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日本人の原子力贔屓を煽ったマンガ
アストロ・ボーイ(鉄腕アトム)のようなキャラクターが核エネルギーの利点をほめたたえ、2011年に惨事が勃発したさい、衝撃をなお過酷なものにした。
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レポーター:ナガサキは70年前、世界で二番目の核攻撃の標的になりました。二つの都市が放射能を帯びた廃墟となり、日本政府は降伏計画を立案しました。
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その後70年、ナガサキの復興は、日本の驚くべき変化を反映しています。日本の指導者たちが自国を打ち倒した技術を、復活に必要な電力源として受け容れる変化です。
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吉見俊哉(よしみしゅんや)東京大学教授:日本は被害国だ、わが国は原爆攻撃を受けた…だから、われわれには原子力の可能性を追求する権利があるというわけです。
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アイゼンハワー演説:合州国は意志する以上に多くのことを実行します…
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レポーター:それは、ドワイト・アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力」構想と表裏一体となる政策であり、宣伝のための展覧会が日本各地で繰り広げられました。
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売り込み口上は、米国が一連の核兵器実験を実施したために難しくなりました。
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日本の漁船、第五福竜丸がビキニ環礁で実施された米国の核実験のフォールアウトで被爆したのでなおさらのことでした。
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大石又七さんは最初、奇妙な雪が降ると思いましたが、後になって、症状が出ました。
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大石又七さん:わたしの顔が黒くなり、皮膚が剥がれ落ちはじめましたが、だれにも隠していました。わたしの家族と私自身が差別される羽目になりたくなかったからです。
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レポーター:その年、蘇った核の恐怖が映画の形で表現されました。核実験のために深海で目覚めたゴジラは、日本の都市を無差別に破壊しました。
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だが、日本が1960年代に原子力発電所を建造しはじめると、まったく違った象徴が出現しました。アストロ・ボーイ(鉄腕アトム)は、倫理的な科学の申し子でした。核反応炉を動力源にした救世主のようなロボットだったのです。
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アストロ・ボーイの生みの親は常々、そのロボットが核のシンボルであることを否定していましたが、それでも核産業は、アストロ・ボーイのイメージをパンフレットなどで利用しました。この冊子では、アストロ・ボーイが核施設をはるか遠くのジャングルまで運ぶのですが、それが寒さに凍える動物たちを救い、地震と津波に襲われても無傷で耐えます。
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レポーター:核エネルギーを電力源とした日本の工業は、世界に向けて製品とノウハウを輸出するとともに、日本経済は数十年にわたり、国民的な自信の高揚を後押ししていました。そのような宣伝文句が、この国の人たちが経験していたことを謳いあげていました。2011年に、核エネルギーとその安全を保証するために仕組まれていた制度とが根底から揺らぎます。
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フクシマ惨事の余波を受けて、日本の核反応炉は順次すべて閉鎖され、国民世論の大多数が原発の再稼働に反対しています。
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日本の安部晋三首相は、そのような心配は、1950年代とまったく同じように、核反応炉が資源の乏しい国に供給するエネルギーによって克服されると明言しました。
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元核技術者・小倉志郎さん:人びとの意見が分かれている。しかし、以前は原子力のことを考えていなかった人たちが、事故のあとに考えはじめ、危険性を理解しはじめています。
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レポーター:川内原発の反応炉が今週中に、フクシマ以降で初めて再稼働し、それによって、原子の力に対する日本の70年間にわたる偽りの関係も復活することになります。
東京から、アルジャジーラのハリー・フォーセットがお伝えしました。
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【本文テキスト】
【参考文献】
47NEWS特集『原発と国家』
番外編・アトムの涙 手塚治虫が込めた思い
「僕のアトムじゃない」
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電力会社がPRに利用
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科学とエゴのはざまで
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