2015年9月6日日曜日

IRSN:フランス放射能防護・原子力安全研究所【教材ビデオ】福島第一原子力発電所事故入門


IRSN【教材】福島第一原子力発電所事故入門




2013/02/02 に公開

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311日の金曜日午後246分、並外れて強力な地震が、日本本土、本州の太平洋沿岸を襲いました。

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地震発生から1時間足らずの午後336分、津波が沿岸部を一掃しました。

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津波は内陸10キロにまで駆け登り、20,000人を超える死者を出し、町と港湾を破壊し、土地が荒廃しました。

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原子力発電所、とりわけフクシマの原発もまた、被災しました。

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福島第一原発は東京から北東250キロの地点にあります。

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この原発には、反応炉が6基あります。それぞれの反応炉は順次、1970年代に稼働しはじめました。

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123号炉は出力全開で稼働していました。4号炉は燃料が装填されていませんでした。5、6号炉は低温停止していました。

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福島第一原発の反応炉は、EDF(フランス電力庁)が建造した加圧水型反応炉(PWR)とは異なった技術を用いています。フクシマのものはBWR、つまり沸騰水型反応炉です。

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わたしたちが反応炉と呼ぶのは、炉心内の熱が核分裂反応で発生するからです。

1:37
沸騰水型と呼ぶのは、水が炉心から熱を奪って沸騰し、蒸気になるからです。

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その蒸気は直接、タービンに向かいます。タービンが作動して、発電します。

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その後、蒸気は海水冷却システムで冷やされ、凝結して水になり、炉心に戻ります。

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沸騰水型反応炉は、給水管と蒸気管を組み合わせた1系統だけで構成されています。

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炉心は、ウラニウムを詰めこんだ燃料集合体で構成されています。

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炉心は、(圧力容器の)下から挿入される制御棒で操作され、それが緊急時に差し込まれて、核分裂反応を止めます。

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ウラニウムが分裂すると、放射性原子が生成され、これがやはり発熱し、反応炉が停止しても、この発熱はつづきます。

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これを残留熱と呼びます。圧力容器内の核燃料の冷却を維持することが、重要な安全問題になります。

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核燃料は、有名なロシアの人形(マトリョーシカ)のように複数の封じ込め障壁によって、環境から隔離されています。

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第一の障壁は、ジルコニウム合金製の燃料被覆材です。

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第二の障壁は、蒸気管および冷却水システムが組み込まれた鋼鉄製の格納容器です。

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最後に第三の障壁は、耐火鋼製ライナー付きの格納建屋です。

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燃料は反応炉のなかで水面下に保たれ、隣にある使用済み燃料を収めたプールでも、やはり水面下で保管されています。

3:12
プールは、格納容器の上に設置されており、燃料を水面下に移すのが楽になるように配置されています。

3:25
地震が沿岸部を襲ったとき、地震検知器が制御棒の挿入を司令する信号を送りました。

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核分裂反応は停止しましたが、残留熱を除去しなければなりませんでした。

3:37
外部電源供給が止まり、非常用ディーゼル発電機が自動的に起動しました。
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発電機は反応炉内の炉心冷却に必要な電力を供給しました。

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2号炉と3号炉では、ターボポンプが作動していました。反応炉で発生した蒸気が、反応炉容器内に冷却水を供給するターボポンプを動かしていました。

4:00
蒸気は、格納容器内の湿式圧力抑制プールで水に戻されます。

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1号炉には、ターボポンプがありませんでしたが、反応炉容器から送られた蒸気を水に戻す熱交換器がありました。

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凝結した水は、重力で反応炉容器に戻りました。この熱交換器のおかげで、10時間以上、自然対流による炉心冷却が維持されました。

4:27
ところがその後、すべてが制御不能になったようでした。

4:31
1号炉で、冷却が過剰に進んだため、運転員は操作マニュアルを順守して、余儀なく一時的に熱交換器系を遮断しました。
4:43
地震から1時間もたたないうちに津波が到来し、防波堤を乗り越え、いくつかの建屋の下部を冠水させて、非常用ディーゼル発電機の機能を奪いました。

4:56
1号炉では、運転員が熱交換器を再起動できませんでした。炉心はもはや冷却されていませんでした。1号炉が最初にメルトダウンすることになります。

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2号炉と3号炉では、バッテリーがまだ使え、バルブのいくつかを動かすことができました。タービン駆動ポンプは、24時間近く動きつづけてから、止まりました。もはや炉心を冷却できなくなりました。

5:24
メルトダウンの経緯は、3基の反応炉すべてでほぼ同じです。日時が異なるだけです。

5:31
反応炉容器内の水が蒸発しました。核燃料が水で覆われなくなり、温度が2,300℃まで上昇しました。

5:42
燃料が溶け、集合体構造の素材と混じり合って、コリウムと呼ばれる溶融体になりました。

5:48
コリウムは反応炉容器の底に流れ落ちました。

5:52
日本の当局者らによれば、コリウムは反応炉容器の底を貫通して、格納容器のコンクリート床に落ちました。

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溶け落ちたコリウムの量、コンクリートの床に潜りこんだ深さ、鋼製ライナーを貫通したのか否か…今日になっても、3基の反応炉のコリウムの状態をよりよく知ることは不可能です。

6:14
同時に、反応炉容器の内部で今でも、蒸気のなかに放射性元素と水素が含まれています。

6:22
この現象を説明するために、燃料の液化の初期段階を見てみましょう。

6:27
燃料被覆材は高温に熱せられ、酸化して、ヒビ割れ、蒸発しやすい放射性元素(Iodine=ヨウ素、Cesium=セシウム、Tellurides=テルル化物、Krypton=クリプトン、Xenon=キセノン)を放出します。

6:37
これに加えて、燃料被覆材のジルコニウム(Zr)が蒸気(H2O)と反応して、その酸素(O)と結合し、水素(H2)を発生させます。Zr + 2H2O ZrO2 + 2H2

6:48
通常、空気と混合した水素が着火すると爆発します。しかし、格納容器は窒素(nitrogen)が充填されていました。不活性気体は、酸素の存在を排除します。この段階では、危険はありません。

7:02
反応炉容器内の蒸気圧が危険なレベルまで上昇すると、減圧バルブが開き、ガスはベント管を経由して湿式圧力抑制プールに押し出されました。

7:14
水が吸収フィルタの働きをし、放射性元素の大部分を捉えます。

7:21
だが、非常用ディーゼル発電機が故障しているので、水はもはや冷却されていませんでした。

7:27
水はまもなく沸騰しはじめ、フィルタ機能を失っていきました。
7:33
密封状態の湿式圧力抑制プールは、圧力過剰状態に陥っていきました。

7:40
運転員は容器破裂事態を避けるために、ガスを大気中に放出することにしました。
7:47
通常の場合なら、ベント管はすべてのガスを建屋の外に導き出すはずでした。しかし、水素ガスは制御されていない漏出経路を通って、反応炉建屋の内部に充満していきました。
8:03
水素は空気中の酸素と爆発的に反応します。

8:08
爆発で、建屋の上部構造物が噴きとびましたが、明らかに建屋の反応炉格納構造には被害がおよびませんでした。

8:15
湿式圧力抑制プールで捕捉されきれなかった放射性元素が、環境中に放出されました。
Iodine=ヨウ素、Cesium=セシウム、Tellurides=テルル化物、Krypton=クリプトン、Xenon=キセノン

8:22
使える淡水が現場になかったので、運転員らは海水を反応炉容器に注入することにしました。塩は化学的活性物質なので、この解決法は理想から程遠いものでしたが、少なくともコリウムを安定させるために冷却する利点はありました。

8:40
津波後の4日間で、4基の反応炉が爆発で損傷し、そのうち3基は、炉心が溶融しました。

8:50
2号炉は、構造物こそ壊れませんでしたが、土壌、それに海に撒き散らされた最も重大な放射能放出源になりました。爆発は建屋のなかで起こりました。おそらく運転員らは、湿式圧力抑制プールが破損するまで、格納容器を減圧しようとして、困難な目に遭っていたのでしょう。

9:13
この密閉状態が崩れたために、濾過されていない放射性元素が大気中に放出され、高レベル汚染水が建屋内に拡がって、高レベル汚染水の海洋流出を招きました。

9:30
4号炉の爆発は、炉心に燃料がまったく装填されていなかったのもかかわらず、水素によるものでした。水素は3号炉から連結管を通って送りこまれていました。

9:42
核反応炉の使用済み燃料貯蔵プールもまた、冷却系を喪失しており、おまけに遮蔽物で保護されていないので、共通認識された重大な懸念材料になっていました。

9:53
1号炉のプールに貯蔵されている使用済み燃料はほんの僅かでした。しかし、もっと大量の使用済み燃料が2号炉と3号炉、4号炉のプールに保管され、特に4号炉プールは炉心3つ分を収納していました。

10:06
3か所のプールのすべてで、水が沸騰しだし、必死の思いでヘリコプターや消防車から放水していなければ、使用済み燃料が放射性物質の大規模な環境放出を引き起こしていたでしょう。
10:24
この状況は徐々に安定しはじめました。20113月末には、海水に代えて、淡水が使われるようになりました。閉鎖循環型の炉心冷却系が再び稼働するようになり、これによって汚染水の環境への放出が避けられるようになりました。

10:45
日本政府は201112月、原子力発電所が冷温停止状態に達したと公式に宣言しました。この表現は、冷却水の温度が100℃以下になって、もはや沸騰せず、永代の状態を保っていることを意味しています。

11:04
この核危機は、極めて困難な条件のもとで働き、世界から切り離され、家族からの頼りもなく、津波のあと、電力供給も受けられず、放射能に脅かされていた男たちによって対処されていました。

11:20
彼らは、反応炉を冷却するために全力を尽くして戦い、予備用機器を復旧させようと虚しく努め、あるいは間に合わせの手段を駆使していました。

11:33
この施設を冷却する時間との競争につづいて、延べ約20,000人の労働者らが引き継ぎ、施設の制御を回復するために、まず次の津波に備えて、防潮堤を築き…

11:49
構内汚染地図を作成し…
11:52
現場の通路を開き…

11:55
放射能を帯びた塵芥を固定し…

11:59
汚染水を処理して、投棄し…


放射能のさらなる放出を防ぎました。

12:06
今後の歳月に待っている課題は、貯蔵プールから使用済み燃料を除去し、放射性廃棄物処分場で保管することでしょう。

12:15
その後、やがて長期的には、国際的な有識者らの批判的な目の前で、問題は溶融した燃料を破損した3基の反応炉から取り除き、施設を解体する課題に移ります。

12:32
わたしたちが見てきたように、大仕事が日本人を待ちかまえています。これは、2011311日に始まり、今後何十年もかかる膨大な仕事です。


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0:55
そして、これはモニタリング・ポストの詳細なデータを示しています。グラフは午後240分時点で放射線レベルの鋭い上昇を描いています。


1:06
驚いたことに、この急上昇は最初の水素爆発から1時間近く前のことです。それは福島第一原発での重大な作業の後のことでした。

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