フクシマ核メルトダウン~津波から4年、忘れられた町
核事故から4年、地域の大半はいまだに無人である
【福島発】デイヴィッド・マックネイル David Mcneill
2015年10月11日
ヤマウチ・コウヘイさん、トモコさん夫妻の自宅は、それを置き去りにすることを余儀なくさせた災害の印をほとんど残していない。2011年3月の凍える夜、9マイル(15キロ)北の福島第一原子力発電所がメルトダウン事態に陥り、ヤマウチさん夫妻は他の数千人とともに逃げた。
夫妻が戻ってきたとき、雑草が肩まで生い茂り、ガイガーカウンタで検出できるだけの目に見えない毒がすべてを覆いつくしていた。
その後、数か月におよぶ骨折り仕事の結果、雑草は姿を消し、放射能は巨額を要した政府の除染のおかげで安全なレベルまで下がった。かつて7,800人の住民が暮らしていた彼らの町には、新しい幼稚園、学校、それに元核避難民らがカウンセリングを受けられる福祉センターがある。
欠けているのは住民だけである。戻ってきた住民は200人に満たない。
松本幸英町長は町の再開を記念した式典で、5年近く前にはじまった悪夢は公式に終わったと宣言した。
「止まっていた時計の針が、いま再び動きはじめました」と、彼は述べた。
しかし、その時計を改めて動かすのは、高くつく。楢葉町は、そっくり政府に支えられているのである。ショッピング・センターは公的資金で造られ、新しい中学校が――子どもがいないのに――建設中だ。
町外れの工場で、壊れた原発で使うロボットを製作し、試験することになっている。除染労働者のチームが全戸に送りこまれた。帰還した住民に線量計が無料で配られた。町の浄水施設は1時間毎に水質検査をしていると、楢葉町の猪狩祐介・政策広報室長はいう。「わたしたちの町の水道水は、おそらく日本一安全でしょう」と、彼はいう。
第一原発に近い地域は、まだ居住に適さないと考えられている。県の警察官は胸に線量計をピン止めし、「積算線量レベルが年間20ミリシーベルトに達する可能性がある」、つまり核施設労働者の世界的に典型的な年間被曝限度に達するかもしれない場所と定義される、最大限に汚染された地域であることの自戒としている。県内の放射線量をより安全なレベルに戻すために、500億ドルと推計される費用がかかっている。
そのような大盤振る舞いの目標は、正常化である。猪狩氏は、楢葉町はフクシマ後の日本のショーウィンドウなのだという。
「ここで住むために戻らなければ、どこにも戻ってこないでしょう。わたしたちは重大な責任を感じています」
フクシマをチェルノブイリと同じように語ってもらいたい人はいない。事故から30年近くたった今でも、チェルノブイリの時間は止まっている。スナップ写真は、学校の壁にレーニンのポスターが貼られ、1980年代ソ連の時代物である。
「決定的に重要な目標は、日本は核事故を克服できると国民に伝えることです」と、環境監視団体、グリーンピースの放射線専門家、ジャン・ヴァルデ・プットは語る。
捻じ曲がった残骸が残る福島第一原子力発電所の構内
「経済的ではありません。お金を渡して、新天地で新しい家を買ってもらったほうが、もっと安あがりです。目標は、政治的なものです」と、彼はいう。日本は8月に、フクシマのあと、基準を厳しくして導入された安全規制にもとづき、最初の反応炉を起動した。さらに24基の反応炉の再稼働が申請されている――政府の最新エネルギー計画は、原発が国のエネルギー・ミックスの約20パーセントを占めることになると想定している。だが、再稼働は歓迎されておらず、実質的にすべての案件が安全性をめぐる法廷闘争の焦点になる可能性を抱えている。
捻じ曲がった残骸が残る福島第一原子力発電所の構内
「経済的ではありません。お金を渡して、新天地で新しい家を買ってもらったほうが、もっと安あがりです。目標は、政治的なものです」と、彼はいう。日本は8月に、フクシマのあと、基準を厳しくして導入された安全規制にもとづき、最初の反応炉を起動した。さらに24基の反応炉の再稼働が申請されている――政府の最新エネルギー計画は、原発が国のエネルギー・ミックスの約20パーセントを占めることになると想定している。だが、再稼働は歓迎されておらず、実質的にすべての案件が安全性をめぐる法廷闘争の焦点になる可能性を抱えている。
一方、ざっと120,000人の核避難民が別の場所で新生活を築いており、廃墟になってしまっていることが多い地域社会に帰りたがっていない。決断が難しいうえに、放射能にまつわる不安が問題を複雑にしている。科学者たちは除染済みの地域は安全であると繰り返しいっているものの、そのような安請け合いを信用しない人は多いと、楢葉町の元住民、カナイ・ナオコさんはいう。
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そのような不安は、2011年3月以降における福島県の甲状腺癌罹患率が全国レベルの20倍から50倍になっていると主張し、熾烈な論争の的になっている報告によって浮き彫りになっている。避難民の多くはまた、安全と宣言された地域への帰還を拒否すれば、一人あたり月額100,000円の核事故賠償金の支払いが停止されると心配している。この支給は2018年末に終了することになっている。
ヤマウチさんは、7世代にわたる家族で受け継がれてきた自宅に釣られて、戻ってきたという。
「この家を見捨てられなかっただけです」と、ヤマウチさんはいう。癌を心配するにしても、自分と妻は歳を取りすぎていると、彼は言い添える。暮らしのささやかな印が彼に望みを与える。近ごろ新聞配達が再開され、来週には郵便局が業務を開始する。町の駅に列車が再び到着しはじめている――切符売り場のカウンターの上でデジタル・ディスプレイが放射線レベルを表示している。
「以前と同じでないにしても、暮らしは少しずつよくなるでしょう」と、ヤマウチさんはいう。
ヤマウチさんははじめのうちこそ、帰ってくるのは年寄りだけでしょうと嘆いているが、子どもたちが今もつづく暮らしを見れば、たぶん帰ってくるでしょうと言い加える。
ヤマウチさんは、起こってしまったことを恨んでいない。「だれにも非難する点はありません。わたしたちは前向きになって、暮らしに折り合っていかなければなりません」。
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【クレジット】
The Independent, “Fukushima nuclear meltdown: Inside Japan's
forgotten town, four years after tsunami disaster,” by David Mcneill.
本稿は、公益・教育目的・非営利の日本語訳。
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