ヒロシマの被爆者たちは体験を次の世代に伝える
ジョナサン・ソーブル JONATHAN
SOBLE
2015年8月5日
葉佐井博巳さん、84歳、広島原爆の被爆者と彼の伝承者――彼の記憶の公式守護者、木下りつ子さん。Credit Ko
Sasaki for The New York Times
【広島】街を破壊した原子爆弾の閃光が、すでに輝いていた朝の空を煌めかせたとき、葉佐井博巳さんは機関銃の弾丸を製造する訓練を受けていた。ほんの14歳だった彼は、日本の負け戦の一助になるために、1週間前に学校から連れて来られていた。
いま84歳の葉佐井さんは、これまでに戦争で使われた2発の核兵器の最初の一発が最終的に100,000人以上の人びとを殺すことになったあの日、70年前の火曜日の彼の体験を公の場で何回も語ってきた。犠牲者には、彼の数百人の学校仲間が含まれ、その子たちは爆心地に近い学校に残っていた。弾丸工場は街から10マイル離れており、逆説的に安息の場になっていた。
それでもあの日、葉佐井さんが見て、感じたものごとは、彼ひとりで語られているのではない。葉佐井さんご本人を除いて、彼の物語を最もよく知っている人物が、彼より25歳若い女性、木下りつ子さんであり、彼女は「伝承者」――彼の記憶の指名伝達者――を務めている。これは、数が急激に減っている原爆被爆者の体験を保存し、伝達するための独特で優れて個人的な事業の一端である。
よく笑い、つい周りも笑ってしまうような大学の元物理学研究者、葉佐井さんは、被爆者の多くもそうだが、今でも健康である。だが、木下さんと他の50人ほどのボランティア伝承者の目標は、目撃証人たちの体が弱り、語れなくなると、受け継いだ物語を語りつづけ、これまで日本に充満してきた平和主義の心情をつなぎとめてきた心痛むできごとの記憶を生のまま保つことである。
しかし、今日、その心情の深さが厳しく問われている。戦後生まれで最初の日本の指導者である安倍晋三首相は、勝利陣営の連合諸国が日本の軍事力に課した制約を緩めるために動いている。彼は日本の行動の自由を追い求める最初の首相ではないが、彼の先任者たちより一歩先に進めるために活動している。戦後三世代をへて、彼は日本がもっと普通の国になる権利を獲得したと主張している。
アーカイブから
1945年8月7日
原爆投下の当日、ニューヨーク・タイムズは、広島に落とされた爆弾はTNT火薬20,000トンに匹敵すると伝えた。トルーマン大統領は、アメリカの敵に破壊の雨を警告した。
The New York Times
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