2014年12月27日土曜日

マイクル・ジェラード「放射能で汚染され、忘れられた太平洋の島~エニウエトク環礁ルニット島のドーム」

The International New York Times
The Opinion Pages[オピニオン] 特集寄稿記事
放射能で汚染され、忘れられた太平洋の島
マイクル・B・ジェラード MICHAEL B. GERRARD 2014年12月3日
マーシャル諸島エニウエトク環礁の放射能汚染土壌を覆うコンクリート製ドーム。Credit: James P. Blair/National Geographic, via Getty Images
凡例:(原注)、[訳注]
米国が1946年から1958年のあいだに67回の核兵器実験を実施したマーシャル諸島エニウエトク環礁に飛ぶ定期便はない。わたしが、海水面上昇がマーシャル諸島におよぼす危険を調査するため、2010年に初めて首都のマジュロを訪問したさい、学校を贈呈するためにエニウエトクに飛ぶ高官たちの特別便になんとか搭乗した。そこから小さなボートに乗り、世界がすっかり忘れてしまった核廃棄物処分場を訪問した。
マーシャル諸島は海水面からほんの6フィート[約1.8メートル]の高さしかない。マーシャル諸島、その他の島嶼諸国の存続が、今週、国連気候変動会議出席のためにペルーのリマに集まった代表たちの念頭にあった。
この場所の不運は群を抜いている。まず第二次世界大戦後に実施された核実験による放射能で荒らされ、いま、上昇する海水面に飲み込まれる危機に見舞われている。
ボートがルニットという名の小島に着くと、わたしたちは跳びおり、細いビーチを横切って、なにかの低木の藪を突っ切って歩いた。前方に直径350フィート[100メートル]ほどのコンクリート製ドームが現れた。標識、フェンス、警備員は見かけない。わたしのガイドはドームのゆるい斜面を登り、天辺に立った。わたしは衝動的に彼を追って登った。ガイガーカウンタを持ってくればよかったと思った。
米国は、ハワイとオーストラリアの中ほどに連なる島々、とりわけビキニとエニウエトクの環礁を核実験に使った。どちらもサンゴ礁が途切れ途切れにラグーン[礁湖]を取り巻く環であり、太古の火山の名残である。米国は1970年代にこの国の独立を承諾することを考慮し、やがてそれが実現したが、核実験が残した混乱をどうすべきか考えていた。
ビキニは放射線レベルが高く、移動させられた住民の帰還を許可することは望み薄だった。だが、米軍は、エニウエトクの少なくとも一部の土地を居住可能にするための除染方法を研究した。国防総省は、セシウム137とストロンチウム90で汚染された土壌があまりにも大量に存在するので、もっとも安全な対処法は、放置して、自然減衰に任せることであると結論づけた。どちらの核種も、半減期が約30年である。
だが、炸裂のもうひとつの置き土産がプルトニウム239であり、こちらの半減期は24,000年だ。適正な状態のプルトニウムが必要量あれば、爆弾ができる。これこそは、米国が1億5000万ドル[約180億円]を費やして2012年に完了した事業に参加した理由であり、これで、カザフスタンの旧ソ連時代の核実験場のプルトニウムを保全し、浄化したのである。
米国はエニウエトクで、プルトニウムを含有する土壌を可能なかぎり集め、広島の上空で炸裂した原爆とほぼ同規模の1958年の核爆発で形成されたルニック島の深さ33フィート[10メートル]のクレーターにそれを投棄すると決定した。
作業班は汚染土壌に加えて、1発の爆弾が不発に終わったときの落し物であるプルトニウムの断片を地表から拾い上げ、437枚のプラスチック袋に詰めた。この袋もクレーター行きになり、その後、18インチ[約45センチ]厚のコンクリートで蓋をした。残った放射性廃棄物のほとんどは、プルトニウムの量が手間をかけるには少なすぎて、環境保護局やエニウエトクの避難民の反対を押し切って、ラグーンのなかへブルドーザで押し出して投棄した。アメリカの当局者らはまた、米国内の同じような浄化作業で許されるレベルより遥かに高い線量レベルの放射能を土地に残す方を選んだ。
浄化は1980年に完了し、1946年に爆弾に場所を譲るために追い出されたエニウエトク島民の一部が帰還を許された。だが、環礁の約半分がいまだに居住不可能であり、その残りの大半は作物を育てる地力を失っている。スパム缶[Canned Spam=ランチョンミートのブランド名]が主食になった。
長期耐用は、ルニット・ドームの設計基準になかった(連邦政府は最近まで、ネヴァダ州のユッカ・マウンテンで少なくとも100万年の安全を考えた使用済み核燃料の深地下埋設処分施設を計画していたが、これとは大違い)。ドームはじっさい、家庭ごみ処分場の米国基準に適合しない。
連邦政府機関、米国学術研究会議の作業部会は1982年、ドームが激しい台風で破損する恐れがあると警告した。だが、エネルギー省が資金を出した2013年の報告は、心配する理由がないとみなした。「コンクリート製ドームが破局的に破壊され、内容物のすべてが瞬時にラグーンに放出されても、地元住民集団が受ける放射線量に有意な変化が生じることには必ずしもならない」とその報告はいう。
その理由とは、報告書によれば、ドーム内の放射能がラグーン堆積物内のそれに比べれば「矮小化」される。したがって、ドームから漏れ出しても、外側のほうが内側より汚いので、脅威が加わることはない。南シナ海で最近見つかったプルトニウム同位体は、2,800マイル[4,500キロ]かなたのマーシャル諸島が出処であると突きとめられた。
昨年の点検によって、ドームが劣化していると判明し、放射性の地下水は潮の満ち干きによって上がり下がりしている。嵐で砂がドームのうえに流される。裂け目に蔓草が育つ。
現状のままであれば、ルニット・ドームは海水面上昇で水没するか、嵐でバラバラに壊れそうであり、放射性の毒物を海に放出し、われらの先進文明がこの小さな島嶼国に置き去りにした遺産をなおひどいものにするだろう。
【筆者】
マイクル・ジェラードMichael B. Gerrardは、コロンビア大学法学院、セービン気候変動法規センターの所長であり、グレゴリー・E・ワニアーとの共著に“Threatened Island Nations: Legal Implications of Rising Seas and a Changing Climate”[『脅威にさらされた島嶼諸国~海水面上昇と気候変動の法的意味付け』]。
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この特集記事の紙面版は2014年12月4日付けニューヨーク版p.A31に“A Pacific Isle, Radioactive and Forgotten”の見出しで掲載。
【関連記事】


2014年12月26日金曜日

マーシャル諸島に残る核植民地主義の遺産 @JapanFocus @bojacobs

アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナル Vol 10 Issue 47, No. 1, 2012年11月19日
マーシャル諸島に残る核植民地主義の遺産が
国連報告で明らかに
ロバート・ジェイコブズ、ミック・ブロデリック Robert Jacobs & Mick Broderick
凡例:(原注)、[訳注]、原文イタリック

2012年9月、有害物質および廃棄物の環境的に健全な廃棄処分と人権の関連に関する国連特別報告者、カリン・ジョージェシュク博士は、マーシャル諸島における米国の核兵器実験プログラムの遺産に関する報告を国連人権委員会に提出した1。この遅れに遅れた報告は、太平洋におけるアメリカの核実験の歴史、その後のマーシャル諸島民の健康と福利の両面にわたる過小評価、1946年から1958年にかけて実施された67回の(大気中および海中)核兵器実験がもたらした放射能汚染に関して、手厳しい評価を下している。
マーシャル諸島の核の歴史地図(出処)
この報告は、60年間の怠慢が後に残した島嶼社会と環境の両面におよぶ惨状に対処するための重要な手がかりを提示している。日本政府の助成金を受けたグローバル被ばく者プロジェクトの一環として、わたしたち自身が実施継続中である、世界の核兵器実験による社会的・文化的影響に関する調査は、国連報告者の知見をグローバルな情況に敷衍しているが、おおむねその報告を裏づけている。
ビキニ難民に提供された住宅(1948年)
これらの事象の細目はマーシャル諸島民に独自なものだが、残念なことに、この経験は冷戦中を通して国際規模の領域内で繰り返されてきたものである。米国が実施した実験は、全体の一部にすぎない。これらの核実験プログラムもまた、進行中の汚染、否定、怠慢、適正な環境修復と補償の不履行という遺産に結実した。被災した住民には、とりわけカザフスタン(ソ連の核実験)の先住民、ネヴァダ実験場(米国の核実験)、オーストラリアと旧ギルバート諸島(英国の核実験)、アルジェリアと仏領ポリネシア(フランスの核実験)の風下住民、ロプノール(中国の核実験)の少数民族がいる。他の新たな核保有諸国(インド、パキスタン、北朝鮮)においても、数えきれない地域社会が核兵器の工業生産とその燃料サイクルによる悪影響をこうむったのとまったく同じように、遠隔地における地下実験による悪影響が住民におよんだと見るのが公平である。
国連報告は、関与当事者であるマーシャル諸島共和国政府、アメリカ合州国政府、国際連合、全体としての国際社会に対する勧告事項を列挙している。わたしたちは、この誠実な情況評価と怠慢に対処するのに必要な要請を歓迎する。
報告は、米国政府が核被害補償請求裁判所によるマーシャル国民に対する個人補償に全額を拠出し、汚染の範囲に関するすべての秘密報告、米国政府によって収集された健康データ、実験の全履歴を開示し、合衆国大統領による謝罪を実施すべきであると仮借なく述べている2 。これらの国連に対する特別報告者の勧告は、世代を超えたマーシャル諸島民に関連する米国の政策の有責性と影響を公式に認定している。
体内放射性核種の検査を受けるマーシャル市民
報告の勧告項目の大半は賞賛に値するが、一部には問題がある。たとえば、勧告63(a)は、IAEAが他の国の他の実験場で実施したものに似たような、独立機関による包括的な放射線学的調査を実施することとなっている。核植民地主義を実行し、維持する当事者である国々で主として構成され、IAEAと姉妹関係にある国連機関によって調査が実施されることと提案するのは、受け入れられないし、異論百家争鳴となるに決まっている。
ブラヴォー実験で放射線に被曝し、原子力委員会の医師による検査をされるロンゲラップの子ども(1954年)
なすべきことは、調査している対象の歴史的な当事者に不当な影響を受けていない適格で独立した権威者たちによる真に第三者的な放射線学的調査である。
さらに勧告63(f)は、合州国政府と締結した自由連合盟約に対する過剰依存を緩和するために経済多様化戦略を展開することと謳っており、これは賞賛に値するとしても、この過剰依存は、マーシャル諸島共和国のような地政学的な小国が超大国(たとえば、米国や中国)と二国間交渉して、経済および領土上の利得最大化の面で著しく不利な立場にあるからなのだ。これまでの例として、(日本、韓国、台湾と交渉した)言語道断なほどにも不利な漁業権付与、米国に対して現在も拡大しつつある、社会、文化、教育、経済面での依存関係と貿易・援助の不均衡などがある。マーシャル諸島やその他の小さな島嶼国が直面する状況のもとで、依存にかかわる基本的な問題を克服する方途を見つける手がかりを報告は示していない。
勧告63(i)は、社会基盤構造を整備するための国際援助を求めている。報告は、給水、衛生、廃棄物管理施設を強調しているものの、現行の輸入に頼る化石燃料に替えて、太陽光、風力、波力、潜在的には地熱といった豊富な地域のエネルギー源を活用する維持可能なエネルギー生産戦略を前面に出して推奨していない。気候変動に関連する海水面上昇と極端な気象事象によって、マーシャル諸島共和国が直面する目下の脅威を考えると、輸入化石燃料依存は二重に問題があると思える。
勧告64(f)は、該当する「アメリカ合州国政府国務担当者」に対して、過去と将来の申し立てを裁定する核被害補償請求裁判所に賠償資金全額を支給するなど、マーシャル諸島の人びとが実効的な救済を受ける権利を保証するように求めている。これは重要で強力な勧告であるが、現行の賠償メカニズムは国際資本とアメリカの株式市況の気まぐれな動きにあまりにも大きく頼りすぎている。この長期投資戦略では、経済的不透明の時代(たとえば世界金融危機後)にほとんど保護を提供しないが、基本的にアメリカの納税者が金を出す助成金がウォール・ストリートに流れ、マーシャル諸島民を利する息の長い取り組みは期待できない。
マジュロ環礁のビキニ環礁行政府庁舎に掲げられたアートワーク[「すべては神の御手に」「核兵器一発が一生を台無しに」]
最後に、また驚くべきことに、報告はクワジェリン環礁を専有する米国戦略軍事基地(ロナルド・レーガン弾道ミサイル防衛試験場)について、ほとんど述べていない。報告がこの施設を無視しているようなら、この軍事基地の運用によるマーシャル諸島民に対する戦力的・環境的影響はお構いなしということになる3。核兵器実験による数十年間の汚染、秘密、排斥、怠慢によるトラウマでいまだに苦しむ国に押し付けられる、現行のミサイル試験の心理学的影響を無視してはならない。さらにまた重要なことで、報告が考慮していないのが、マーシャル諸島共和国が他の域内諸国と締結した、太平洋内に非核兵器地帯を公式に設定するラロトンガ条約4である。
ビキニ環礁を核兵器実験場にするために強制退去させられる島民たち(1946年)
マーシャル諸島に核実験が出現してから70年近くたった今こそ、国際社会が米国の国連信託保護下にあるマーシャル諸島の人びとに降りかかった悲劇を認識する好機である。また、国際社会はこの理解に依拠して、他の植民地にもたらされた影響を認め、各地に対する同じような特別報告者査察を実施すべきである。
アメリカ核兵器ムラによる汚染実態洗浄の一例
[研究所の事業で「取り戻した島の楽園」]
(ローレンス・リバモア国立研究所出版物、10~14pを参照のこと:出処)
【筆者】
ミック・ブロデリックMick Broderickは、マードック大学[オーストラリアのパース]メディア・情報・文化学部の准教授、研究コーディネーターであり、大大学の国立映像音響アカデミー(NASS)副所長。ブロデリックの学術文献はフランス語、イタリア語、日本語に翻訳され、主だった出版物のなかに、核兵器映画参照記事(1988, 1991)があり、Hibakusha Cinema: Hiroshima, Nagasaki and the Nuclear Image in Japanese Film [『被爆者映画~日本映画に見るヒロシマ・ナガサキと核兵器のイメージ』](1996, 1999)を編集している。最近の共同編集書にInterrogating Trauma: Arts & Media Responses to Collective Suffering [『トラウマを問う~集団的苦難に対するアートとメディアの反応』](2011)、Trauma, Media, Art: New Perspectives[『トラウマ、メディア、アート~新しい視点』](2010)など。
ロバート・ジェイコブズRobert Jacobsは、広島市立大学・広島平和研究所の准教授、アジア太平洋ジャーナルの協賛会員。“The Dragon's Tail: Americans Face the Atomic Age”(2010年)著者、“Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb”(2010年)[『核の未来の穴を埋める~爆弾に対応するアートと大衆文化』]編者、“Images of Rupture in Civilization Between East and West: The Iconography of Auschwitz and Hiroshima in Eastern European Arts and Media”(2012年)[『東西間文明断絶のイメージ~東欧の芸術とメディアにおけるアウシュヴィッツとヒロシマの図像学』]共同編集者。“The Dragon’s Tail”の日本語訳書は、『ドラゴン・テール――核の安全神話とアメリカの大衆文化』(凱風社)。彼は、Global Hibakusha Project[グローバル被ばく者プロジェクト]の主宰研究者。
【追補】
ビキニ環礁の世界遺産指定の可否を考慮する別の国連報告において、検討委員会は、ビキニ環礁、その他の世界中の核実験場が「核兵器の特有の一種の核植民地主義」5に服属させられていると報告した。過去に核実験現場住民に対する比較疫学調査がいくつかあったが、この「植民地的」核の発想は、これらの地域社会に世代を超えてもたらさられる、社会的・文化的・経済的影響を理解する上で不可欠である。これが、わたしたちの進めているグローバル被ばく者プロジェクト研究の基本的な着眼点である。
国連人権理事会報告の原本は、このリンクをクリック。
【Recommended citation推奨されるクレジット表記】
Calin Georgescu with an introduction by Mick Broderick and Robert Jacobs, "United Nations Report Reveals the Ongoing Legacy of Nuclear Colonialism in the Marshall Islands," The Asia-Pacific Journal, Vol 10 Issue 47, No. 1, November 19, 2012. 原子力発電_原爆の子ブログ「
【関連APJ記事】
【脚注】
2 The Nuclear Claims Tribunal website.
4 “Treaty of Rarotonga."[長崎大学核兵器廃絶研究センター:ラロトンガ条約(南太平洋非核地帯条約)]
【ブログ内の関連記事】



2014年12月24日水曜日

R・ジェイコブズ「放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から」 @JapanFocus

アジア太平洋ジャーナル/ジャパン・フォーカス
アジア太平洋…そして世界を形成する諸勢力の批判的深層分析

アジア太平洋ジャーナルVol. 12, Issue 31, No. 1, 2014年8月4日.
放射線は人を不可視にする~グローバル被ばく者の視座から
ロバート・ジェイコブズ Robert Jacobs
凡例:(原注)、[訳注]、原文イタリック
放射線は人を不可視にする。わたしたちは、放射線が人の健康に有害であり、病気を、あるいは高線量の場合、死さえも招きかねないことを知っている。だが、放射線はそれ以上のことをする。放射線に被曝した人、あるいは放射線に被曝したと疑われる人でさえ、放射線に関連した病気になっていなくても、自分の人生が永久に変わってしまった――ある種の二級市民とみなされる――ことを思い知らされるかもしれない。その人たちは、彼らの家族、彼らの地域社会、彼らの町、彼らの食生活との関係が、あるいは彼らの伝統的な知識体系さえもが断ち切られたと悟ることになるかもしれない。彼らは、戻りたい、ものごとが正常になってほしいと願いながら、しばしば彼らの人生に残されたものを使いつくす。彼らは、自分が棄民になってしまった、彼らの政府は、また彼らの社会さえも彼らの福利にもはや労をとってくれないと徐々に理解する。
筆者は、核技術の社会的・文化的側面を研究する歴史家として、放射線に影響を受けた世界中の社会の研究に何年も費やしてきた。そうした社会の人びとは、核実験、核兵器生産、原発事故、原発の稼働や[廃棄物の]貯蔵、あるいは筆者の暮らす地域社会、ヒロシマが標的になったように、核爆弾の直撃による放射線被曝を体験している。筆者は、最近の5年間、オーストラリアはパースのマードック大学、ミック・ブロデリック博士とともにグローバル被ばく者プロジェクトで活動してきた。わたしたちの研究は、広範な文化、地理、人びとの違いを越えた放射線被曝体験の緊密な共通性を明らかにした。この研究の開始時から今日までのほぼなかばで福島第1原子力発電所の災害が勃発した。危機が勃発して以来、(数多くある)最も悲惨な状況のひとつは、人びと、それもしばしば政治的な権力と影響力を有する人たちが、核惨事に被災した人びとの未来は不透明であると語るのを聞かされることである。福島第1原発メルトダウン現場の近くに住んでいた人びとの未来は予測可能であることは、歴史に深く刻まれた前例が示唆していると筆者は願うし、また実際にそうなのである。


ブラヴォー実験のあと、健康への影響を示す子ども
第5福竜丸乗組員の頭蓋の放射線火傷

ここで、放射線の影響を受けた人びとの共通性について、いくつか概要を述べてみよう。以下に記すことのほとんどは、たとえ健康への影響に苦しんでいなくても、放射線被曝を疑われる人たちにも当てはまることである。その多くはすでに、フクシマ惨事の影響を受けた人びとの経験の一部になっている。もちろん集団ごとに違いと特異性が数多くあるが、やはり顕著な共通性が見受けられるのである。
疾病と死亡率――疾病、さらには死亡さえも、高レベル放射線被曝の場合に予期されるようになった結果である。放射線に被曝したあと、人びとが多く異なった形で病気になると理解することが大事である。高レベルのガンマ放射線に被曝した人たちは、急性の放射線病になりかねず、何日かあと、何週間かあと、または何か月かあとに死亡しかねない。ヒロシマとナガサキでは、何万人もの人びとが核攻撃を生き延びたあと、急性放射線病で亡くなっている。日本のマグロ漁船、第5福竜丸の無線長、久保山愛吉は、マーシャル諸島近くの操業海域から100キロ以上離れたビキニ環礁で実施されたブラヴォー核兵器実験による高レベルのガンマ放射線に被曝してから6か月半後に死亡した(他の乗組員全員が放射線病を患った)。核兵器は非常に短い時間内に突発的に膨大な線量のガンマ放射線を放出し、体が高レベル放射線で被曝すると、かなり速やかに病気と死を招きかねない。核爆発による高レベル放射性フォールアウトもまた、第5福竜丸の乗組員の場合がそうであったように、爆発地点から遠く離れた場所でもガンマ放射線被曝を引き起こしかねない。
核兵器の爆発地点に近くなかったり、チェルノブイリやフクシマの核惨事のような災害現場に近かったりすれば、病気は体内に入ったアルファ放射線照射粒子の結果である場合が多い。これは、核爆発に伴うフォールアウトに運ばれて降下する。これまでの民生用原子力発電所の2大事故、チェルノブイリとフクシマの場合、このような粒子が爆発によるプルームとして広大な地域に降下し、地表に沈着した(フクシマでは、プルームが原発から100キロを超えて降り注ぎ、チェルノブイリの場合、プルームが主として北方の国境を超えてベラルーシに降下したが、はるか遠くの英国やスウェーデンの各地まで汚染した)。アルファ放射体粒子はガンマ放射線のように皮膚を貫通しないが、呼吸や嚥下によって、あるいは皮膚の傷を経由して体内に入る(アルファ、ベータ、ガンマ放射線の基本知識は、ここを参照のこと[日本語は、とりあえず放射線影響研究所「放射線に関する基礎知識」)。
これらの粒子は大量の放射線を放出するわけではないが、体内に留まると、1日に24時間、少数の細胞を放射線被曝させつづけ、しばしばそれが生涯におよぶ。その結果、数年後、あるいは10年後か20年後、癌や免疫障害になりかねないことになる。フクシマの三重爆発に伴うプルームが広大な地域にわたってアルファ放射体を堆積させたので、このことは、汚染地域で暮らす人たち、とりわけ、体が速やかに成長しているので、成人よりも放射線被曝の重大な影響をこうむる子どもたちに深刻な危険を投げかける。
核産業の御用人衆が「福島原発事故で死亡者は出ていない」などというのは、たいがいの人が徐々に病気になり、時間がかかることをよく知っているはずなので、不誠実である。現時点はこのような病気の潜伏期にあたっており、この点は周知のことのはずだが、核産業や政府の広報係によって抑えこまれているのだ。最近の調査によって、福島県で3・11災害のあと、津波の死亡者より多くの人たちが、ストレス、適正な医療の不足や自殺で亡くなっていることが示されている1。


福島第1原発爆発のプルームによる地表ガンマ線量とセシウム137堆積
平和の折り鶴で構成されたビキニ環礁地方政府庁舎の壁画(写真:筆者)

家、地域社会、アイデンティティの喪失――放射能汚染をこうむった地域は、そこに住む人びとに放棄されなければならない場合が多い。放射線レベルが高い場合、住みつづけるのは健康に有害でありうる。この場合、人びとはふるさとを失い、それも永久になる場合が多い。
放棄しなければならない地域社会にとって、築き上げられ、地域共同体の福利を維持してきた絆が断ち切られてしまう。友だちは別れ、大家族はしばしば離れ離れになり、学校は閉鎖される。生涯を同じ場所で暮らしてきた人たちが、老若問わず、新たな生活を築かなければならない。顔見知りの商店主、頼りになる隣人、地域社会の単純な親密さといった、人びとを支えてきた共同体構造が破壊される。父か祖父が植えた木のリンゴをもう食べられないとすれば、なにが失われたのだろうか? ニューメキシコ州ギャラップ出身の元ウラニウム鉱夫、トニー・フッドは、ナヴァホ共同体がウラニウム汚染のために故地を捨てなければならないと熟考したときの喪失感を、「わたしたちのへその緒はここに埋められ、子どもたちのへその緒はここに埋められている。それは自動誘導装置のようなものだ」と表現した2。
共同社会の喪失に伴い、多くの人たちは暮らしを失う。世代を重ねた農民、漁民、牧畜民の場合、これはなおさらのことである。農耕しか知らない農民が慣れ親しんだ土地から引き離されるとすれば、漁民が自然のリズムと魚の癖を理解している海域で漁労できないとすれば、初めからやり直すのは不可能だ。そのような人たちは、サービス業に就職したり、国の助成金に頼ったりすることを余儀なくされる場合が多く、さらに自己意識と安寧が蝕まれることになる。汚染のために自分の土地から追われた人たちは、一般的に仮設住宅に入居させられることになる。フクシマの場合、10万人の人びとが仮設住宅に取り残され、他にも数十万人が政府に住居を提供されることもなく地域を逃げ出しているありさまである3。公的に認定された被災者に提供された公共住宅は、ほとんどすべてのケースで、一時的なものでなく、恒久的なものになっていることが判明している。
ビキニ環礁(左)とフクシマ(右)からの避難民用「仮設住宅」

カザフスタン、ポリゴン(核実験場)に近い汚染地の栽培試験圃場(写真:筆者)

何十年も一緒に暮らしてきた多世代家族は、多くの場合、一緒に生活することが不可能とわかることになる。そのために高齢者の世話や幼児の養育ができなくなり、家族意識、知恵、支えの継続性が蝕まれることになる。土地からの離別はまた、伝統食の喪失を伴う。家族の食べ物をもたらしてくれていた土地や海を活かせなくなった人たちは、混乱と不健康の旅路をたどりはじめることになる。カザフスタンは旧ソ連核実験場[セミパラチンスク]の周辺の小村落のような一部の地域では、人びとが危険なほどに汚染されたふるさとにただ住みつづけている。彼らの被曝に責任のある国家(ソ連)はもはや存在しておらず、ロシアとカザフスタンの両政府とも、彼らを避難させたり、あるいは障害者たちに医療を提供したりする責任を感じていない。多くの人たちは、自分の畑を作物を栽培したり、汚染された自分の土地で家畜を育てたりして糧を得ながら、とても伝統的な暮らしを守っている。半減期の長い放射性核種の多くがこのようなエコシステムを単に循環し、住民たちは世代を超えて汚染され、また再汚染される4。
日本政府は福島県で、20キロ圏内を強制避難区域に宣言し、さらに20キロから30キロの圏内に避難「勧奨」区域を指定した。これらの区域は、放射線レベルを直に反映していない。強制避難区域の一部では、ガンマ線量レベルが避難勧奨区域の一部より低い。50キロから80キロも離れ、プルームが降り注いだ地域の一部で、さらにレベルが高い場合もある。強制避難区域の区分けは、政府の直接責任を限定する施策を反映している。今日でさえ、子どもたちが屋外で遊んだり長時間を過ごしたりするのが許されない地域に住んでいる5。


屋内の砂場で遊ぶフクシマの幼稚園児たち(写真:Toru Hanai)

伝統的な知恵の喪失――一部の遠隔地では、何世紀も前から伝わってきた土地に対する古い理解に頼って生きている。オーストラリアのマラリンガでは、英国が1956年から1983年にかけて核実験を実施した地域は、生きるのが非常に困難な場所である。これらの地域の伝統社会は、水が見つかる場所、特定の動物を狩る時期、さまざまな場所に移動する時期など、そのように過酷な環境で生存するための基本知識を歌に乗せて伝えている。だが、幾千年かけて集められた知識を核の惨事に適用できるのだろうか?
英国が部族集団全体を故地から何百キロも離れた地域に移住させると、局地的な知識の連鎖が断ち切られた。避難民が、土地と動物のリズムを知らない地域で伝統的な暮らしを維持するのは不可能だった。自分の土地からのこの追放によって、ますます政府援助に依存するようになり、何千年間もの独立独歩の道は寸断された。アボリジニの人たちに対するオーストラリア政府の野蛮な支配と政策によって、自立が劇的な影響を受けた一方で、実験場の近くに住む人びとは1950年代にまだその土地で生きていた。強制移住は、部族共同体、家族と個人の福利をさらに蝕んだ。
差別――放射線に被曝したかもしれない人びとは新しい居住地で差別を経験し、社会の除け者になるかもしれない。これの生々しい最初の実例は、配偶者になりそうな相手が奇形児の出産を恐れるので、結婚相手を見つけるのが非常に難しかったり、雇用主が慢性病を疑い、仕事を見つけにくかったりすると思い知ったヒロシマ・ナガサキ被爆者に見られた。さらにまた被爆者の子どもたちは、しばしばいじめの対象になった。家族が放射線に被曝している事実を隠すことが著しく一般的になった6。
2歳の時にヒロシマの核攻撃による放射能で被曝し、12歳で亡くなった禎子の物語を親しく知る人は多い。佐々木禎子は、1000羽の折り鶴を折ると願いが叶うという日本の伝統に従って、折り鶴を折った。禎子の物語はよく知られるようになり、世界中の子どもたちがこの話について学ぶと、折り鶴を折って、その多くがヒロシマに送られてくる。禎子は非常に多くの被爆者の純真さのシンボルになったが、彼女の父親は、家族が差別をこうむらないように、この事実を隠そうとし、禎子の苦しみがとても有名になったことで気が動転してしまった。
東京電力の原発における三重メルトダウンのあと、福島県から避難した家族の子どもたちは、新しい学校でいじめの被害者になった。福島ナンバーの車は、他県で駐車中に傷つけられた。これは、毒物に被曝した人びとから連想する汚染に対する自然な恐怖の結果であることが多い。マーシャル諸島において、1954年の米国によるブラヴォー実験による放射性フォールアウトに覆われて、居住不能になったロンゲラップ、その他の環礁から避難してきた人びとは、ふるさとに帰島する展望もなく、他の環礁で難民として生きなければならなかった。マーシャル諸島の居住可能な土地はわずかにしかなく、従来から他人に属する環礁に移住を強いられた身では、質の良い畑地や好漁場、手頃な船溜まりを使うことができなかった。彼らは新たな受け入れ先の善意頼みで生活し、よそ者視されることに耐えなければならなかった。
医学の被験者になる――放射線に被曝した人たちの多くは、医学研究の被験者になり、自分が受けている医学検査の情報も往々にして与えられず、検査実施者による治療も施されないことが多い。ヒロシマ・ナガサキの核攻撃による被爆者は、第二次世界大戦後の日本の米軍占領期に原爆傷害調査委員会(ABCC)の医学被験者になった。この調査は日米共同管理の放射線影響研究所のもとで今日まで続けられている。研究の初期のころ、日本人被爆者は医学検査の被験者になるか否かの選択権がなかった。米軍のジープが自宅の前に現れ、都合の良し悪しにかかわらず、検査を受けに行かなければならなかった。検査結果に関する情報が伝えられなかっただけでなく、米国政府は治療も提供しなかった7。同じ事態が放射能の影響を受けた地域社会の多くで起こった。
ブラヴォーの放射線に被曝した幼いロンゲラップ島民を検査する米国人医師
避難途上で放射線検査を受けるフクシマの子ども(写真: Christoph Bangert)
ABCCで撮影された、放射線病を患う幼いヒロシマ被爆者

1966年のこと、米軍核戦略爆撃機が空中で爆発し、残骸がスペインはパロマレスの小さな村落に堕ちた。4発の水爆が爆撃機から落ち、1発は海に、3発は小村に堕ちた。1発も爆発しなかったが、2発は破裂して、集落の一部をプルトニウムと他の放射性核種で汚染した。今日にいたるまでの毎年、パロマレスの住民の一部は医学検査を受けにマドリッドに連れていかれ、彼らの健康への被曝の影響を追跡記録されている。彼らは、検査結果をなにひとつ教えられず、病気にかかっても、被曝と関連していると伝えられることもない。彼らは被験者であり、自分の体に現れる放射線の作用の収集と評価の参画者ではない。このような研究は疑う余地なく、放射線被曝による健康への影響に関する科学の知見のためにデータを提供する(そのデータそのものには、後述の理由により問題がある)だろうが、情報収集の対象である人たちにとって、研究対象になりながら、情報を伝えられないのなら、人としての統合感覚と健康維持の当事者意識が損なわれてしまう。米国、英国、フランスの核実験によって放射線に被曝した、太平洋の島々の住民たちの多くは、検査され、結果を見せられないまま、送り返され、医療管理も望めなかったという経験をしている。その多くは自分の体から自分の経費負担でデータを掠め取られる感覚を報告している。
不安――放射線に被曝した人たちは、なにも心配することはないと諭されることが多い。彼らの不安は馬鹿にされる。放射線は非常に抽象的で、理解が困難である。放射線は感知できない――味もなければ、匂いもなく、眼にも見えない――し、そのうえ、被曝したのか、どれほど被曝したのか、自分と自分の愛する人たちが健康に影響されて苦しむのか、不安を感じるばかりである。医学の権威者や政府当局に不安を否定されても、気懸かりが募るだけである。何年かたってから、同じ地域社会の人たちが、甲状腺癌や他の病気など、健康問題を抱えることになれば、自分自身の安心感が陰鬱な影を投げかけられ、その後の一生、覆われてしまう。
熱を出したり、胃痛や鼻血、ありふれた体の不調があったりすれば、この不安が頭をもたげ――これがそうだ、とうとうやられたと思ってしまう。このような恐れが、両親、子どもたち、その他の愛する人たちに拡がる。子どもが発熱すれば、自分の子どもが死んでしまうと恐怖に駆られる。禎子は、2歳のときにヒロシマで放射線に被曝してから9年間、健康だったが、ある日に突然、首が膨れはじめ、ほどなくして白血病と診断された。これは、放射線に被曝し、あるいは単に放射線被曝が疑われる子どもをもつ親たちが日常的に経験する悪夢の世界である。ちょっとした病気になるごとに、身を裂きかねない。
放射能恐怖症と被災者バッシング――だれかが、危険なレベルの放射能、とりわけ体内に入ったアルファ放射体粒子に被曝したか否か、わからない場合が多いので、なんらかの放射線事故の現場の近くにいた大勢の人びとが自分の健康と愛する人たちの健康を心配することになる。この集団のなかに、被曝した人もいれば、被曝していない人もいる。不確実性がトラウマの一部になる。最近ではフクシマの人びとに見受けるように、このような人びとのすべてが、必要以上に放射能を怖がっていると厄介者扱いされ、あなたの健康問題は、あなたがクヨクヨしている結果に過ぎないとしばしば諭される。それが本当である場合もあるかもしれないが、見当違いである。
核惨事を体験した人たちにとって、家や地域社会から引き離され、絆と支えあいを失った人たちにとって、インフルエンザに感染したり、胃が痛くなったりするごとに、破滅の前兆なのではと覚束ない思いをする人たちにとって、わが子が公園で遊んでいると、見つけるのが難しいアルファ放射体粒子で汚染されるか否か、確信がもてない人たちにとって、不安は当然の反応である。急性的な健康問題の原因になるか否かにかかわらず、自分が左右できない外側の力が彼らの人生を狂わせたのである。彼らは不透明な人生を生きなければならず、しばしば差別を経験する。無論のこと、彼らはこの状況が生みだす不安に苦しむことになる。彼らをこのことで非難するのは、被災者を責めているのであり、さらなる新たな形のトラウマづくりになる9。

カザフスタン、セメイ[旧称セミパラチンスク]の「死よりも強い」記念碑(写真:筆者)

終わりに――放射線は人びとを不可視にする。放射線は人びとを二級市民に落とし、その彼らは、彼らの近くの核施設を管理する連中によって、人びとを放射線に被曝させる業務を遂行している軍や核産業によって、また多くの場合、彼らが避難民になったときの新しい隣人たちによって、尊厳をもって扱われることをもはや期待できなくなる。放射線に被曝した人たちは、強制退去させられたり、住むのが危険なほど汚染されたりして、しばしば家を失い、時には一生戻れない。彼らは、彼らの暮らし、彼らの食、彼らの地域社会、彼らの伝統を失う。彼らは、土地に結びつけ、福利を保証する知識基盤を失いかねない。
放射線は健康問題と死の原因になりうるし、そうでなくても、重荷となりうる不安と不透明性の原因になりうる。放射線に被曝した人たちは、被曝に付随するあらゆる問題のゆえに非難される。核惨事のあと、わたしたちは被害を死者数の形で数えるが、亡くなる人たちは、本当の意味で事故の犠牲になる人びとのほんの一部にすぎない。数えきれないほど多くの人びとが、彼らの地域社会、彼らの家族、彼らの福利の破壊に苦しむのだ。核災害がもたらす惨状の全体像は知りようもない。
放射線に被曝した人たち、あるいは放射線被災地に住みながら、被曝の有無が不確かな人たちの人生は、決して同じでありえないだろう。フクシマ三重メルトダウンの2か月後に公表されたインタビュー記事で、チェルノブイリの「リクビダートル」[事故処理作業員]、ナタリア・マンズロヴァが語るように――「その人たちの人生は二つに、フクシマの前と後に分かれるでしょう。自分の、そして子どもたちの健康を絶えず心配することになるでしょう。政府はおそらくそんなに大量の放射線はなかった、人体に害を及ぼしたはずはない、というでしょう。そしておそらく人々が失ったものすべてを補償などはしてくれないでしょう。彼らが失ったものは計算不可能です」10
(本稿は、SimplyInfoサイト掲載の初出記事の拡大版である。オリジナル版を閲覧するには、ここをクリック)
【筆者】
ロバート・ジェイコブズRobert Jacobsは、広島市立大学・広島平和研究所の准教授、アジア太平洋ジャーナルの協賛会員。“The Dragon's Tail: Americans Face the Atomic Age”(2010年)著者、“Filling the Hole in the Nuclear Future: Art and Popular Culture Respond to the Bomb”(2010年)[『核の未来の穴を埋める~爆弾に対応するアートと大衆文化』]編者、“Images of Rupture in Civilization Between East and West: The Iconography of Auschwitz and Hiroshima in Eastern European Arts and Media”(2012年)[『東西間文明断絶のイメージ~東欧の芸術とメディアにおけるアウシュヴィッツとヒロシマの図像学』]共同編集者。“The Dragon’s Tail”の日本語訳書は、『ドラゴン・テール――核の安全神話とアメリカの大衆文化』(凱風社)。彼は、Global Hibakusha Project[グローバル被ばく者プロジェクト]の主宰研究者。
【関連APJ記事】
【推奨されるクレジット表記】
Robert Jacobs, "The Radiation That Makes People Invisible: A Global Hibakusha Perspective", The Asia-Pacific Journal, Vol. 12, Issue 31, No. 1, August 4, 2014:#原子力発電_原爆の子/ロバート・ジェイコブズ「放射線は人を不可視化する~グローバル被ばく者の視座から」(井上利男・訳)
【脚注】
1 “Fukushima stress deaths top 311 toll,” Japan Times (February 20, 2014) (accessed July 31, 2014).
2 Dan Frosh, “Amid toxic waste, a Navajo village could lose its land,” New York Times (February 19, 2014) (accessed July 31, 2014).
3 “Fukushima 3 Years On,” SimplyInfo (March 11, 2014) (accessed July 31, 2014).
4 Gusev, et al., “The Semipalatinsk nuclear test site: A first analysis of solid cancer incidence (selected sites) due to test site radiation,” Radiation and Environmental Biophysics (1998) 37: 209-214.
5 Toru Hani and Elaine Lies, “The children of Japan’s Fukushima battle an invisible enemy,” Reuters (March 10, 2014) (accessed July 31, 2014).
6 Robert Jacobs, “Social fallout: Marginalization after the Fukushima nuclear meltdown,” The Asia-Pacific Journal, Issue 28, Number 4 (July 11, 2011) (accessed July 31, 2014).
7 ABCC配属の医師の多くは「テーブルの下で[内密に]」医療を施していたが、無施療が組織の方針だった。
8 これらの研究の多くについて、データの妥当性に活動家や学者が異議を唱えているが、それには理由がある。たとえば、多くの人たちが広島と長崎の放射線影響研究所による生涯調査を考察して、この調査は即発放射線の作用で亡くなった人びとの大多数が死亡したあとで開始されたので、その人たちは統計に含まれていないとか、調査データにアルファ放射体粒子による健康への影響が考慮されていないとか、研究が事実というより希望的観測とみなしうる線量再現操作に頼っているといった事実を言い立てている。
9 Robert Jacobs, “Fukushima Victimization 2.0,” Dianuke (March 11, 2012) (accessed July 31, 2014).
10 Dana Kennedy, “Chernobyl cleanup survivor’s message for Japan: “Run away as quickly as possible,” Desdemona Despair (March 23, 2011) (accessed July 31, 2014, originally published by AOL News) [日刊ベリタ:チェルノブイリ汚染除去処理従事者から日本へのメッセージ「できるだけ早く逃げなさい」]。
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