人口縮小期の日本経済の生産性向上には、社会・人文科学が不可欠…文科省の政策は発展途上国の成長モデルへの逆戻りになると解説
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— inoue toshio 子どもを守れ! (@yuima21c) 2015, 9月 23
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日本の大学教育における愚民化政策
2015年9月20日
By Noah Smith
ノア・スミスは、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の財政学准教授、一連の財政・ビジネス出版物に寄稿するフリーランス記者。個人ブログ:Noahpinion。Read more.
日本のニュースを追っている人はたいがい、経済、あるいはひょっとする安保法案を審議中の国会で演じられた拳闘に注目していることだろう。だが、日本の教育政策が心配な形で大幅に変更されたのだが、どうしたことか、こちらのほうはあまり周知されていない。
この命令は、下村博文・文部科学大臣の書簡として通達されたものであり、拘束力を持たない。国内の最高ランクに評価される2大学が求めに応じるのを拒否した。だが、数多くの国公立大学は、政府の求めに応じた措置をとっている。こうした大学の大多数で、経済学専攻生がいなくなり、法科学生もいなくなり、文学、社会学、政治学の学生もいなくなるだろう。これは、あぜんとする、劇的な転換であり、これまで以上に注目を浴びる値打ちがある。
これはまた、いくつかの理由により、日本にとって非常に不愉快な兆候である。
なによりも第一に、社会科学の排斥は、破綻し、時代遅れになった産業政策に回帰するというメッセージになりかねない。観測筋の多くはこの変革を、工学、その他の技能分野に日本の国民を動員し、曖昧模糊とした学問分野から遠ざける経済政策として解釈している。だが、これがほんとうに目的であれば、日本はすさまじい方向に向かっていいることになる。
1960年代と1970年代における日本の急速な失地挽回成長は、製造業を基盤にしていた。これは発展途上諸国に共通の現象である。だが、諸国が豊かになれば、たいがいサービス産業に移行する。金融、コンサルティング、保険、その他のサービス産業は物的な財貨を生産しないが、生産様式を組織化して――日本が是非とも必要としている――生産性の改善に役立つ。日本は人口が縮小している国なので、成長が望めるのは、生産性の向上だけである。
だが、日本の生産性向上は1990年代初期以降、非常に遅々として進まず、米国のはるかな後塵を拝している。日本にこの状況を好転させるつもりがあるなら、必要になるのは技能職の労働力だけではすまないはずだ。技術者と交流し、たがいに連絡しあう管理職が必要になるだろう。事業計画を策定し、戦略的展望を明確に語ることのできる、概念的にものごとを考える人たちが必要なはずだ。日本ブランドを確立し、認知度を高めることのできるマーケッティング専門家が必要になるだろう。旧型の斜陽産業から生産力のある新型の産業に貯蓄資金を振り向けることのできる金融専門家が必要になるだろう。知的財産訴訟を解決し、国際的な法体系のなかで事業の進路を定めるのに役立つ法務担当者が必要になるだろう。採算性が悪い不振企業の経営を評価し、そのような会社が採算性を回復するように助力するコンサルタントが必要になるだろう。
言い換えれば、日本には社会科学と人文科学の学生の大群が必要なのだ。
だから、教育を変革すれば、経済的に大きく退歩することになる。だが、日本の政治と政策立案過程について、教育改革が象徴しているものは、さらに増して懸念を覚えさせる。
この変更には、政治的理由があるかもしれないし、ないかもしれない。日本の人文科学部門はアメリカと同じで、政治的に大きく左寄りに傾いており、日本の保守政権は安全保障政策の改革を進めている。さらに広い視野から、この変更のさらに暗い側面を語れば、異議や議論を沈黙させることによって、国を反リベラルの方向に動かそうとする上流階級の保守層――安倍の主要権力基盤――による企ての一環なのかもしれない。
だが、根幹にあるのは、日本の政策決定過程が場当たりで、機能不全に陥っているということである。関東学院大学・経済学部の中泉拓也教授によれば、この変革の台本執筆者はおそらく、下村大臣ご本人ではなく、文部科学省の若手職員たちだろうという。これが本当なら、国家の経済・社会構造の全体に影響がおよぶことになる、包括的な政策転換が、わけのわからない不透明な手続きを通して、若手官僚らの手で策定されたことになる。
中泉はまた、この変更は、文部科学省が財務省や経済産業省と相談することもなく策定したものだろうと筆者に語った。もしそうなら、なお一層、懸念が募る。経産省と財務省は、日本にとって、健全なサービス部門経済を構築することが必要であると理解している。しかし、両省が教育の崩壊を了解していなかったとすれば、自分たちの目標を掘り崩すことになる政策が目の前で策定されていたことになる。
これでは、政策立案機構が混乱し、バラバラになっているので、日本にとっては非常に情けないニュースになる。改革の唐突で包括的な性格、それが立法府ではなく、省庁側で立案されたという事実は、日本システムにおける抑制と均衡の悲惨な欠如を浮き彫りにしてもいる。説明責任を負うつもりもない官僚たちが奥の院で策定した悪政を覆すためには、大規模で出血を強いられる大衆運動が必要になる。そのような運動は、教育政策変更に対する戦いをすでに一本化しつつある。だが、この闘争が成功するとしても、政策変更は大きなリスクとコスト、そして混乱をもたらすことになるだろう。
日本は、社会科学と人文科学の学生教育を維持する必要がある。日本は、成長の発展途上国モデルに逆戻りする凶運の企てを避ける必要がある。日本は、より健全で、気まぐれ任せでない、より透明な政策決定制度を構築する必要がある。下村大臣の至上命令は、これらすべてにとって、マイナス要因の前兆になる。
(このコラムは、ブルームバーグの編集委員会およびオーナー側の見解を必ずしも反映しているものではない)
【クレジット】
Bloomberg View, “Japan Dumbs Down Its Universities,” by Noah Smith
本稿は、公益・教育目的の日本語訳。
【付録】
日本は世界有数の経済大国。にもかかわらず「経済はつまらない」と考える若者が増えています。その理由は、日本の経済システムに対する不信感に加え、自分たちの力ではどうにもできないという無力感ではないでしょうか。でも実は経済とは、ほんの小さな変化にも敏感に反応する“生き物”。本気でつきあってみると、なかなかおもしろい相手です。
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