腺検査について、二次検査の結果、1人の甲状腺がんが確認されたと報告」している
⑤子どもの甲状腺癌について、調査を担当する県民健康管理調査検討委員会の鈴木真一福島医大教授は、東京電力福島第一原発事故の影響を否定した。 検討委の座長を務める山下俊一福島医大副学長も検討委として同様の見解を示した http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/09/blog-post_12.html
⑥鈴木真一福島医大教授「内部被ばくのあったチェルノブイリ事故でさえ甲状腺がんは発生まで最短で4年。本県では広島や長崎のような高い外部被ばくも起きていない。事故後1年半しか経過していない本県では、放射線の影響とは考えられない」 http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/09/blog-post_12.html
⑦そこでわたしは、内閣府・原子力委員会サイトに2011524日付で掲載された http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/bunka5/siryo5/siryo42.htm 山下俊一氏の2000225日付論文「チェルノブイリ原発事故後の健康問題」にあるデータを示した http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/09/blog-post_12.html
2000年の山下氏論文によれば、1985年と86年のベラルーシ共和国ゴメリ州における小児甲状腺癌の登録数は各1件であり、事故翌年の87年には4件発症し、883件、895件と続いている http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2012/09/blog-post_12.html
⑩その後、チェルノブイリ事故4年目の1990年には15件、91年には47件と小児甲状腺癌の登録数が急増している。このデータを踏まえて、鈴木真一福島医大教授は「甲状腺がんは発生まで最短で4年」と発言したのだろうが、鈴木氏は87年から89年までの発症例を無視しており、この発言は虚偽
⑪この疑問に対して、広報部門長の松井史郎特命教授は新聞報道が正確ではなく、「あなたがたは報道に抗議しなければならない」と発言。わたしは「事実無根の報道であっても、信じるか信じないかはわれわれの勝手であり、抗議しなければならないのは、当事者のあなたがた福島県立医大である」と反論。
⑫その他、山下俊一、鈴木真一両氏連名の甲状腺学会ほか宛ての書簡についても質問。松井史郎特命教授は、この書簡が子どもたちのセカンド・オピニオンを求める権利を縛るものでないことを福島県立医大サイトに明示する処置を講ずることを約束した。が、われわれは前記書簡を訂正する文書の郵送を要求
⑬福島県庁の秘書課職員3名相手の交渉は、ことさら報告するほどの成果もなかった。鈴木真一教授発言の矛盾に関しても「学問上の総合的な判断」というのみで、なんらの進展もなかった。内部被曝にしても、半減期の短いヨウ素について問い詰めたかったが、発言者も多かったことで時間がなかった。
⑭教訓:市民として、節度も大切だし、紳士淑女であるのも素敵だ。だが、この非常時にあって、わたしたちは怒るべきときに、心底からの怒りを表明しなければならない。偽りのない感情を表出してこそ、わたしたちは人間の真実を見つけられるはずだ。真実がなければ、やさしさもない。
(番外)福島県立医大キャンパスの文科省モニタリングポストの数値は、0.827μSv/h。若い人たちがそぞろ歩いている。山下俊一氏が副学長でいる間は、除染できないだろうとの話し…なんともシュールな光景。ちなみに近隣に立地する福島大学も、医大に遠慮して除染しないそうである。

【追記】




高橋 準 @myriel_june
すいません、どこから福島大のお話はお聞きになりましたか? RT@yuima21c: ... 山下俊一氏が副学長でいる間は、除染できないだろうとの話しなんともシュールな光景。ちなみに近隣に立地する福島大学も、医大に遠慮して除染しないそうである。
inoue toshio 子どもを守れ! @yuima21c
今日の交渉行動の同行者から聞いた話であり、うわさの域を出ない未確認情報とお考えください @myriel_june すいません、どこから福島大のお話はお聞きになりましたか? RT @yuima21c: ... 山下俊一氏が副学長でいる間は、除染できないだろうとの話し
高橋 準 @myriel_june
そうですか。福島大では中央広場やグラウンドは高圧洗浄や表土除去をしました。RT @yuima21c: 今日の交渉行動の同行者から聞いた話であり、うわさの域を出ない未確認情報とお考えください @myriel_june すいません、どこから福島大のお話はお聞きになりましたか?
高橋 準 @myriel_june
このことは広くHP等でも公表されています。その方にも教えてあげて下さいね。RT @yuima21c: 今日の交渉行動の同行者から聞いた話であり、うわさの域を出ない未確認情報とお考えください
inoue toshio 子どもを守れ! @yuima21c
了解です。ご指摘、ありがとうございます @myriel_june このことは広くHP等でも公表されています。その方にも教えてあげて下さいね。RT@yuima21c: 今日の交渉行動の同行者から聞いた話であり、うわさの域を出ない未確認情報とお考えください
inoue toshio 子どもを守れ! @yuima21c 
【訂正とお詫び】先ほどのわたしのツイートで「福島大学も、医大に遠慮して除染しないそうです」とありましたが、福島大学は除染を実施し、その状況がHPに公表されているとのご指摘がありました。ここに訂正するとともに、謹んでお詫びします。 @myriel_june
福島大学・中央広場インターロッキング舗装面除染工事