2015年10月17日土曜日

アル・ジャジーラ【オピニオン】今こそパレスチナの現状維持に挑む潮時



今こそパレスチナの現状維持に挑む潮時

イスラエルは「平和」の名のもとに
パレスチナ人に対する日常戦争を遂行している。

20151014

アンダニ「イスラエルの武装兵士らに挑んでいる若い男女は、欧米諸国政府の良心が突如として覚醒することに頼っているのではなく、現状維持勢力に揺さぶりをかけることに賭けているのだ」(Reuters



筆者:Lamis Andoni
ラミス・アンドニは、中東・パレスチナ状況のアナリスト、コメンテーター


パレスチナ人がイスラエル軍に傷つけられたり殺されたりしているのに、国際メディアの完黙には呆れるばかりである。欧米諸国政府、主として米国政府が「イスラエルの安全保障」と「イスラエルのユダヤ人の人命」に対する重大な脅威を認めないかぎり、装備の整ったイスラエル陸軍に粉砕されなくとも、鎮圧することができる、いつも「繰り返されている暴力」であるにすぎないと受け止める不文律があるかのようだ。

わたしたちが西岸地区とガザ地区のいたるところで目撃しているものは、拡大を防ぐ必要のある、いつも「繰り返されている暴力」ではなく、成就する必要のある、継続中の民族解放闘争なのである。

「繰り返されている暴力」ということば遣いそのものが、一部のパレスチナ指導者たちの一部によって申し訳なさそうに連発されているものの、パレスチナ人にイスラエルの残忍な武力による支配を押し付けている入植者・植民地主義状況を見えなくするために使われている。

これは、両陣営の「過激派」が停滞している「和平交渉」の失敗を悪用している話ではなく、無益な交渉がイスラエルによる占領とその拡大を強化してきたという事実にまつわることなのだ。

迫害者たちに対峙する若いパレスチナ人たちを武装入植者たちや兵士たちと同等視すれば、占領に対する抵抗を犯罪化するのに効果的であり、よってイスラエルによる殺害を正当化してしまう。


イスラエルは「平和」の名のもとに、パレスチナ人に対する日常戦争を遂行しつづけ、彼らの運動を規制し、彼らの住宅を破壊し、家族を強制退去させ、パレスチナ人を暗殺し、好きなときに町や都市を爆撃している。

1991年のオスロ合意からこのかた、違法なイスラエル人入植地の数が劇的に増えたのは偶然ではない。イスラエルは端から米国の支持のもと、武力による押収品奪取と入植を占領軍に禁止する国際法と慣例を順守することを拒んだのである。

オスロ合意後に署名された協定全体の枠組みから国際法規定を除去することで、軍事力の差に物をいわせる事態に他ならない結果になり、イスラエルが植民活動をつづけても刑事免責が許されるようになった。それでも、合意そのものが同時に、イスラエルとパレスチナ両陣営の指導部が「対等の立場」にあるという偽りの対称性という危険な外観を装わせたのである。

パレスチナ大統領でさえ、占領地内外を旅行できなかったり、イスラエル軍が日常的にパレスチナ人を襲ったり誘拐したりしているという事実が、権力構造が無傷のまま温存されたことを示していた。

イスラエル自体によって常に更新されたり改訂されたりしているイスラエル安全保障要項は、イスラエルとパレスチナ自治政府の両者間の不均衡関係の決定的な規定要因でありつづけている。その結果、かつて開放闘争を率いていた指導部は、イスラエルの安全保障を補強する地位に落とされ、「善良なふるまい」がイスラエルによる占領の終結に繋がるという幻想でパレスチナ人の抵抗を抑制するように期待されている。

当初は幻想であったものが、活動の自由、そして利権が、イスラエルのために「平穏さを保つ」能力しだいであるとされることなど、パレスチナの指導層やエリート層の多くが特権として推奨する固定化した信念になりかわった。

「イスラエル安全保障」の保全は首尾よく、パレスチナ人の人間性を問う究極の試験になり、パレスチナ人は常日ごろ、運動の否定から、逮捕、暗殺、あるいは全面的な侵攻、あるいは戦争にまでおよぶ広範囲な刑罰を意味する「侵犯」試験を課せられることになった。


若いパレスチナ人男女が要求していることは、まさしく単純な日常生活を追い求める権利なのだが、自由がなければ、達成できる日常生活はない。欧米諸国がこの現実を認識しないかぎり、不正義を永続させ、イスラエルの犯罪を是認することに他ならない。

イスラエルの武装兵士らに挑んでいる若い男女は、欧米諸国政府の良心が突如として覚醒することに頼っているのではなく、現状維持勢力に揺さぶりをかけることに賭けているのだ。

彼らは、1987年の第一次、2001年の第二次と、二度にわたるインティファーダを戦った世代のように、途方もない勇気を示し、犠牲を払っている。彼らが頼っていないものは、占領の締め縄が絞られているというのに、交渉が再開されるという偽りの希望ではない。

オスロ合意が功を奏し、単なる平和という幻影を生みだす鎮静剤として長期にわたり効いてきた。そのような鎮静剤はもはや、パレスチナ人が2001年、第2次インティファーダに決起したとき、理解した事実には効き目がない。

2次インティファーダのあと、嫌というほど確かに、交渉が再開されたが、イスラエルによる土地の奪取を拡大し、町や村を圧殺し、分断する分離壁の建設もまた再開された。

パレスチナ人は、軍事アパルトヘイト植民地体制に対して決起しただけでなく、面目を失ったパレスチナ自治政府、そして無関心を装う世界の目の前に鏡を置いているのだ。

イスラエルは責任の重荷を負っているが、これはパレスチナ自治政府にとって、イスラエルの犯罪の加担者でありつづけ、安全保障面でイスラエルと協力するという茶番劇に終止符を打つ潮時である。

欧米諸国はイスラエルの後ろ盾でありつづけ、別の方向に向かうことも選べるが、血も涙もある新しい世代は、パレスチナ人の諸権利は不滅であると確信している。

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ラミス・アンドニは、中東・パレスチナ状況のアナリスト、コメンテーター。
この記事で表明された見解は、筆者個人のものであり、アル・ジャジーラの編集方針を必ずしも反映していない。

【クレジット】

Al Jazeera, “It's time to challenge the status quo in Palestine,” by Lamis Andoni;
本稿は、公益・教育目的・非営利の日本語訳。

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